第15話「武人として」

 坂崎と小野寺はそれぞれ槍を構え、柳生の正面に対峙する。

 双方ともに甲冑は着ていない。

 柳生相手に裸で戦うのは分が悪いが、準備と整える時間がなかったのだから仕方ない。


 柳生はすらりと刀を抜く。

 大天狗正家。

 岩をも真っ二つにした伝説を持つ刀である。

 だが柳生は構えを取らず、刀を右手にぶらぶらと降ろしたままであった。


「舐めたことを……!」


 小野寺が挑発に乗り、槍を突きかける。

 しかし次の瞬間、小野寺の手から槍はなくなっていた。

 柳生の刀が槍を打ち払い、はね飛ばしたのである。

 構えなしから一撃、まさに神速であった。


「うかつだぞ、小野寺殿」

「すまん」


 小野寺は距離を取り、腰の刀を抜く。

 柳生は相変わらず刀を構えぬままで、自ら動こうとしない。

 坂崎たちはうかつに出られず、両者はしばらくにらみ合いを続けた。


 柳生が急に足を一歩前へと踏み出した。

 びくっと坂崎たちはその動きに反応するが、柳生は何もせずまた動かなくなる。

 不審な動きに坂崎たちは手を出していいのか分からない。

 また一歩、柳生は踏み出す。

 斬撃が来ると思って身構えるが、柳生は再び何もしてこない。

 今度は次のもう一歩がすぐに来た。

 坂崎たちはそれに反応して一歩下がる。

 しかし、それはあまりにも浅かった。

 逆に柳生は大きく踏み出していた。

 小野寺が認識する間もなく、その刀を切り上げ、はね飛ばしていた。

続けざまに蹴りを放ち、小野寺を吹き飛ばす。


「ぐふっ!」


 強烈な蹴りをもろにくらった小野寺は壁に激突し、動かなくなる。

 死んではいないだろう。

 だが骨の数本は折れているかもしれない。


「小野寺!」


 小野寺の様子を見にいきたいところだが、今は真剣勝負をしている。

 隙を見せた瞬間、坂崎も小野寺のように一撃でやられてしまうだろう。


「後の先」

「ん? ごのせん?」


 急にしゃべり始めた柳生に坂崎は思わず答えてしまう。


「相手の動きを見て動く技だ。相手の目、手、足を見て、どんな動きをするか見張る。そして、動いた瞬間にそれに応じた攻撃を打ち出すのだ」


 そんなことできるのかと坂崎は思ったが、柳生はそれを実際にやってのけていた。


「相手が動かなければ?」


 驚異の技をしてみせる柳生に怖じてしまったこともあり、せめてもの反撃と軽く口を叩いて見せる。


「相手を動かすのみ」


 それだ。

 柳生の不審な動きはすべてこちらを動かす誘導だったのだ。


「まんまと動かされたというわけか……」


 坂崎は戦慄する。

 動いたらやられて、動かなくても動かされてやられる。

 柳生という男は軍神の化身なのだろうか。

 どうしたら勝てるのか分からなかった。


「さあどうする、坂崎殿」


 面白がっていやがる。

 坂崎には柳生のにやりとした顔が悪魔のようにも見えた。

 完全に場を支配されている。

 この窮地を脱するには奇策を用いなければならない。

 どうすればいい……。


「それにしても、柳生殿にも欲があったのだな」


 時間稼ぎに坂崎は口を動かす。


「欲?」

「武人がただの降伏の使者では面白くないだろう。柳生殿はこの坂崎の首を手土産にしたいと思ったのではないのか?」

「ふむ」


 反応が薄い。

 これではいつもの柳生と変わりない。

 柳生がここに来た目的はこれではないのだろう。


「いや、違いますな。武人として刀を競わせたい、そう思われたに違いない」


 柳生が若干だが表情を動かした。

 これだ。


「己に課された任務を忘れ、私欲のために刀を振るい、相手を打ち負かせてみたいと思うことは、何も不思議なことではない。我らは武人だ。忠義のため、恩義のためと、いかに外見を綺麗に飾り付けようとも、戦いを前にして煮えたぎるその血は抑えきれんのだ!」


 無感情であるはずの目を見開いている柳生に対して、坂崎はさらに畳みかける。


「己の腕を振るい、刀で斬り裂き、相手を打ちのめす。この欲求からは逃げられん! 俺も、あんたも!」

 

 坂崎は槍を片手で持ち、肩の高さまで持ち上げる。

 それに反応した柳生はすぐに我に返る。

 槍を投げるつもりだと見抜き、すぐに身構える。

 その読み通り、坂崎は持っていた槍を投げた。

 だが、それは柳生に届く前に落ちた。


 坂崎は柳生にめがけて槍を投げたのでなく、自分と柳生との間に投げ入れたのである。

 鉄面皮の柳生も、驚きの表情を隠せない。

 これに対して坂崎は、わざとらしくにやりと笑って見せ、腰から太刀を抜き放つ。

 やっと柳生殿を出し抜いてやった。

 柳生の思惑通りに進む世界から脱却できた。

 これからはこっちの番である。

 槍を真ん中に挟み、坂崎と柳生が対峙する。


「間を詰められぬようにするためか?」

「さあ、どうだろうな」


 坂崎はずっとにたにたと笑っている。

 柳生は右に一歩大きく踏み出して見せた。

 坂崎は槍を中心にちょうど対になるように右に動く。


「ふむ」


 正面から突っ込んで一気に距離を詰めることはできない。

 とはいえ、左右から回り込もうと動いたところで、同じだけ動かれると間は埋まらないのだ。

 よく考えたものだと柳生は心の中で感心していた。

 

 しかし、坂崎は何も考えてなかった。

 何でもいいから柳生の思惑から外れなければと思って取った変な行動である。

 そして、一騎討ちにおいて、堂々とした態度ではったりを見せるのは効果的だと経験として知っていただけの笑みである。

 現にこの事態においても、坂崎が有利に戦いを進める術はなかった。


 坂崎の気持ちはこれまでにないほど高ぶっていた。

 命を掛け合う緊張感から来る、他では味わえない快感。

これがあるから坂崎は戦をやめられないのである。


(すまんな、達安。お前との約束は果たせそうにない)


 この最高に興奮した戦を途中でやめるわけにいかない。どっちかが死ぬまで続くだろう。

 おそらく自分が負ける。


(昨日は皆で過去の遺恨なく、酒を飲み交わすのも良いと思ったさ。だがな、俺は戦場にのみ存在する男なのだ。戦のない世界では生きていけん。お前はおそらくそれだけの人間でないはずだ。お前は生きて、自分の道を通せ。そして、宇喜多の死に様を後世に伝えろ。それがお前の役目だ)


 妹が自分を許してくれるはずがない。

 名門である富田を追い落とし、幸せを奪ったのだ。

 言い訳できるはずもないし、その業はしっかり背負うべきだと坂崎は思っていた。

 しかしあの夢はとても甘く、引かれるものがあったのは間違いない。


(姫様、この決闘を用意してくれたこと、大いに感謝している。あんたはそんなつもりじゃなかったと、あとで言うんだろうが、俺はこの状況を待ち望んでいた)


 昨晩、坂崎の部屋に千姫が現れたのは現実か夢か、どちらか分からない。

 どちらであろうと坂崎にはどうでもよかった。あれは神が自分のために与えてくれたものなのだ。自分がどの道を進むべきか示してくれた。

 坂崎は胸の中にある十字架に触れる。


(あんたと一緒になるのも道だったかもしれない。だがそれは現実では許されぬことだ。幕府は約束を破り、武士の道を違えたのだ。戦しか能がない単なる武士の俺には、それを覆すことなんてできんのだよ。……そうだな。あんたが本多忠刻に嫁ぐところを襲撃するのもやってみたかった。どうせうまくはいかんが、己の意地は通せただろう)


 坂崎には十字架を掴んだ手を刀に戻した。


「どうした柳生殿、かかってこないのか? 戦国乱世を生き抜いた最後の武者、坂崎出羽守はここぞ。もしや……臆病風に吹かれてしまったか?」


 どや顔である。

 もちろんブラフであり、自分が有利だとはまったく思っていなかった。


「そうだな」


 無視されるだろうと思っていたので坂崎は面食らう。


「拙者、臆病者ではないゆえ、ここは勝負に出させてもらおう」


 坂崎は思わず吹き出してしまう。

 この無愛想な剣豪、面白いことを言うようになった。


「言うようになったな。来い! 俺が戦い方を教えてやる!」

「お頼み申す」


 柳生は右側に飛んだ。

 坂崎もまた右側に動くが、柳生は刀を左手に持ち替え、坂崎に斬りつける。

 刀を持たぬ左腕を攻められ、坂崎は対応できずに左手を傷つけられてしまう。

 体をひねったことで傷は浅い。

 戦いに支障はなかった。


 今度は坂崎が反撃に転じようとする。

 振り向きざまに斬りつけるが、その攻撃は空振りに終わる。

 柳生は坂崎を斬り、そのまま走り抜けていたのである。

 刀に振り回され、坂崎はバランスを崩してしまう。

 その隙を逃す柳生ではなかった。

 一気に間合いを詰め、坂崎に迫る。

 ここで刀で受けようとしても、間違いなくその行動は読まれ、カウンターを受けてしまうに違いない。

 坂崎はこの一瞬で覚悟を決めた。

 

 柳生の必殺の一振りは空を斬った。

 坂崎は地面に寝転んでいた。

 全身の力を抜き、手からは刀が離れ、足は上半身を支えられず、無様な形で坂崎は倒れ込んでいた。

 しまったと、柳生は思った。

 坂崎の動きを読み取れなかったのである。


 これは賭けであった。

 なぜなら坂崎は力を抜いて、一番無防備な状態になっている。

 受け身を取らず、ただ床に転がっているだけだ。

 柳生は刀を返し、そのまま坂崎に振り下ろす。


 しかし、轟音とともに柳生は吹き飛ばされていた。

 坂崎の攻撃ではなかった。

 外から大筒の弾が飛んできたのである。

 屋敷の壁や柱を突き破り、柳生はその破片に当たり、吹き飛ばされたのだった。


「砲撃だと? 柳生がここにいるのにか?」

「拙者も信用されておらぬということか……」 


 柳生はよろめきながら立ち上がる。


「どういうことだ?」

「土井殿は早く事を片付けようとしているのだ。これは催促、さっさと坂崎殿を討ち取り、その首を持ってこいと」

「つまらんことをする……」


「坂崎殿、すまぬが終わりにしよう」


 普段以上に神妙な顔で刀を構える。


「ああ、これは真剣勝負。どっちかが死んでやっと勝負が終わる。……俺が死ぬとは決まってないがな」


 柳生は「ふっ」と笑った。


「坂崎殿、腹を斬ってはいただけぬか?」

「くどい! あんたまで興が冷めることを言うのか! 首が欲しいならば、その刀でもぎ取っていけ!」

「承知した……」


 接近する柳生に対して坂崎は刀を構える。

 だが次の瞬間、坂崎の目の前は柳生の刀があった。

 神速。

 坂崎は腹を引き裂かれる。


「ちいぃー……!」


 浅い。

 一撃で勝負が決まるほどではない。


「浅い、浅いぞ……! これで俺を殺せると思ったか! 遠慮はいらん、殺す気で来い! 俺は……!」

「ご安心なされよ。介錯はこの柳生宗矩が承った」


 次の一撃で終わる。

 坂崎はそう確信した。


(どうせなら死ぬなら、あんたのために戦って死ぬのがよかったな……)


 鋭い一閃が坂崎を捉える。







「千姫を奪え! 本多忠刻などに渡してなるものかー!」


 坂崎は馬上で槍を掲げ、配下に突撃を命令する。

 「おー!」というかけ声とともに兵士たちが、本多邸に向かう婚儀の隊列に突っ込んでいく。


「坂崎出羽守殿とお見受けした! お手合わせ願いたい!」


 坂崎の前に若い騎馬武者が立ちはだかる。


「小僧が武士の真似か? やめとけ、命を落とすぞ」


 坂崎は相手が誰だかよく知っていた。

 本多忠刻。

 大坂の陣で助けられ、千姫と結婚することになっているにっくき相手である。


「そちらこそ、年寄りの冷や水ではないか? 素直に首を出し出すのがよろしいでしょう」

「はっ! ふざけたことを」


 坂崎は山姥の槍を忠刻に向かって振り下ろす。

 忠刻はなんなく槍で受けてみせる。


「ほう。それが名槍・蜻蛉切か。小僧にはもったいない得物だ」

「そなたの槍もなかなかのものだ」

「減らず口を言う!」


 坂崎と忠刻は馬上で槍を打ち合わせる。

 勝負は互角で何度もやっても決着がつかず、坂崎は忠刻の馬に飛び乗り、忠刻を馬から掴み落とした。

 二人は転がりながら組み合っている。

 忠刻が坂崎を蹴り飛ばすと、ようやく二人の間に距離ができる。


「やるな、小僧……」


 組み合いで押し切れず、坂崎は自分の衰えを感じざるを得ない。

 坂崎が刀を抜くと、忠刻も刀を抜いた。

 

「二刀流だと?」

「宮本武蔵を知っているか? 彼に指南を受けている。免許皆伝には遠いが、もはや自分のものとしている」

「俺を倒すには充分ってか。舐めてくれる」


 坂崎の振るう刀を脇差しで受け止め、太刀で反撃する。

 坂崎は刀を返し、忠刻の太刀を払う。

 今度は全力で袈裟斬りをしかけると、忠刻は片手では受け止められぬと、2本の刀で受けた。

 坂崎は力で押し切ろうと鍔迫り合いに持ち込む。

 これは坂崎に武があるようで、忠刻の表情が厳しくなる。

 そして徐々に忠刻が押し込まれていく。


「このまま首をへしきってやる!」

「くっ……」


 忠刻はついに膝をつく。

 坂崎がそのまま押し倒そうとしたとき、小野寺の槍が忠刻の兜を捉えていた。

 強い打撃を頭に受け、忠刻は気を失い、その場に倒れ込む。


「危ないところだったな、坂崎殿」

「何を見ていた。俺のが優勢だったろうが」


 坂崎と小野寺は文句をいいながらも、二人で敵を蹴散らしながら、隊列の中心にいる千姫を目指す。


「坂崎、遅いではないか」


 千姫は駕籠を出て、坂崎の到着を待っていたようである。


「数が多すぎるんだよ。もっと減らしてくれ」

「仕方ないではないか。何かあってはまずいと父上が大勢の旗本をつけたのだ」


 列の人数が多いことが婚儀の大きさを示し、この場合では襲撃を迎え撃つ目的もあって、将軍の娘にふさわしい数の兵がそこにいたのである。


「だが俺の敵ではなかったようだな。……姫様、ご命令通り、ご救出に参りました」

「坂崎、大義であったぞ……」


 千姫は勝ち気な態度から一転し、目を潤ませる。


「姫様、すぐにこの場を離れなくてはなりませぬ。急ぎますゆえ、担ぎ上げてもよろしいか?」

「担ぐ?」


 千姫は眉をつり上げ、不機嫌そうな顔をする。


「失礼。……抱き上げてもよろしいか?」

「うむ、くるしゅうない」


 今度は顔をほころばせて了承する。

 坂崎は両腕で千姫を抱き上げる。


「背に担がれるよりかは心地よいかもしれぬな」

「それは何よりで」


 以前大坂から脱したように、坂崎は千姫を抱えながら走り出す。


「坂崎殿、前方に敵だ!」

「どれぐらいいる?」

「一人だ!」


 一人?

嫌な予感がする。

道路の真ん中に甲冑を身につけない軽装の武者がいる。

柳生宗矩であった。


「姫様、ここでお待ちくだされ」


 坂崎は千姫を降ろす。


「やめよ、坂崎。あやつはおぬしの勝てる相手ではない……」

「分かっている……。だが奴を倒さねば脱出は不可能……」

「死ぬぞ、坂崎。行ってはならん……」

「脱出すると言っただろう。俺を信用できんのか」

「そうではないが……しかし……」

「俺は姫様に命ぜられたからここにいるんだ。必ずこの任務を果たしてみせる」

「死ぬつもりか……? 死ねとは命じておらぬぞ……」


 死なないように戦う、というのは坂崎の頭の中にはなかった。

 相手をいかにして倒すか、そのためには自分の身を危険にさらすのもいとわない。彼はこれまでずっとそうして来た。


「死ぬな、坂崎……。生きてともに暮らすのであろう? 面白い戦話を聞かせてくれるのだろう……?」


 千姫は涙ながらに訴える。


「……悪いな、姫様。その約束には応えられない」







 地にぽとりと落ちた坂崎は一睡の夢を見ていた。

 そして夢の中で「すまぬ」と言った。

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