第16話「終幕」

「そうか、兄上は逝かれたか……」


 戸川は坂崎が切腹した報告を家臣から受けていた。

 朝から物々しい雰囲気を感じて、坂崎のことを案じていたが、戸川には何もできなかった。大砲が鳴り響いたときには坂崎の救援にいこうと槍を掴むが、家臣に諫められたのだ。

 坂崎が婚儀の列を襲う前に、討伐軍が動いたということは計画が露見したに違いない。坂崎が無念の死を遂げたことは容易に想像がついた。坂崎のことだから降伏せず、最後の一兵になるまで戦い抜いたのだろう。

 加勢もできず、義理の兄だけを逝かせたしまったことに、悔し涙が止まらなかった。


「せめて生き残った者だけでも拾い上げてやれればよいが……」




 坂崎直盛は千姫誘拐を目論むが、計画が露見したため自害。

 世間にはそのように公表された。

 坂崎家は改易され、領地の津和野は没収された。

 家族や家臣は助命され、新しく津和野に赴任した亀井政矩(かめいまさのり)の家臣となったので、戸川は胸をなで下ろしていた。

 一方で、宇喜多秀家の復帰は正式に許可が下りた。

 これで元の宇喜多の形を取り戻せると戸川は思った。すでに坂崎はいないが、昔の面子を集め、宇喜多再興に尽力しよう。それが今自分にできることだと。

 しかし、その夢が実現することはなかった。

 秀家は大名復帰を断ったのである。


 戸川は偶然秀家の消息を聞くことができた。

 戸川の屋敷に中村次郎兵衛が現れたのである。

 中村は前田家の豪姫が宇喜多に嫁いだときについてきた家老で、戸川はかつて中村をよそ者と気に喰わず、襲撃したのだった。その後、前田家に戻り、引き続き豪姫の世話係を務めていた。


「これは中村殿、以前は大変失礼をした……」


 戸川は屋敷を訪ねてきた中村に深く頭を下げる。


「どうか、頭をお上げくだされ。もう15年も前のことにござる。忘れ申した」

「すまぬ、中村殿……」


 命を狙った相手に対して笑顔を向ける中村に、戸川は心から感謝の言葉を伝える。


「それで今日は戸川様にお伝えしたいことがありましてな。秀家様のことにございます」

「秀家様にお会いしたのか!?」

「はい、船で江戸に入る途中に嵐に遭いまして、秀家様のいらっしゃる八丈島に寄ったのでございます」


 秀家は八丈島で一生を終える覚悟だと答えたらしい。

 自分の犯した罪は決して許されることはなく、豊臣を代表した人間として、その罰を受け続けると。


「そうであったか……」

「すべてをかぶる気なのでしょうな」

「過去は消えぬのだな……」


 自分はなんと甘い幻想を抱いていたのだろう。

秀家が戻ってくれば、昔のようにすべて元通りになると考えていた。宇喜多をめちゃくちゃにした大きな原因は自分にあるのに、都合が良すぎた。

 戸川は宇喜多再興を断念し、その分を徳川に尽くすことで昇華させた。将軍の信頼を勝ち取り、御伽衆(将軍専属の顧問役)となった。また、戦国時代を経験した生き残りとして、後進の育成の力を注いだのだった。


戸川の領地の隣、安芸広島は福島正則が領していた。

福島は豊臣秀吉の親族であったが、秀吉の死後、徳川に協力を続けていたため、これまで改易されずにいた。

しかし、大坂の陣で豊臣家が滅んだ数年後、突然その領地を没収される。雨漏りの修理を幕府に申請しなかったという言いがかりをつけられたのである。

幕府としては理由はなんでもよく、豊臣に近い人間を根こそぎ始末しておきたかっただけで、福島はその最後の始末だと言えた。

戸川はその処分に立ち会うことになり、できるだけ福島家の人間が困らぬよう手心を加えたという。




 坂崎討伐後、柳生は江戸城で土井と面会していた。


「よくぞ戻った、柳生殿。しかして、坂崎は?」

「こちらが首にございます」


 柳生は坂崎の首が入った桶を差し出した。


「ふむ。いかような様な死に様であったろうか?」

「見事な切腹にございました」

「なっ!?」


 土井は柳生の言葉に驚愕して思わず大声を出してしまう。


「どういうことだ!? 坂崎が腹を斬ったと申すのか!?」


 冷静な男が珍しく声を張り上げている。


「いかにも。坂崎殿は見事に腹を斬られ、武士としての一生を全うされたのにございます。介錯つかまった拙者が言うのですから、間違いはありませぬ」

「馬鹿な……。坂崎が潔く腹を斬るなど……」


 土井は血の気の多い坂崎ならば必死に抵抗すると思っていた。

 抵抗するつまり反乱である。

 反乱を起こしたならば坂崎家を改易し、一族を皆殺しにできる。

 泰平の世から武門である坂崎家を消滅させられたはずであった。


「そんなことあろうはずが……」


 柳生が言うように、坂崎の遺体には腹が斬られ、首を一刀で切断した跡があった。

 坂崎が腹を斬り、柳生が介錯で首を落としたことが分かる。

土井はわなわなと震え、その顔は怒りに満ちていた。

 坂崎のくせに人の計画を失敗させるとは。

 自分勝手な怒りである。


「当然」


 その言葉に土井は顔を柳生に向ける。


「当然、約束は守っていただけるのですな」


 無表情だが目つきは鋭く、土井の顔をまっすぐ凝視していた。

 土井は唇を強く噛んだ。

 そして、しばらく怒りと戦い、


「無論。上様のお達しゆえ」


 できる限り冷静な声を取り繕った。




「結局、何もしてやれんかったな」


 坂崎の死から一年経っていた。

小野寺は小さな墓の前で手を合わせる。

 ここは津和野の地、坂崎の領地だった場所である。

 墓には「坂井出羽守」と掘られている。

 もちろん、坂崎の墓である。

 罪を犯した武将を弔うことは、幕府にとって決して気分のいいものではない。

 わざと坂崎の名を隠して「坂井」と刻んだのである。


「拙者も香を上げさせてもらってもよろしいか」

「ああ、無論だとも」


 低く無感情な声の主に対して、小野寺は快く許した。

 柳生宗矩は坂崎の墓にお香を上げる。

 柳生は坂崎を殺した張本人であるが、小野寺は彼を恨むことをしなかった。


「その家紋、よく似合っているな」


 柳生の服には二つの笠が重なった「二蓋笠」の家紋が入っていた。


「ふっ、そうか」


 柳生は今回の一件の報酬として領地をもらうことになっていた。

 しかし柳生は断り、坂崎家の家紋である「二蓋笠」 と、坂崎の最期のときまで使った山姥の槍を所望した。

 それはたちまち広まり、江戸中が噂するところになった。

 坂崎事件は本来あまり人々に知られたくない事柄であったが、幕府はわざと広めることにした。

謀反を起こした坂崎を罰したというきな臭い事件ではなく、無念にも腹を斬った坂崎を柳生が救済した美談として処理をしたのである。

無論、それは土井の手回しであった。


「あの一件では感謝している」

「いや、拙者は十分に良き品をいただいたのだ。礼を言われることではない」


 柳生は「それに」と言葉を付け足す。


「三池典太光世も拝領した」

「坂崎の刀か。どうやって取り返したのだ。土井が簡単に譲るとは思えぬが」

「少しにらみつけてやったまで」


 小野寺はふっと笑った。


「刀は元服祝いに愚息にやろうと思っている」

「ほう。いくつになられる?」

「10。数年もしたら上様のご嫡男・家光様に出仕させようと思っている」

「でもよいのか? 坂崎の刀など持たせたら、やんちゃな性格に育つに違いないぞ」

「それは面白いな」


 柳生は口元を緩ませた。

 柳生の子とは柳生十兵衛のことである。

 後世に隻眼の剣豪として圧倒的な知名度を持つ人物となる。

 しかし、三代将軍・徳川家光の小姓となるのだが、怒りを買って長い間、謹慎処分になってしまう問題児であった。


「それでは、わしはこれにて失礼しよう」


 小野寺は立ち上がり、旅の荷物を担ぐ。


「これからどちらへ?」

「北のほうへ参る。古い知り合いがどうしているのか気になってな」


 小野寺の旧臣のことだ。

 小野寺が暴走したのがきっかけでお家が取りつぶしになり、家臣たちは職を失っている。


「そうか。そなたには細やかながらこれを送りたい」


 小野寺は小さな袋を受け取る。


「これは?」

「タバコだ」

「よいのか? おぬしがいつも吸っていたものだろう?」

「不要となった。己を縛るのはやめたのでな」


 小野寺は何のことかと首をかしげるが、柳生は何も答えなかった。


「では達者でな」


 小野寺の子孫に小野寺秀和がいる。

 彼はこれから80年後、改易され切腹となった主君・浅野長矩(浅野内匠頭)のために、四十七士の一人として吉良義央(吉良上野介)の屋敷に討ち入るのであった。

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