特定の時代や状況に限らず、立場や経験によって物事の価値や見方は変わります。
砂糖を紅茶に入れるという、たったそれだけの行為ですら人によって見方は変わってしまう。
そして価値観の違いの大きさに気づいたとき、相手との距離を感じてしまい、昨日まではすぐ隣にいた人が遠くなる。それがどれほど愛し近しい人であっても。
人は同じ経験を積むことはできません。
同じ経験したからといっても同じ見方をするわけでもありません。
まして、周囲の人が知らないことを経験したなら猶更です。
そういった、身近に潜む、他者との距離の不安定さをこの作品では実感できます。
歴史時代小説の形で、普遍的な人の在り方を丁寧な描写で示した作品だと感じました。
砂糖は甘いけど、ちょっと苦めのお話。
舞台は18世紀のイギリスでございます。ええ、歴史が織り混ざった話です。ですが、ただの歴史小説ではございません。
なぜなら、魅力溢れる五人の女の子たちの視点で、物語が語られているからです。
ええ、どの子も大好きです。女の子、可愛い。(話を戻します)
どの子の家柄の裕福さも違い、自らが経験したことも違います。
ですが、五人は仲良しでした。あることが、起こるまで……。
「お砂糖は何匙?」
このレビューだと、可愛らしい女の子たちのお話かと思われますが、違います。
作者特有の知識を活かし、美しい文章で描かれる作品は、心惑わせます。
私たちが日常で使っている砂糖が、過去にどのように思われていたのか。奴隷制度、貧困、植民地支配 ———
彼女たちの感情や思いが、読んでいるこちらまで伝わって来ます。
では、リアルで心苦しくなる世界へようこそ
甘い砂糖の入っていない紅茶のような、芳醇な素敵な物語です。
骨太と書きましたが、文字数が少ないので、サクッと読めます。
小道具に砂糖を採用してますが、女の子のキャピキャピお茶会の物語に止まりません。
近世末期のお茶会を舞台にしつつ、作品テーマは現代社会にも通じるものがあり、確かに歴史ジャンルですが、社会派小説の趣きもあります。舞台とする時代が違うので、ノンフィクションではありませんが、それに近いです。
ガールズラブっぽい面もホンの僅かです。塩味の料理を「甘党の方の口に合うかしら?」と出すみたいな感じで、それを毛嫌いして読まないのは勿体無いです。
短編にはMAX2つが信条なんですが、星3つ付けました。
18世紀の英国にて、久しぶりにお茶会を開く5人の女性のお話です。
和やかに始まったお茶会ですが、あるひと言をきっかけに微妙な空気が走ります。「お砂糖は何匙?」
なぜ、一見ありふれているようなこの言葉で、場の空気が変わるのか。その理由が、当時の歴史を下敷きにした物語として鮮やかに描かれています。
素晴らしくまいっちゃうお話でした。
もし私がその場にいたら、どうするのだろう。震えながら「とりあえず自分の畑を耕そうと思いますわ」とニコッと笑って胃薬を探すかもしれません。
卑近な例で恐縮ですが、同窓会を思い出しました。
当時の関係。今の立場。そして好きすぎる故の言葉のやり取り。もう本当にまいっちゃいます。
そして、短編小説でこんなにもまいっちゃう事をあれこれと考えさせてくれる見事なお話作りの手際にもまいっちゃうのでした。
素敵な短編小説を探している方であれば、ぜひ。
だいたい30分あったら読める今作品ですが、その30分の間に自分の価値観がガラリと変わってしまうような一服の劇薬となっています。
まるで、美しい通り魔にすれ違いざまに刺されたような感覚に襲われました。砂糖と少女たちのお話なのに、ぜんぜん甘くない。むしろ、ほろ苦い……。
私は歴史的背景と人物たちのドラマが巧みに織り交ぜられた歴史小説が好きなのですが、この小説は奴隷制やそれに支えられている人々たちの生活、零落したお嬢様が見た社会の暗部など、とても見事な筆力で描かれています。
何よりも、少女たちの甘く囁くような語りで人間と社会の闇や愚かさが描写されているのがたまらなく素晴らしかったです。
カクヨムの歴史小説の短編で何がいいかと言われたら、「まずは『砂糖はいかが。』を読め!」と薦めたいです。ぜひ、皆さんもご一読を!
(……素手で熊を倒せるあの方が絶賛していたから前々から気になってはいたのですが、読んで良かったぁ~(*´▽`*) 素晴らしい作品、ご馳走様でした!)
18~19世紀、大陸で絶対王政とカトリックの優位が揺らぎ、中世から続いた「神ってる国々」の地位が落ちてくる時期。この時期を少し知る者ならばこの小説の深い面白さをより楽しめる。そうでなくても「なぜこの会話がこの人には響くのか」知りたくなった人はイギリス近代史の本を読んでみましょう。この短篇の底知れない怖さがわかる。イギリスが植民地にしていたアフリカ、西インド諸島の奴隷制には怒りを抱く正義感あふれる女性も、やがて自分が『砂糖なしで』なら飲む紅茶の産地・中国がいかにイギリスに食い物にされてゆくか知らない。『お砂糖はいかが?』その一言の受け止め方は、女性たちの立場や信条によって異なる響きを持つ。そしてインド産なら、という考えがまた浅すぎるという事は、マハトマ・ガンジーの存在を知る21世紀の我々なら容易に知る。どこまでも純粋に真っ直ぐな女性たちのささやかなお茶の会話は、今日に続く歴史に浮かぶ、一粒の砂糖の結晶なのだ。すっきりと切り詰めた文章に怖さをにじませる作者の技術はさすが。
まず文章を読んで、僕は芳醇な海外小説の香りを覚えた。
著者の読書経歴やパーソナルな部分は把握していないが、物語同様に英文学などに深い知見と親しみがあるのだろう。
なぜならば、洗練された様式美をそこに感じたからだ。
まるで、上流階級者の子女が仕込まれるマナーのような。それは、ある種の高潔さすら受け取れる。
言うなれば、歴史小説という大衆文芸の中の純文学ではないだろうか。
こうしたものを書ける著者に、僕は羨望を覚える。
今の、僕には書けない。僕の文章が荒々しいマルセイユの悪童だとすれば、著者の文章は絢爛豪華なベルサイユで注目を浴びながら、謀略渦巻く中でも生き残る腹芸が出来る女性。
つまり、それぐらい凄いのです(笑)
さて――。
物語はマデラインと四人の目で進む。
小劇場で演じられる、ワンシチュエーション・ドラマを想像する判りやすいと思う。
そして、序盤は女性グループの人間関係、それが次第に屈折を帯びたものになっていき、最後は政治問題に絡む。
ここで語られる事は、「最大多数の最大幸福と、どう向き合うのか?」にも通じると思う。
誰かが豊かに暮す為には、誰かを犠牲にしなければばらない世の中であり、それは今も昔も変わりはない。
そうした中で、社会システムを変革しない限り、我々はせいぜい搾取される「だけ」の側にならないよう頑張るしかない。
そこが、グウェンドレンとマデラインの考えの違いであり、友情を壊す要因になったのだろう。
そして、あと一つ。
この物語は大きな教訓を示した。
「政治思想が絡むと、人間関係は破綻する」
ん。
だから、職場や飲みの席で政治ネタ(宗教含む)は御法度なのだ。
気を付けようね、新成人諸君!グウェンドレンとマデラインにならぬように。
【WEB歴史時代小説倶楽部 参加作品】
その時代、中国産の茶葉ラプサンスーチョンは高級品だった。
中国すなわち清は自立した一国であり、英国配下のインドと違い、
中国産の品物は高価で、富裕層にしか手が出せなかったのだ。
1789年、ドーバー海峡の対岸でフランス革命が起こる年のことだ。
半年間の謎の失踪の後、友人たちをお茶会に招いたマデライン。
彼女を取り巻く4人と彼女自身、それぞれの視点から少しずつ、
5人のうら若き英国淑女を巡る社会と世界の情勢が語られていく。
奴隷制度、貧富の格差、共和制の足音、日の沈まぬ帝国イギリス。
富裕層である彼女たちの日常が事細かに垣間見える点に驚嘆する。
例えば、表題にある砂糖がどのように生産されているかに始まり、
流行っていた文学作品、女性の地位や服装、結婚観や経済観など、
丹念に調査・収集した知識がなければ、こんなふうには書けない。
5人の視点で各々少しずつ異なる文体は、海外文学の翻訳のようで、
どこか浮き世離れした上品さがむしろ登場人物に現実味を与える。
1万字に満たない短編であるにもかかわらず、読後感は重くて深い。
私は欧州史に疎いから、提示される情報が新鮮で、興味深かった。