第16話、行き付く果てに……

 雷鳴にも似た、凄まじい音と共に、大きな地響きがした。

 閃光が走り、猛烈な気圧の嵐が吹き荒むかのように、浩子のプレスは弾け飛んだ。

 天井の化粧板は全て吹き飛び、残っていた床材も四散。

 全ての壁には、無数の亀裂が走った。

「 こ、この…っ! 」

 浩子は、飛び散る建材を避けると、立ち込める白塵の中に、友美を探した。

 やがて、めくれ上がった床に手と膝をつき、俯いたまま、肩で息をしている友美が見て取れた。 今のプレスは、さすがの浩子も、かなりの体力を消耗したようである。 しかし友美は、それ以上だ……!

 浩子は、友美に悟られないよう、余裕の表情を見せながら言った。

「 短期間で、よくそこまで使うようになったわね。 ……頭を潰すのと、首を折るのと、どっちがいい? 」

 友美は下を向いたまま、荒い息を続けている。

 浩子は、勝利を確信した。 おそらく、次のホールドで完全に束縛が出来、少々のプレスで、友美を押し潰す事が出来よう……!

 浩子は、ゆっくりと友美に近付き、余裕の表情と共に腕組みをした。 両手を床につき、肩で荒い息をしながら下を向いたままの友美を見下げる。

 薄笑いを浮かべると、静かに言った。

「 ふふふ… 命乞いでもしてみる? …助けて、って言ってごらんなさいよ、友美。 あたしの声、聞こえないのかしら? 」

 友美は、ゆっくり顔を上げると浩子を見つめ、荒い息の中で、呟くように言った。

「 ち、力の…… 力との… 共存を考えて……! 」

「 まっ… まだ、寝言を言ってんのッ? …いいわっ、2度と言えないようにしてあげるッ! 」

 浩子の周りに、再び、気圧の渦が発生し始めた。 青白い放電が渦になびき、浩子の周りを、徐々に回り始める。

( 来るっ… プレスを… シールドを張らなきゃ……! )

 分かっていても、かなりのダメージを受けた友美には、早急な対応が出来ない。

 まばゆい閃光が走り、浩子のプレスが、再び友美に襲い掛かった。

( 間に合わないっ… 潰される……ッ! )

 そう思った瞬間、何かが、友美に覆い被さった。

「 …? 」

 体は、何とも無い。

 浩子のプレスから逃れようと、思わず仰向けに後退りした友美の体の上に、何かが乗っている。

 それは何と、里美だった。

「 …さ、里美っ? 」

 浩子の圧倒的なプレスを受け止めながらも、必死に友美を守っている。

「 ご… ごめんね友美…! ガレキの中で気を失なっちゃってた。 どこまで持つか分かんないけど… 今のうちに、とにかく、まずシールドを張って……! 」

 その表情に笑みはあるものの、巨大な浩子の力に、耐えうるはずが無い。 自殺行為に等しい。

 友美は、急いで応急的なシールドを張ると、里美に言った。

「 出来たよ、里美っ! つ… 潰れちゃうっ! 早く、そこから逃げて! 」

 結果的に里美は、友美のシールドと浩子のプレスに挟まれた状況となっている。

「 だめっ! もう少し経たないと… 友美の体力が回復しない……! 」

 ……確かに、里美の言う通りではあるが、完全な体力の回復には、かなりの時間を要する。 それまで里美が、持ち堪えられるはずがない。

「 里美っ、逃げてッ! お願いっ……! 」

「 …と、友美のプレスに比べたら…… こんなの…! 」

 里美は、シールドの圧力を上げた。 周りの空気が圧縮され、赤く熱を帯び始める。 里美が、ここまで気の圧力を上げたのは、おそらく初めての事だろう。

「 だめえッ…! 神経、切っちゃう! 里美! 」

 いつも、他人の気遣いをしていた里美……

 誰かが傷付くと、傍らにはいつも里美がいた。 絶体絶命の危機だった今も、やはり里美がフォローしている。 しかし、そんな里美にも限界がある。 今、その限界が過ぎようとしていた……

 状況を見ていた浩子が言った。

「 とんだ伏兵がいたものね…… いいわ、里美。 一緒に、潰してあげる……! 」

 プレスの圧力を、更に上げる浩子。

 里美は、既に表情を失っている。 だが、かすかに微笑みながらも、じっと友美を見つめていた。

「 …さ、里美っ? 里美、しっかりしてっ! もう… もう無理よ、神経が……! 」

 友美のシールドに覆い被さっている里美の胸の辺りから、メキメキッという、鈍い音が聞こえて来た。 肋骨が、折れたのだ。

「 さっ、里美……! 」

 友美の頬に、暖かいものが、ポタリと落ちて来た。 続いて、2つ… 3つ… 友美の耳の脇辺りから、首筋へと流れて行く。

「 だ… だめ… 里美……! 」

 生気を失いつつも、微笑む里美の口から、血が流れ出ている。

「 ……あ… あたしが死んでも…… 友美が… いる……! 」

 里美が、そう呟いた瞬間、何かが砕ける音と共に、友美の目の前は真っ赤になった。

 再び、強烈な浩子の気圧が、友美を襲う。 しかし次の瞬間、巨大な放電柱が、浩子のプレスを一気に弾き飛ばした。

「 あ…っ! 」

 爆風にも似た圧力に、浩子はよろめいた。 圧縮された空気が熱風となり、フロアを吹き抜け、四散した建材を猛烈に巻き上げる。

「 浩子オオオオオ ―――――――――― ッ! 」

 髪を逆立て、仁王立ちになった友美が叫んだ。

 体中、いたるところから放電し、巻き上がった建材に接触する度、火花を散らしている。 今までに無い、荒々しい殺気を帯びた力が、友美の周りに渦巻いていた。

「 あ、あたしのプレスを破壊した…? そんな… そんな力…… あんたに残ってるはず無いわ! 」

 凄まじい視線で浩子を見据え、ゆっくりと近寄る友美……

 

 ……その殺気に、浩子は恐怖した……!


 もう自分には、体力は残っていない。 まさか、友美が、このプレスを弾き飛ばすとは、予想もしていなかったからだ。


 自分の知らない、未知数的な、友美の力……!


 その存在の前には、成す術も無い。

 浩子は怯えた。 閉じ込められた部屋の壁が少しずつ迫って来るような… 鬼気迫る友美の表情に、浩子は1歩も動けない。

「 ……こ、この…っ! 」

 浩子は、残っている体力で衝撃波を繰り出した。

 バシッ、という音を立て、衝撃波は友美のシールドに、いとも簡単に跳ね返されていく。

 耐え切れない恐怖に、浩子は叫んだ。

「 ……こっ、来ないでっ…! 来ないでよォッ…! 」

 友美は、じっと浩子を見つめたまま、表情ひとつ変えない。

「 …! 」

 浩子は気付いた。

「 あ… あんた… 神経を……! 」

 友美は、歩みを止めると、じっと浩子を見つめた。


 ……その表情は無機質だ。

 しかし、ひとたび、その力を稼動させれば、自身の体の存続を考慮しない、無制限な力の放出の危険性を示唆している事を、浩子は感じ取っていた。


 友美は、神経を切ってしまっていたのである。

 それは、自身の死を意味する。 あの、ユキのように……!


「 ……お、大舘さん。 どうしよう? と… 友美… 神経、切っちゃってる……! 」

 浩子は、震える声で大館に尋ねた。

 飛び散った建材でフロアの片隅に埋もれていた大館は、折り重なった床材を払いのけながら、浩子に言った。

「 仕掛けるんじゃない! 力を稼動させて、暴走し始めたら… とんでもない事になるぞっ! おそらく… もう、誰にも止められない……! いいか、動くな。 今、そっちに行く 」

「 お、大舘さん… あたし…… そ、束縛されてる……! も… 物凄い力…! 弾き飛ばされるっ 」

「 やめるんだ、友美っ! 今、力を使っちゃいけないっ、友美ッ! 」

 浩子の体が、猛烈な勢いで、崩落した壁のガレキに叩きつけられた。

「 あ… ぐ、ふっ……! 」

 背中から壁に叩きつけられた浩子の胸と腹部から、鉄筋が飛び出して来た。

「 浩子ッ! 」

 崩落した壁の鉄筋が、浩子の体を貫いたのだ。 床に広がる、鮮血の輪。

「 …… 」

 声も無く、しばらくもがいていた浩子は、自分の胸から飛び出した鉄筋を両手で握り締めたまま、まばたきを1つすると一点を見つめ、やがて動かなくなった。


 ……友美は、ゆっくりと大館の方を振り返った。


 友美を見据え、絞り出すような声で、大舘は呟いた。

「 ……友美……! 」

 鉄筋を握り締めていた浩子の左腕が、だらりと落ちる。


 不気味な静けさがフロアを包んだ……

 階下の地上からは、消防車のサイレンが聞こえる。 すぐ下の8階では、レスキュー隊も到着したらしい。 作業指示を出す声が、非常階段の方から聞こえて来る。


 ……遂に、神経を切ってしまった友美……


 自分を助けようとした里美を、目の前で無残に押し潰され、怒りに我を失った友美は、自分で制御出来る限界以上の力を稼動させてしまったのだ。

 もう、元には戻れない…… 酸素を供給し、脳を働かせて筋肉を操り、手足を動かせているのだ。

 ……痛みも、感覚もない。 匂いも、暑さも感じない。

 足元には、経験した事のない、ふわふわとした感触があった……

 自分は、どんなふうに大館に見えているのだろう……?

 そんな思いも含め、友美は、じっと大館を見つめ続けた。


 やがて大館が、静かに言った。

「 ……これで終わりだ。 全て、終わったよ。 何もかも……! 」

 友美は、尚も、じっと大館を見つめている。


 今… 大館の深層心理が見える。

 エリートとしての自負と重圧。 報われない、弱者の誠意。

 利と義の選択と、優先。

 幼い頃の、母の思い出… 浩子に向けられた、大いなる愛情……


「 …喋れるかい? 」

 大館は、友美に聞いた。

 しばらく無言でいた友美だが、やがて、小さな声で答えた。

「 ……さみしい 」

 大館は続ける。

「 精神だけで、体をコントロールしているのか…… 大したものだ。 暴走もせず、理性を保っている…… 脳死に至っていない状態になる訳だが、自律神経は自分でコントロールし、血流も自分で循環させてるんだね?  ……理解出来る僕にしても、驚きだよ。 とても、死んでいるとは思えない……! 」

 友美は言った。

「 あなたを… 手に掛けたくない 」

「 僕の事はいい。 収拾は付けると言っただろ…… 君こそ、どうする? そのまま、生きているフリを続けるのか? 」

 しばらくしてから、友美は答えた。

「 わからない…… 」

 大館は、ふうっと、息をついた。

「 ……酸素は、皮膚からも取り入れるんだよ? 皮膚呼吸をさせないと、筋肉や皮下組織が壊死してしまう。 僕からの、最後のアドバイスだ…… 」

 大館は、足元に落ちていたガラスの破片を手に取り、言った。

「 前にも、言ったよね? 僕らと君らは、同じカードの裏表だと。 裏である僕らは、カードを場に出してみた。 結果は、ご覧の通りだ。 表の君らが出ていたら、どうだったんだろうね…… まあ、今となっては、無責任な問いだが…… 」

 そう言うと、大館はガラスの破片を自分の首筋に当て、一気に引いた。 霧吹きで吹いたが如く真っ赤な鮮血が噴き出し、大館は、よろめくように膝を付いた。

「 ……物事、平和的に解決出来るに越した事は無い。 でも、人間は愚かだ… その暴力の恐怖に、従わせる事も必要な時がある 」

 床に広がる、鮮血の輪……

 次第に、前のめりになり、目から生気が失せて行く大館。

 かすかに笑いながら、段々と小さな声になりつつ、言った。

「 暴力の全否定は、偽善だ…… そんな事を考える僕が… 一番、愚かだったのかも… ね…… 」

 床に落ちたガラス片が、小さな音を立てて砕け散る。


 倒れ込んだ大館は、そのまま動かなくなった。

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