4429F

夏川 俊

第1話、訪問者

 遮断機が鳴っている。

 大きな赤いランプを交互に点滅させ、まるで周囲を威圧するが如く、鳴っている。

 その音をかき消すように、目の前を通り過ぎて行く銀色のアルミ車体。

 遮断機の音より、更に大きな轟音の応酬……

 

 駅から吐き出された人々が、一斉に踏み切りを渡り始める。

 無表情に、短絡的に、そして平和に……


 …もう、あの事件についての、警察の事情聴取は無くなった。

 

 マスコミの取材も、最近は、ほとんど無い。

 友美は、やっと普通の高校生活を送れるようになっていた。

 死者7人…… 一連の事件関係者で生き残ったのは、友美1人きりである。


 髪を切り、転校して半年。

 新しい生活の中で友美は、務めて明るく振舞った。

 その努力の甲斐あって、現在は普通の高校生らしく、友達も沢山、出来ている。

 今までの荒んだ生活をしていた友美の周りにはいなかった、親しい友人たちだ。

 試験のこと、彼氏のこと、人気タレントや雑誌、ファッションの話……

 考えてみれば、幼稚な話である。

 だが友美は、そんな他愛も無い話をする事に、実は、密かに憧れていた。

 

 何も怯える事は無い。 虚勢を張る必要も無い……

 

 今の生活は友美にとって、やっと手に入れた、夢のような生活だった。

( もう、あの頃の私には絶対戻らない。 今の生活や友達を、ずっと大切にしていきたい )

 1人暮らしをしているアパートの階段を登りながら、友美はそう思うのだった。



 築19年のアパート。

 義父名義で借りている6畳一間の小さなアパートではあるが、友美は満足していた。 物心ついた時から、施設で育った友美には、親はいない。 1人には慣れている。 気を使う他人がいるよりは、1人でいた方がずっと楽だった。


 部屋に入った友美は、通学カバンを机に置くと、そのままキッチンに立った。

 昨日、作った肉ジャガが、鍋に残っている。 冷蔵庫を開けると、ラップに包んだ冷や飯があった。

( 今晩は、これでいいわね )

 そう思った時、玄関のドアをノックする音が聞こえた。 全く無防備だった心の扉を叩くかの如く、その音は、やけに友美の心に響いた。

「 こんにちは~。 笠井さ~ん、ちょっといいですか~ 」

 友美は直感した。 まるで友美が帰宅するのを待っていたかのようなタイミング…… おそらく、張り込み待ちをしていたのだろう。 あの事件の事だ。 また誰か来たのだ。 警察か、マスコミか……

 友美の顔が、にわかに曇った。

「 どなたですか? 」

 友美は、ドア越しに尋ねた。

「 毎朝グラフの菊地と申します。 少々、お話があるのですが 」

 若そうな男性の声で、紳士な感じの返答があった。

 週刊誌の記者らしい。 …当然、あの事件の事だろう。

 友美は、ドアを開けずに答えた。

「 もう、あの事件の事は話したくありません。 知っている事は、全て警察の刑事さんに話しましたし、他の週刊誌の方にも、何度も話しました 」

 この手の記者は、しつこい。 断っても、何度でも訪ねて来る。 友美は今までの経験で、それを体験していた。

「 いいかげんに、私を解放して下さい。 もう、放っておいて欲しいんです。 何もお話する事はありません。 あまりしつこいと、警察を呼びますよ? 」

「 お叱り、ごもっとも。 確かに私は、あの事件に関連した事で参りました。 でも、取材じゃないんです。 私用というか… ある情報を入手しましたので、お伝えに参ったのです 」


 ……今までの連中とは、どうやら違うようだ……


 しかし、もう触れて欲しくない『 あの事件 』に関する話を聞かされる事には違いはない。

 友美は答えた。

「 結構です。 お帰り下さい 」

「 あなたの出生についての情報なんですが… 」


「 え……? 」


 一瞬、驚く友美。

 その途端、ドアの外で、何かを叩くような音がした。

「 わっ! 痛てっ…! 何だ、アンタ! 」

「 何だ、とはアンタのことだろっ! 友ちゃん、イヤがってんじゃないか。 とっとと帰んなっ! 」

「 ちょっと、オバさん、落ち着いて! うわっ、たっ… 痛てっ、痛てっ。 ホウキで叩くなって! 」

 1階の部屋に住む、トヨおばさんの声だ。

「 ありゃ? ホウキの柄が折れちまった。 えいっ、コイツ! これでもか、これでもか! 」

「 待った、待った! 痛てっ、やめろって! 」

 えらい騒ぎである。

 とりあえず、友美はドアを開けた。

「 トヨおばさん、やめて! ケガしちゃうよ、その人。 とりあえず、話しを聞くから… 」

 ポーチの蛍光灯の下で、トヨおばさんは、折れたホウキの柄をポーチの床に立てて構え、仁王立ちになっていた。 肩で、ふうふう息をしている。

「 聞く必要ないよ、友ちゃん! こいつら、一度許すと何回でも来るからね 」

「 ありがとね、トヨおばさん。 でも、いいの 」

 手摺に追い詰められた格好で男がうずくまっている。 歳は25~6才くらいだろうか。 こざっぱりとした濃紺のスーツを着た、真面目そうな男だ。

「 大丈夫ですか? 」

 友美が声をかけた。

「 いやあ~、すごいボディガードがいるね。 参ったよ 」

「 何だとォ~! もういっぺん言ってみなっ! 」

 トヨおばさんが、折れたホウキを振り上げる。

「 わあァ~っ! 参った、参った! 降参っ! 」

 うっすらと、頬に赤い打撲の跡をつけた男の必死の形相に、友美は思わず吹き出した。

「 いいかい、友ちゃん。 部屋ン中でヘンなことし始めたら、すぐ呼ぶんだよ。 いいね? 」

「 わかったわ。 ありがとう 」

 男は立ち上がると、ズボンの汚れを手で払いながら言った。

「 今度来る時、新しいホウキを買って来ますね 」

「 余計なお世話だよっ! 2度と来るんじゃないよっ! 」

 トヨおばさんは、折れたホウキの柄で男を指しながら凄む。

 男は、両手でトヨおばさんを制し、言った。

「 …わ、分かった、分かりましたよ。 これからは、あなたにアポをとってから来ますね 」

「 あたしゃ、来るなと言ってんだよッ! 」

「 はい、はい 」

 トヨおばさんは、ずいっと男の顔に詰めより、再び凄んだ。

「 ……むううぅ~… どおぉォ~も、アンタのツラは… 好かないねえぇ~……? 友ちゃんに災いをもたらしに来た、ってカンジだねえぇ~……! 」

「 トヨおばさん、そのくらいにした方が… また、管理人のオジさんが来るよ? うるさいって 」

 友美が、2人の間に入って言った。

「 フン! あんなジジイ、怖かないね! 」

 捨てセリフを残し、トヨおばさんはアパートの鉄階段を下りて行った。

「 ……すごいオバさんだなあ。 もう、付き合いは長いの? 」

 トヨおばさんが下りて行った階段下を見下ろしながら、菊地と名乗った男は頭をかき、友美に聞いた。

 階下で、トヨおばさんが、追伸のように叫ぶ。

「 長居、すんじゃないよアンタっ! 分かってんだろね! 」

 首をすくめ、ポーチの上の方を見上げながら、菊地は答えた。

「 はい、は~い! 分かってますよ~ 」

 階下からは、「 ちっ 」と言う舌打ちが聞こえ、ドアが閉まる音がした。

 友美は、苦笑いしながら答える。

「 町田 豊子って言う、駅裏で焼き鳥屋をしている人でね。 この辺りでは、名物おばさんなの。 確か… 70歳は、越えているはずよ? もう20年近く、1人暮らしなんだって。 今日は、定休日ね 」

「 へえ~、焼き鳥屋かあ… うまそうだな。 味にこだわってそうだ 」

「 狭いですけど、どうぞ 」

「 お邪魔致します 」

 友美に続き、部屋に入った菊地が、ドアを閉める。

 出された座布団に菊地が座ると、友美は、菊地の前の畳にキチンと正座して言った。

「 改めまして。 笠井友美です 」

 軽く、一礼する友美。 男は、ネクタイを締め直しながら挨拶を返した。

「 毎朝グラフの、菊地と申します 」

「 あいにく、お茶を切らしてまして… 何もお構い出来ません。 ごめんなさい 」

「 いやいや、お構いなく。 こちらこそ突然お伺いして… う~ん、とても高校生には思えない挨拶だねえ。 もっと、チャラチャラした、なんて言うか… 今時の高校生かと思ってた。 あ、失礼… 」

 菊地は、大人っぽい友美の挨拶の仕方に、少々、戸惑いを見せながら言った。

「 施設でのしつけは、結構厳しかったんですよ? 社会に出ても恥かしくないようにって、小さい頃から寮母さんにしつけられていましたから。 その反動か、中学生の頃からは荒れてしまいました…… 今、思えば、まだまだ幼稚だったんですね。 だから、あんな事件にも遭遇したんだと思います 」

 膝の上に組んだ手を見つめながら、友美は言った。

 小さく、ため息をつく菊地。 友美の膝の上に組まれた手を見つめながら、少し間を置いた。


 アパート前の小路を、自転車に乗った子供たち数人が、はしゃぎながら通り過ぎて行く。 遠くに聞こえる、高架を渡る電車の音……


 菊地は、静かに言った。

「 僕も、君の心境を考えると… 実のところ、もうあの事件の事には、あまり触れたくないんだ。 近代、まれに見る猟奇殺人だったからね 」

 その言葉に友美は顔を上げ、菊地を見た。

「 警察では、事故とされています。 ……今、殺人とおっしゃいましたよね? 」

 友美の問いに、視線を上げる菊地。 友美と目が合う。

 

 華奢ながらも… 友美の、その視線の奥からは、深い葛藤と機微が感じられる…… 


 憂いを秘めた瞳とは、こんな視線を発する眼差しの事を言うのだろうか。

 初めて接する、引き込まれて行きそうな… 美しくも聡明な瞳…… 

 菊地は、しばらく、じっと友美の目を見つめていた。


「 ……君は、どちらがいいんだい? 」

 我を忘れていたかのような、長い間合いの後、菊地は問い掛けた。

 友美は視線を落とすと、消え入るような、か細い声で言った。

「 菊地さんは…… 信用して頂けるんですか? 私が、警察の刑事さんや、週刊誌の方たちに言っていた事を…… 」

 菊地は答えた。

「 君の供述は、確かに信用度が無い。 あまりにも非現実的だからね。 …だけど、君がウソを言ってるようには思えないし、現場検証からは、どうしても解明出来ない現状がある事も事実だ 」

 友美は、再び顔を上げ、菊地を見て言った。

「 菊地さんが認知する、あの日の全容を言ってみて下さい 」

「 あの日の全容か…… よし、わかった…! 」

 菊地は、スーツの上着のポケットから手帳を出した。 ワイシャツの胸ポケットからタバコを1本取り、無意識の動作で火を付けようとする。

「 あ…… 」

 未成年の女性が暮らす部屋にいる事に気が付いた菊地は、タバコをくわえたまま、友美の方を見た。

「 構いませんよ? 以前は、私も吸っていましたし 」

 友美は、立ち上がるとキッチンの方へ行き、流し台の引出しを開けて灰皿を取り出すと、菊地の前に差し出した。

「 いや… やっぱり部屋の中ではよそう。 大人としての配慮ってモンもあるしね 」

 くわえていたタバコを元に戻しながら、菊地は言った。

「 記者さんにしては、紳士なのね 」

「 男は、まず紳士であれ、ってのがポリシーなんで 」

 菊地は小さく笑って見せた。

 友美もそれに答え、少し微笑むと、灰皿を脇に移動させた。 菊地の前に、再び正座をする。

 菊地は、手帳を開くと、話し始めた。

「 ええっと…… まず最初に、立川みゆきっていう女子生徒の件だけど… 君が入っていた、不良グループの仲間だった生徒だね? 」

 友美は、無言で頷いた。

「 君を含む、みんなの前で突然血を吐いて倒れた…… その後、搬送先の病院で死亡。 死因は内臓破裂。 …続いて、同じグループの高木 加奈子。 電柱の昇降用クイに串刺しにされて死亡。 おそらく、即死だ…… 」

 手帳を持ったまま、友美の表情を窺う、菊地。

 友美は、菊地を見つめていたが、その瞳の表情には、明らかに陰りが感じられた。

 菊地は、手帳に視線を移し、続ける。

「 …その後、君の養父だった笠井氏の友人である榊原病院の院長、榊原氏が、病院の屋上から投身自殺。 そして更には、養父の笠井氏が、会社の玄関で事故死…… 最後は、君の義理の姉だった笠井 洋子さんと、その彼氏の住田純一氏が、純一氏の住むマンションの屋上で事故死…… 」

 友美は、俯いたまま、じっと下を見つめている。

 菊地は、更に続けた。

「 ……おかしな事ばかりだ。 立川みゆきは、立ったまま内臓破裂。 高木 加奈子は、地上から3メートルもの高さにある昇降用クイに、背中から串刺し。 投身自殺したとされる榊原氏の左手は内側から破裂。 笠井氏に至っては、自動ガラス扉に首を挟まれている…… 普通、異物が挟まると、自動扉は開く仕組みになっているはずだ。 しかし、そのまま扉は閉まり続け、笠井氏の首は切断されてしまっている。 そんな力が、自動扉にあるはずがない 」

 手帳のページをめくると、菊地は、友美の方を見た。

 ……その気配を感じ取った、友美。 顔を上げ、菊地を見る。

 菊地は、友美をじっと見据えながら続けた。

「 ……住田氏の住むマンション屋上の件は、君も、その現場にいた…… 君の証言によると、君と住田氏、義理の姉である笠井 洋子さんは、ユキに呼び出され、マンション屋上に行った 。 …間違いないね? 」

 友美は、無言で頷いた。

「 呼び出した理由が、イマイチ分からないが…… まあ、それはこの際、いい。 問題は、次の状況だ。 ……住田氏は空宙に浮き、配管パイプに後頭部を強打された、とある。 更に、笠井 洋子さんは… 住田氏が所有していたと思われる拳銃が突然、宙に浮き、腹部を撃たれ… 彼女が所持していたナイフが、どこからともなく飛んで来て首に刺さり、倒れた……! 」


 ……まさに、異常な状況である。 とても、まともな話とは思えない。


 友美にも、それは理解出来るらしく、すがるような表情をして、菊地に言った。

「 信用して頂かなくても、結構です……! でも… 事実なんです。 全て、私の目の前で起きました。 純一さんは、私の真横で頭を……! 」

 にわかに友身の手が震えだしたのを、菊地は見て取った。

「 …すまん、思い出したくない記憶だったね 」

 手帳のページをめくりながら、菊地は続けた。

「 検証で判明した事実だが、拳銃は357マグナム… 3インチの、ショート・リボルバーだ。 改造銃ならまだしも、こんなマニアックな実銃… 一体、どこから入手したんだろうね? 住田氏の自宅からは、専用のガンベルトも発見されている。 どうやら、以前から所有していたものらしい。 もちろん、不法所持だがね。 入手先は、本人が死亡した為に、分からずじまいだ。 ナイフは、他のレディースのメンバーの確認が取れ、間違いなく、笠井 洋子さんの私物…… 」

 ふうっと菊地は、大きなため息をついた。

「 人や、拳銃が宙に浮いたり… 勝手に撃鉄が作動して、銃が発砲されたりする経緯の不自然さはともかく…… 銃が使われた以上、この事件は、それなりに深い事情が絡められた事件、と言う事になる…… ただ単に、人間関係のもつれなどから派生した事件、と言う事だけでは収まらないんだ。 拳銃を流通させる事が出来る状況は、裏社会との関連もある案件、と言う事実を証明しているんだからね……! 」

 友美は、じっと菊地を見つめている。

 その視線に呼応するかのように、菊地もまた、友美を強い視線で見据え、言った。

「 ……銃が使用された重大さより、僕は、物理的な不自然さの観点から、この事件は、単なる傷害事件ではないと思っているんだ 」

 単なる事件ではない…… そう発言した菊地。

 友美は、じっと菊地を見つめ、その発言の続きを待った。

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