第11話、野菊の花

 菊地が調査を依頼した探偵の調べによると、笠井氏の死亡により、実家の土地・家屋は、友美の身元引受人である次男に名義が変更されており、その後、会社の負債と相殺されて売却。 土地は、不動産業者に渡ったとの事だった。

 菊地たちが訪れてみると、実家は取り壊され、跡地は、分譲地として売り出されていた。

 笠井家は旧家だった為、先祖代々の墓があると推察した菊地……

 実家の跡地近くを廻り、早速、聞き込みを開始した。


「 この辺りは… いわゆる、郷中だな。 どこも旧家ばかりだ 」

 辺りに点在する民家を横目に、菊地は呟くように言った。

 どの民家も、広い土地に母屋・離れなどがあり、生垣から続く大きな門構えを持った家が多い。 各、家々の間には迷路のような小路があり、適当に歩くと、道に迷ってしまいそうである。

 笠井家の実家跡地から、そう遠くない畑で、農作業をしていた老婆がいた。

「 すみません、少々、お尋ねしたいのですが 」

 菊地が声を掛けると、スーツ姿の男性と若い女性のカップルに、いぶかしげな顔をしながらも、老婆は答えた。

「 ほお……? 何かのう? 」

「 その先にあった、笠井さんのお宅の事なんですが、お墓とか… 地所などは、他にありませんでしたでしょうか? 」

「 んあ? 笠井さんけ……? 」

 更に戸惑いながら、老婆が答える。

 状況の整合性を持たせる為、菊地は補足した。

「 そうです。 僕ら、かなり以前に、笠井さんの会社にお世話になっていた者ですが… お亡くなりになられたのを知ったのは、最近なんです。 随分と前なんですけど、一度だけ、こちらのご実家に呼ばれて、ご馳走を頂いた事がありまして…… 」

「 ほお、ほお、そうかね 」

 老婆は『 設定 』に納得したようである。 表情からは、警戒感が消えている。

 菊地は続けた。

「 ちょうど、仕事でこちらへ参りましたので、墓参りでも… と思いましてね。 記憶を頼りに訪ねて参ったのですが、ご実家は取り壊されていまして…… 」

 老婆は、傍らに置いてあった鍬を手に、畑から道へ出て来ると、竹林のある方角を指差しながら言った。

「 そこの竹藪を抜けるとな、小さい祠があるからの。 その角を曲がると、また竹藪じゃが、抜けた先に笠井さんトコの墓所がある。 ご先祖さんの墓ならソコじゃが… さぁて、笠井さんは入っとらんのと違うかのう……? 」

 探しているのは、笠井氏の墓ではない。 …どうやら『 目的地 』への情報を聞き出せたようである。

「 ありがとうございます。 せっかくですので、手を合わせて参ります 」

 一礼する、菊地。 友美も、軽くお辞儀をした。


 老婆の案内通り、郷中の小路を歩く。

 人の気配を感じたのか、どこかの家の庭先から、犬が鳴き始めた。

 黒塗りの板塀が続く小路を歩きながら、菊地は話し始めた。

「 友美ちゃんの出生届けは、この村役場では出されていない。 施設の託児委託契約書の日付けが誕生日になっているようだけど、おそらく、産まれてからすぐに預けられたんだね。 なぜ、預けたのか… なぜ引き取った後も、友美ちゃんを孤児として育てたのか…… う~ん… 判らないな… 」

 板塀の角を曲がる。 老婆が言った竹林が見えて来た。

 菊地は続けた。

「 本来なら、実の子供である友美ちゃんが、笠井製薬の正統な相続人だよ。 亡くなった洋子さんが生きていたとしても、笠井氏の再婚相手の連れ子だからね。 笠井氏には弟がいるので、遺産のほとんどはその次男が相続するが、友美ちゃんにも、遺産の一部を相続する権利があるんだ。 多少は、貰えていたかもしれないよ? 」

「 そんなものに、興味はありません…… 」

 傍らを一緒に歩きながら、友美は答えた。

 ポーチに、そっと手を添えると、自分の推察を確認するように、友美は菊地に話した。

「 この、お母さんの手紙を読んで思ったの…… お父さんは、真面目に新薬の開発をしていたと思うわ。 出来上がったその薬は、きっと、とても自信のあるものだったんじゃないかしら。 だから、お母さんにも投薬したのよ。 …でも、結果は良くなかった…… 多くの犠牲を出して… お母さんまでも、失ってしまった。 お父さんは、私を見るのが辛かったんだと思うわ……! 自分を責めて… 悔やんでも悔やみ切れない気持ちになったと思うわ。 もう少し待てば… せめて、臨床結果が出るまで待っていれば… って。 だから、私を遠ざけたのよ。 私とお母さんの記憶を、封印したかったのよ…… 」

 ポツリ、ポツリと、自らの想像をつなぎ合わせるように語る、友美。

 しばらく間を置いてから、菊地は答えた。

「 う~ん… いかにも友美ちゃんらしい、優しい考えだね。 ……そううだな、賛成だ。 事実、ホントにそうなのかもしれない。 笠井氏は、確かに晩期、ビジネスにのめり込んでいた節があるが、奥さんにまで人体実験を施すような人格の人であったかどうかは、定かじゃないんだ。 逆に、奥さんを救おうと思って、やった事なのかもしれない 」

 野鳥の鳴き声が、時折、辺りに響く。

 空を見上げながら、菊地は続けた。

「 自分が開発した薬品のせいで奥さんを亡くしたら… やはり、生まれて来た子には、その事実は伝えたくないな…… 」

 ヒトとしての… 親としての心情を顧みる、菊地。 それは、未成年である友美にも、何となくではあるが、理解は出来たようである。

 竹林を抜けた2人は、道祖神のある小さな角を曲がり、次に現れた竹林へと入って行く。

 友美は言った。

「 お母さんの手紙を読んで、もう1つ、分かった事があるわ…… お母さんは、お父さんを尊敬していた…… 私は、そんなお母さんの純粋な気持ちを、大切にしたいと思うの。 だから、これ以上、お父さんの所業を責めるのは、やめるわ。 命を落としてしまった人たちには、本当に申し訳ないとは思うけど……」

「 うん…… 当事者がみんな亡くなってしまった以上、その過去を確信する手立てはない。 結果は、いずれにせよ悲しい結末になってしまったけど、本人たちへの追悼の意も含めて、そうしておこうよ 」


 竹林を抜けると、山の斜面に出た。

 老婆が言っていた通り、石垣で組まれた小さな敷地に、一群れの墓が並んでいる。

「 ……これだ。 笠井家の墓地だ。 随分、歩いたなあ~… さっきのお婆さんの話じゃ、すぐ近くのような言い方してたのに 」

 菊地は、墓所入り口にある大きな石に手を掛けて、一息つきながら言った。

 友美は疲れも見せず、早速、墓に刻んである名前を確認し始めている。

( かなり、古い墓もあるな…… )

 手前にあった古そうな墓石の裏には、『 文政四年 』とある。

 辺りの墓石を見てみると、長い時を掛けた風雨などの浸食により、碑銘が読み取れないものもあった。 しかし、母親が亡くなったのは、少なくとも十数年前である。 そんなに古い話ではない。

 友美は、比較的、新しい墓石を選んで探しているようだ。 菊地も、手近にあった墓石から碑銘を確認し始めた。

「 お母さん… お母さん、どこ? 友美です、お母さん……! 」

 友美は、ひっそりと立ち並ぶ墓石の間を歩きながら、墓石に呼びかけるように、母を呼んだ。

「 どこにいるの、お母さん? 友美です… お母さん……! 」


 今まで、母を呼んだ事は、一度も無かった。 …でも、今は呼べる。


 菊地も、今、生まれて初めて友美が、母を呼ぶ事が出来た事に気付いた。

( 友美ちゃん…… )

 何度も何度も、母を呼ぶ友美のその姿に、菊地は、迷子になって母を捜す子供の姿を重ねていた。 母を呼ぶ、そんなたわいも無い事すら、今までの友美には出来なかったのだ……

 無心な友美の姿が、痛々しくさえ見え、目頭が熱くなるのを覚える菊地であった。

 そんな菊地の目に、『 澄子 』という文字が映った。 比較的、新しい墓石である。

「 友美ちゃん…! お母さん、ここにいるよ……! 」

 菊地は、友美を呼んだ。

 友美は、遠くで振り返り、しばらくじっとしていたが、おもむろに歩み寄り、やがて小走りに、菊地が指す墓石の前に駆け寄って来た。

 御影石で出来たその墓石は、先祖代々ではなく、母、澄子の為に建てられたものであった。 享年、27才とある。

「 …お母さんっ…! 」

 友美は、墓石に抱きつくようにして、その場にうずくまった。

「 お母さん、友美ですっ…! やっと… やっと逢えた… お母さん…! 私… 寂しかった…… 」

 ……後は、言葉にならなかった。

 声を殺しつつも、肩をしゃくり上げ、激しく泣き始める、友美……

 菊地はそっと、その場を外し、墓所の外へ出た。


 竹林の枝葉が風にそよぎ、心地良く鳴っている。

 頬を撫でる風も、どことなく優しく、心地良さを感じる。

( ……静かな墓所だ。 故人に逢うには、最適なシチュエーションだ )

 上着の内ポケットから携帯灰皿を出すと、菊地は、タバコに火を付けた。


 西に少し傾いた日差しが、墓に寄り添い、泣いている友美を照らしている……

 その情景を眺めながら、菊地は思った。

 

 ……今、友美は、母に抱かれている。

 出来る事なら、このまま、全てが終わって欲しい。

 街に帰れば、また、力との共存が待っているのだ。

 大館らとの対立も、今のまま平穏無事に済むとは思えない……


 紫煙をくゆらせながら、菊地は、来るべき友美の未来を憂えいていた。

( 最大の力を持ったとされる小沢ユキには、未来が見えていたという…… この先、あの友美ちゃんに、心休まる未来はあるのだろうか。 出来るものなら、ユキに問い、知りたい……! これ以上の試練は、あの子にとって限界だ。 精神的にも、堪えるものが多過ぎる )

 他人に心配を掛けまいと、務めて気丈ではいるが、実際は、か弱い普通の女の子だ。 菊地には、新たな展開があるたびに、友美の心が悲鳴を上げているのが、手に取るように分かるのだった。


 ……30分ほども経ったろうか。

 友美が泣き止む頃合いを見て、菊地は、自生している野菊をいくつか摘み、友美の所へ戻って来た。

 友美は、墓に寄りかかり、じっとしている。

 墓石に腕を回し、寄り添っているその姿は、まるで母親に抱きついているかのように見えた。 母に逢えた満足感からだろうか、友美は、満ち足りて安らいだ表情をしている。

 墓石に頬を付けたまま、菊地が摘んで来た野菊を見ると、呟くようにして言った。

「 ……綺麗な、お花…… 」

「 お母さんに、あげて 」

 菊地は、友美に野菊を渡した。 花刺しに野菊を立てると、友美は墓石に向かい直し、手を合わせた。

「 お母さんと、お話し出来たかい? 」

 菊地の問いに、振り返る友美。

 無言で頷くと、優しく微笑んで見せた。 まるで、聖母のように……

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