第10話、母からの手紙
発車時刻を告げるアナウンスが、構内に流れている。
談笑しながら行き過ぎる、初老の婦人たち。
スーツケースを片手に、携帯端末を操作しながら足早に通り過ぎる中年男性。
駅構内の売店に運び込む商品を、台車にて運搬している若い男性……
向かい合わせの4人掛けの座席の窓側に座り、友美は、列車の窓から駅のホームを歩く人たちの情景を眺めていた。
「 ほら、駅弁。 ここのは、うまいんだぜ? 随分前だけど、取材で来た時に食ったんだ。 はい、お茶 」
2人分の駅弁と缶入り緑茶を持って、菊地がやって来た。
「 ありがとう。 …あ、いいニオイ。 炊き込みご飯ね? おいしそう! 」
友美の向かい側の席に座り、駅弁と缶入り緑茶を友美に渡す。
「 今、売店のガイドマップで調べたんだけど、これから行く笠原病院があった久野高屋敷ってとこは、長野白山駅からバスで30分くらいの所だ。 人口、1万弱の小さな村だね 」
膝に乗せた駅弁の包みを開きながら、菊地が言った。
申し訳なさそうに、友美が答えた。
「 ごめんなさいね、菊地さん。 せっかくの休日なのに 」
「 全然! たまには列車の旅も、オツなもんだよ。 車で運転するより電車の方が楽だから、結構、好きなんだ。 …あ、これウマイわ、やっぱ! 」
駅弁に食らい付く菊地を見て、友美は少し笑った。 割り箸を割り、友美も駅弁に箸をつける。
やがて発車のベルが鳴り、列車はゆっくりと動き出した。
「 ……しかし、友美ちゃんもエライ事に巻き込まれちゃったなあ… その大館って人は、ゴホッ… 頭いい人なんだろね。 ゴホッ、ゴホンッ! 」
駅弁にムセた菊地に、缶入り緑茶を手渡しながら、友美は聞いた。
「 記事にするの……? 」
お茶を飲み、ひと息ついた菊地は答えた。
「 ありがと。 ふう~っ… まさか! 書いたって、誰も信じやしないよ。 友美ちゃんは、僕を信じて、全部話してくれたんだろ? 」
頷く、友美。
菊地は続けた。
「 目に見えない、不思議な『 力 』による粛清か…… 何でも出来るワケだからな。 しかも、誰にも悟られない…… 」
箸先で、煮野菜を摘まみながら、菊地は続ける。
「 つまり… 邪魔者は片っ端から消す、って事だ。 まあ、手っ取り早いからな。 多分、国会議員や代議士が狙われるんだろう 」
友美の表情が曇る。
菊地は、総菜を口に運ぶと、咀嚼しながら言った。
「 …発表すれば、確かに時代がひっくり返るような、でかいスクープにはなるけど、また友美ちゃんを時の人にしてしまう事になる。 ……僕的には、今は、静観した方が良いと思うんだ…… 発表出来る条件が揃ったら、友美ちゃんと相談して行動を起こしてもいいけどね 」
箸を止め、友美は言った。
「 私… 他のみんなを、騒ぎに巻き込みたくないの…… 」
駅弁を食べながら、菊地は答えた。
「 う~ん…… おそらく、質問攻めだろうからね。 僕は、取材現場の状況に慣れているから良いけど、経験が無い人には、結構ツライもんだ。 晒し者になるのは目に見えているからね。 僕としては、余りに突飛なスクープの発表は、したくないのが本音だよ 」
小さく頷き、友美は再び、駅弁に箸を付け始めた。
菊地は、頭をかきながら言った。
「 大体… 僕は『 ジャーナリストとしての情熱 』ってモンが無いからなあ…… それより、友美ちゃんの方こそ自叙伝、書いた方がいいね。 確かに売れるわ。 もしかしたら、ベストセラーかもね 」
菊地は笑った。
友美が、寂しそうに答える。
「 私は、そんなの書けない。 それに、書く頃には、もう生きていないかもしれないもん…… もし、そうなってたら… 菊地さん、書いてね? 」
「 縁起でもない事、言うなよ……! あの、社ってヤツや、浩子… だっけ? 連中とはもう、関わらない方がいい。 確かに、大館って人は、切れる人かもしれないけど、無茶… と言うか、無謀だよ、やり方が 」
菊地は駅弁を置くと、ブリーフケースの中から、1枚のコピーを出した。
「 これは先月、各雑誌社や新聞社編集部宛てに郵送されて来たものだ。 新聞報道でも取り上げていたから、君も知ってるだろう? 暴走族への無差別攻撃を開始する旨の犯行声明文書だ 」
「 知ってる。 テレビのニュースでやっていたわ。 憂国… 勤皇隊って言う組織の事でしょう? 」
「 ああ。 表向きは、右翼団体を装っているようだが…… 友美ちゃんの話しを聞いて確信したよ。 間違いないな…! その、大館って人の計画だろう 」
「 やっぱり……? 私も、もしかしたら大舘さんの仕業なのかな、と思ってたの 」
「 アウトサイダーな連中から、手を付けたか…… 」
駅弁を手に取り、菊地は続けた。
「 毎日、暴走族の誰かが、狙撃されている。 死者はもう、30人を超えた。 警察もお手上げだよ。 …そりゃ、そうだろう。 どこからともなく、弾が飛んで来るんだからな……! おかげで最近、族共の集会は、めっきり減ったよ。 これはこれで、効果はあったわけだ 」
「 でも、暴走行為の危険性や、違法行為への理解があってやめたんじゃないわ。 狙撃されるのが怖いから、自粛してるだけでしょう? そんなの、恐怖体制と変わらないわ。 本質を除外して、外見だけ繕ってるんだもの 」
「 彼らにとって、効果は効果なんだろう。 結果重視ってヤツさ 」
菊地は、駅弁の残りをかき込みながら、友美に言った。
「 ちょっと、政治の話をしてもいいかい? 」
苦笑いをしながら答える、友美。
「 あまり、難しい事は分かりませんからね? 」
菊地も、少し笑うと、話し始めた。
「 最近、与党の最大派閥に対抗して、官房室副長官の江川氏の動きが活発だ。 まだ、当選3回目の若手だが、次期総裁の声が挙がっている…… 」
残っていたお茶を飲み干し、菊地は続けた。
「 ……コイツは、有能な政治家だ。 疑惑も一切無いし、スキャンダルも無いが… まだ若い。 将来を有望されてはいるが、政治はある意味、年功序列だからね。 バックアップしてくれる後ろ盾か、政治資金を融通してくれるパトロンでもいない限り、若手が台頭して行けるシチュエーションは無い 」
駅弁を食べながら、友美は真剣に菊池の話を聞いている。
菊地は続けた。
「 ……しかし、何のつながりも無かった複数の企業から、最近、大型献金の話があったようだ。 それだけじゃない… 江川氏の周りでは、ここのところ、急速的に活発な動きがある。 加えて、ライバルの宮川氏の急死と、そのバックボーンだった大手建設会社の、突然の不渡り倒産。 更には、前副長官の事故死…… すべて江川氏に、有利に事が運んでいる。 遂には、折り合いの悪かった永田町のドンと言われる濱田氏も、手の平を返したように、江川氏についた。 主民党の横山氏も、協力を惜しまないとの声明を、記者会見で出している。 今や、江川派は、与党超党派の筆頭派閥になろうとしているんだ 」
「 ……大舘さんが後ろについて、後押しをしてるって事? 」
食べ終わった駅弁の蓋を閉じ、友美が聞いた。
「 そうとしか考えられないね…… 姿を消したり事故死した秘書は、各代議士の中で、10人を下らないよ? 政治家だけじゃない。 運転手や家政婦、親戚に不幸が相次いだ代議士もいる。 突然、いなくなった者や事故死した者…… 先日は、火事で焼死した弁護士家族も出た。 病死とされた者にも、その経緯には、どうも不信な点がある。 ……おかしいと思ってたんだ。 友美ちゃんの話しを聞いて、納得したよ。 これで、つじつまが合う 」
外の景色に目をやりながら、菊地は呟くように言った。
「 突然に、歩調を合わせて来た野党の連中も、実は、ウラで操られていたってワケだ……! 濱田氏にしても、江川氏に付いたって何のメリットも無い。 なのに、記者会見の、あの賞賛はどうだ。 まるで、我が息子同然の扱いだ 」
食べ終わった駅弁の容器をレジ袋に入れ、友美の分も入れながら、菊地は続ける。
「 主民党の横山氏も、おそらく息が掛かってるんだろうな……! 言いなりにさせる為に、目の前で、誰か殺して脅したか…… あの力を持った彼らなら、やりそうな事だ。 効果てき面だし 」
車窓の風景に目をやり、友美は言った。
「 政治の事は、私、判らない。 でも、私たちの生活の近くでも最近、頻繁に殺人事件が起きてるわ……! 昨日も、原宿の繁華街で若者が変死したって、ニュースでやってた。 勤皇隊の仕業だって……! 」
「 ヤンキー連中の変死事件か…… ここの所、多いな。 首を折られたり、頭を潰されたり、残虐極まりない……! 確かに、たむろする連中は減ったが、それで治安が守られているとは言い切れない。 それが、長期化すれば習慣になるだろうが、その前に、犯人とされている右翼団体への暴動が起きるぞ? 警察は、姿亡き殺人者の検挙に翻弄され、目に見えない犯罪が、密かに進行するかもしれない。 いずれにせよ、長くは続かないよ 」
それが、判らぬ大館ではないだろう。
事態の収拾はつけると、大舘は、友美に語った。 一体、どのように、その幕を閉じるのか……
菊地も、車窓に目をやり、言った。
「 ……行き着く先は… 理想郷か、破滅か…… 大舘と言う男の思考から推察するに、これからは、政治家絡みの猟奇殺人が増えるんだろうな……! 」
遠くを見つめる菊池と同じく、友美も、車窓から見える遠くの空を見つめながら想った。
( 伸びきった枝は、いつかは折れるわ。 大舘さん… 社くんも、浩子さんも… 無茶な事は考えないで、力との共存を模索して欲しい……! )
田園風景に変わった、車窓からの眺め。
友美は、後方に過ぎ去る緑の木々を横目に、心から憂えいた。
……皆、悪人ではないだけに、その身を心配する友美であった。
駅からバスに乗り換え、揺られる事、30分。 山あいの県道脇に、2人は降り立った。
「 やあ~、空気がうまいわ。 山が、すぐ近くまで迫って来てる 」
山に向かって、大きな伸びをしながら菊地が言った。
反対側の停留所の時刻表を確認した友美が、菊地のところへやって来た。
「 大体、1時間に1本ね。 ……それにしても、何にも無いのね、ここ 」
辺りを見渡しながら、友美が言った。
「 バスの中も、僕ら以外は、おばあさんが2人いただけだもんな。 ……えっと、あっちが上里だから… 高屋敷はこっちだ。 あの… 民家がある辺りかな? 」
スマートフォンの地図検索を確認する菊地。
田園の中に伸びた県道脇前方5~600メートル先に、民家が固まっている。 その向こうは山麓に続き、段々と斜面になっている。 その一角に大きな施設があった。 どうやら、それが笠井製薬の長野工場らしい。
「 どうも、あれらしいな。 行ってみよう 」
しばらく歩くと、工場らしき建物の壁面に『 笠井製薬 』の書き文字が見て取れた。 工場は稼動しており、出荷作業中のリフトや、トラックが見える。 何棟もある大きな工場で、正面入り口には警備員室があった。
「 こんにちは~。 毎朝グラフの菊地と申します。 本日は、笠原総合病院の跡地取材で参りました。 これ、入場許可書です。 事前に、ご通知は、してあるはずなんですが…… 」
警備員室の小窓を開け、菊地がそう言うと、湯飲み茶碗を持った初老の警備員が対応に出て来た。 菊地から受け取った書類に、さっと目を通す。
「 ああ、本部から連絡、聞いとるよ。 わざわざ遠い所、ご苦労さん。 ここに名前書いてくれるか? ん~… 時間は、いいよ。 そう、その下。 ……あの事件から随分と経つが、まだ何かあるんかね? 書類関係は、検察官が全部持って行ったし、あんな廃墟、見たっても、何もあらせんぞ? 」
「 事後検証ってヤツですよ。 あの事件の跡は、今… ってね。 簡単な撮影だけですから… はい、これでいいかな? 」
「 ふ~ん…… ブン屋さんも大変だねえ。 …そっちの女の子は、アシスタントかい? えらく若いが、都会じゃ、こんな娘さんもいっぱしの記者さんかよ。 へええ~ 」
「 頼りになりますよ? 男4~5人よりは、はるかに力になりますから 」
「 能力主義ってヤツかい? ふえっ、ふぇっふぇっ…! 豪気な事じゃわい。 ほれ、外来章付けてな。 その道、まっすぐ行って右じゃよ。 これが鍵じゃ。 ガラスに気ィ付けてな 」
病院跡の建物は、敷地内の西のはずれにあった。
アスファルト舗装の駐車場は、あちこちから草が伸びている。 病院の看板が掛けてあったと思われる支柱には、錆びが浮いていた。
「 ……これが、私たち、みんなが産まれた病院…… 」
4階建ての建物を見上げながら、友美は呟いた。
壁面に塗布してあったと思われる白い塗料は、そのほとんどが剝げ落ち、無機質なコンクリートの下地が、一面に現れている。 側溝のグレーチング( 金属製の格子蓋 )は錆が浮き、全てが赤茶色となっていた。 塩化ビニール製の雨水樋も、あちこちに割れが生じ、壁面を伝う一部は、支えの金具を残して崩壊している。
かつては、大勢の外来患者や医師、看護士がいたであろう総合病院…… 現在は閉鎖され、当時を想わせる面影はない。 無機質に色あせた外観が、過ぎ去った時を物語っていた……
駐車場の外れに、入り口がもう1つある。 外来者の入り口だったのだろう。 錆びたチェーンが掛けてあるが、その向こうには鳥居が建っている。 神社があるらしい。 依り代の樹々と、奥に続く参道が見え、古い木製の鳥居には、神社名が記された額が掛けてある。
その額の神社名を見た友美は、思わず声を上げた。
「 久野大社八幡宮……! 」
菊地は、友美に聞いた。
「 どうしたの? 神社が、どうかしたかい? 」
友美は、持っていたポーチを開けると、何かを取り出した。
「 ? お守り……? 」
それは、古ぼけたお守りだった。
印籠のように結んであった紐は取れてしまい、あちこちもほころんでいる。 裏返すと、そこには『 久野大社八幡宮 』の文字があった。
「 ……これは… この神社のお守りって事か? …友美ちゃん、これはどこで? 」
菊地を見ながら、友美は言った。
「 私がいた、施設の寮母さんから頂いたものです。 私は、身寄りの無い捨て子… 名前を書いた紙と一緒に、このお守りを付けて、施設の入り口脇に捨てられていた、と聞いていました。 母親は亡くなって、男手では育てられないから頼む、っていう電話が、数日後にあったとも…… 」
「 それは笠井氏の考えた、工作話しだろう。 寮母さんとの間にも、了解があったと思う。 僕の調査で、君を預けたのは実の父親だったって事は、判明してるからね 」
友美から、お守りを受け取った菊池は、それを感慨深げに眺めながら言った。
無言の友美……
菊地は、お守りを、友美に返しながら続けた。
「 そうか…… じゃ、このお守りは多分、この神社のものに間違いないだろう。 誰かが、生まれて間もない君の為に付けたんだよ。 …お守りを付けるのは、女性的な発想だ。 もしかしたら、これは君のお母さんが付けたものかもしれないね 」
「 お母さん…… 」
お守りを抱きしめながら、友美は呟いた。
「 私の… お母さん……! 」
「 神社、行ってみようか? 友美ちゃん 」
友美は、無言で頷いた。
神社は、歴史を感じさせる由緒ある造りで、規模は、意外に大きなものであった。
参道を進むと社務所もあったが、人の気配は感じられない。 神事がある日以外は、無人のようだ。
境内に入ってみると、枯れた大きな楠があった。 御幣が巻かれたその木には、いくつもの御札が結んである。 神木のようだ。 神楽殿もあり、一升ビンに入った日本酒や、ミカンなどが供えてある。
2人は、奥の神殿の前に立った。
「 立派なお社だなあ… 柱の組み方からして江戸初期、ってとこかな? 綺麗に手入れしてある 」
神殿軒下の造りを見上げながら、菊地が言った。
「 日本建築にも詳しいの? 」
友美が聞いた。
「 興味はあるけど、詳しいってほどじゃないよ。 よく、取材で行くんだよ 」
菊地は、賽銭箱に小銭を入れると、柏手を打った。 友美も、その横に並んで手を合わせる。
「 …あ… 」
友美は、合わせた手の中にあった、お守りの感触に気付いた。 擦り切れてボロボロになっていたお守りの袋が、開いてしまったのだ。
「 いつも、持っていたんだろ? 袋が、擦り切れちゃったんだね…… 」
神殿に一礼した菊地が、友美の方を向いて言った。
袋の中からは、神社名を記した小さな御札と、社印の形をした金色の厚紙、それと、小さく折りたたんだ紙が出て来た。
何気なく、その紙を広げた友美の表情は、一変した。
『 友美へ、
お母さんですよ。
この手紙を読むのは、友美がいくつになっているころかしら。
お母さんは病気で、あと、いつまで生きられるか判りません。
友美。 みんなに愛され、慕われる、良い子に育つのですよ。
お父さんは、新薬の開発に勤しむ、立派な方です。
大きくなったら、研究のお手伝いもしてあげてくださいね。
愛しい友美へ 笠井 澄子 』
手紙を持つ、友美の手が震えた。
それは、自分に宛てられた、母からの手紙であった。
……顔も知らぬ母。 しかしその文面からは、短い手紙にも関わらず、優しい人柄や友美に向けられた、大きな愛情が手に取るように判る。
遠い、遥かな時の彼方から、突然届いた母の手紙……!
友美は、震える手で、その手紙を菊地に見せた。
「 …き、菊地さん… こ、これ… お母さんからの手紙です…! 私に宛てた…… 」
「 ええっ? ホ、ホントかいっ…? 」
急ぎ、菊地は、その手紙を読んだ。
「 …… 」
突然の展開に、菊地も言葉を失った。
「 ……何て、偶然なんだ…! 参った… こんな事って……! 」
思わず、友美は、菊地に抱きついた。
「 私…… 私、嬉しいっ……! お母さん、私の事… こんなに思ってくれてた……! 私… 捨てられたんじゃないよねっ? そうだよねっ…? 」
孤児ではない事は、菊地の調査で明らかになっていた。 …しかし、心のどこかで友美は、母に捨てられたのではないかという猜疑心を拭いきれないでいたのだった。
孤児ではない事が判明した後も、情報や消息が一切つかめない母については、もしかして生きているのでは、という憶測にまで行き着いていた。 その母に対する最大の感心事は、やはり、生き別れた事情であった。 自分を慈しんでくれていたのか、それとも、出生を呪っていたのか……
菊地は、そんな友美の心情を察し、優しく抱きしめながら言った。
「 ああ、そうだよ…… お母さんは友美ちゃんを、誰よりも心配していたみたいだ。 良かったな、友美ちゃん……! 」
友美は、しばらく、菊地の腕の中で泣いた。
自分は、愛されていた……!
心から喜ばれて、澄子という名の母より、出生したのだ……!
文面から読み取れる事実に、友美は無量の喜びを感じ、感激に打ち震えていた。
何よりも、捨てられたのでは無いという事実が、友美は嬉しかった。 母の愛情を受けていた時代が、過去の自分には、確かにあったのだ……!
顔も知らぬ母に、優しく抱かれている幼い自分の姿を想像し、心に暖かさを感じ入る友美であった。
「 澄子… って言うのか…… 優しそうな名前のお母さんだね 」
黄色く変色した鉛筆書きの手紙を元通りに折りたたみ、合い間を見て菊地が言った。
「 これは、君の宝物だ。 大事にしまっておくんだよ? 」
少し落ち着いた友美は、無言で頷き、手渡された手紙を手にすると、もう一度、読み直した。
ふと、何かに気付いた様子の菊地。
「 ちょっと… ここで待っていてくれないか? 知り合いに電話して、聞きたい事があるから 」
菊地は、スマートフォンをスーツのポケットから出しながら友美に言うと、神社の入り口に向かいつつ、誰かに電話をかけ始めた。
友美は、神楽殿の舞台に腰を掛けると、お守りと手紙を大切そうに、そっとポーチの奥へ入れた。
おそらく母も、自分の子がこの神社に戻ってくる事など、夢にも思わなかっただろう。 運命の奇跡とは、こんな事を言うのかもしれない。
……母は、どんな顔をしていたのだろう。
身長は、今の友美と比べてどうだったのだろう。
どんな食べ物が好きだったのか……
友美の心の中で、新たに判明した澄子という名の母の想像は、どんどん大きくなっていくのだった。
しばらくすると、菊地が戻って来た。
「 友美ちゃん、病院見学はヤメだ。 お母さんのお墓参りに行こう! 」
突然の菊地の提案に、友美は困惑した。
「 えっ? お母さんの…? 判るんですか? そんなの……! 」
「 前に、君の施設の事を、知り合いの探偵に調べてもらったって言ったろ? 笠井氏の事も、調査してもらってたんだけど、戸籍データに関する報告書もあってね。 事件には関係なかったから、詳しく目を通してなかったんだけど、今、聞いて確認したら、笠井氏の本籍は、この久野高屋敷だ。 旧家の出身でね。 そこの笠井製薬の土地も、元は笠井氏の地所だ。 笠井氏自身は、都内の霧島霊園に入っているが、お母さんのお墓は、ここにある可能性が高い 」
友美は立ち上がると、菊地に言った。
「 お願いします、菊地さん! お母さんに… お母さんに会わせて……! 私、会いたいよっ……! 」
「 よしっ、任せろ! 住所は字名まで聞いてある。 とりあえず、実家だ 」
2人は、神社をあとにした。
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