第4話、覚醒

 翌日、友美は1日中、考えていた。 授業中も、放課後も……

 菊地によってもたらされた、自分の出生についての事実についてだ。

 特に、あのユキと同じ病院で生まれていたという事実……

 友美にとって、それは確かに何か感じるものがあった。


 あの時の、ユキの目……

 自分を殺そうとしていた… 怨念の塊に満ちたような、あの目……!


 しかし今、恐怖感を取り払い、冷静になって思い出してみると、その視線の奥底には、友美に何か訴えかけているような… 受け継ぐべき、遺志のようなものの存在が感じ取れてならない。

( …やはり、私はユキに見逃されたのだろうか? …いや、何かをする事によって、命を絶つ事を許されたのかもしれない。 じゃあ、その何かって……? )

 想像は限りなく膨らみ、落ち着く先すら見い出せない。 友美は、その収拾に苦慮していた。


 下校時間。

 友美は、帰宅途中にある、大きな総合駅にいた。

 ターミナルビル1階にあるファストフード店で、早めの夕食を軽く済ませ、繁華街の方へと歩いて行く。

( 本町2丁目か…… この辺も、久し振りね )

 死んだ洋子や、加奈子たちと『 死喰魔 』時代、よく来た繁華街である。 スクランブル交差点の角にあるゲームセンターは、仲間たちのたまり場だった。

( 3丁目の『 アミューズ 』って、まだやってるのかな? )

 歩行者用信号が赤になり、友美は歩道脇に立ち止まると、街角の風景に目をやった。


 カラーズの連中や、暴走族絡みの者たちが闊歩していた繁華街……

 友美もまた、その風景を象る一員だったのだ。

 過ぎ去った、あの頃の記憶が甦り、走馬灯のように友美の脳裏を駆け巡る……


( 随分と、バカやってたものね。 自分たちには、何も怖いモノは無いんだ、と思ってた…… )

 『 後悔、先立たず 』とは、この事だろう。

 しかし、若いからこその『 暴走 』は、誰にでもある。 程度の問題だ。

 繁華街の街並みに映る、過ぎ去った日々の思い出……

 友美が想い起こす、その記憶は、心なしかセピア色に映っているように感じられた。


( 2丁目215番の3、アーバンビル… か。 ああ、あの細長いビルね。 その5階か… )

 友美は昨日、菊地から渡された名刺を頼りに、菊池が勤める会社を訪ねようとしていた。 トヨおばさんの『 来襲 』で中断された、あの話の続きをしたいと思ったからである。

 名刺にあった電話番号に電話し、菊地とは、アポが取れている。

 横断歩道の、歩行者用のメロディーが流れ始めた。 通学用のサブバッグを片掛けし、歩き出す友美。

 午後6時を過ぎ、繁華街はネオンで彩られ始めていた……


「 おい、友美じゃねえか? おい! 」


 後ろから、友美を呼び止める声がした。

 振り返ると、ブレザーの制服を、だらしなく着た男子高校生が3人いる。 皆、髪を金髪に染め、1人は、タバコをくわえていた。

「 やっぱ、友美じゃねえか! 久し振りじゃんよォ~ 」

 赤いキャップを被り、耳にいくつものピアスをした1人が、馴れ馴れしく友美に近付いて来た。

「 達也……! 」

 以前、付き合いのあった不良グループの仲間だ。

「 元気してたかよ、おい。 すっかりイメチェンしちまって、どうしたよ? え? 」

「 ちょっと… 触んないでっ! 」

 友美は、肩から腰のあたりに回された手を払いのけた。

「 何だよォ。 久し振りだってのに、冷てえな。 ナンかお前… 変わったぞ? 」

「 そうよ、変わったの! もう、私に付きまとわないでくれる? 」

「 …んだと? 」

 男の顔から笑みが消えた。

「 てめえ… 散々、やりてえ事やっといて、洋子が死んだら、知らん顔ってか? ふざけんなよ! 」

 男が凄んだ。

「 あの頃の私は、どうかしてたのよ! もう、二度と戻らない……! だからアンタたちも、私の事は忘れて。 もう、放っておいて欲しいの…! 」

 そう言うと、友美はさっさと、その場を立ち去ろうとした。

「 …ンのやろォ~……! 下手に出りゃ、イイ気になりやがって! 待ちなっ! 」

 髪を、後ろから乱暴に掴まれ、友美は声を上げた。

「 痛いっ…! 放しなさいよっ! 何すんのっ 」

「 てめえ、今更、スマしやがって… ざけんなよっ! ナメんじゃねえっ 」

 男は、友美の胸ぐらを掴み、顔を詰め寄らせると眉間にシワを作り、再び凄んだ。

「 オレたちと、縁を切りてえってか? 上等だよ……! 立正学園『 死喰魔 』って言やあ、ちったあ、名の売れたレディースだったがよ。 みゆきや加奈子も死んじまって、幹部の残りは、てめえ1人なんだぜ? メンバー連中も、みんな他のチームに吸収されちまってるってのに、何、1人でイキがってんだよ、ああ? 」

 タバコをくわえていた別の少年が、友美を後ろから羽交い絞めにして言った。

「 センパイ。 その隅、連れてって、コイツ… ヤっちまいましょう! 」

 男はニタリと笑うと、顎で指示した。

「 ……よし、連れてけや……! 」

「 やめてっ! 何すんの、放してっ…! 」

 洋子たちと好き放題していた頃、この達也たちが、よく女性をレイプしていたのを覚えている。 友美たちは、それを面白そうに眺めていたが、 今、まさに自分がレイプされる側になろうとは、考えもしていなかった友美であった。

「 へっ、友美。 ザマァねえなあ……! あの頃はよく見学してたよなァ。 そういやオメェ、ネンネだっけか? 拝ませてもらうか……! 」

 高校生とはいえ、3人がかりでは、どうする事も出来ない。 手で口を押さえられ、友美は、雑居ビルの一角の、暗い隅に引きずられていった。


 ……これも、今まで好き勝手して来た代償なのだろうか。

 友美は、自身に起因する悪事の余殃を悔い、その目に涙を浮かべた。


「 かわいいねえ~ 友美。 おまえでも、泣く事あんのかよ。 …おい、よく押さえてろ。 お前、足持て、足 」

 もう1人の金髪の少年が、友美の制服を脱がし始めながら言った。

「 あの『 死喰魔』のナンバー2と、ヤれるなんてサイコーっすよ、センパイ! 」

 赤いキャップの男は、醜く笑いながら友美に言った。

「 真面目ぶったって、過去は変わんねえよ…… ええ? 友美。 楽しくやろうぜ 」


 ……せっかく手に入れた穏やかな生活。

 それが踏みにじられようとしていた。


 どんなに身なりを整えようとも、務めて対話を開いてみても、そんな事で過去を清算させる事は出来ない。

 しかし、友美は自分を変えたかった。 怠惰な生活を払拭し、新しく確立させた自分で過去を清算させようと、やっと心に決心出来たのだ。

 ……しかし、 その鼻先を挫こうとするかのような、この状況……!

 元の自分に引き戻されていくような、果てしなく暗い不安が、急速に、友美の心の中に沸き起こって来た。


 ……だが…… 何かが、違う。


 単なる、不安による過度の精神感情の高揚などではない。

 友美は、自身の明らかなる体調の変化を感じ取った。


 激しい動悸に体が震え、精神すら渾沌として来る。

 吐き気を感じるような、熱い意識。


 ……何かが、友美の体の中で覚醒して行く……!


 恐ろしく大きな『 何か 』が、友美の自我を乗っ取らんとするかのように… 心の中に、果ての無い暗闇を広げて行った……!


 荒い呼吸の中、友美は、己の精神を保つが如く、心の中で叫ぶ。

( だ、誰……? 私を乗っ取ろうとしてるのは… 誰っ…? )

 赤いキャップの男が、ズボンのチャックを下ろすのが見える。


 < ゲス野郎ッ! 死んじゃえッ! >


 鈍い音がした。

 ミリミリッと、何か軟らかいモノが握り潰されるような音だ。

「 …うごえっ…! 」

 持っていた友美の両足を離し、赤いキャップの男は、突然、その場にうずくまった。

「 ん? どうしたんスか。 センパイ? 」

 くわえていたタバコを吹き捨て、少年が聞いた。

 赤いキャップの男は、腹部を押さえ、尋常ではない苦しさを訴えている。 男の顔には、脂汗が吹き出し、体が激しく痙攣し始めた。

「 ……だ、大丈夫っスか? センパイ……! 」

 友美を押さえつけていた別の少年が、男の肩に手を触れた途端、『 メキッ 』という鈍い音と共に、赤いキャップの男の首が、真後ろを向いた。



 すっかり日が落ちた繁華街のネオンが、事務所の窓ガラスに映っている。

 パソコンのキーを叩きながら、傍らにおいてあったコーヒーカップを手にとり、冷めたインスタントコーヒーを飲み干すと、男は言った。

「 菊地さん。 この原稿、完全にワードオーバーですよ。 もうちょっと、まとめてもらえません? 」

 山のように詰まれた資料の向こうから、返事があった。

「 んん~…? 写真、取ってもいいから、そのままでいってよ。 俺、それでも結構、簡素化したんだぜ? 」

 男は、空のコーヒーカップを持って立ち上がり、部屋の隅にある流し台の所へ行くと、新しくコーヒーを作りながら言った。

「 叙情的に書き過ぎるんですよ、菊地さんは。 小説じゃないんだから、もっとレポート的にまとめて下さいよ。 また、デスクから言われますよ? 直木賞でも取るつもりかって 」

「 あ~あ、やだねえ~… 売上優先のゴシップ雑誌ってのは。 …あ、また集計しちまった! ちくしょう、どうなってんだ、この無料アプリ! 」

「 また、ヘンな操作、したんでしょ? いい加減、慣れて下さいよ。 僕、このコーヒーを飲んだら、帰りますからね。 今日は、女房の誕生日なんスよ 」

「 おまえ、女房なんていたっけ? 」

「 ワケわからん事、言ってんじゃないっスよ。 結婚式にスピーチしてくれたの、誰ですか? 」

「 そういや、そんな事あったっけ? あれは結婚式の記憶だったのか。 …あ、またっ、くそう! 」

 その時、突然、ドアが開いた。 開いたというより、蹴破ったような開き方だ。 制服の胸をはだけ、肩で息をしながら女子高校生が立っている。


 ……友美だった。


 男は、コーヒーカップを持ったまま、尋常ではない表情の友美に言った。

「 ……いらっしゃい 」

 友美は、手にしていたカバンを抱かえ、男の前に、横向きに倒れ込んでしまった。

「 ど、どうしたの、君…? 何があったんだい? 」

 慌ててコーヒーカップを傍らのサイドテーブルの上に置くと、男は、友美を抱き起こしながら聞いた。 友美は、乱れた前髪の間から力なく男を見つめている。

「 ……菊地さんを。 菊地さん… いらっしゃいますか? 」

 その声に、資料の山から、ひょっこり顔を出して菊地が答えた。

「 友美ちゃん! 」

 ゴミ箱を蹴っ飛ばしながら、菊地が出て来た。

「 ど、どうしたんだ? その格好…! 大丈夫かい? 」

「 突然で… 申し訳ありません…… 私は、大丈夫です。 大丈夫ですけど… 」

「 とにかく、中へ。 平田君、水! 水、持って来て! 」

 菊地は、事務所の奥にあった打ち合わせ用の、簡易ソファーに友美を座らせた。

「 湯のみ茶碗で、申し訳ないけど… 」

 平田が水を持って2人のところへやって来ると、窓の外の階下を、けたたましくサイレンを鳴らしながら、救急車が通り過ぎて行った。 続いてパトカーのサイレンも近付き、近くで鳴り止む。

 平田は、窓の外を見ながら言った。

「 …近いぞ? 事故じゃなさそうだ。 事件らしい。 お…? あそこのビルの脇に野次馬がいる……! 菊地さん、この子、お任せしていいですか? ちょっと行って来ます! 」

 平田は、上着を取ると、菊地にそう言った。

「 おお、すまん。 頼む! 」

 菊地は、近くの机の上にあったデジカメを渡すと、平田は、出かけにコーヒーをひと口飲み、慌てて事務所を飛び出して行った。

 友美は、少し、落ち着きを取り戻したようである。

「 さて…… 何があったのか、説明してくれるかい? 」

 菊地の問いかけに、友美は答えた。

「 わ… わた、し… 私にも、よく分かりません…! 気が付いたら、人が… 人が死んでいました……! 」

「 人が……? 」

 菊地は、一度、窓の外に視線をやると、すぐに友美の方に向き直った。

「 まさか、外の騒ぎの事じゃないだろうね? 」

「 ……私が… やったみたいなんです…… 」

「 えっ? ち… ちょっと待ってくれ。 外の騒ぎは、殺人かいっ? し… しかも、君がやったって……? 」

「 どうしよう、菊地さん! 私、もう… 何が何だか、分からないっ……! 」

 友美は両手で頭を抱えた。


 乱れた服装、繁華街、日の落ちた時間帯……


 菊地は、自分なりに、友美の身に起こった出来事を推察し、おおよそ大体の状況を把握した。

「 誰かに襲われた…… そして抵抗し、相手を傷つけた。 そうなんだね? 」

 友美は頭を抱えたまま、無言で頷いた。

「 …だとしたら、正当防衛だ。 まだ未成年だし、保護されるべき立場にある 」

 菊地は、頭を抱えたままの友美の両腕を掴むと、諭すように言った。

「 しっかりするんだ、友美ちゃん! 君は、何も悪くない。 これは事故だ 」

「 菊地さん……! 」

 菊地の腕に抱きつきながら、友美は答えた。

「 わ… 私、怖い…! 自分が、怖いの。 我を忘れた時…… 私の中に、もう1人の私がいる……! 」

「 もう1人の私、か…… まだ、あの事件のショックから立ち直れないでいるんだよ。 あまり気にしない方がいい 」

 怯えた表情で顔を上げると、激しく顔を横に振りながら、友美は言った。

「 違うっ! 違うの…! 私… ユキみたいになっちゃう……!  バケモノみたいになっちゃうよっ! イヤだよ、そんなのッ…! 」

「 落ち着くんだ、友美ちゃん! ただの不幸な事故だよ。 いいかい? この事は、まだ誰にも言うんじゃない。 今日は送ろう。 帰った方がいい 」


 ……何か、普通とは違う……


 友美の不可解な言動と事件性から、職業柄、菊地はそう感じた。

 平田が戻り、友美の事をあれこれ詮索されてもまずい。 ここは一旦、身を隠した方が良さそうだ。

 平田宛に、簡単な伝言をタックメモに書き、パソコンのモニターに貼ると、菊地は友美を連れて外へ出た。

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