第13話、回天の轍

 ホテルのロビーは混雑していた。

 1階にあるラウンジの向こうには、有名ブランドのショップがテナントとして入っており、オープンカフェスタイルの喫茶店や、パスタの専門店、雑貨店などが続いている。 玄関ロビーとつながったロータリーには、石膏の天使像が置かれ、洒落た造形の噴水が心地良い水音を立てていた。

 土曜の午後とあって、人出は多い。 待ち合わせカップルや挙式の出席者、買い物客など、まるでラッシュ時の駅前の様相である。


「 …では、記者会見では、毎朝さんを2番目に指名しますので、菊地さん、よろしく。 あまり突っ込んだ事、聞かないで下さいよ? 」

「 ははは、分かってますよ。 勤皇隊、怖いっスからねえ~ 」

「 それですよ。 ヘンなゴシップでも持ち上げられたら、たまりませんから 」

 コーヒーカップに残ったエスプレッソを飲み干し、公産党の男性広報局員は、席を立つと言った。

「 とにかく、予定外の質問は無しにして下さい。 守って頂かない事には、えらい事になるやもしれません。 重々、ご承知おき下さい…! あと、勤皇隊関連の事件・事故の話もアウトです 」

「 了解です 」

 菊地が、右手を軽く上げて会釈をする。

 広報局員は、菊地に人差し指を立てて見せると、ファイルを小脇に抱えてラウンジを出て行った。

「 質問内容と返答内容が、最初から打ち合わされている会見なんて… 全く、意味が無いんだけどな 」

 記者会見など、大体はそんなものである。 中には『 予行演習 』をする場合もあるのだ。 新聞社・雑誌会社にとっては、社名と、業界での存在感をアピール出来るだけに、指名質問は有難い事ではあるが……

( 核心を突く質問など… やっちまったら最後、次の指名質問の機会なんぞ、永遠に無くなるからな。 …まあ、記者である以上、一度はやってみたいものだが、ヘタすると、社運が傾き兼ねない。 余計な手出しは禁物、って事だな…… )

 ラウンジのカフェテラスに、1人残った菊地。

 一息つくと、水の入ったコップを手に、辺りを見渡した。

( 社の姿は… 今のところ無い… か )

 大きな1枚ガラスの向こうに、噴水があった。 その周りでは、待ち合わせの買い物客に交じり、同業の記者の姿も見える。 携帯で話をしながら、何か打ち合わせをしているようだ。

 ロビー正面には、他局のテレビスタッフがいた。 おそらく、会見を生中継するのだろう。 ロータリーの向こう側に中継車を止め、中継基地にしているようだ。 ロビーまでのシールドコードが邪魔になるのか、ガードマンが盛んに何か言っている。


「 よう、菊地! 」

 呼びかける声に振り向くと、菊地と同年代らしき男性が立っていた。

「 …ん? おお、島田か。 久し振りじゃないか、元気にしていたか? 」

「 まあな。 何とかやってるよ 」

 先程、公産党の広報局員が座っていた対面の席に座り、男は笑った。

 ハイカラーの白いシャツに、グレーのスラックス。 髪はラフ… と言うより、手櫛程度で押さえた感で、首筋辺りまでの長髪だ。

 コップの水を飲むと、菊地は言った。

「 …そうか、お前… 現代文論社を辞めて、フリーになったんだったな 」

「 おいおい、いつの話してんだ? もう、2年も経つぞ 」

「 だっけ? 忘れてたよ。 日々、忙しくてよ 」

 苦笑いする、菊地。

 島田と呼ばれた男は、菊地に尋ねた。

「 公産党の取材か? お前んトコは、政治色が強いからな 」

 コップをテーブルに置き、菊地は答えた。

「 別に、毎朝は政治に特化してるワケじゃないぜ? 俺の書く記事が、たまたま去年辺りから、政治家絡みが多かっただけだ 」

「 お前の記事で、辞職に追い込まれた議員は、これで5人になるからな。 次は、誰だ? 三木か? 」

「 …声が、デケぇよ 」

 島田は、テーブルに両肘をつくと、おもむろに菊地に寄り、声のトーンを落として尋ねた。

「 首を引っこ抜かれて死んだ、主民党の戸田だがよ…… 同じ主民党の横山と、何度も議員会館以外で、会ってたんだってな? 」

「 先週の、記事の事か? 」

「 ああ、お前のな。 …もしかしたら、介護施設の口利き疑惑が浮上する前から、一緒につるんでいたんじゃないのか? 」

 しばらくの無言の後、菊地は答えた。

「 どうだかな…… ただ、横山は現在、江川派だ。 おそらく、古傷を突かれる事は無いだろう 」

「 どう言う意味だよ。 超党派に属すれば、何事も穏便に済む、ってか? 」

( 見せ過ぎたか…… 安泰理由に対する説明が、今のところ不可能だ )

 菊地は、火消しに転じた。

「 寄らば大樹の陰、さ。 …長い物には巻かれろ、って言うだろが 」

「 ……ナンか、腑に落ちないな。 お前、何か… まだ、ネタを持ってんだろ? 」

「 記者だからな 」

 テーブルに両肘をついたまま、じっと菊地を睨む、島田。

 やがて、小さな息をつくと、静かに言った。

「 不思議な男だな、お前は…… もしかして、勤皇隊の幹部じゃないのか? 」

「 悪い冗談だ 」

 苦笑いを返す、菊地。

 島田は、両肘をテーブルから離し、両手で、前髪から後ろへ手櫛を入れると、呟くように言った。

「 殺された戸田と俺は、大学の同期でな…… 」

「 知ってる。 早稲田… だっけか? 」

「 ああ。 …まあ、汚職に手を染めたのは確かなんだろう。 だが、悪人じゃない。 少なくとも、初当選の頃までは、次代の改革を革新的に志していた 」

「 …… 」

 島田は、後頭部で両手の指を組み、続けた。

「 魔が差したんだろうな…… だからと言って、戸田の犯した行為は許されるものじゃない。 政治家としてなら、尚更だ 」

 島田が言わんとしている事は、菊地には、充分に理解出来た……

 菊地を見つめながら、島田は続ける。

「 勤皇隊の連中… 戸田を殺した当事者に会えるものなら、俺は言ってやりたい。 そこまで残忍な殺し方をしなくても、『 脅す 』だけで、ヤツは本来の進むべき道を見い出し、充分に更生しただろう… ってな 」

 菊地は言った。

「 まあ、その人の未来が見えるのなら… そう言う『 処置 』の選択も、あったのかもしれん 」

 島田は、小さく笑って答えた。

「 ふ… 確かにな…… さすがに、未来予知などは出来ないだろう。 怪力だけ、って事だ 」

( 実際は、微妙に違うんだ… 島田 )

 心の中で答える、菊地。

 ユキであったならば、『 見逃し 』もあったかもしれない。 友美のように……

 だが、社や浩子には、未来予知の能力は無い。 ターゲットとなった相手に対しては、無慈悲に『 処理 』するしか無いのである。 脅して、更生を則するような『 心の余裕 』など、持ち合わせてはいないのだ。

 島田は立ち上がり、言った。

「 俺は、自分なりの力で、横山を追う。 お互いに、メリットがある情報が入手出来たら、共有しないか? 」

「 ああ、いいだろう。 …だが、言っておくが、俺は政治専門じゃない。 さっきも言ったが、たまたま政治家絡みの案件が、俺の担当になっただけだ。 変なウワサ、流すなよ? 今のご時世、誰だって憂国勤皇隊のターゲットに成り得るんだ 」

「 …分かった。 気を付けろよ? 」

「 お前の方こそ、な 」

 ニッ、と笑った島田。

 菊地も、小さく笑い、軽く手をあげた。


 更生する可能性の判断無き、粛清……


 ラウンジを出て行く島田の背を見つめながら、菊地は想った。

「 神の意志か…… 」

 ユキのように、人の未来が予知出来るのであれば、『 神 』に取って代わる事は可能だろう。 だが、ユキが死んだ現在では、その実現は皆無に等しい。

 更に言えば、更生した者が、再び犯罪に手を染める確率も、当然にしてゼロでは無いのだ。 以前よりも、更に『 賢く 』なり、より隠蔽性の高い犯罪行為に奔るかもしれない……

「 ハッキリと、白黒付ける大舘らの方が、賢いのかもな。 割り切って行動する事が出来る… 」

 コップに残っていた水を飲み干し、憂いた眼差しで、窓の外に目をやる菊地。

( こうしている間にも、『 粛清 』は行われているんだろう )

 菊地は、いつになく、心を沈ませた。

 沈んだ気持ちとは裏腹に、混雑して活気がある窓の外の情景が、菊地の眼に映る。

( 今、見えている人々の中にも、粛清のターゲットとなってしまう人がいるかもしれないな…… )

 ふと、噴水脇に数人の少女たちがいる事に、菊地は気付いた。

 買い物の待ち合わせであろうか、皆、高校か中学くらいの歳のようである。 その内の1人が、噴水の向こうに手を振った。 友だちなのだろうか、噴水の向こうからは、同じ年代と思われる少女が、彼女らのもとにやって来た。


 ……それは何と、友美であった。


「 あれっ…? 友美ちゃん……! 」

 菊地は、持っていたコップを慌てて置くと、携帯電話をかけた。 間もなく友美は、呼び出し音に気付いたらしく、ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出している。

 菊地は、それを眺めながら話した。

「 そんなトコで、なにしてんの? 友美ちゃん 」

『 えっ? 菊地さん、私が見えるの? 』

「 正面のカフェテラスだよ。 ほら、ここ 」

 おもむろにカフェテラスの方を見た友美は、テラスにいる菊地に気付いたようで、手を振った。

「 ロビーにおいで。 今、出てくから 」

 菊地は、携帯電話を切るとレジで清算を済ませ、ロビーに出た。


「 やっぱり来ちゃったのか、友美ちゃん 」

 苦笑いしながら、菊地は言った。

「 だって心配で…… あ、こちら菊地さん 」

 友美は、皆に菊地を紹介した。

 皆を見渡しながら、菊地は挨拶を返した。

「 菊地です。 友美ちゃんから、みんなの事は聞いてるよ 」

「 愛子に、里美と春奈よ 」

 愛子と里美・春奈が、挨拶に答えた。

「 初めまして。 多岐 愛子です 」

「 三上 里美です 」

「 沢口 春奈です。 へえ~、意外と若いんだ。 もっとオジさんかと思ってた 」

「 君らから見れば、立派なオジさんだよ 」

 笑って見せる菊地に、友美が言った。

「 菊地さん、大館さんや浩子さんとは、面識ないでしょ? 愛子たちに相談したら、行った方がいいって 」

 里美が、付け加える。

「 もし、あいつらに遭遇したら、友美1人じゃ危険だし… あたし達、全員で行く事にしたんです 」

 菊地が、里美を見ながら答えた。

「 僕も、社って子の力は、身を持って体験している。 浩子って子は、それ以上らしいね 」

「 でも、友美センパイは、この前、浩子さんのプレスを弾き飛ばしたのよ? 社との対決だって、勝ってたし…! みんなで力を合わせれば、押さえ込めるかもしれないのよ 」

 春奈が言った後を、里美が続けた。

「 まず、あいつらが現われるかどうかなんです。 現われたら、とにかくみんなで固まっていれば… そう簡単には、やられやしないわ 」

 菊地が、真剣な表情で注進した。

「 里美… ちゃんだっけ? 第1に成すべきは、一般客の避難だ。 もちろん、彼らのターゲットである公産党員もね。 彼らとの対決は、なるべく避けなくてはならない。 ……いいね? 雌雄を決するあまり、対決に先走ってはいけないよ? 出来る事なら、話し合いで済むに越した事は無い 」

 到底、そんな穏やかに済むはずは無いだろう。 菊地本人も含め、皆も分かっていた。 しかし、一厘の望みを託し、全員が菊地の注意に頷いた。

「 パーティーは3時から始まる…… あと、20分少々だ。 5時からは記者会見… 党員の代表や幹事長など、主だった者が出席する。 幹部のみを狙うのだったら、この時だ 」

 友美が聞いた。

「 会場は? 」

「 3階の大会議室だ 」

 里美が、周りを見渡しながら言った。

「 狙撃か、建物ごとか…… いずれにせよ、とんでもない騒ぎになるわね、この人出じゃ…! 」

「 もう、いっそ、今から非常ベルを押したい気分だよ 」

 菊地が、苦笑いしながら言った。


「 あ…… 」


 友美が、何かを感じた。

 続いて、春奈、里美・愛子も気付いたようだ。

「 どうした……? 」

 緊迫の表情の皆に、菊地は戸惑った。

「 ……いる! 社よっ! 浩子も一緒…! 」

 愛子が言った。

 やはり、来た……!

 狙いは間違いなく、公産党のパーティーだろう。 しかも社の他に、浩子もいると言う……!

 菊地が、誰となく聞いた。

「 大舘ってヤツは? いるのかい? 」

 愛子が、しばらく間を置いて答えた。

「 ……いますね……!」

 里美が、補足する。

「 社… いや… 浩子と一緒ですね 」

 どうやら、3人とも行動を共にしているようである。

「 3人とも来たか… どこだ? どこにいる…? 」

 菊地は、辺りを見渡した。

「 ……上よっ! あいつら、上にいるっ……! 」

 春奈が、ロビーの天井を見上げながら叫んだ。

「 ええっ? もう、上に上がっているって事かいっ? …くそうっ、行こう! 」

 エレベーター脇に、数点の放送用機材が置いてあった。 その中からテレビ用ケーブルを掴むと、愛子たちに渡しながら、菊地は言った。

「 そこの、工具箱も持って! 局のアルバイトみたいなつもりで… 友美ちゃん、そのマイクスタンド持って! 」

 やがて開いたエレベーターに乗り、5人は、とりあえず3階へ向かった。


 階数ボタンを押しながら、菊地が言った。

「 随分、早くから来たもんだな…! しかも、もう上にいるとは…… こっちが感じてるって事は、向こうも気付いてるって事だよね? 」

 菊地は、傍らにいる愛子に聞いた。

 気を探っているのだろうか、愛子は、じっとエレベーターの壁の1点を見つめながら答えた。

「 そうですね… でも、あっちは動いてない…… 何か、小さな気を使ってるわ。 作業してるみたい……! 」

「 作業? 会場に、小細工でも仕掛けてんのかな? 何階くらいにいるか、判るかい? 」

「 ……ずっと、上ですね。 10階… くらいかしら 」

「 10階は、防災センターがある階だ。 確か、集中管理室もある…… う~ん… どうも、クサイな。 まず、そっち行ってみようか。 人も、そんなにいない筈だし 」

 菊地は、3階に着いたエレベーターの扉を閉め直すと、10階のボタンを押した。


 いきなり臨戦態勢だ。

 やはり、話し合いなど皆無の状態になるのであろうか……


「 …捕まえた…! 社よっ! 」

 腕を胸で組み、盛んに気を集中させていた春奈が、唐突に言った。

「 えっ? ちょ… ちょっと春奈、もう? ど… どうしよう、愛子! 」

 里美が、手にしていた工具箱を床に置きながら、愛子に言った。

「 春奈のホールドは強いけど、1人じゃ…… 」

「 あっ、キャッ…! 」

 突然、物凄い力で、春奈の体はエレベーターの側壁に叩きつけられた。

「 春奈ちゃん! 」

 菊地が、春奈に手を触れた途端、バシッと青白い放電が走った。

「 痛ッ…! 」

「 ダメよ、菊地さんっ…! 触っちゃだめっ! 感電するわっ! 」

 友美が、菊地の手を押さえる。

「 春奈、頑張ってっ! あたしが行くっ! 」

 愛子は叫ぶと、春奈に覆い被さっている気との間に集中し始めた。


 …室内灯が薄暗くなり、チラチラし始める。


 社を捕まえ、束縛しようとしていた春奈は、逆に、社に束縛されてしまっているようだ。 エレベーターの狭い室内の隅の方に、追い詰められた格好でうずくまり、必死にプレスに耐えている。 愛子は、春奈の脇に立ち、両腕を胸の前で組み、目を閉じて気を集中させている。

 菊池が、耳鳴りの様な… 異様に高い音を感じた瞬間、警報ブザーが鳴り、アナウンスが流れた。

『 エレベーターに異常を感知しました。 最寄の階に停止します。 速やかにエレベーターを降り、係員の誘導に従って下さい 』

 エレベーターが9階に停止すると、扉が開いた。

「 友美、菊地さん、早く降りてっ! 」

 里美は叫びながら、友美と菊地を、エレベーター内部からホールへと押し出した。

 エレベーター内は、愛子の気も相成って激しく放電し始め、やがて、大きな音と共に閃光が走り、気が弾け飛んだ。

「 春奈ッ、…愛子! 」

 里美がエレベーターに駆け寄り、愛子と共に、エレベーターの床に倒れこんで、ぐったりしている春奈を、エレベーター室内から引きずり出した。

「 ごめんなさい、里美センパイ…! ミスっちゃった…… 」

「 1人じゃ、無理よ。 浩子が出て来たんでしょ? そこに座って…! 衝撃波を使ったのは、愛子ね? 大丈夫? 」

 這いずるように、自力でエレベーターから出て来た愛子。

 荒い息と共に、メガネを掛け直しながら、愛子が答えた。

「 と… とりあえず、あいつらの出方を見るつもりだったんだけど… とにかく、物凄い気だわっ……! 強いって言うか… 殺気に満ちた、荒々しい気よ。 最初っから殺すつもりのような… ゴホ、ゴホッ…! あたしなんかじゃ、衝撃波で振り払うのが、精一杯……! 」

 里美が言った。

「 向こうは、もう何十人も殺してるからよ。 みんな、気を引き締めてかからないと……! 」

 里美が皆を見渡し、続けて言った。

「 とにかく、不用意に動かないで…! あいつら、あたしたちが見えてるわ 」

 菊地が言った。

「 非常ベルのスイッチ、その辺に無いか? 火災報知機でも何でもいい、押しちまえ! 」

 里美が見渡し、菊地に言った。

「 あっちの隅にあるわ! あそこ 」

 フロアの廊下を行った、向こうに赤いランプが見える。

「 火災報知機のようだな。……ん?  やけに静かになったじゃないか。 こっちの動きを見てるのか? 」

 里美が答えた。

「 動いた途端… 来ますよ? あいつら、初めっから殺すつもりだから……! 」

 9階のフロアは、オフィスのようである。 土曜日とあって、休日なのだろうか、静まりかえっている。

 じっと、天井を見つめながら里美が言った。

「 友美…… 向こうが仕掛けて来ても、不用意に反応しちゃダメよ……? あいつら、すぐ上の階にいるけど、居場所を確認してからでないと……! 」

 エレベーターのチャイムが鳴った。 開いたままのエレベーターではなく、その隣の、もう1基の方からだ。 誰かが、下から上がって来るようである。

「 誰かしら……? 気は… 感じないわ。 普通の人よ。 もしかしたら、大館さんかも…! 」

 里美が、愛子をかばうように構えながら言った。

 やがてエレベーターは9階で止まり、その扉が開かれた。

「 …おい、何やってんだ? 君ら。 この階の会社の人かね? 」

 エレベーターから出て来たのは、警備員だった。

 咄嗟に、菊池が答えた。

「 ええ、そうです。 エレベーターで下に降りようとしたんですが、どうも故障したらしくて…… 」

 しかし、床に座り込んでいる春奈や愛子たちの様子は普通ではない。 しかも、オフィスフロアに未成年の女性が何人もいるのもおかしい。 整合性のない状況に、その警備員も不信を抱いたようである。

「 どこの会社の人? 名前は? 」


 …まずい。


 不審者と判断されて通報されると、パーティーは中止になるかもしれない。 社たちにとっては、非常に不都合な状況となるわけで、このまま彼らが黙って見ているはずがない。

『 現地、着ですか? どうぞ 』

 その時、警備員の左肩に付けられた無線機から、応答を求める無線が入った。 彼は応答ボタンを押して、報告をし始める。

「 ただ今、現地、着です。 エレベーターは故障の様子。 扉は開いたままです。 今の所、原因不明。 点検回路を確認して作動復帰、試みます。 …え~… 尚、9階フロアに、数人の… 」

 その瞬間、彼の体は壁に叩きつけられた。

 音も無くあっという間の出来事で、まるで、目に見えない巨人によって、壁に向かって投げ付けられたような動きだった。

 もんどりうって床に倒れ込んだ彼は、そのまま動かなくなった。

「 キャッ…! 」

 足元に転がって来た警備員に、春奈が声を挙げた。 いびつに変形した頭部の耳から、血が出ている。 …即死のようだ。

「 なっ… なんて事するんだッ……! 」

 菊地は、倒れた警備員に駈け寄り、脈をとった。

「 危ないッ、菊地さん! 」

 友美の声が聞こえたと思った瞬間、何かが割れる音と共に、菊地は背中に激痛が走るのを感じた。 辺り一面に、ガラスの破片が飛び散る。 エレベーターホールの天井に下げてあったガラス製のシャンデリアが、いきなり落下して来たのだ。

「 菊地さんっ、菊地さんっ…! 」

 友美は、菊地の背中に刺さった、無数のガラス片を取りながら叫んだ。 背広を着ていたので、深手ではないが、かなりの出血である。

「 …く、くそっ! 痛ッ…! 」

「 動かないで! いっぱい刺さってるから…! 」

 菊地のもとに駆け寄ろうとした里美が、何かを感じて辺りを見渡す。

「 き、来たわよッ…! みんな、気を付けてッ! 」

 すると、天井の化粧板が何枚も剥がれ、それが愛子たちに向かって、物凄い勢いで飛んで来た。 床や壁に当たって四散する化粧板……! 消火器も、唸りを上げて飛び交い始めた。

「 あっ…! 」

 里美の体が、宙に浮いた。

 次の瞬間、強烈な力で廊下の壁に押し付けられる。 里美は、押し戻そうとするが、まるで歯が立たない。 壁に、張り付けにされたかのような状態だ。 全ての、体の自由を奪われているようである。

「 里美ッ! 」

 愛子が反応し、里美との気の間に入ろうとするが、強烈な気に弾かれ、反対側の壁の隅まで押し倒されてしまった。

 ミシッという音と共に、里美が押さえつけられている壁が、里美を中心とした円形に陥没する。

「 か、壁が壊れるッ…! 」

 愛子が、そう叫んだ瞬間、地響きを立てて壁が崩壊した。

「 里美っ! 」

 崩れた建材と共に、里美は、壁の向こう側の部屋に放り出されたようである。 崩壊は一部、天井まで達し、支えを失った天井の梁も、にわかにきしみ出した。

「 天井も、崩れるわよッ…! 友美、こっちへ来てっ! 」

「 菊地さんが動けないのッ! ケガしてるっ 」

「 と… 友美ちゃん、僕は大丈夫だ…… あいつらの目標は、僕じゃない。 君らだ。 早く逃げろ……! 」

「 でも…! 」

 その時、いきなり、数ヶ所の天井が落ちて来た。 友美は、近くに落ちて来たコンクリートの破片を気で防ごうとしたが、それよりも早く、傍らにいた春奈が反応し、防いだ。

「 センパイ、まだ気を使っちゃダメっ! あいつら、探ってるのよ。 センパイがどこにいるか……! 私たちは、何度もあいつらと気を合わせた事があるから、すぐ判っちゃうけど、気が混線してる今は、あいつら… センパイの位置が判らないのよ! 」

 やがて、床がきしみ出した。 エレベーターホールだけではなく、9階のフロア全体に、その不気味なきしみ音は広がっていく。 愛子も、その異常に気付いた。

「 …こ、このフロア全体の床を、落とすつもりよッ……! 」

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