第17話、終局の封印
大きな夢。 小さな夢……
人は皆、夢を見て成長する。
しかし、あらゆる夢を具現化し、未来を自由に書き換えられるような、
全ての倫理をも超越した『 大いなる力 』を手にした時……
人は、人でなくなる。
……そう。
夢を実現させようと目的を持ち、己自身の力で邁進しつつ、
努力する姿こそ、美しいのだ。
勘違いしてはいけない。 夢は、叶える為にあるのではなく、
見る為にあるのである。
勿論、夢が叶えられたら、それは素晴らしい事だろう。
だが、想い描く夢を完璧に実現し、寸分違わないカタチに出来る者は
おそらく、ごく限られた少数だ。
しかし、想い返して欲しい。
夢や希望に向かって突き進んだ日々は、その人にとって掛け替えのない
日々では無かったか?
努力した結果に得たものは、想い描いていた夢よりも、遥かに
秀逸なモノだったと言う結果にならなかったか……?
夢とは違う『 カタチ 』を得た。
夢とは違う、良質な知識を得た。
努力する過程で、尊敬出来るヒトに巡り合った。
未来を共に謳歌出来る、最愛の人に出逢った……
価値観は、人それぞれだ。
想い描く夢に到達出来なかった現実を、嘆く者もいる事だろう。
それはそれで、自分を悔いるがいい。
大切なのは、夢に向かう事、叶える為の行動を起こす事、それ以前に
自身の未来を見据える事だ。
それは、個々の人生の謳歌へとつながる事だろう……
夢に向かって歩む日々の努力は、夢を叶える以前に、
『 人 』として生きる為の大切なファクターである事を忘れてはならない。
夢に向かう事… それこそが、人の姿である。
夢を持つという事… それこそが、人間の証明である。
「 あれ? アンタは…… 」
アパートの階段で、菊地は、老齢の女性から声を掛けられた。
「 あ、その節はどうも。 町田… 豊子さんでしたっけ。 友美さん、います? 」
「 いるけど… 」
友美の部屋を振り返り、豊子は暗い表情を見せた。
「 何だか最近、元気なくってねえ。 明るくないんだよ。 何ていうか、その… 浮の空ってカンジでねえ…… 」
友美の様子を気遣う豊子。 どこか、今までの友美とは違う、違和感のような感覚を覚えているようだ。
菊地は、友美の身に起こった事実は話さず、当たり障りのない一辺倒な受け答えをした。
「 学校で、何かあったのかな? 」
友美の部屋を見ながら、豊子は言った。
「 友達との間で、イザコザを起こすような子じゃないよ 」
それは、菊地の方が熟知している。
( 本当の事を話しても、一笑されるに決まっている )
逆に、信用されたらされたで、ややこしい。 細かな説明をするにも、スクープやプライバシーが混在する以上、守秘義務の観点からも、説明は避けた方が良い……
菊地は、そう判断した。
豊子が続けた。
「 話し方も妙に、よそよそしいんだよ。 …そのうち、アンタが訪ねて来るから、って言ってたけど、何か聞いてるかい? 」
菊地は答えた。
「 ここんところ、体調が悪いって言ってたな。 僕も、詳しくは判らないけど… 」
「 そうかい…… それにしても、アンタ… 何だい? その包帯は 」
菊地の頭や、手首に巻かれた包帯を見て、豊子は聞いた。
「 いや、その… ちょっと、階段でコケちゃって…… ははは 」
「 何だろね、そそっかしい 」
菊地が、負傷者として報道に出ていた事は、気付いていないようだ。
「 友ちゃん、今日は学校休んだらしいから、あんまり長居すんじゃないよ? 友ちゃんが、会いたいって言ってるから、会わせてやるんだからね。図に乗るんじゃないよ? 用が済んだら、早く帰んな 」
そう言うと豊子は、1階の管理人室へと、入って行った。
あの日、セントラルホテルで重傷を負った菊地は、搬送された病院のベッドの上で意識を回復した。
約、2週間の入院の間、テレビのワイドショーなどは連日、セントラルホテル崩壊の報道を伝え、入院中の菊地の所へも、取材の記者が来た。
新聞社・大手出版社など各報道機関には、憂国勤皇隊の名で犯行声明文が郵送されて来ていた。 おそらく、大館がセントラルホテルへ向かう途中、一斉に投函したのだろう。 事故ではなく、事件として後日からは、検証・検分・行動論議などがメディア展開されている。
死傷者も多く、近年には記憶に無い、大きな事件となった。
10階の防災センターと集中管理室の職員、消防士、レスキュー隊員、警備員……
死亡者の合計は、41名。 宿泊客や、一般の買い物客にも数多くの犠牲者が出ており、そのほとんどは、落下して来たガラスの破片によるものであった。
春奈や愛子たちの名も犠牲者名簿の中にあり、もちろん、大館や浩子、社の名前もあった。 損傷が激しく、女性と思われる身元不明の遺体は、所持していた学生証と着衣から、事故発生の2日後、里美であると報道されていた。
病院のベッドで、食い入るようにテレビを見ていた菊地……
報道の中で、友美の名前が一向に発表されない点に、やがて菊地は、おおよそではあるが、事態の全容を把握した。
現場に居合わせ、負傷していた記者が退院した、と報道された日、初めて友美からのLINEメールが届く。
……菊地は、すべてを知った。 友美が今、どんな状況にあるのかも……
ドアの鍵は開いていた。
少しドアを開け、その内側を軽くノックする。
「 どうぞ 」
小さな声が聞こえた。 友美の声である。 菊地には、その声が、妙に懐かしく耳に響いた。
「 友美ちゃん…… 」
部屋の一番奥にある、レースカーテンをひいた窓側に置かれたベッドの上に、友美は横になっていた。
じっと天井を見つめたまま、顔は菊池の方には向けず、しかし、優しい口調で友美は言った。
「 お体は… もう良いのですか? 」
友美は、学校の制服を着たままであった。 昨日、学校から帰って来て、そのままの様子だ。
菊地は、部屋に入り、静かにドアを閉めながら言った。
「 ああ、まだ抜糸してないトコもあるけどね。 32針、縫ったよ 」
相変わらず、菊池の方には顔を向けず、友美は答えた。
「 色々、ご迷惑をお掛け致しました。 菊地さんがいらっしゃらなかったら、どうなっていた事か…… 」
妙に、言葉使いが丁寧だ……
菊地は、友美が性格的にも、変化している事を感じた。
ベッドの傍らに、折りたたみイスが立て掛けてあった。 菊地は、そのイスを出すと友美の横に置き、座った。
「 何も…… 感じないんだね? 」
友美の手を取り、菊地が尋ねる。
「 ……はい 」
真っ直ぐ天井を見つめながら、友美は続けた。
「 でも、とても…… 満ち足りた気分です。 忘れていた、幼い頃の記憶が… 鮮明に甦っています。 私をかわいがってくれた、寮母さまの声が聴こえるのです 」
何も苦痛を感じない友美の意識は、過ぎ去った遠い過去へコンタクトしているのだろう。 寂しくはあったものの、何も恐れる事の無かった、穏やかな幼年期へ……
話し方が丁寧なのは、その頃、しつけられていた記憶とシンクロしている為のようだ。
レースのカーテン越しに差し込む、柔らかな光……
友美の穏やかな表情からは、その光と相まって、この世のものとは思えない、まるで聖母のような優しさが感じられた。 全ての煩悩を取り払った友美は既に、『 神 』の領域に入っているのかもしれない。
「 友美ちゃん…… 」
菊地は、静かに聞いた。
「 これから、どうするんだい? 」
しばらく間を置いて、友美は目を閉じ、静かに答えた。
「 ……お母様のところへ、参ります 」
菊地は、それを聞くと目を瞑り、下を向いた。
「 …… 」
菊地にとって、最も受け入れ難い判断を、友美は選択したようである。
……しかし、それ以外の選択が、果たしてあるのだろうか……
友美を失わない、と言う選択肢の模索を続ける菊地に、ゆっくりと瞳を開けた友美が、静かに顔を菊地に向け、声を掛けた。
「 菊地さん…… 最期に1つ、お願いをしてもよろしいですか? 」
『 最後 』と言う言葉に反応し、俯いたまま瞑っていた目を開ける菊地。
答えようにも、声が出ない。 …いや、答えたくないのが心情だろう。
「 …何だい? 」
かなりの間を開けて答え、ゆっくりと顔を上げた菊地。
「 テープをかけて頂けますか? その棚の… 端にあります 」
「 テープ…… 」
菊地はデッキを探したが、どこにも無い。 棚には、1枚のCDが置いてあった。
( これの事か… )
机の上にあったポータブルプレイヤーに入れ、再生ボタンを押す。
しばらくすると、バイオリンの音色が聴こえて来た。 静かなオーケストラ演奏曲のようで、かなり古いレコーディングのようである。
菊地には、その曲名が分かった。
「 モダン・タイムス …… 」
チャップリンの、古い映画だ。 この曲は、その映画に使われた挿入歌である。
友美が言った。
「 寮母さまが、お好きだった曲で、『 スマイル 』という曲名なのだそうです。 『 街の灯 』という映画も、観に連れて行って下さいました 」
友美は再び、静かに目を閉じた。
旅発つ、友美の気配を感じ、菊地はイスを降りるとベッドに取り付き、友美の手を取った。
「 友美ちゃん…! 」
顔を、菊地の方に向けたまま、少し目を開けると、友美は言った。
「 人は愚かです…… こんな力を、持ってはいけない…… 自分で、努力して得たものにのみ、価値は存在するのです 」
「 ……だ… だからと言って、君が逝く必要はない! 友美ちゃんっ…! 」
「 菊地さん、ありがとう。 いつまでも、お元気で…… 」
友美は、血流の循環を止めたようだ。 それを察知した菊地が叫ぶ。
「 逝っちゃダメだ、友美ちゃんっ! 」
「 菊地さんのお顔を、最期にもう一度、拝見したかったのです。 あの日… 身も知らぬ私に… お声を、かけて下さいました。 …菊地さんが… すこやかに…… お過ごし頂けますように…… 」
友美の声が、次第に小さくなっていく。
「 だっ… ダメだ、ダメだっ! 早く… 血流を戻すんだっ! 友美ちゃんっ……! 」
菊地の呼びかけには答えず、友美は、呟いた。
「 ……お母様が…… お母様が、呼んでいる……! 」
今、まさに友美は、旅立とうとしている。 引き戻す事は、誰にも出来ない。 菊地は、それを感じ取った。
「 ……友美ちゃん……! 」
ささやくような声で、最期に、友美は言った。
「 お母様…… 友美は、ここです。 今、参ります…… 」
眠るように、友美は、息を引き取った。
万感、胸に迫った菊池……
言葉を失い、しばらく呆然としていた。
暖かさの残る友美の手を握り締めたまま、ぐったりと、シーツに顔を埋める。
あの、ユキにも匹敵する力を覚醒させた友美 ……
その能力を持ってすれば、生命を維持していく事も出来たはずである。
しかし友美は、生きる屍より、永遠の眠りによる力の封印を選択したのだ。 親身になってくれた菊地に、最後のお別れをして……
「 オレが…… オレが来るのを、待っていてくれたのか… 友美ちゃん……! 」
菊地は、友美の頬を、震える手で撫でた。
「 ……ユキが、君を『 見逃した 』理由は、この事だったんだね…… ユキには… いずれ、君らが争う未来が見えていたんだ。 そして、最大の『 力 』を、君が持つようになる事も… 」
友美の前髪をゆっくりと正し、菊地は続けた。
「 君は、大舘たちの計画を阻止する。 そして『 力 』の覇者となり、やがて、自ら、その『 力 』を封印する…… 」
菊地の瞳に、光る物が湧き上がり、やがて頬を伝って行く。
「 ユキには、分かっていたんだ…… 君が、自らの命を絶つ事も……! 」
そっと、友美の頬に指先で触れ、菊池は続けた。
「 君の事は、忘れないよ……! 壮絶な運命を辿った仲間たちの中で、ただ1人… ベッドの上で静かな最期を迎え、安らかに旅立って逝った、伝説の人…… その記憶をもって、僕も… 全ての記憶を封印する事にするよ…… 」
安らかな、永遠の眠りについた友美の顔を、静かに見つめ続ける菊地。
部屋には、オーケストラの音色が、いつまでも流れ続けていた。
『 4429F 完 』
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