02

 ぷくぷくとした頬をさらにふくらませ、こどもは盛大に拗ねていた。

 思うとおりにならぬ、気にいらぬと力の限りに主張している。

 おれはつとめて平静を装い、ちいさな頭に掌を乗せた。ふわふわとしたやわらかな髪の下に、薄く形のよい頭蓋を感じる。わずかに力を込めればたやすく砕けてしまいそうだ。


「ねえ、どうしてもダメ?」

 養い子は重ねて問う。

「ダメだ」

 おれはきっぱりと云い渡した。駄々をこねてもダメなものはダメ。


 娘はあからさまにむくれた。これ以上ないほどふくらんでいたはずの頬が、さらに大きくなる。

 だってあいつはひとりで行くって。あいつにできるなら、あたしにだって。

 いまにもそう主張せんばかりだ。


 養い子の幼馴染、近所の悪ガキの顔を思い浮かべ、おれは深いため息をついた。

 歳周りが近いせいか、なにかというと張り合い、寄ると触ると喧嘩ばかりしているくせに、いざとなると結託し、周囲を困らせるふたり組。気づけばつねに一括りで語られるほど、悪ガキと娘の絆は固いものであるらしい。


「だが、あれは男の子だろう」

 おれが云うと、娘の目が白くなった。

「なに云ってるの、おとうさん。あいつにできることは、あたしにもできるわ。あいつだってそう云ってるもん」

 つまりおまえは、とおれは精一杯威厳に満ちた声を出した。

「黄昏どきのはぐれの森へひとりで行こうと、そう云うのか?」

「うん、そうだよ」

 娘はためらいなく答えた。

 常勝将軍と渾名され、鬼とおそれられた国の英雄も、娘にかかればかたなしだ。

「ツクヨダケと星降草は、陽が落ちてからでないと、そうたくさん見つからないんだもん」

 勉学に熱心であることはよいことだ、とおれは云った。だが、危険を忘れてまで熱中することは感心しない。


 もっともらしい説教を口にしつつも、胸の内は言葉にできぬ問いかけでいっぱいだ。

 おまえが心を傾けているのは、薬草学の課題などではなく、あいつとの競争のほうだろう?


 幼いころからともに育ってきた少年と少女の友情には、淡い色がにじみはじめている。

 当のふたり以外、みながそのことに気づいている。

 もちろんのこと、おれもそのひとりだ。否、おれこそが最初に気づいた。

 そして、愕然とした。


 娘の想いにではない。その心の向かう先に嫉妬を抱いた自分自身にだ。


 このおれが?

 この稚きものに?


 自分になにが起きたのか、まるで理解できない。


 さして心を痛めることもなく何千、何万の命を奪い、しいて云うなら殺しに飽いて軍を退いたおれは、残りの生を娘のために費やすと決めた。

 それはたしかに、娘のために生き方を変えたと云えるだろう。

 だが、そこに庇護欲以外の感情などあるはずがなかった。


 変わったのはいつからだろう。

 平和な暮らしは退屈であった。騒々しく雑然としていた。

 生と死が名誉と恥辱を整然と分かつ、冷たい刺激に満ちた戦場とは、なにもかもがまるで違っていた。

 生きることと死ぬこと、喜びと悲しみが混じりあう日常を、おれは娘と暮らすことではじめて知ったのだ。


 こんな生き方があるのかと思った。


 そして、いつしか、長いばかりの己の命に感謝するようになっていた。

 おれの命は終わりに向かっているが、それでもまだ養い子のそれよりも長いはずだ。彼女が成長し、成熟し、老いて死を迎えるまで見守ってやることができる。

 誤算だったのは、おれが自分で思っていたよりもずっと狭量であったことだ。


 ふいに腹の底で声が弾ける。


 許せん。

 言語道断だ。

 あの悪ガキがおれに優っているのは、養い子と同族であるという、それだけではないか!

 丸い耳と黄金色の瞳が同じであるという、たったそれだけではないか!


 おれが、急に機嫌を損ねたように見えたのだろう、娘が顔色を伺っている。

 おとうさん、と呼ぶ声にうっすらとした怯えがある。


 おれは慌てて自分を取り繕う。

「そんな声を出しても、ダメなものはダメだ」

 わざと顔を逸らして云えば、娘は大きく肩を落とした。

 まだ可愛らしい反抗しか知らぬ彼女は、養父を口汚く罵るとか、黙って家を出るとかのすべを知らない。かわいいものだ。


 ただ落ち込む小さな肩を、おれは軽く叩いてやった。

「いい子だ。勝手なことをしないと約束するなら、父さんが夜の森に連れていってやろう。ツクヨダケや星降草がうんとある場所を知っているんだ」

 養い子は大きな瞳でおれを見上げた。

「ほんと? それほんと、おとうさん?」

 もちろんだ、とおれは大きく頷いて請けあった。

「父さんがおまえに嘘をついたことがあったか?」

 娘は首を横に振り、ほんと? ほんとね? とおおいにはしゃいでいる。


 きらきらとひかるその眼差しの美しさ。


 おれはゆるりとした笑いを浮かべた。

「いつ? ねえ、いつ連れてってくれるの?」

「いつがいい? 明日か? 明後日か? いつでもいいぞ」

 娘はもう夢中で、真夜中の森の冒険に思いを馳せている。

 はしゃぐ声を心地よく受け止めながら、おれは娘のなかから悪ガキを首尾よく追い出せたことに、いたく満足していた。


           ――フェロモンたっぷりな龍人で溺愛する話を書きます。

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