龍人の章
01
すっかり寝静まった街を抜け、ひっそりと佇むわが家へ帰る。
己の家とはいえ不在が多いせいか、いまだになじむことができていない。地位に見合った莫迦広い屋敷をあてがわれるよりずっとましではあるものの、穏やかな暮らしの似合うこの家も、おれにふさわしいとは思えない。
英雄など仰々しい言葉で飾っても、おれのしていることは人殺しだ。
幾百、幾千、幾万の命を奪い、おれはいまある地位を築いた。
それ以外に生きるすべはなかった、取るべき道はなかったと云い逃れることはたやすい。
おれの言葉を否定する者はいないだろう。
今の王、先の王、そのまた先の王。
何人の王に仕えたか。五十人か。百人か。
いにしえの血脈につらなるおれの命は長い。人のそれよりもずっとずっと。
しかし、そんなおれも歳をとった。
人の身にはわずかも動かすことのできない鎧や剣は、長くおれの身を守ってくれたが、いまは重たくてたまらない。
これまでに浴びてきた血を思えば、いささか軽すぎるほどであるかもしれぬのだが。
いずれにしても、おれは疲れた。草臥れたのだ。
もう数えるのもうんざりするほどの長きにわたり、戦の場にありつづけた。
ここらで休みをもらってもだれにも文句は云わせない。
休み?
違う。
退くのだ。
この国の守護神とも呼ばれた龍は、先の戦をもってただ人となる。
いまのおれには、このささやかな家ひとつが持てるすべて。
軽くひねれば弾き飛ばせそうなドアノブを掴み、注意深く扉を開ける。わずかに軋む音が響くが、家のなかは静かなままだ。
おれは扉の隙間からそっと身を滑りこませた。
寝ているのか、とおれは大きな安堵と小さな寂寥を覚える。
あの、もふもふとしてあたたかいものに触れられぬことにがっかりする。
と、腰に軽くぶつかってくるものがある。
見下ろせば、ちいさな掌がおれの片方の太ももにきゅうとしがみついている。腕は尻のほうへと回り、身体は見えない。
おれは自分の唇と頬が緩むのを自覚した。
みっともない、と慌てて引き締めるも、目尻もだらだらと情けなく下がりきっていることだろう。
名を呼び、どうした、と手を伸ばせば、かすかなうなり声が聞こえる。
どうやら、帰りが遅い、と怒っているらしい。
悪かった、とおれはすぐに詫びた。
宴も務めのうちなのだとか、王の慰留がつづいたのだとか、そんなことはつまらぬ云い訳にすぎぬ。
つねに傍らにあるべきおれの不在を責めるのは、この子にとってごく当然のことである。
拗ねて顔を見せぬわりには離れていかぬ身体を抱き上げ、寂しかったか、もうどこへも行かぬ、と繰り返し云い聞かせる。
くるんとまるく、夜更けにあってさえ澄んであかるい瞳を覗き込むと、ぐずったことを羞恥するようにうつむいている。そのくせ、頭の上のまるい耳はぴるぴると動いて、おれの感情を探っているのだ。
おれはふわふわとした癖毛を撫でてやりながら、寝室へと足を向けた。
幼きものは寝ていなくてはならぬ時間だ。
百獣の王、と呼ばれる者に連なる幼いこども。
これが最後と赴いた戦場で拾ったこのちいさな命を、おれは自分の運命なのだと思った。
数百年ものあいだ、おれは人を屠るばかりだった。
そんなおれが手にした、守るべきもの。
長すぎる命がようよう尽きるころになって、ようやく手に入れたたいせつなもの。
親とはぐれ、血と汗と埃にまみれて荒れた地を彷徨い歩いていた幼き子をみつけたとき、おれの胸はおかしなほどに騒いだ。
あれを傷つけてはならぬ、あれを守らねばならぬ、という声が頭の中にうるさくこだました。
おれはこどもを拾った。
なかば強引に連れてきたと云ってもいい。
たとえ親がそばにいても、そうしていたかもしれぬ、そうしていたに違いない、と思えるほどに強い衝動だった。
腕に抱いていた子を寝台におろす。
眠たげに目蓋を落としながらも、頭をなでろとねだる稚い仕草がたまらない。
掌の下に顔を突っ込み、みずからぐりぐりとすりつけてくる。
おれは指先でやわらかな髪を梳いてやる。
こどもの呼吸が深くゆっくりとしたものになるにつれ、堅苦しい衣装を緩め、湯浴みをし、寝酒をあおり、などということはどうでもよくなっていく。
いまはただ、この幼子とともに穏やかな夢を見たい、と望むばかりだった。
――戦歴の英雄である龍人で毛づくろいする話を書きます。
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