狐の章
01
燃えさかる焔が口蓋を焼き、咽喉を焼き、肺腑を焼いて私を殺す。
息を詰める本能を抑え、私は熱を孕む空気を大きく吸い込んで、苦しみ悶えた。
走り出したいと暴れる脚を自ら縛り、掌には刃を突き立てた。
これでいい。
否、こうしなければならない。
私は睫毛を焦がす焔に身を委ねる。
私の身体は遠からずして煙と灰とに変わり、心は自由になって愛する家族のもとへと還ることができるだろう。
慈しみ深い両親と快活な姉夫婦、そして穏やかでやさしかった最愛の夫は、もうだれもこの世にはいない。
みんな殺されてしまった。
私のせいで、あの残虐なる狐の王に殺されてしまった。
私の暮らす村は貧しい。
冬が長く土地が痩せているうえ、ぐるりを深い森に囲まれていて、人の往来が困難であるせいだ。
生産からも運送からも取り残され、それでもかろうじて生き延びていられるのは、豊かな森のおかげだった。
春には獣を撃ち、夏には水を汲み、秋には恵みを拾い、冬には炭を焼く。
私たちはそうやって静かに慎ましく、しかし穏やかに健やかに暮らしてきた。
若き狐の王がつがいを求めるようになるまでは。
王の思い定めたつがいとは、私のことだった。
すでに夫と添い、しあわせに暮らしていた私の前に現れた狐は、きわめて傲岸に、おまえはおれのものだ、と宣言した。
莫迦莫迦しい。
だれが、突然現れた得体の知れない狐の嫁になどなるものか。
私はそう云って彼を突っ撥ね、家族もまた私を守ろうとしてくれた。
森を護る王に楯突くことの愚かさにも気づかぬままに。
求めを拒んだ私に、狐の王は苛烈に当たった。
配下を使い、村人たちが森から糧を得ることができないようにさせたのだ。
水の一杯、小枝のひとつ拾うことができなくて、どうして暮らしていくことができよう。
王の狙いどおり、村人たちは私たち家族を責めた。
無理もない。
彼らだって生きることに精一杯なのだ。
だが、私はそれでも狐を拒んだ。
住み慣れた家を離れることも、夫と別れることも我慢ならなかった。
村じゅうから除け者にされる日々が続き、やがてそれは殺戮へと発展した。
村人たちは両親を殴り殺し、姉夫婦を木に吊るし、夫を焔で焼いて、狐の王への供物とした。
残るは私。
村人たちの怒号にも、むろん狐の呼声にも答えず、私は私に残された最後の砦であるちいさなわが家に立て篭もった。
渇き、飢えて、朽ち果てるまで、ここを出るつもりはない。
狐は怒り、村人たちは焦った。そして、この家に火をかけた。
私を炙りだすために。
生きる本能が焔から逃げるよう急かしてくるが、その声に従うつもりはない。
ふたたび大きく息を吸い込むと、身体の裡が燃えるように熱くなった。目の前が真っ赤に染まり、やがてくらくなる。
いつまでも焔の中から姿を見せない私に焦れたのか、狐の王の鳴く声が聞こえる。
つがいを求め、せつなく響く孤独なる雄の声。
なんと哀れなことだろう。
この期に及んで、ようやく私は王を不憫に思った。
そして、同時に復讐の成就を噛みしめた。
獣のつがいとは、その一生にたったひとりしか現れないのだという。
先に亡くせば、その喪失に気のふれるほど嘆き悲しむのだとか。
ああ、哀れな狐の王。
私を亡くしたことをせいぜい嘆くがいい。
二度と戻らぬつがいを求め、生涯悶え苦しむがいい。
私は焔を呑んで、最後の最後、清々しく高らかに歌うように、――笑った。
――残虐な狐の獣人でつがいを求めて悶絶する話を書きます。
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