02

 またか、と俺は思わず顔をしかめた。


 無惨にも腹を裂かれ、四つ脚を括られて転がっている眷属の屍。

 この十日のうちに二度も、と忌々しげに云い捨てる側近を宥めつつ、泣き伏す子らを抱き寄せる。やわらかな毛がふわふわとした、まだ幼い子狐たちだ。

 かかさま、かかさまと泣く子らは、ととさまは、ととさまはどこ、と同じ口で俺に尋ねる。

 行方のわからなくなっていた夫婦ものの片割れが、かように悲しい姿と成り果てているのだ。残るひとりが無事であるとは、とても思えなかった。

 それでも俺は、いま探しているところだ、と子らに答えた。


 子らの母を殺めたのは、森のはずれに村を築く者どもであろう。

 俺たちとは異なる理に生き、異なる命を紡ぐ者。ヒトと呼ばれる者どもだ。

 それは、たしかめるまでもなく明らかなことだったが、いまの俺たちには彼らに対する報復の手立てが備わっていなかった。


 遥かなる昔、森を治めていた俺の祖先は、ヒトの女を番に求め、拒まれたことがあった。

 家族を殺め、家を焼き、厄災を呼ぶ者と呪いをかけもしたが、それでも祖先の想い人は彼の手を振り退けて死んだ。

 自ら焔を飲む、凄惨な最期であったらしい。


 以来、ヒトはわが眷属をひどくおそれるようになった。

 おそれは憎しみに変わり、恨みに変わり、やがて争いが生まれた。

 やつらはわれら狐を見ると、とらえ、嬲り、けっしてよみがえらぬようにと八つに裂いて殺める。

 肉を食すことも血を啜ることもなく、縛ったままに打ち棄てる。

 魂を穢された眷属は祟りを呼び、祟りはヒトのおそれを呼ぶ。


 悪しきめぐりは繰り返され、二度ともとには戻らない。


「それにしても、ここしばらくの彼奴らの振る舞いには耐えがたいものがありますぞ、長」


 俺を支える一の側近が憤りをあらわにした。

 哀れな母狐の骸を見送った、そのあとのことである。


「子らの前で云うことではないわ」


 険しい声で側近をたしなめるも、彼の怒りは治まらなかった。

 俺は慌てて子らを部屋から追い出した。


「長は、長はいったいどうお考えなのか」

「どう、とは」


 はぐらかせば、側近は膝を進め、なじる声を募らせる。


「この地を治める王として、彼奴らのやりようを諫めようとはお考えにならぬのか」

「王か」


 俺は思わず呟いた。


 それこそヒトの娘を嫁に求めた昔ならばいざ知らず、いまの俺たちにはかつてのような力はない。

 妖力も霊験も失い、かろうじて人の姿をとれるのみだ。

 近ごろはそれすらも難しい眷属が増え、俺たちは森の奥へ奥へとすみかを移して、どうにかこうにか生き延びているようなありさまだった。

 火を、鉄を自在に操る技を持つヒトに、力でかなうわけもない。


 俺は深々とため息をついた。


「争え、戦をせよ、とおまえはそう云うのだな」


 俺が問えば、側近は眦を吊り上げ、彼奴らに目にもの見せてくれるのです、と声を張り上げた。


「いまこそわれらの力を示し、ヒトをこの森より遠ざけるべきだ。そして、おそれを取り戻すのです」


 そんなことができると思うか。

 俺は目だけでそう問いかけた。

 できない。

 できるわけがない。

 そんなことは、彼にもよくわかっている。

 けれど、理不尽に命を奪われる眷属はあとを絶たず、俺たちの生きる地は日に日に奪われていっている。


「できる、できない、ではないのですよ、長」


 側近は絞り出すような声で云った。


「長とておわかりでらっしゃるはずだ。やらねばならない。われらはもうそこまで追い詰められているのです」


 側近の声を背に俺は立ち上がる。

 背にしていた古い戸棚を探り、しまいこまれていた漆の箱を取り出した。

 艶の失せたいにしえの品は、しかし、その内に封じられたものをしっかりと護っている。


「これを使うときがきたと、おまえはそう云いたいのか」


 側近は息を飲み、しばしの躊躇いを見せたが、やがてこう答えた。


「心やさしきあなたには、酷な務めであるとわかっています。このおれも最期までともにありますゆえ、どうか」


 俺は側近の言葉に頷くことはしなかったが、組紐を解き、箱をひらいた。


 刹那、ひどく腥い匂いが鼻をつく。


 俺は躊躇うことなく、箱の底からひとつの仮面を拾い上げた。

 赤黒く汚れ、ところどころに焦げのある、それ。


 禍々しき角を持つ、面。

 ヒトの娘を伴侶に求めた俺の祖先が、娘に死なれたあと、生涯使い続けたという、鬼の面。

 深い怨嗟と強い呪詛を帯びたそれは、身につけた者に鬼神の力をもたらすのだという。


「つまらぬ云い伝えだとばかり思っていたのだがな」


 思わず漏らせば、長、と側近が険しい顔を向けてくる。

 続く言葉はわかっている。

 命を殺めることを厭う俺の代わりに自分が仮面にその身を差し出すと、彼はそう云いたいのだろう。


「みなまで云うな」


 眷属を犠牲にしてなにが長か。なにが王か。

 守るべきもののなかには、おまえもまた含まれている。


 争いを生んだ祖先の罪は、俺こそが贖うべきものだ。

 大切なだれかを殺された者の恨みは、俺こそが背負うべきものだ。


 側近は、ぐ、吐息を詰めている。

 俺は手にした仮面をじっと見下ろす。

 血と焔の覚悟を感じ取ったか、掌のうえの鬼が、かか、と笑ったような気がした。


       ―― 二本の角を持った狐の獣人で縄張り争いをする話を書きます。

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