お喋りな梅

 祖母が熱を出したというので、忙しい両親に代わり様子を見に行くことになった。

祖母の家は自転車で行くのには些か遠い場所にあり、母も父も忙しいので車を出してもらう訳にもいかず、バスで祖母の家まで行くことにしたのであった。

 バス停の傍にはバスを待つ間、座れるようにベンチが一つ設けられている。私以外にバスを待つ人はいないようで、誰も座っていないベンチに腰を下ろす。バスが来るまであと十数分。三月の半ばとはいえ、コートにマフラー、手袋をつけていても、まだ暖かいとは言えず、時折吹く冷たい風に思わず首をすくめた。首をすくめた拍子に自然と視線が足元に落ちる。見ると大量の梅の花弁が散らばっていた。上を見れば、ベンチの後ろには立派な梅の木が植えられているようで、枝は頭上をすっかりと覆い隠してしまう程に広がっている。花の盛りは過ぎてしまったようで、その梅の木から落ちたらしい花弁が足元に広がっているようであった。


『あら、可愛らしいお嬢さんだ事』


 唐突に声を掛けられ、周囲を見渡すが人どころか車さえも通っていない。声は女性のものであったが、女性どころかバスを待つのも私一人で、一体どこから誰が声をかけてきたのか見当もつかず、何か聞き間違いでもしたのかと、再びベンチに座り直せば、頭上から声がした。


『そっちじゃないわ。上を見てごらんなさい』


 言われた通りに上を見たが、そこには散りかけの花がまばらに咲く梅の木があるばかりで声の主らしきものは見当たらない。尚も不思議に思っていると、先程と同じ高い声がまた私に語りかけてくる。


『あぁ、それじゃあ上すぎ。少し下げて』


 真上を見ていた視線を、伸びる梅の枝に沿って徐々に下げていくと、無数に広がる枝のその一つに、ぽつりと一つ咲いている可憐な梅の花が風も無いのに揺れているではないか、梅は私が自身の姿を認めた事に気が付くと、嬉しそうに左右に揺れた。


『そうそう、気が付いたのね』


 まさか梅の花に話しかけられているとは思わず、はくはくと口を動かすばかりで碌に声も出せてはいなかったが、梅はそんなことも気にも留めないようで喋り続ける。


『こうして咲いているとね、いろんな人が私を見て綺麗だ綺麗だ、なんて言うものだから私嬉しくっていつもこうして声をかけているのだけれど、誰もかれも私の声が聞こえないみたいなの。よかった、今日は聞こえる子で』


 そう言うと、梅は嬉しそうに左右に揺れる。


『こんなこと言うのもあれだけど、私って他のどの花よりも美しく咲いていると思うの。雨は私を避けて降ってくれるから変色もないし、風はいつでも優しいから吹き飛ばされることもないわ。色も見て、白にほんのりと色が乗っていてとっても優しく見えて素敵でしょう、濃い色だとこうはいかないわ。色は他の花も同じだけれど私が一番綺麗に色付いていると思わない? それと咲いた位置も運が良かったわ、ここは一番人目につくところだし、朝日も夕日も一番綺麗に差し込むところだから。そうそう、昔は花と言えば私たちのことを指したものだけれど、あなたは知ってる? いつからか桜を指すようになってしまったけれど、あんなにすぐ散ってしまう花の何がいいのかしら。それにアレはみんな一辺倒に同じ品種ばかり、ここから見える桜、全部同じものよ、個性を持とうっていう誇りはないのかしら。あぁ、ごめんなさい。別にあなたに怒っているわけじゃないの、ただこうやって会話するのは初めてだからつい、』


 梅は相槌を打つ間もなく饒舌に語ってくれたが、申し訳ないことに私は今一つ理解することができなかった。なぜなら、梅を「梅の木」として美しいと思うことはあっても、花を一つひとつ観察してどれが一番美しいか、などと考えたことなど今まで一度もないのだから。それでも嬉しそうに話す梅に、わかりませんなどと言えるはずもなく、曖昧に相槌を打つ。梅はそんな反応でも満足したようで、私が頷くのを確認するとまた話し始めた。


『年が明けて一番最初に、鮮やかに色付くのが私たちでしょ。積る雪を見て下がっていた視線が、私たちを見て上に上がるの。冬が終わりこれから暖かな春が訪れることを、まだ寒いうちから知らせるのね、だからどの子もそれなりに咲く時期は気を遣うのよ、早すぎても遅すぎても意味がなくなってしまうから。私たちが満開を迎えたのは二月の半ば頃だったかしら、惜しかったわね、その頃に来ていたらきっといい香りもしたわよ。来年はそのくらいの時期にいらっしゃいな、私程綺麗な梅が咲いているかはわからないけれど、きっと綺麗よ』


 またもや相槌を打つ暇もなく喋り続けられ漸く気が付く、この梅は会話をしたいのではなく、ただ一方的に話したいだけなのではないかと。どうせバスが来るまでの数十分、特に何かすることもなかったのだから丁度いいのではないか、そう思い直し、このお喋りな梅の話に耳を傾けたのだった。


『それで、貴方はどちらへ行かれるのかしら』


 一方的に話し続けられること数分。今まで聞くばかりであったのが、急に話題を振られたので少し反応が遅れる。若干詰まりながらも、これから自身の祖母の見舞いに行く旨を梅の花に伝えた。


「祖母が風をひいたみたいで、そのお見舞いです」


 あら、と僅かに息を飲むような間の後、梅の花は気遣うように声を潜める。


『それは心配ね、きっと私の姿を見ればすぐにでも元気になると思うけれど、私はここから動けないから……。そうだわ、あなたおばあ様が元気になられたら一緒に見に来たらいいわ、そうしたらもっと元気になるはずだから』


 随分と自分の美しさに自身があるものだと、若干気後れしながらまた曖昧に頷く。


『でも、なるべく早くいらっしゃいね。私だってずっと咲いていられるわけじゃないから』


 若干の寂しさと憂いを帯びた声色で梅の花はそう呟いた、彼女は気が付いているのだ。幾ら美しく咲こうとも花はいずれ散ることに。そしてその時がそう遠くないことも。祖母を連れて来られるかはさておき、私はまたこの花に会いに来ようと、そう心の中で誓ったのを示すように今度は大きく頷いた。

 なんとも言えない静寂が流れる。暗くなってしまった空気を何とか取り繕うとして、今度は私から口を開く。バスが来るまではまだ数分ある。バスが着て、バスに乗って、帰りにまたこの駅で降りたとき、この梅が変わらずここで咲いているという保証は、ない。このお喋りで少し自己愛の強いこの梅と少しでも沢山話していたかった。


 私が口を開くと同時に、びゅう、と強い風が吹く。


『あ』


 風は梅の枝をぽきりと折った。枝は重力に逆らうことなく真っ逆さまに地面に落ち、辺りは再び静寂に包まれる。慌てて梅の枝を拾って声をかけるも、梅の花は先程まで饒舌に喋っていたのが嘘であるかのように、一言も発さない。何かが擦れるような、風の音とは違う音が頭上からして顔を上げると、残った梅の花が笑っているかのように揺れていた。

 笑う、と言ってもどちらかと言えば嘲笑とすら思えるような梅の花の様子に、うすら寒い気持ちになりながらも、今だ可憐に咲く花を、このまま冷たい地面に横にしておくのはどこか忍びなく思い、祖母の見舞いの土産にしようと、拾った枝を手にそのままベンチに戻る。うっかり花弁が散ってしまわないように細心の注意を払って。


それからバスが来るまでの間、ついぞその梅が声を発することはなかった。





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