雨たつ虹
一
虹を見た。学校へ行こうと玄関を出ると、まだ日が昇ったばかりの空に虹がかかっていた。そういえば私が起きた時はまだ雨が降っていた。折角だからとスマホを空に向け、写真を取ろうとすると、不思議なことに気がついた。
色が逆に出ていたのだ。普通外側が赤で内側が紫のはずが、外側が紫で内側が赤色に出ていたのだ。そんな虹もあるのかと二、三枚写真を撮りスマホを鞄にしまってから改めて空を見上げる。虹の色は濃く、まるで色ガラスでできているようだ。細く柔らかい雨がまだ少し降っている、それが朝日を反射して眩しい。虹を追って視線を落とす。そこでまた奇妙なものを見た。川の中から虹が出ているのだ。虹は色ガラスの色彩を保ったまま真っ直ぐ川の中に刺さっている。
ちょうどそこが通学路に近かったため、虹が消えてしまう前に、どうなっているのか確かめようと私は自転車のペダルをこぎだした。
二
歩道に自転車を停め、川原へと降りる。虹はまだ出ていて、玄関で見た時と同じように川の中から立っていた。川が流れているぎりぎりまで近寄って虹を見つめる。半透明だが光沢があり、本当に色ガラスでできているようにそこにあった。手を伸ばせば届きそうだ。
恐る恐る腕を伸ばす。あともう少し、あともうちょっと。えいっ、と思いっきり腕を伸ばしたところで指先が虹の端を掠めた。想像とは違うざらりとした感触が指先から伝わる。それだけではない。ほんの少しだけ暖かかった。
「えぇっ!?」
心のどこかで触れるはずがないと高を括っていた私は思わず手を引っ込めた。虹とは触れないものではなかったのか、それとも触れる虹もあるのか、いや、そんな訳はない。これが一種の怪異なのだと私がようやく理解したところで虹に変化が起こった。
ぶるり、と大きく虹が戦慄いたかと思うと、虹が空に向かって立ち上り始めた。よほど勢いが強いようで、川面が白く泡立っている。やがてぷつりと虹の端が現れたかと思うとそのまま空高く登っていった。
暫く呆然としていたが、はっと腕時計に目をやると八時少し前を指していた。遠くに朝礼を知らせる鐘の音を聞いて私は自転車を猛スピードで走らせた。
三
「ということがあったの」
『ということがあったの、と言われてもな』
学校から帰ると真っ先に出雲のいる倉庫へ向かった。ガタッと立て付けの悪い引き戸を開ければ、どこから持ってきたのか新聞を開いている出雲と目があった。新聞をひったくると、驚いたような表情を向けられる。私は出雲に今朝の興奮そのまま今朝のことを話したのだ。
『ふむ、虹の色が逆に出ていただけなら副虹なんだが、その虹一本だったんだろう?』
「うん、一本だったし触れたよ」
『触れた?』
「暖かくて、ざらざらしてた」
私がそう伝えると出雲は視線を落としてなにやら考えこんでいたが、しばらくすると突然何か閃いたように顔を上げた。
四
『そうだ、思い出した。雨龍だ』
「うりゅう」
『雨に龍と書きそう読む』
「虹なのに?」
『必ず雨の後に現れるのだよ』
なんだ、洒落か。そう思ったのが顔に出ていたのか『私が名付けたわけではない』と睨まれた。それから手に持っていた煙管をくるりと回す。煙管は動きを止めると一本の筆に変わっていた。筆の先は黒く染まっており、墨がついているらしい。それから羽織の懐から巻物を取り出し地面に広げる。巻物にはなにも書かれておらず真っ白だった。
『虹、という漢字はなぜ虫偏なのか知っているか』
「知らない」
墨を含んだ筆で、白い巻物に「虹」と一つ書く。わざとなのか、「虫」と「工」の間は少し空いている。
『「虫」は大蛇を表し、「工」は貫く、横たわることを表す。つまり「虹」という漢字は天地を貫く大蛇を表しているのだ』
「まって、なんで虫が蛇になって蛇が龍になるの?」
『昔は虫の括りが今より大きくてな、蛇も虫の一種だったんだ。蛇が龍になるのは、蛇を神格化させたものが龍だからだな』
それから出雲は「虹」の横にいくつか見たことのない漢字を書いた。どれも虫偏だ。虫偏の横に帯が付いたもの、兒が付いたもの、東が付いたもの。
『これらはどれも全て虹を意味する漢字だ。どうだ、どれも蛇を表す虫がついているだろう』
巻物に書かれた文字を見つめる。虹という漢字がそんな意味を持っているなんて知らなかった。つまり私が今朝見たのは川から飛び立つ虹の姿をした龍だったのか。いや、そもそも虹は龍なのだから虹の姿も何もないのだろうか?私が混乱していると、出雲の声が降ってきた。
『おい、裕子。空を見てみろ』
呼ばれて倉庫の窓から空を見れば、色が逆に出た虹がすっと真っ直ぐ空を横切っていくところだった。
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