第16話 出立

 ――公民館。今では全国どこにでも見られるこの建物は、留人の被害に備え、地域の人々の生存率を上げる為の避難所がその始まりであった。留人に関する仕事の多くがその役割を終えつつある現代。避難所としての役割が形骸化し、単なる住民の集会所や習い事の貸し教室と化した今でも、国の方針に従い半年に一度、広い物置には朝廷政府から必要最低限の備蓄物資が運び込まれていた。その主たる品は、長期保存の可能な干し米を中心とした食料品と水だ。


 使われずに消費期限の過ぎた備蓄物資は、全て廃棄される決まりとなっていたが、その処分は各町会に任せられていた為、木帰町では町民らの胃袋を使う事にしていた。酒とつまみを買い足した処分の為の集いが、寄り合いと称される飲み会となっていた。そして今日、備蓄物資は彼等にとって初めて、本来の意味でその封を開けられる事となったのだった。



「ほれ、ちゃんと食べな。いざという時動けんくなってしまうよ。」


「ごめん、食欲がないんだ。」


 朝、公民館の二階。廊下で壁にもたれていたケイは、大きな御盆にズラリとならんだおにぎりの一つを古尾から差し出され、そう応えた。彼を憂鬱にさせていた最も大きな原因は一つ。昨日叉鬼の集落へ行くと言って出かけたきり、未だに彼の祖父が公民館に帰って来ていない事だった。


「大丈夫大丈夫、心配せんでいいよ。恐山さんはしっかりした人や。きっとどこかで夜を越しとるよ。」


 ケイの気持ちを察した古尾は微笑み、彼の手に半ば無理矢理海苔の巻かれたおにぎりを掴ませた。


「やから、しっかり食べとき。」


 手ぬぐいを頬被りにし、大きな盆にのったおにぎりを次々と町民に配っていく彼女の姿を見て、彼は少し元気を分けて貰えたような気がしたのだった。


 まだうっすらと蒸気している白米。一口含んでみると、程良く塩が効いていた。


「美味しい……。」


 思った以上に腹が空いていたのか、気付けば彼の手のひらは、すっかり空になっていた。


 食事を終えたケイは、落ち着かない気分のままふらふらと一階へ降りた。すると炊事場から、数人の老婦が出入りしているのが見えた。のれんの掛かった中を小さく覗き込んでみると、そこには頬被りをした木梨や松島の妻の姿もある。てきぱきと動く彼女らの顔からは、昨日の夜見せていた弱々しさは消えていた。


 釜の蓋が開き、蒸気と共に炊き立ての米の匂いがふんわりと漂ってきて鼻腔をくすぐる。


「ケイくん、握り飯食べたけ?」


「もう食べたよ。……皆、元気だね。」


 小野田 花枝おのだ はなえは、お釜からしゃもじで米を掬いぎゅっぎゅと三角形に握りっていた。腰がほとんど直角に曲がっており、ケイに言わせるとまるで恐竜みたいな恰好をした彼女は、彼の言葉に何かを読み取ったのか、ニカッとした笑顔を浮かべると共に、しゃもじを彼の鼻先に向けて言った。


「まあな、何かしてなきゃ人間気ぃ狂ってまうでな。不安な時にゃ、身体動かすのが一番じゃ!」


 あっはっはと高い声で笑う、あっけらかんとした様子の小野田。それを見たケイは、皆が大きな不安を抱えてここにいるのだという当たり前の事に改めて気付かされたような気がした。水を浴びたような顔をしたまま、ケイは皺だらけの手によってどかどかと御盆の上に乗せられていくおにぎりを見る。


「うん、そっか。そうだよな。」


 お年寄り達がこんなに元気でいようと努めているのに、自分だけがいつまでもウジウジ後ろを向いていてる訳にはいかない。きっと、自分にも何か出来る事があるのではないか。そう思い立ったケイは周囲を見渡して、廊下の奥に目を止めた。ちょうど二人の老人が、半地下となった物置から縦長の袋の束を持ち出しているところが見えた。


「あのさ、良かったら僕にも手伝わせて欲しいんだけど。」


 ケイは物置に駆け寄ると、そう声をかける。


「おお、こいつを手伝うって?……流石恐山のお孫さんやな。」


 何の事だか分からないでいるケイの前で、男達は顔を見合わせてニヤリと微笑んでいた。


 ――屋根の上。人がやっと通り過ぎる程の幅のベランダに、老人二人が横並びに並んでいる。そこから少し離れた所、手すりに掴まってケイは立っていた。昨日は留人に気を取られていたせいか気づかなかったが、この高さから見ると、木帰町が隅々まで一望出来た。町の大通りには、不気味な動きをする影がうじゃうじゃと見える。あれが全部留人だと言うのだから生きた心地がしなかった。全てが夢だったら良かったのに、とケイは内心溜息をついた。ここに至るまで何度この悪夢が覚めることを願っただろうか。しかしどれだけ願い祈ろうと、非情な現実は彼の目の前に鎮座し続けているのだった。


「四……いや、五年ぶりやな。」


 留人の姿などお構いなし、といった様子で小手をかざし、目を細めている色白の男の名は、坂下 宗一さかした そういちだった。骨張った顔の彼は、小さく頷くと準備完了とばかりに肩を一度回した。


「ワシは、そうやなぁ……ちょうどこの子くらいの歳から引いとらんわ。」


 そう言って、もう一人の男にケイは指を指された。ひょろりと背が高く、やけにニコニコとしている彼の名は鈴丘 康介すずおか こうすけ。二人共、普段は山中で炭焼きを生業としているのだと言っていた。電力に乏しい山手の集落では、今でも煮炊きに木炭を使う家が多いそうだ。


 そんな、普段は薪を担いで歩いているという彼等の背中には今、真っ白な矢筒が覗いており、手には身長よりも大きな黒弓と鈍い銀色の矢が握られているのだった。

 

 まず、奥に立っていた鈴丘が肩幅に足を開くと、ゆっくりとした動作で矢をつがえて、引き絞った。


 伸びをするようにしなる黒弓。


 鈍い音と共にぐわんと形が変形し、矢が放たれる。目にも止まらぬ早さだった。


 狙いは公民館の横に広がる森の手前、ポツンと生えているブナの木だ。幹には丸く特徴的な節が浮かんでおり、二人はここへ登るなりそれをの的にすると言っていた。

 

 しかし、びゅんと細長い影を空気に滑らせ飛んだ矢は、的を外れて近くの地面へと突き刺さった。


「あちゃー、やってもうた。」


 額をぱちんと手で打つ鈴丘。全くの失敗とでも言いたげだったが、弓を間近で見るのが初めてのケイには、あんな遠くまで矢が飛んだ事がそもそも信じられなかった。


「ようし、まあ、見とけい。」


 ぽかんと目を丸くしているケイの横で、坂下はふうと息を落とし込んだまま身体を横に向けると、顔だけが森を見る形になった。


 直立不動。


 まるで頭のてっぺんから爪先まで一本の串で突き刺したかのように静止する坂下。ケイは、その立ち姿の美しさにしばし見とれた。

 

 黒弓が半円を描き、ぴたりと止まる。


 次の瞬間、鈍い音と共に弓は弛緩し、遠くでトンッと短い音がしたかと思うと、矢は初めから節の中心にあったかのように突き刺さっていた。


「す、凄ぇ……。」


 無意識にケイは拍手をしていた。片手を挙げてそれに軽く笑顔で応えた後、留人に聞こえるぞと言って、坂下は口元に一本指を当てた。


「本当はな、竹弓が一番良いんだ。こいつぁガラス繊維で出来た紛いもんやからな。竹はしなりが全く違う。」


「いやあ流石坂下さんや。ワシが逆立ちしたって敵わんわ。」


 黒弓をぽんと撫でる坂下の隣で、鈴丘は頭をぽりぽりと掻いていた。


「いやいや二人とも凄いって。一体どこで習ったの?」


「昔はな、どこの青年学校でも弓の授業があったんだわ。」


「弓の授業、か……それってやっぱり。」


「まあな、物騒な時代やったからな。先生が、留人に見立てた的を作ってくれるんだわ。物置の中は見たか?他にも色々あるぞ、薙刀に長槍に……」


 そう言って、指を折る仕草をする坂下。


「どれも年代物の骨董品じゃがな、こうやって、案外役に立つ日が来るもんや。」


 坂下は一人頷きながら、自身の右手にもはめられている手袋のようなものを袋から拾ってケイに差し出した。


「でだ、坊主。……手伝ってくれるんだろ?」


「――マジで?」


 ケイは弓懸ゆがけと呼ばれるらしいその手袋をはめて、紐をぐるぐると手首に巻いた。坂下に差し出された黒弓を手に持ち、少し弦を引いてみたが、弓は想像以上に硬く、かなりの力が要るようだった。とてもあんな風にしなるようには思えないと、ケイは奥歯に力を込めながら、細腕をした老人達の方を見た。


「おお、良いぞ。なかなか様になっとる。流石恐山さんの孫やな。」


 坂下の手を借りて、見様見真似で矢をつがえて引き絞る。かなりの負荷がケイの両腕と肩甲骨にかかっていた。きっと力の入れ方が違うのだろう。なんとかそれらしい姿勢を維持するのでやっと、という状態だったが、二人はそれでも筋が良いと彼を褒めた。


「よおし、よおし、……そのまま放してみい!」


 言われるまま、ケイが右手の指を開く。すると鞭を叩きつけるような破裂音が耳の側で響き、同時に頬を全力で張り手をされたかのような衝撃が襲った。


「――痛ッッッ!?ってえええ!?!?!?」


 思わずしゃがみ込むケイ。じんじんと鋭い痛みが右頬に響いていた。


「はっはっは、飛んでいっただけ上等上等。」


 差し出された坂下の手を握り、ケイは立ち上がる。どうやら、弦が矢と一緒に彼の頬をも弾き飛ばしたらしかった。恐る恐る頬を押さえた手の平を見てみるが、幸い血は出ていないようだ。


 坂下が指差す先をケイが目で追うと、公民館の屋根瓦が一枚割れているのが見えた。どうやらそこで角度を変えたらしく、矢は地面に転がっていた。


「あちゃー、これ弁償かなぁ。」


「ははは、ほんなら留人共にも沢山弁償してもらわないかんな。ほら、ワシの家の窓ガラス、滅茶苦茶に割られてしもうとるんや。」


 そう言って鈴丘は、遠くに見える家を指差す。目を凝らして探したが、彼の家がどれかはついに分からなかった。


「それにしても、とんでもない馬鹿力や。ワシは最初は矢をつがえる事すらまともに出来んかったぞ。」


 感心顔を浮かべている坂下は、是非にと弓を練習するよう薦めてくる。未だ痺れている頬をちらりと見た後、ケイは「考えておくよ」と、苦笑いを見せながら応えた。


「――シッ、静かに、来よったぞ。」


 すると鈴丘が低い声を出したので、坂下はハッとした表情で横を振り向いた。ケイが一緒になってその方を見ると、石段の向こうからゆっくりと登ってくる人影が見えた。一瞬もしやと思ったが、そこに現れたのは祖父とは似ても似つかぬ姿。ぴょこぴょこと身体を左右に大きく揺らしながら、留人が公民館を登って来ているのだった。


 ケイから弓を受け取り、坂下は矢筒からスラリと矢を抜き取った。ぐらりぐらりと頭を揺らし現れる留人に向け、絞り、放つ。


 一射絶命、脳天を貫かれた留人は後ろ向きにばたりと倒れた。


 その後ろからわらわらと、数体の留人が続いて来るのが見えていた。夜が明けたせいで、視覚の残っている留人が公民館に気付いたのだと坂下は言う。


 しかし、二人の弓使いが緊張した面持ちで狙いを定めているその時、ケイは更にその後方、町の大通りに目が釘付けになっていた。蟻のようにうごめく留人の中に、何か別のものを見つけたのだ。建物の陰から陰へと確かな足取りで進むそれは、青色と茶色の、小さな人影だった。


「――!!」


 それが、恐らく叉鬼を連れて来た祖父であろう事に気付いたケイは、心臓を掴まれたような気持ちになった。彼等は留人だらけの町内を、伸ばされる沢山の手からやっと、何故か屋根も伝わずに逃げまわっているのだ。


 慌ててベランダから館内に戻ったケイは、さりとて自分でもどうすればいいか分からぬまま廊下をウロウロと歩き回った。彼に駆け寄ってきたロクの存在にも気付かず、冷や汗を流しながら思考をまとめあげようとする。


 祖父は無事だ。いや、まだ無事だった。次の瞬間にはどうなってしまうか分からない状況にあるように彼には見えた。


 どうすればいい。


 否、自分はどうしたいんだ。


 内心その答えは決まっていたが、決心が付けられずにいた。助けられなかった木梨の顔が頭に浮かび、同時に自分を取り囲んだ亡者の群れを思いだして身体が震えるのだ。


 しかし皮肉にも、彼が思い出したのは祖父からかけられた言葉だった。


「――僕は、自分の為に、爺ちゃんを助ける。」


 そう呟きゴクンと唾を飲んだケイは、足元にまとわりつく愛しい生き物の毛をひと撫ですると、ドタドタと一階へ降りて行く。


 一直線に炊事場に入り、包丁を手に取る。聞いても何も答えないケイを、皆が不思議そうな顔で見ていたが、そのまま彼が玄関に向かい、扉の鍵を開けたものだから大慌てになった。近くに居た小野田は、盆を取り落とし、真っ青な顔で止めようとする。


「ケイちゃん落ち着き!一旦落ち着きや!」


「分かってる。けど行かせて欲しい。」


 細腕で掴みかかる小野田に対して、ケイは祖父と叉鬼達を見つけた事、彼等が危機的状況にある事を訴えかけた。


「だからって、そんなもん片手に行って何が出来るかいね!」


「どれだけ爺ちゃんの力になれるかは分からない。でも、ほんの少しでも助けられるなら、爺ちゃんが生きて帰れる可能性が増えるならそれで良い。」


「――あんたが死んでしもうたら、元も子もないやろ?」


 そう言って、横から泣き出しそうな表情の古尾も説得してくる。固まったはずのケイの心は、炎が一瞬弱まるように揺れた。


「どう考えても無謀だし、それに冷静じゃないかもしれない……。」


「ほ、ほんなら……。」


 ケイは、ほっとした表情を浮かべる老人たちの顔を見回した。


「でも、行かなきゃいけない。行きたいんだ。」


 そう、これは理屈なんかじゃない。もっと不合理で非科学的な何かだと。ケイは内心、自身に呆れながらも扉を開いて外へと出ていった。自分を好いてくれている町民らの悲鳴に近い呼び声に、後ろ髪が引かれる思いがする。しかし、それを振り切るように、あえて歩幅を広くして、思い切り駆け出した。


 本当に馬鹿だ。せっかく救ってもらった命を、また捨てにいこうと言うのだから。しかも今度は町中に奴らがいる。生きて帰れるとは到底思えなかった。


 しかし彼は、そんな理性の絶望的な声に反するように、何故か晴れ晴れとした表情を浮かべていた。


 ――自分の命と人生を、自分の好きに使っていい。それを他ならぬ自分自身が認める事が出来た。これは彼に取って初めてこの世に生を受けたに等しい喜びだったのだ。


 地面に転がる、矢の刺さった留人の死体を避けながら走る。そして、石段を登ってやってきた留人を目の前にして急ブレーキ。包丁を握る手に力を入れると、濁った目をした頭に、カツンと矢が突き刺さった。


「このドアホウ!何で外に出とるか――!!」


「ごめん!ありがと!」


 後ろを振り向き、ベランダに立つ坂下と鈴丘に片手で謝りながら、高台から石段を下りて住宅街にまで降りる。


 ちょうど曲がり角からぞろぞろと、こちらに向かってくる留人の群れを見つけたケイは、慌てて目の前のブロック塀をよじ登り、民家の陰に隠れた。


 塀の向こうを、留人達が通り過ぎていくのが音と臭いで分かる。何体居るのかは分からないが皆、公民館へ向かっているのだろう。


 何にせよ、外に出るにしてもギリギリのタイミングだったと、彼は自身の運の強さに感謝をした。


 屋根の上を進んで行くにしろ、当然その全てが繋がっている訳ではない。地面を這うように身を屈め、物陰に隠れながらこそこそと進んでいく。


 時々歩いている群れ。あれに見つかってしまうと、そこで終わりだ。


 心臓は早鐘を打ち続けているせいで、自分が怯えているのか興奮しているのかが分からなくなってきていた。


 勘の良い留人が一体、隠れていた彼にヨロヨロと近寄って来る。赤いリボンの制服姿。それは、ケイの隣の学校の女子の物だった。本当に都からここまで来ているなんて、嘘みたいだった。彼は静かにその留人の正面に行くと、差し出された腕を払って、左手で後ろ首を掴んだ。


 そのまま首の下から、右手の包丁を突き刺す。躊躇いは事故の元だと思い切り刺したつもりだったが、顎骨に当たったらしく上手くいかなかった。ぐいと無理に力を込めると、指の先まで傷口へと入っていく。そこで目をぐりんと回転させ、やっと彼女は倒れた。


 女子生徒の遺体の髪は、カラスの巣にでもされたのか、根本から千切られ、まばらになっており、見ていられない程に痛々しかった。手の平についた彼女の血とも体液とも分からぬ液をパーカーの袖で拭う。留人の血と体液が乾いてこびりついた服。全てが終わったら燃やしてしまおうと彼は思った。血と一緒に、人を殺した留人の罪と、それを殺した自分の罪も、燃え尽きてくれれば良いのだけれど。


 彼が遠目に祖父を見たのは、ちょうど町の中腹辺りだった。あそこには高いアンテナが立つ、駐在所がある。もしかすると、祖父達は電話機で都に応援を呼ぼうとしているのかもしれない。


 ケイは、改めて血糊で真っ赤になった包丁と手を見た。これじゃあ合流しても上手く戦えない。助けに行ったつもりが、祖父の足手まといになっては本末転倒だ。改めて自身の思慮の足り無さを笑うと、彼は通りを横切って寄り道をする事にした。後ろから低い留人のうめき声がいくつか聞こえたが、振り返りもせずに前に進んだ。


 ――約半日ぶりの帰宅だ。住宅街から少し離れた祖父の家の門をくぐり、ケイは少しホッとした気になる。まるでこの家だけは、外の惨状を全く知りもしないかのようだった。送り人の家は、きっと沢山の人の悲しみと死を見届け過ぎて、何も感じなくなってしまったんじゃないか。そう彼は思った。


「ただいま。」


 誰に言うでもない言葉と共に、ガラガラと玄関を開ける。石畳には脱ぎ捨てたままの鬼装束が置いてあった。ケイは、これを着て行けば良いのでは、と持ち上げて見たが、あまりの重量に途中でそれを断念した。ガツンと転がる鬼装束。祖父はこんなものを着ていたのかと、腕をさすりながら感心するケイ。


「お、これって……。」


 次に見つけたのは、廊下に広げられたままの腰袋だった。送り人の道具が一式入っているそれを掴みあげ、ベルトを腰に巻いてみる。袋の中から鋭く細い刃が三つ並んだ送り刀を出すと、毎朝祖父がしている構えを真似てみる。


「へへ……。」


 片方の足にずしりと乗っかる腰袋の重み。じゃらりと道具が擦れる音が格好いい、とケイは少し高揚した気分になった。


 ポンポンパラポンピポンポン

 

 ポンポンパラポンピポンポン


 その時、居間へ続くガラス戸越しに、くぐもったマリンバの音が聞こえてきた。


 ケイは、居間に祖父のスマートフォンがあった事を思い出す。彼がここに来た理由の半分は武器の入手の為だったが、もう半分の理由は、外との連絡手段を確保する為、すなわちスマートフォンを手に入れる為だった。


 もし祖父が駐在所へ向かっていたとして、有線で繋がれた電話がまだ使えるかどうか分からない、というのが彼の考えだった。


 送り刀を片手にしたまま、ガラガラと引き戸を開けた彼は、居間にフラフラと立っている数十体の留人と目を合わせた。


 その中心には、鳴り響く祖父のスマートフォン。


「……。」


 ガクガクと震える手で引き戸を閉める。足の付根がぐにゃりと力を失いかけるのを堪えて後ろを向いた。ガッシャンと真後ろからけたたましい音がする。ちらりと見ると、すりガラス越しに手や顔をぶつける留人の輪郭が見えた。


「あっ、あああ……!」


 音に引き寄せられた群れが群れを呼び、この屋敷に溜まっていたのだろう。階段から廊下から、流れ出る土砂のように現れた留人が、真っ直ぐ彼の元へと向かって来ていた。律儀に脱いでいたスニーカーを慌てて履いて玄関をくぐると、別の留人の群れが、彼を追って門から入って来ているのが見えた。


「ハァ、ハァ、フゥ……フゥ……フゥ……フゥ――。」


 玄関と門から溢れ出る留人。まるで木梨商店の時の再現のようだった。しかし、今度は彼を助けに来る英雄は居ない。


 ケイは胸を大きく上下させながら呼吸を整えると、送り刀を顔の前へと構えた。それは、覚悟を決めた男の顔であった。

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