限界集落・オブ・ザ・デッド

ロッキン神経痛

第1話 恐山

 中山間地にある町、木帰町きがえりちょうは、町民の数わずか五十四人、平均年齢七十歳の限界集落である。


 木帰町の存在する小さな盆地の中には、一面の田畑が広がっており、もし町を上空から見れば、その緑の絨毯の上にほんの数軒、民家の瓦屋根がごま塩のように点在しているのが確認出来ることだろう。


 しかし、それもほんの数軒である。というのも、この町の住民の大半は、なだらかな平地では無く、山の斜面に集って住んでいたからだ。段々に連なった家々が背後の山と一体となり、遠目に見ると大きな城のようにも見える。それがこの町、木帰町の特徴の一つであった。 


 斜面に連なる家々の上、町の高台には、町と同じく長い歴史を歩んできた古い公民館が建っている。老朽化が進んでおり、雨が降れば水が漏れ、風が吹けば身体を軋ませるその公民館。そこでは月に一度、町に住む年寄り達によってささやかな宴会が催されていた。


 この日も、座布団の間にクサムシの死骸が転がる畳の部屋の中、脚の短い折り畳みテーブルがコの字に並べられ、酒瓶やつまみを囲んだ集落の年寄り達が、何度繰り返されたか分からぬ昔話で会話に花を咲かせていた。


 寒い日が続き、早めに引き出された灯油ストーブの暖気で曇る窓辺。


 楽しげな宴会場の片隅。そこに目をやると、この場に似合わない暗い表情を浮かべ、二人話し込む老人達の姿があった。


「それで山下のばぁさん、前の会合から姿を見たもんがおらんのじゃ……」


 骨ばった身体に丸メガネをかけ、弱々しい表情を浮かべるこの老人の名は森田 勇もりた いさむ。彼は、この宴会を欠席している人物について、何か心配事があるらしい。


「山下の……トシ子さんか」


 彼の前であぐらをかき、話を聞いていた老人は、手に持った缶ビールを畳に置くと低い声でそう呟いた。彼は、頭髪こそ森田と同様、真っ白に枯れてはいるものの、齢八十八なりの見た目をした森田とは対照的に、筋骨たくましい身体と底知れぬ覇気を身に備えていた。彼が呟いたその人物の名前に対して、森田はただ頷いて肯定を示す。すると、その名前を聞きつけて近寄ってきた者が一人あった。


恐山おそれざんさん。」


 そう近寄って名を呼ぶ男に、その老人は顔を半分向けた。


「窓を、こうな、バンバン叩く音が一日中聞こえるらしいんやわ」


 男は手を前後に動かすジェスチャーをした後、一呼吸置いてからもう片方の手を口に当ててささやく。


「……もう、留人るじんになったと皆が噂しとる」


 そう言いつつ眉をしかめるのは、でっぷりと太った身体が特徴的なこの町の町会長、松島 隆まつしま たかしだ。


「きっと旦那の迎えがきたんじゃな」と暗い表情で溜息をつく松島。気付けば周囲の老人達も耳をそばだてて彼らの話を聞いており、不安げな視線を窓辺の三人へ投げかけているのがうかがえた。


「一日中、か。……確かにそうかもしれんな」


 それと同時、決意を固めたように恐山と呼ばれた老人は、置いたビールを掴み上げ、残りを豪快に飲み干して立ち上がった。そして、しんと静まり返った宴会場を一望すると、彼に集まった、すがるような弱々しい目達に向かって、酒に酔った赤ら顔を破顔させる。


「もう心配せんでええ、明日ワシが様子を見てこよう」


 そう言ったきり彼は返事も聞かず、大きな外套を背に羽織ると、集会場の襖を開けた。すぐに帰って、仕事の準備を始める為である。


「……ありがとう、こんでひと安心じゃ」


「ほんに、恐山さんには世話になりっぱなしじゃの」


 森田と松島が、そんな恐山の力強い後ろ姿を見送りつつ、胸を撫で下ろす声が聞こえた。


「いつか皆、御大の世話になるんやなぁ」


「出来たらあの人のおる内に、くたばりたいもんじゃの」


 その後、様子を遠巻きに見ていた年寄り達も口々に彼への信頼を語ると、これ以上興が乗らないことを理由にひとりまたひとりと帰り支度を始め、それをきっかけに宴会は自然と終わりを迎えた。


 暗い夜道、等間隔に並んだ街灯を頼りに町の年寄り連中が足取りもおぼろげに家路に着く。これが月に一度、木帰町で見られる日常光景であった。


 翌朝、稲刈り後の田んぼに、青々とした雑草の芽が天に向かって伸びようとしているその脇を、真っ黒な影が一つゆっくりと移動する姿が見えた。輪郭の柔らかな山間の風景の中、闇夜が突然現れたようなその影は、まるで真っ白なカンバスに垂らした一滴の墨のような存在感を示していた。


 翌年の実りを願い、自身の田んぼに籾殻を撒いていた老女は、その黒い影を見ると持つ手を休め、身体を半分に折ったような深いお辞儀をした。すると真っ黒な影はそれに軽い会釈で応えると、元気でなによりじゃ、と言って笑った。

 

 ジャラリジャラリ。


 その影が歩を進める度に鳴る、鉄同士がこすれ合わさる音がしている内は、大抵の町民達は好んで外へ出ようとはしなかった。


 当然皆、音の主が誰であるかを知っているし、その人物が全ての人々にとって、必要不可欠な尊い仕事をしていることも十分承知していた。しかし、彼の仕事が象徴するものから、皆目を背けて生きたがった。人は、都合の悪いものから目を背けるのが得意な生き物なのだ。それは、田舎特有の素朴な善性を現す木帰町民とて例外ではなかった。


 当然、その点については彼も十分理解している為、町民の感情に配慮して仕事はなるべく朝早くに終わらせることを心がけていた。


 もっとも、彼自身好き好んでこの仕事をしている訳ではなかった。たまたまその血筋に生まれ、たまたま自分以外に適任が居なかっただけのことなのである。しかし、もしも他の選択肢が選べたとしても、結局は同じ仕事をしているのではないかと彼は思い至ることだろう。彼にとっても、これは既に仕事という概念を越えた所にある特別な行為となっているのだった。


 ジャラリジャラリ。


 彼は、目元以外を覆い隠す口あてと真っ黒な鎧を身に着けていた。その隙間を埋めるように垂らされた重い鎖の鳴らす音が、朝の静けさを保つ木帰町に鳴り響いている。


 彼の身に着ける鎧は、鬼装束きしょうぞくと呼ばれていた。これは、送り人おくりびとの家系に受け継がれる歴史ある代物で、首を隠すような幅の深い兜と胸当ては、それを目にした者を、人であろうとなかろうと威圧する迫力を備えていた。


 装飾のない黒い鎧は、その重厚な見た目どおりの重さを備えており、彼以外の年寄りはもちろんのこと、例え力自慢の若者であろうと着こなすのは難しい。


 それを悠々と身にまとい、腰には仕事道具をいくつも入れた腰袋を巻き、そして大きな猟銃を肩に担ぎ歩く尋常ならざる力の持ち主。


 彼こそ、この町唯一の送り人おくりびと、恐山その人であった。


 あの宴会の後、一睡もせずに道具の手入れを朝まで行った恐山。


 木帰町を貫く通りをゆるやかに下り、町の外、田畑の間を鎖の音を鳴らしながら歩み続けた彼は、朝露が晴れ空に消える頃、その目的地へとたどり着いた。


 それは大きな木々に囲まれ、そっと隠れるように建つ二階建ての木造住宅だった。恐山が眺め見ている表札には、古木に墨で【山下】と書いてある。これが昨日、宴会で噂されていた山下の婆さんこと、山下トシ子の自宅である。


 年寄りの一人暮らしで子供はおらず、旦那は今年の初め風邪をこじらせて亡くなっていた。


 今にも崩れ落ちそうな赤茶けたトタン屋根に、玄関前にズラリと並ぶ枯れた植木鉢。それが、手入れのされていない古い家の物寂しさを一層際立たせている。


 山下氏の人柄は、物静かで人当たりが良いと評判であったが、彼女の自宅は、ちょっとしたゴミ屋敷としても知られていた。小さな家の周りには、表面が錆で茶色く変色した電化製品や、フレームの歪んだ自転車が並んでおり、その庭と同様、家の中にもゴミが詰まっているのが玄関の擦りガラス越しに見えた。


「山下さーん、おるかぁー?」


 恐山は山下家の玄関の前で、口あてを片手でずらして大声を上げたが、屋内から返ってくる声はおろか、物音一つ聞こえてこなかった。


 すると彼は、当然それは知っているとばかりに迷いなく、玄関の引き戸に手を掛けた。ガラガラと滑車の音をさせ、引き戸はその向こうにあったゴミを露わにする。


 地層のように折り重なったそれを見て少し顔をしかめながらも、恐山は玄関に半身を滑り込ませた。


 薄暗い廊下にも、二階へ続く階段にも、大小様々なゴミ袋が足の踏み場も無く並んでいるのが彼の目にも確認出来た。

 

 もう一度、彼が家の奥の方へ声をかけようとしたその時だった。彼の鼻は古い家特有の匂いに混じった、木の実のような香ばしい香りを、一瞬ではあるが捉えていた。


 その時点で、彼はあることを確信した。


 ゆっくりと口あてを元の位置へと戻すと、肩に掛けた猟銃を静かな動作で両手に構え直し、軽く息を整えた。そして今度は話しかけるような音量で、どこにいるかも分からぬ者へと声を掛け始めた。


「トシ子さん、あんた、どこにおるんや?」


 土足のまま、玄関から廊下に上がる。カツコツと、底の厚い作業靴の靴底が床板を鳴らした。彼は姿の見えない家主に許可を取るように、一つ一つの動作を声に出しつつ進んでいった。


「よおし、開けるぞ」


 そう言って便所のドアをそっと開けたが、そこには何もなかった。


「ほんなら、ここか?」


 廊下から居間へと続くガラス戸に手をかける。滑車が壊れている引き戸を引きずるように開けると、ここまでと同様、部屋一面のゴミ袋が目に映った。それと同時、独特の香ばしさが強くなっているのを感じた恐山の表情は、より真剣なものとなった。単純な暑さからくるものではない汗が、彼の額を一滴流れ落ちる。


 居間は、広さ十畳で台所を兼ねる。隣り合わせにあるのは、寝室と仏間だ。見れば、居間と仏間を分けていたふすまは取り払われており、仏間もゴミで埋まっているのが遠目に見えた。恐山は頭の中に部屋の間取りを浮かべ、人の隠れる死角が無いことを確かめる。


 彼はその職務上、町内の家の全ての平面図を頭に入れていた。しかし、ゴミに埋もれるこの家では、その知識が逆に仇となるかもしれない。ゆえに細心の注意を払いつつ、落ち着いて周囲を見渡すことに努めた。


 ――その時、部屋のどこかから小さなうめき声が聞こえた。恐山が唾を飲み込みその方向を向くと、その先には寝室へと繋がるドアが見えた。半開きになったその向こうから、かすかに漏れ聞こえている声。それに向かって恐山は小さく声をかける。


「……そこにおったか。」


 恐山は更に慎重に歩を進め、半開きになったドアに手をかけた。キィィと小さく軋みを上げて、ドアは寝室側へと開かれる。猟銃を握るその手にも、自然に力が入った。


 寝室は六畳、ドアから向かって左側の壁には大きな窓がある。頭の中でその間取りを描きながら、銃の照準の先に部屋を捉えつつ動いていく。ドアの正面には立派な桐の箪笥が置いてあり、その上にも下にも、脱ぎ捨てたように服が散らばっていた。


 寝室に入ってからというもの、恐山の鼻腔は、独特の香ばしい臭いでいっぱいになっていた。この仕事を生業としている彼であっても、いつまでも嗅ぎなれない不快な臭いだ。


 見える範囲に、死角となる箇所がないことを確認すると、恐山はやっとドアを背にして中に入り、そして部屋の左側に向かってその銃口を素早く向けた。するとその先にあったのは、孤独な老人の変わり果てた姿であった。

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