第7話 蚕食

 ケイは、木帰町は悪くない町だと思っていた。


 集落の人達は皆親切で、若者が珍しいのかあれこれ世話を焼いてくれる。山に生い茂る草木の匂いは落ち着くし、市街では見ない変わった虫や動物達の姿が見えるのも彼には新鮮だった。


 時々、野鳥や鹿を撃つ鉄砲の音が聞こえてきたり、子供の体重くらいはありそうな重たい鍬を持って農作業している婆ちゃんがいたりもして、とにかく皆信じられないくらい元気だ。


 それまでのケイにとって、高齢者というのは手押し車を引いてよたよた歩いているか弱い人間で、とにかく助けてあげなきゃいけない弱い存在だった為、そんな木帰町民の姿は衝撃的であった。


 ロクと町内を並んで散歩するのも結構楽しく、別に全てがなんてことはないけれど、何も無い町だからこそあらゆる発見があった。そして、何もないからこそ気持ちが楽なんだということに彼は気づいていた。


 ケイが祖父のところへ転がりこんで早一ヶ月。


 祖父は最初こそ、あれこれ事情を聞いて来たが、彼の母からの手紙が来てからは一切そこには触れなくなった。しかしそれは、彼の母が自身を腫れ物のように扱う風ではなく、「そうか、それなら好きにしろ」とでも言うような、彼にとってちょうど良い距離感だった為、ケイは祖父と暮らすことにどこか心地よさを感じていた。


 退学届を校長に出した時、彼は世界のどこにも自身の居場所はないと思っていた。


 別にいじめられていた訳でも、勉強について行けなかった訳でもない。家庭環境も、そんなに悪くはなかった。しかし、どこへ行ってもケイの心は孤独だった。


 毎日毎日、舗装された道を眺めながら歩いて通うだけの、面白いことなんて何一つ起きない日常。無味乾燥な学生生活。あれだけ沢山の学生が居て、彼はどの場面でもずっと一人ぼっちだった。


 孤独というのは、流れていく川の表面から覗く石みたいなものだ。そうケイは、自身の境遇について度々考えた。


 目に見えない流れから一人ポツンと取り残されて、それ以上身動きが取れなくなってしまう。彼の体内に流れる八分の一の普通ではない血。それが人生に重しとなり、流れに乗ることを邪魔してくるのだ。


 母は息子の人との違いを認めたくないのか「思春期だからね」の一言で片付けようとするけど、そんな単純なものでは理由の付かない不足感と疎外感に、彼の心の穴は日に日に大きくなっていった。しかし、そこに理由を求めた所で誰も答えてはくれないことも、同時に彼は理解していた。川が理由なくそこに流れるように、石の孤独な運命にも理由なんてないのだ。


 彼にも最初は、もっと皆と仲良くし、それなりに青春してそれなりに楽しく生きていこうという気もあった。けれど彼の級友たちは皆、上面の笑顔だけで彼と接し、必要最低限の会話以上に踏み込んで来る者はないのだった。送り人の子孫をあからさまに特別扱いする教師も多かった為、疎んじられ、腫れ物のような存在となっていた。


 高校三年になった年の夏。皆が受験の最後の追い込みをかけている最中、彼だけが朝廷政府から来た役人と校長との三者面談をした。


 校長室に入ると、政府のバッジを付けた偉そうな太ったオッサンが、偉そうな椅子に座って、いかにも偉そうなオッサンという態度丸出しのまま、顔から偉そうな、イヤミで高慢な性格をにじみ出させてケイを見た。


 ヘナヘナ髪の校長は、その偉そうなオッサンに気持ち悪いくらい腰の低い態度でへこへこと頭を下げており、偉そうなオッサンとそれに媚を売るオッサンが同じ鍋の中でコトコト煮詰まっているという、ケイの最も嫌う状況がそこに広がっていた。


 コトコト音を立てる二人の醜悪な具達は、彼の前で顔色と言葉を七色に変えて、彼の力を政府の為に使うことの承諾を迫り、「はい分かりました、言うとおりにします。」の一言を引き出そうとしてくるのだった。


「君の親御さんもきっと喜ぶだろう」


 ペンと共に誓約書なる紙を差し出されたケイ。


 絶句している彼の前で、全てを知り尽くしたような顔で微笑むオッサン達。そこには、彼の意志など最初から反映されていなかった。


 彼の人生を、彼ではない何かの為に利用するプランを堂々と話し合うその姿。この世で最も醜い何かをそこに見て取ったケイは、初めて自身の為に行動することをこの時決めたのだった。





 ――ケイは冷たい空気を吸い込んで、家の前のあぜ道を半履きになったスニーカーでパタパタ走って道路に出た。都道のアスファルトは田舎までは整備されてないらしく、あちこちにヒビが入り、隙間から伸びた草花が揺れていた。


 木帰町は、山の斜面に広がる町だった。道には傾斜がついていて、走ると勢いがどこまでも出る。歩いている途中でケイは、道端でたむろしているお婆ちゃん達に声をかけられた。


 手ぬぐいを頭に巻いた彼女らは、小さな袋に包んだ琥珀色の飴をくれた。どうやらこの町じゃ、高校生でもちびっ子扱いらしい。彼が飴を口に含むと、人工甘味料の味ではない優しい甘さが口に広がった。聞けば、彼女らの手作りの品らしい。


「へえ飴って作れるんだ……知らなかった」


 木帰町の一番端には、この町の顔を自称している木梨商店と呼ばれる店がある。町で唯一、都製みやこせいの物が買える店だった。


 商品は、パッケージされた加工食品から、ちょっと型の古い電気製品に子供のおもちゃ等多岐に渡る。


 彼が前に店に来た時には、平気で半年前の週刊誌なども置いてあった。雪が降るかもしれないという季節なのに、水着特集の組まれた雑誌を買うやつがどこにいるんだろうか。と呆れたケイは、自身の祖父がそれを買う姿を想像して一人吹き出した。


「そんなもん、ワシが読みたかったからに決まっとるだろ」


 店に入るなり、品選びの理由を聞いてみると、店主から単純明快な答えが帰ってきたので、ケイは思わずなるほどと、漫画のように手で鼓を打った。とにかくここは木梨商店の店主である木梨の気分次第で商品の品ぞろえがガラリと変わる、ちょっと変な店なのだった。


 また、ある意味当然ではあるが、山の完全自給自足生活と市街地の他力繁栄生活では生活スタイルが全く異なる為、商品はいつも売れてはいなかった。


「で、また今日も冷やかしかケイ坊」


「冷やかされるだけマシでしょ、今日は何人お客さん来たの」

 

 ケイがそう言うと、木梨は自慢げに指を一本立ててから、彼の方にその指を向けた。俺だけかーい!とケイがツッコミを入れると、木梨は楽しそうにころころと笑い、お茶を出すから飲んでいけと言う。これがここ最近の、彼等の決まったやりとりであった。


 ケイは、店の奥で茶をご馳走になりつつしばらく世間話をした。木梨は、彼の祖父と歳が近いらしく、ケイの顔を見る度に若い頃とそっくりだと言った。すると彼は、その度に決まった台詞で返すのだった。


「それって歳をとったらLLサイズの服を着るってことでしょ。辛すぎる」


「取り揃えておいてやろう」


 実際、それを暗示するかのようにケイの膝はいまだ成長期であるかのようにしばしば痛んだ。


 木梨とこうして茶を飲む度に、ケイは祖父達の若い頃の思い出話を聞き、この町の過去を知っていった。しかし、ある程度古い時期の話になると、何か大きな出来事があったらしく、木梨は毎度辛そうな顔をした。どうやらこの町でも送り人は普通じゃいられなかったという話らしい。


 その中でケイは、自身の祖父 恐山が、町の人に半ば崇拝されていることを知った。特に高齢な町民の中には、祖父を名前ではなく、アラヒトガミ様と呼ぶ者も多いらしかった。


 そんな木梨との長話が、亡くなった山下の話に差し掛かったあたりで、彼はやっと、外に出た本来の目的を思い出した。


「あっそうだ、木梨さん。味噌ってある?」


「はあ、味噌?そんなもんわざわざ買いに来たのか」


 呆れたなとわざとらしく手を顔の横に上げる木梨。一応店には置いてはあるが、田舎では味噌は自宅で作るのが普通である為、まさか買う人間が出るとは思っていなかったらしい。棚の奥から一度パッケージを手にした後でそれを戻すと「少し待ってろ」と障子を開けて奥へと消えていった。


 ケイがしばらく一人でボーッとしていると、外から聞き覚えのある犬の吠える声が聞こえてくる。見れば、木梨商店のガラス戸越し、斜め向かいの酒屋の前に立っているロクの姿があった。


「はあ、何を興奮してんだか……」


 二、三度吠えた後、ロクは町の外へそのまま走っていってしまった。小さな体のどこにあんな元気があるんだろうか。彼がそんなことを思っていると、木梨が店の奥から帰ってきた。手には大きめのタッパーを持っている。


「ほれ、これ持ってけ。ウチの母ちゃんの手作りじゃ」


 ケイが中を見ると、そこには茶色い味噌がぎっしりと詰まっていた。聞けば、冷蔵庫にあるものを丸ごと持ってきたのだという。


「これ、全部いいの?」


「おうよ持ってけ泥棒」


 そんなやり取りで味噌を手に入れることが出来た。きっと後で奥さんに怒られるだろうから、必要な分使って後で返しに来てやろう。とやたらと自慢げな顔の木梨の前で、ケイはそう思った。


 彼はタッパーの入った白い紙袋片手に木梨商店を出る。天気は相変わらず曇り空で、外はすこぶる寒かった。しかし家に帰ってコタツにさえ入れば世はことも無しだ。手に吐息を吹きかけつつ、ケイは坂道を登り帰ろうとする。


 遠くでは、相変わらずロクが吠えていた。それも、ちょっと尋常じゃない吠え方をしていた。もし人に迷惑をかけていたらまずいな。そう思った彼は、飼い犬を連れ帰る為に方向転換すると、一度を坂を下ることにした。


 町を貫く都道を下へと歩いていくと、ゆるやかな坂道の向こうからロクが全速力で駆けて上がってくるのが見えた。鼻を小さく鳴らし、耳はぺたんと下げている。


「ロク、どこいくんだ?」


 とりあえず話しかけてみるが、ロクは脇目も振らずそのまま横を通り過ぎて町の方へと駆けていった。


「冷たい奴」


 ケイが口を尖らせ呟いてると、犬が逃げてきた方向に人影が見えた。


 最初は一人二人、その後からぞろぞろと、坂の向こうから頭を上下させて人が歩いて来る。


 それは、かなりの大人数だった。


 団体の観光客だろうか。


 こんな田舎町に?


 もしかすると軍の演習かもしれない。


 ケイはそこにもっともらしい理由を付けようとする。


 ――いずれにせよ、人見知りなロクが吠える訳だ。あいつ、僕に初めて会った時すら噛み付くんじゃないかって勢いで威嚇してきたからな。きっとこんなに沢山の人を一度に見たのは初めてだったんだろう。


 そうやって彼は、彼の中にくすぶる不安に蓋をしようとしたが、結局それは叶わなかった。


「いや、これ絶対おかしい」


 軍の演習にしては、歩き方に統率が取れてないし、服の色も明るすぎる。


 観光客だって?


 畑と田んぼ以外、何にもないこの町に?


 何よりも変なのはこの……臭いだ。


 空気中に充満する悪臭に、思わずケイは鼻をふさいだ。


 冷たい風がその鼻腔へと運ぶのは、嗅ぎ慣れない香ばしさ。


 そして遅れてやってくるのは、魚の腐ったような臭い。


 ああ、ここまできたら流石の俺でも分かる。


「こいつら、留人の群れだ」


 やばい……やばいやばい、何がやばい?とにかく超やばい、やば過ぎる。生まれて初めて、生で留人を見た。しかもあんなに沢山、群れで。異常。あり得ない。普通に全国ニュースに出る。いや、都兵が出動するレベルだ。


 目の前の現実を認めてしまったケイは、ひどく混乱した。


 心臓が飛び出そうなくらいバクンバクンと鳴り、まばたきと呼吸を忘れる。


 やばい、やばすぎる。いや待て、ただ立ち尽くしてる場合じゃない。早く、早く誰かに知らせないと。異常な数の留人の群れが、木帰町の目と鼻の先まで来ているってことを。


 あまりの衝撃から歩き方すら忘れた彼は、震える膝を励ましつつ来た道を戻り、町で最初に目に入る建物へ、つまり木梨商店の中へ駆け込んだのだった。

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