第10話 惜別
恐山が刀を振ると、留人の頭はそのまま身体に別れを告げて、髪を振りながら地面へ転がった。近寄って来る留人をそのまま袈裟斬りにし、刃に付いた血を腕の一振りで弾き飛ばす。
天高く構えた長刀は、鬼装束と同じく父から受け継いだ業物であり、名を
恐山が最初に聞いたのはロクが吠える声だった。それは、まるであの夜のような異常な吠え方だった。恐山は大急ぎで甚平に下駄履き姿で表へと出て、そこで木梨の放送を耳にしたのであった。
留人の群れがすぐそこまで来ている。その一語を聞いた彼は、慌てて踵を返して下駄履きのまま家に上がると、床の間の刀を掴んで一目散に木梨商店へと駆け出した。鬼装束を身に着ける余裕は無く、頭の中は使いに行かせたケイの顔でいっぱいであった。
町の入り口付近にまでたどり着くと、既に留人がそこら中を歩きまわっていた為、民家の屋根によじ登り、屋根伝いに歩を進めた。
ようやく酒屋の屋根に辿り着き、物音がする方を見てみると、なんとすぐ真下に留人の群れの中で尻餅をついているケイの姿が見えるではないか。そこで慌てて飛び降りると、手元から青い閃光を走らせたのだった。
小気味の良い音と共に、切り伏せた留人の死体が彼を中心に円を形作った。助けに来た祖父の姿を見て、感情の堰が壊れたかのように泣きじゃくるケイ。その身体に咬み跡がない事を素早く確認すると、やっと安心した彼は周囲の留人を睨めつけた。
地面を這う留人の頭に刃先を突き差し、近寄る留人を一人二人と袈裟斬りにしていく。
「ごめん、爺ちゃん……」
「泣き言は後で聞いたる。ほら、立てるか」
ケイは腰を打ちつけたらしく、一呼吸置いて恐山が差し出した大きな手を取って、やっとの事で立ち上がった。ふらふらと足元のおぼつかないその様子を見た恐山は、すぐさま刀を片手に持ち変えると、空いた方の腕で大きな孫を抱きかかえて自身の肩口へと乗せる。
「木梨さんを……助けなきゃ……」
それは求める理想と厳しい現実の間をフラフラさ迷う若い心がそのまま表れたかのような、どこまでも弱々しい声だった。耳元から聞こえる孫の声に心を痛めた恐山は、木梨商店の方を見上げる。そこには青白い顔をして、窓から今にも乗りださんばかりの木梨の姿があった。
「その子は無事か!?」
木梨の問いかけに対して、恐山は大きな頷きによってケイの無傷を知らせた。するとパッと顔を明るくした木梨はもう一度大きく叫ぶ。
「後を頼む!」
恐山に力強くただそれだけを伝えた彼の口元には、笑みさえ浮かんでいた。それはケイの優しい思いとは裏腹に、助けを求めるか弱い老人のそれではなく、ここで死ぬ覚悟を決めた男の顔であった。
「頼まれた!」
そう言って刀を持つ手を掲げる恐山。ただそれだけのやり取りの中で、老いた目と目は無言で長年の感謝と別れを告げ合った。見張り役と送り人。生まれた時から死者と関わり続ける事を約束されていた彼らは、圧倒的な現実の前で露わになる人間という個のちっぽけさ、自分達の無力さをどこまでもわきまえているのだった。
友と別れ、葬鬼刀を構えた恐山は、まず恰幅の良い大きな留人の腹に思い切り蹴りを入れた。腹をたわませた留人の身体は砲弾のように飛び、その背後の何人かを巻き込んで倒れる。そこにわずかばかりの道が出来た。生まれた活路を、恐山は刀で斬り開く。近寄る留人達を手前から斬り捨て、じりじりと前へと進んで行った。
【何しとるかこっちじゃ死人共! ここに、ワシは、おるぞ!】
拡声器からは、木梨が二人を逃がす為に注意を引きつけようと滅茶苦茶に叫ぶ声が聞こえていた。
留人の側頭部を刀の柄で殴りつけ、恐山が木梨商店の方を最後に振り向いた時、そこには木梨の声に群がる留人の波と、集落に続々と到着する新たな留人達の姿が見えた。
恐山はその光景に、今一度背筋が凍る気持ちになった。この平和な時代に、少なくともこれだけの数の人間が死んで、そのまま何の処置もされずにいるのだ。何か、この国を大きく揺るがすような一大事が起きたことだけは確かだった。
だがしかし、今は留人の海から岸へと帰る事だけに集中しようと、彼は血で赤黒く染まった視界を腕で拭った。
◇
――高台へと続く、細かな石段を登っている途中、ケイが身体を震わせ押し殺すように涙を流している事に恐山は気付いた。
随分と遠くなってしまった友の声が、何度も反響して町に響いていた。未だそこに一人残り、必死に呼びかけている彼の事を考えると、ケイにつられてか恐山の頬にも涙の一滴が零れ落ちた。彼はその涙を乾かすように少し目を瞑った後、ゆっくり顔を上げて、木帰町公民館のドアを叩いたのだった。
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