愛すべきを愛せないなら風呂につかれ

 現在、深水は1歳9ヶ月の長男と生後4ヶ月の次男を一人で風呂に入れなければならない日々を過ごしている。夫の帰りは遅いのだ。

 子どもたちの世話がひと段落し、いざ自分が風呂に入る番になっても、なんだか泣いている気がして落ち着かない。シャワーの音が泣き声に聞こえるのだ。


 そのせいか、心にゆとりがないと感じることが増えた。毎日の禊ぎ、つまりリセットがうまくされていないようなのだ。


 そういうとき、深水が決して観てはいけないのは寅さんである。

 ご存じ、国民的人気映画『男はつらいよ』の主人公だ。明朗でまっすぐな人柄であり、多くの日本国民から愛されているといえよう。映画を観たことがなくても寅さんだけは知っている人も多いかもしれない。


 しかし、深水はこの愛すべき男を素直に愛せない。むしろ生理的に受け付けない。なにせ本当に身近にいたら嫌である。家族や親戚なら尚更である。


 思えば、『サザエさん』もアニメや漫画だと気にならないのに、映画やドラマなど実写化すると一気に鼻につく。寅さんと同じく、サザエさんも愛すべきキャラクターだが、実際に身近にいたら困るタイプである。


 しかし、何故に実写だと嫌なのか。


 それは人間が演じることでリアリティが増すからだと思っている。『本当にいたら嫌だ』という拒否反応が濃くなり、深水の許容範囲を超えてしまうのだ。

 寅さんとサザエさんは天真爛漫といえば聞こえは良いのだが、自己中心的でがさつで騒々しく、なにせ面倒にしか思えない。特に寅さんは様々なコンプレックス丸出しなのが幼稚にも見える。


 しかし、寅さんのような不器用な人でもいきいきと暮らせる居場所があったのが、あの時代の良さだ。サザエさんでも同じことがいえるだろう。

 みんな少しずつ譲り合って他者を受け入れる心のゆとりがあった。どんなにお騒がせな人にでも良さを見出すことができた。そこには人間のあたたかさがあったのだ。


 むしろ、一見すると迷惑な人たちだからこそ、愛すべきなのだろう。

 彼らははっきり言ってしまえば人騒がせである。しかし、だからこそ離れるとやたら静かで寂しくなる。次第に気になって、あの騒々しいまでの賑やかさが恋しくなる。両作品ともその塩梅が絶妙なのだ。


 愛すべきを愛せない。しかし、無関心でもいられないし、実のところ心にゆとりがあるときは「仕方のない人だねぇ」と苦笑いを浮かべつつ寅さんを観てしまうのだ。


 深水に、脳内から話しかけてみよう。ほんの数分でもいいから湯船に鬱憤を溶かしてみたらどうだい、と。またたびにとろける猫のように、身も心も放り出す瞬間があってもいいのだ。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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