北海道ブランドよ、永遠なれ
深水の生まれは山形県であるが、北海道での暮らしが一番長い。そのせいか故郷というと北海道を思い出すのである。
スーパーに行っても、『北海道産』という文字にからきし弱い。
北海道に住んでいるときに『北海道産』などという文字を見ても「ありがたみがない」と醒めていたが、群馬に移住してからは打って変わって北海道産に食いつくようになった。
群馬県の地元に1787年から続く老舗醤油屋がある。
そこで使われている大豆は深水の実家がある北海道の街で生産されたものだと聞き、その店を贔屓にすることを即決した。
北海道産にこだわるといえば、なんといっても米である。深水の息子は北海道米で育っている。茨城や新潟、秋田など他の産地には目もくれず、多少高くても北海道米を選ぶ。
地産地消したい気持ちはある。だが、そもそもスーパーに行っても群馬産の米はとんと見かけないのだ。群馬は小麦のほうが有名で、米も作っているがほとんどが自家用だろうと夫は言う。
深水はブランドにまったく興味が持てないたちなのだが、北海道ブランドだけは別である。北海道産小豆使用、北海道産生乳使用といった謳い文句にとんと弱くなった。
群馬での暮らしの中で、北海道との違いを感じるたびに思わず「北海道はこうだった、ああだった」と口にして驚いてしまう。
あまりにも「北海道は」と口にしていたのだろうか、一度だけ夫に「もう北海道を忘れたら?」と言われたこともある。それを聞いて深水は「これだから故郷を離れたことのない人間は」と返してやった。
忘れようがないのである。
皮膚の下まで染み込んだ感覚はなかなか上書きできるものではない。気候、路端の植物、旬の食べ物、方言、しきたり、様々な事柄で違和感を覚える。その摩擦がなくなるとき、やっと群馬に慣れたと言えるのだろうが、それでも故郷は忘れるものではない。忘れたつもりでも意識のどこかにこっそり身を潜めているものだと思う。故郷を遠く離れてしまった者は、その時点で故郷が特別なものになるのだ。
深水は北海道を離れて3年は過ぎているが、それでもまだまだホームシックになる。おそらく逃避の意味合いもあると思う。目をそらしたい、息苦しい出来事があるたびに、思わず北海道に帰れたらと願ってしまう。群馬に本当の意味で根付いてはいないのだ。
さて、今宵はここらで風呂を出よう。
猫が湯ざめをする前に。
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