林檎をくつくつ煮る夜に
毎年、冬のはじめになると、深水の父から林檎が届く。
林檎は深水の生まれた山形県のものだ。何年も送ってくれるので、林檎の匂いを嗅ぐと「あぁ、冬がきたな」としみじみするようになってしまった。
ところが、深水は生の林檎の食感が苦手である。かじったときの『シャリ』っとしたあの感覚が、黒板を爪でひっかいたときと同じように嫌なのだ。
そこで、林檎を煮るのが彼女の冬の習慣になった。
今年は砂糖を焦がしてカラメルになったところに薄切り林檎を加えて煮る方法を知ったので、それにバニラアイスを乗せたりもした。水はいらない。林檎の水分だけで煮るのだ。砂糖の焦げた風味がアイスと絶妙に合う。
そのほかはジャムにするのだ。鍋に砂糖、レモン汁、水を入れ、角切り林檎を加えてコトコト煮る。林檎は薄切りにして食感を楽しんでもいいし、すりおろしても作れる。今年は息子のために砂糖控えめだ。
大きな箱に二段も詰められた林檎は、深水には量が多すぎる。夫はあまり果物を食べないし、息子はまだ小さい。夫の同僚にお裾分けしても、林檎がなくなるのは冬の終わりである。
しかし、食感が苦手なことや量が多すぎることは父親に言ったことはないし、これからも言うつもりもない。ただ「ありがとう。今年もいい林檎だね」と、礼を言うのだ。ちょっと大げさかなと思うほど、表情豊かな声で。
すると、電話の向こうの父は、いつも照れ隠しのつもりで「そうか? あんまりいい出来じゃなかったんだけどな。そうか、そうか」と決まって同じことを言うのだ。
愛情を示すのが下手な父の精一杯の形が林檎だったという、それだけの話なのだから、それでいいのだ。世の中には、家族相手でも言わなくていいこともあるのだと思う。
子どもたちが寝静まった時間、深水は林檎を煮る。
たちのぼる湯気に鼻先を湿らせながら、北海道に住む両親は雪かきに追われているだろうかと思いをはせる。
くつくつという音を聞きながら、育児中は一人の時間が欲しいなんて思ったこともあるけれど、こうして弱火でじっくり林檎を煮る時間くらいはあるもんだと思う。
そして、甘い匂いをした黄金色のジャムに、故郷に帰りたいと願う。
しかし、実際には山形に帰っても何もないと思うだろう。思い出はあれど、今あそこに残っているのは、林檎がジャムになるように姿を変えてしまったものばかりだ。
本当に帰りたい場所は、箱に張り付いたままの伝票にある、差出人の住所なのだろう。
深水がそんな風に故郷に思いをはせるときは、日々の中で空気穴が欲しいときだ。だから、林檎を煮たあとは湯船につかるべきだと私は脳内から呼びかける。
『傷んできたら林檎風呂にするというのはどうだろう』
今度、そう声をかけてみよう。
さて、今宵はここらで風呂を出よう。
猫が湯ざめをする前に。
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