おめぇ、俺を殺す気か
夫の祖母、おマサさんは伴侶に対してあまり優しい人ではなかったらしい。
なんだかんだ文句を言いつつ世話はするが、その文句というのがここに書けないほど口汚い。
ここではおマサさんの夫の名をヒロキさんとしておこう。
ヒロキさんは葬式で「酒さえ飲まなきゃいい人だった」と参列客全員に言われるほど、飲んべえだった。
ある日、いつものように湯飲みで焼酎を飲もうとしたところ、水が入っていた。捨てるのも面倒なのでそのまま焼酎を注ぎ足して飲んでいると、台所からおマサさんが来てしれっとこう言った。
「じいちゃん、その湯飲みにハイター入れといたんだけど」
おマサさん、茶渋を取るために晩酌用湯飲みに、漂白剤を入れておいたのである。
普段通り飲んでいたはずのヒロキさんは、それを聞くなり「げぇ!」と何度もむせ、しまいにはおマサさんに「おめぇ、俺を殺す気か!」と怒鳴った。しかし、おマサさんはどこ吹く風という顔で笑っていたそうだ。
夫の父親、つまり深水の舅が幼い頃のことだ。
ヒロキさんと連れ立って畑に出かけたおマサさんが、お昼時に家に戻ってきた。しかし、ヒロキさんの姿がない。
「あれ、父ちゃんは?」
「ん? 知らね」
おマサさんはそっけなく言い、昼ごはんの支度を始めた。
なんだか胸騒ぎがした幼き日の舅は畑に走ってみた。すると、なんとそこには倒れているヒロキさんの姿があったのだ。
どうやら、夫が体調不良で倒れたというのに面倒に思ったおマサさんが見て見ぬ振りをして自分だけ帰ってきたらしい。
脳が原因だったらしいが、ヒロキさんは病院に運ばれ、幸いにも回復した。
意識が戻ったとき、おマサさんに再び「おめぇ、俺を殺す気か!」と言ったという。
そんなヒロキさんもおマサさんもすでにこの世にはおらず、実家の居間には二人の遺影が仲良く並んでいる。
おマサさんは見るからに「なんでお前が隣なんだよ」とでも言いたげな仏頂面で、一方のヒロキさんは「そう言うなよ」とおどけているように見える。というのも、彼の遺影は右斜め上を見てにやけているのだ。
正面をまっすぐ見ていない遺影を見るのは、ヒロキさんが初めてである。なぜ、この写真を選んだのか訊いても、おそらく誰も覚えていないか、まともな写真がこれだけだったか、そんなところだろうと踏んでいる。
ヒロキさんはおマサさんに口汚く罵られてばかりいたらしいが、並んだ写真を見る限り、割れ鍋に綴じ蓋で案外いい夫婦だったのかもしれないと思う、いや、そう思いたい深水なのであった。
さて、今宵はここらで風呂を出よう。
猫が湯ざめをする前に。
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