夏には魔力がある
深水は雪国生まれ、雪国育ちのせいか、暑さに弱い。
夏の関東はまるで風呂場を歩いているようでいつまでたっても慣れないし、肌にまとわりつく湯気のような空気にげんなりしている。
そんな深水だが、歳時記をめくると夏の季語にばかり心がときめく。そしてふと、自分は夏が好きなのかもしれないと気づく。
なにせ、夏には魔力がある。
芭蕉の『夏草や兵どもが夢の跡』を連想するのか、セミの生涯やひと夏の恋という言葉を思い出すのか、はたまたこの暑さもやがては秋の涼しさに移り変わるせいか、どこか儚い。
儚さも手伝って夏の甲子園も盛り上がるような気がする。汗が似合う季節だからかもしれない。高校球児たちのひと夏にかける情熱は、すっかり年を経て涙もろくなった深水を突き動かす。
そして夏は食べ物や飲み物も美しい。和菓子で見る寒天や葛のきらめき、氷の浮いた涼やかな飲み物の魅力たるや。
やたらと恋愛小説が書きたくなるし、夏の物語は不思議なほど筆がすすむ。暑さで心が開放的になるためか、登場人物も衝動的に動く。
夏には言い知れぬ魔力がある。
心を引き寄せ、開き、発散させる。その力が夏になると特によく働く。
しかし、そう考えている深水だが、趣深いとうっとりするのはクーラーがきいている部屋の中である。
風呂上がりのビールも飲まない。酒に弱いので、ビールなど飲むと体がほてって余計暑く感じるからだ。
暑いからこそ涼が際立つとはいえ、自分は涼しい部屋から一歩も出たくないらしい。日本の中では涼しいはずの北海道にいた頃からそうであった。
夏が好きだと言いながら、蒸し暑い夏がどこか恨めしい。人間とはかくもややこしい生き物である。
さて、今宵はここらで風呂を出よう。
猫が湯ざめをする前に。
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