良いスーパーはカートが違う

 今宵の深水は湯船につかりながら、しきりに肩をもみほぐしている。もうすぐ2歳になる長男を抱っこしながら買い物をしたせいで、肩が張っているのだ。


 深水は長男を妊娠した頃から、ネットショッピングを利用するようになった。走り回る息子を引き連れて猫砂やトイレットペーパー、徳用の洗剤を買うのは至難の業なのだ。

 重くて大きな買い物はまとめて注文し、食料品は週に一度は宅配してもらう。しかし、それでも時々は食料品などを買い足すためにスーパーへ行かねばならない。


 長男は何でも口に入れたい年頃である。目を離したすきに商品を抱えて舐め回す。特に缶詰類は毎回欲しくもないのに買わなければならない羽目になる。それもよりによって母親の好きではない缶詰ばかり持ってくるのだ。せめて猫缶なら許せるものを。

 今日もみかんの缶詰を持ってきた長男に「お母さん、どうせなら桃がいいな」と注文をつけたが、見事にスルーされていた。まだ言葉を理解しきれていない1歳児を導くのは難しい。猫に命令しているようなものだ。


 それだけならまだいい。彼は消火器が大好きで、赤い姿が見えた途端に繋いだ手をふりほどいて駆けていく。

 おまけに時間がたつとぐずり出すので、ゆっくり商品を見比べる暇もない。買い物リストにあるものを効率よくカゴに入れて無駄のない動きをしなければならない。

 もうすぐ2歳になる子どもを連れた買い物は遠足の引率をするようなものだ。なにせ息子にしてみればスーパーは見慣れぬ商品が並び、好奇心を刺激してくれるテーマパークなのだ。


 慌ただしい買い物を何度か経験した結果、深水の中にある良いスーパーの定義に新たな項目が加わった。それは『良いスーパーはカートも良い』ということだ。


 動きがスムーズで片手でも楽に方向転換がきく。それを深水は『良いカート』と呼ぶ。息子を追いかけるには、カートの動きもスムーズだと嬉しいのである。それに良いカートは大抵が清潔で、息子が手で押したがっても安心だ。


 深水が住んでいる地域には幾つかのスーパーが点在しているが、夫が『ちょっとお高めの良いスーパー』と評する店はやはりカートの動きが違う。行きたい方向にスムーズに動いてくれる。汚れてもいない。

 これがカートがうまく動かなかったり、薄汚れていると結構なストレスがかかる。そのため、この点がクリアされていると感謝のあまり多少お高くても品揃えが悪くても、許せてしまうのだ。


 誰しも自分なりの『良い』ものへの定義があるだろう。

 だが、そのこだわりや基準は他者にしてみれば「そこにこだわるの?」「そんなこと気にするの?」と、驚くことなのかもしれない。

 それは自分もどんな目で見られてどんな定義で位置づけられているかわからないということを意味する。こちらからの視点があれば、あちらからの視点もあり、思いも寄らないほうからの視点もあるわけだ。なんともきりのない話である。


 さて、今宵はここらで風呂を出よう。


 猫が湯ざめをする前に。

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