はこべの詩
20年ぶりに中学時代の同級生とSNSで再び連絡を取り合ったのは去年のことだった。
同級生は活発ではきはきした性格で、垢抜けていて、それは中学時代から今も変わらないようだった。
思い出話に花を咲かせていると、同級生は当時の深水のことをこう評した。
「いつも控えめに笑って、何か嫌なことがあっても笑顔で人に優しくて、あまり自分の意見を言うこともなくて、綿あめみたいな女の子だった」
それを聞いたときの深水は、呼吸を忘れて驚いた。謙遜ではなく、自分はそんなに良いものではなかった。なぜそんな風に思われていたのか不思議がった。そしてすぐに、自分自身に抱く『私』という概念は、見る人によって姿を変える蜃気楼のようなものだと痛感したのである。
学生時代の深水は、どちらかというと一歩引いたところで押し黙っているようなおとなしい人間だった。
同時に、世間のことに疎く、鈍かった。自分の意見を言うこともなかったというより、言えなかったのである。ぼうっとしていて、将来のビジョンもなく、周囲の友人に気後れしていた。
そして臆病ゆえに、トラブルを招くのが怖くて笑顔という処世術を身につけた。同級生はそんな深水を好ましく見てくれていたようだが、彼女自身は一歩引いたところでニコニコ微笑む自分に幻滅していたのである。本当は凛とした態度で胸を張っていたかった。けれど、現実は日陰の花であった。そんな自分がもどかしく、情けなかったのだ。
特に恋愛になるとからきしで、なんのアクションも起こさないまま黙々と片思いを何年も続け、相手に彼女ができて密かに失恋するか、ある日突然「もういいや」と吹っ切れて熱が冷めてしまうのだった。
いつかは自分も恋愛のステージに立って、スポットライトを浴びてみたい。けれど夢から覚めてみれば、いつも観客の中の一人か、そうでなければチケットもぎりのアルバイトくらいの役回りであった。
そんな彼女は、たとえるなら小さな白い花を咲かせる『はこべ』であった。
春の七草の一つに数えられるわりに、どこでも見かける地味な花だ。人によっては『雑草』としか見えないかもしれない。ひっそりと咲き、小さく、誰も気にとめることもない。
実際、彼女自身も自分が目立たず、存在感の薄い人間だと自覚していた。声を上げても小さすぎて気付かれないような、まさしく『はこべ』である。
しかし、社会人になった頃、彼女は「それじゃ時間の無駄だ」と気がついた。
思いを伝えないことは恋愛においては特に不毛であり、何も変えない。人付き合いにしても、無難にニコニコしているだけで自己主張がなければ、はこべのように見向きもされないのだ。何も声を上げなければ、そこにいないのと同じことだ。
彼女に足りないものは勇気だけだった。
一度じっくりと見てもらえれば、はこべの花がどんなものか知ってもらえるだろう。だが、その存在に気づいてもらうには、待っているだけでは枯れてしまう。そう思った途端、彼女の中に向こう見ずにも見える思い切りが生まれた。
彼女がその境地に達したのは、周囲に個性的でアクティブな人たちが不思議と集まるせいもある。深水は自分を地味だと自覚しているのに、鮮烈な強さを持つ人たちがいつしかそばにいるのだ。
群馬に来た今も、そうだ。小姑であるコハルさんなどは毒舌で強烈なおマサさんのDNAを一番受け継いでいる。
そういう人たちの姿を見ると、背中を押される気がして心強い。はこべはどんなに強気に出ても死ぬまではこべなのかもしれない。けれど、薔薇や百合の夢を見ることはできるし、その香りに誘われて勇気をもらえることもある。
そういえばコハルさんは某ハンバーガーショップのドライブスルーに自転車でトライしたことがあるらしい。「バカだねぇ」と言われそうなことに大真面目に突っ込める思い切りの良さは、はこべには小気味よく思えるのだ。
同時に自分にはそんな度胸も発想もなく、あくまで自分がはこべだと再認識させられる。だが、夫は言う。
「それでいいんだ。むしろ、そのほうがいいんだ」
さて、今宵はここらで風呂を出よう。
猫が湯ざめをする前に。
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