その痛みを私はまだ知らない
知人が「母の体調が悪い。もしものことがあったらどうしよう」とツイッターで呟いていた。
深水の両親は健在である。
母は2度目のガンの手術をしたものの、経過は順調だ。なので、親をなくした悲しみをまだ知らないが、なくしそうな絶望感と不安だけは知っている。
知人の呟きに「わかる」と思ったものの、声はかけなかった。誰に何を言われても不安は根本的に消えない。普段はなりを潜めても、常に心の隙間に潜み、ふとした瞬間に襲いかかってくる。
群馬に嫁ぐとき、周囲の人々は「すごい覚悟だね」と驚いた。しかし、深水が覚悟したのは「親の死に目にあえないこと」だけであった。
深水が十代後半の頃、母の父、つまり祖父が死んだ。
当時、深水と両親は北海道で暮らし、祖父は山形県にいた。母も親と離れて暮らしていたのである。
母が訃報を受け取ったのは早朝のことだった。
彼女は目に涙をため、寝ている深水を起こし、いつもと変わらない静かな声で言った。
「おじいちゃん、死んだって」
それは「今日、日曜日だって」とでも言っているかのような、落ち着いた調子だった。深水は頭が真っ白になり、ほとんど無意識だったが、幼子に語りかけるようにこう返した。
「泣きなさい」
母はまるで少女のように「うん」と頷き、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら部屋を出て行った。
深水はまた横になりながら、ぼんやりと『母が泣くのを初めて見たな』と考えていた。実感がないせいか、悲しみが湧いてこない。まるでフィクションのようだった。
今になってみると山形から北海道に引っ越したとき、母も深水と同じように親の死に目にあえないことを覚悟していたのかもしれない。それくらい、あの朝の母は取り乱すこともなく、静かだった。
そしてこうも考える。空港で群馬へ向かう深水を見送ったとき、搭乗口へ向かう娘の背中に覚悟を見て取っただろうか。
深水の前夫も早くに父親を亡くしている。前夫が二十代の出来事だった。いつものように「いってきます」と家を出て、無言の帰宅をしたのだ。心不全だったと記憶しているが、勤務中に職場の水飲み場でうずくまっているところを見つけられたそうだ。そのときにはもう意識はなかった。
彼は母親と折り合いが悪かったが、父親を敬愛していたためになんとかバランスを保っていた。あまりに突然の別れにより崩れた家族関係の反動は大きく、彼の価値観や人生観までも変えてしまった。もし、彼の父がまだ生きていたら、深水は前夫と別れなかったかもしれないとさえ思う。
死とは避けられないものだ。
両親が他界したとき、もしかしたら取り乱すかもしれない。けれど、母と同じように静かな声で子どもたちに訃報を伝えるのかもしれない。
そんな不安を抱える深水に、夫は言う。
「おマサさんに『ばあちゃん! じいちゃんが危篤だよ。早く来て!』って電話したんだ。そうしたら『明日行くからいいんだ! 父ちゃんには言ってあるから!』って言われたんだ。危篤なのに、明日って言うんだよ。インパクトが凄すぎてそのあと記憶がない」
伴侶の危篤にも動じないおマサさんの逞しさに少し勇気をもらった深水であった。
さて、今宵はここらで風呂を出よう。
猫が湯ざめをする前に。
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