7. 幻獣の森の経済学者 -The Mistress of Walikng Armours-

「その、これから、どうするおつもりですか?」

 ラケシスが訊く。少し俯いている。彼女には珍しく、はっきりしない口調だった。

 村を取り戻した翌朝だった。一晩、村の宿で休息を取った後、朝一番でまた湖の小島の洞窟に来ていた。すると、変わらず出迎えたのは白妙の竜姫だった。

「今までと変わりません。私はこれからもここで暮らしていきます」

 洞窟の中は変わらず白く光り輝いていた。巨大な竜がその中で鎮座している。尾がゆっくりと揺れていた。

「その、ダルムシュタットの村長は……」

「パピスが務めるでしょう」

 ジプソフィラは変わらぬ口調でそう言った。

「そう仰いましても……」

 ラケシスがもごもごと言う。視線が上がってこない。前髪が顔にかかっていた。

「特に混乱は起きないでしょう」

「……え?」

「何しろ、パピスは妖魔聖戦からずっと、村長を続けているのですから」

 ジプソフィラはそう言った。少し声が揺れている。笑っているようだった。

「これからも、ダルムシュタットと幻獣の森の関係は続くでしょう」

「……そう願います」

 ラケシスは気を取り直すように肩で一度大きく息をしてから、小さく微笑んで言った。ジプソフィラも小さく頷いた。

「今の、ウォーキナーマと幻獣の森の関係を作ったのは貴女ですね?」

 フィルは思いきって訊いた。

「ええ」

 白い竜は短く肯定した。

「妖魔聖戦。妖魔の王が現れ、この一帯の勢力図は大きく書き換えられました。跋扈する妖魔たちによって蹂躙されたのは人間だけではありません。この森に棲む、多くの幻獣も殺されたり、棲み家を追われたりしました。さすがに私に襲いかかろうとする妖魔は多くありませんでしたけれど」

 ジプソフィラは目を閉じた。

「やがて、人間たちが反攻を開始しました。はじまりの七人、と呼ばれる一団が中心となりました。彼らは妖魔王を倒すことを目指し、それはある程度達成されました。そしてこのルサンと呼ばれる地は、妖魔の支配から解き放たれた。人間は街や村を作り直し、急速に復興すると予測された。しかし……」

 ジプソフィラは一度、鼻から息を吐いた。嘆息しているかのようだった。

「群れることを知らない幻獣は、かなり数を減らしていました。そして、ご存じの通り、幻獣とは人間からも狙われることが多い。このままではこの森に棲む幻獣のほとんどは滅んでしまう。それは火を見るより明らかでした」

 フィルたちは黙ってジプソフィラのことを見上げていた。聡明な、心優しい森と村の主を。

「私が独力で幻獣を守ることも出来ました。しかし、私とて万能ではない。目の届かない箇所も出てくるでしょう。それに、とても強力な人間に、私が打ち倒されるかも知れない。もし、私がこの森で人間を殺し続けていたら、遅かれ早かれそうなったはずです。力による排除は、かならずその反動を受ける。武力をもって相手を制する者は、より強力な武力による支配を受け入れざるを得ないのだから」

 ジプソフィラはそう語った。学院での講義のようだった。

「継続的な仕組みが必要でした。人間と幻獣が手を取り合える、双方にとって有益なシステムの構築こそが、この森を平穏に保つことが出来る」

「だから、人間が幻獣を守るという構図になった?」

「ええ。そしてその試みは上手くいっていました。今回の事件が起こるまでは」

 白い竜は顔をぐっと下げた。

「結局、自然の摂理が絶対ということなのかもしれません。強き者は生き残り、弱き者は死に絶える。生き残った者がまた分化し、新しい世界の仕組みを作っていく」

「……」

 フィルは何も答えられなかった。

「未来がどう変化していくかは、私には判りません。この森も、村も、この国も、如何様にも変化しうる。現状では、ウォーキナーマの仕組みは正解かもしれない。けれど、百年後もそうであるという保証はない」

 ジプソフィラはそう言ったきり、口を閉ざした。何事か考えているようでもあったし、ただ眠っているようにも見えた。

「貴女は何ですか?」

 ラケシスが、突然問いかけた。

「私は竜です」

 ジプソフィラが答える。

「悠久の時を生き、世界を見守る者」

「いいえ」

 ラケシスは真っ直ぐにジプソフィラを見上げた。

「貴女は幻獣の森の主であり、ダルムシュタットの村長。そして」

 ラケシスは胸を張って告げた。

「この地を守る者」

 ジプソフィラは何も答えなかった。

 ただ、小さく頭を垂れた。

 その姿は、

 とても美しく見えた。

 フィルはしばらく、呼吸をするのも忘れてその光景を見つめていた。

 しばらくたって、ジプソフィラは頭を戻した。

「ユニコーンから話があるそうです」

 ジプソフィラはそう言って、首を振った。その巨体の後ろから、二頭の純白の幻獣が姿を現す。一頭は角が生えていて、もう一頭は大きな翼を広げていた。

「ラケシス。貴女はペガサスを探しにこの森まで来たのですね?」

「はい」

 すこしくぐもったユニコーンの言葉にラケシスは頷いた。一瞬、ちらりとペガサスに視線を走らせる。

 ペガサスはユニコーンと異なり、言葉は喋れない。黒目がちの目がラケシスのことをじっと見つめていた。

「この子、ヴィアナが貴女とともに行きたいと言っています」

「……本当ですか!?」

「はい」ユニコーンはじっとラケシスの方を見た。「まだ若いですが、しっかりした子です。この子に、森の外の世界を見せてあげてください。そしていつの日か、この森にその経験を持ち帰って欲しい」

「はい!」

 ラケシスはおずおずとペガサスに近づいた。首筋にそっと手を伸ばす。ペガサスは小さく身じろぎをしたが、すぐに頭を彼女に近づけた。

 ラケシスの右手が、ヴィアナの首筋をそっと撫でる。ヴィアナは少し目を細めた。ラケシスがぱっと笑顔になる。

「よろしくね、ヴィアナ」

 ヴィアナはラケシスの胸に顔をこすりつけた。

「さて、フィラルド」

「……はい」

 突然ジプソフィラに名前を呼ばれ、フィルは顔を上げた。

「貴方は、白い鱗を持った者を知っていますね?」

「白い、鱗?」

「ええ。白い、竜の鱗」

 ジプソフィラは頷いた。それだけで風が起き、フィルの髪を揺らした。

「剣聖と呼ばれていた、黒鴉の民の末裔……」

「それは」レティシアが隣から口を挟んだ。「剣聖タヴァーニアですか?」

「ええ。そう呼ばれていました」

「知っています」

 ジプソフィラに向かって、フィルは頷いた。

 フローレンスが振るっていた、竜鱗の剣のことを思い出す。あの刀身も、目の前の白妙の竜姫のように淡い光を放っていた。

「その者に、ここに来るように伝えてください」

「え?」

「お願いします」

 ジプソフィラは首を傾げてそう言った。

「わかり、ました」

 フィルはゆっくりと首を縦に振った。

「なぜ、僕が彼女と知り合いだと判ったのですか?」

「なぜでしょうか。そんな気がしたのです」

 平板な声でジプソフィラは言った。フィルは追及を諦めた。

「貴方たちにはとても感謝しています」

 ジプソフィラは荘厳な口調でそう言った。ラケシスが姿勢を正す。

「もし、何か私の力が必要なときには、仰有って下さい。出来ることなら力を貸しましょう」

「……ありがとうございます」

 ラケシスが鼻にかかった声で言う。フィルとレティシアも深く頭を下げた。

「さて、ルサンに帰るのですよね? よろしければお送りしますよ」

「え?」

 ラケシスが首を傾げる。両の瞳がきらきらと輝いている。

「背中に乗せてくれるのですか?」

「まさか」

 ジプソフィラが噴き出した。つむじ風のようだった。フィルは少しよろめいた。

「私が飛んでいったら大事になってしまいますよ。魔法でルサンの街の近くまでお送りしましょう」

 笑いながらそう言って、ジプソフィラは古代語で詠唱を始めた。

「連綿と緩やかに織りなす時空の糸よ……」

 すぐに魔法が発動する。

 フィルの視界は真っ白な光に包まれた。

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