1. 幻獣の聖地 -A Sacred Alter for Legendary Creatures- (1)

「そうさのう」

 研究室の主、デンババは青みがかった顎髭を撫でながら言った。とはいえ、髪も髭もかなり白いものが混じっている。しかし、肌はつやつやしていて若々しかった。年齢がよく判らない。

「無理じゃな、そんなことは」

 湖畔の国、ルサンの中心部に位置する魔術学院。通称象牙の塔の一室だった。学院には大きく三つの建物があるが、そのうち、研究棟は先日の事件の所為で半壊した。現在、急ピッチで修理が行われており、内部は立入禁止だ。ほとんどの研究室が研究棟の内部に居を構えていたが、現在は実験棟や大図書館に間借りして活動を行っている。デンババの研究室は実験棟の一室に移転していた。書棚に収まりきらないのか、大量の本が床に積まれている。先ほどから、レティシアがちらちらとそちらに目を遣っている。内容が気になっているのか、それとも床に積まれているのが不満なのかは判らなかった。

「そんな!」

 身を乗り出していたラケシスは悲痛な声を上げた。

「だって、天馬騎士団が実際にいるわけじゃないですか!」

「そうさのう」

 ぼんやりとデンババは言った。横に並んで立っているフィルとレティシアの方に、訝しげなラケシスの視線が飛んでくる。目の前にいる老人のことを、かなり怪しんでいるようだった。

 学院の導師の一人、デンババの研究室だった。彼は幻獣を専門に研究していて、大陸でも名の知れた魔術師らしい。ラケシスの頼みを聞いたレティシアがここまで連れてきたのだ。

「天馬には翼があるじゃろう?」

「ええ」

 やけくそのように、勢いよくラケシスが頷く。

「空を飛ぶ生き物を逃がさないためにはどうしている? 鳥や虫を逃がさぬには」

「そりゃ、籠に入れたり、縄をつけたり……」

「しかし天馬を檻に入れるわけにはいかん。飛べないペガサスなど、駄馬も良いところだからの。かといって、縄をつけて跨がったとしても、空高く飛ばれたら、人間はどうすることも出来ぬ。振り落とされたら即死じゃ」

「そうですけど……」

 ラケシスは困惑したように言った。

「そもそも、幻獣を捕まえようなど烏滸がましい。彼らは人間と同等か、もっと高位の存在だ。強力な力と高い知性を持っておる」

「うーん。それはそうかも知れないですけど」

 ラケシスは唇を突き出した。

「そもそも、おぬしはどうしてペガサスを捕まえようなどと思ったのだ?」

「はい」ラケシスは背筋を正した。「実は私、このたび、天馬騎士団に配属となりまして」

「ほう」

「憧れのペガサスに乗れると思っていたのですが……」

 ラケシスは力の抜けた笑みを浮かべた。

「今の天馬騎士団は、騎士の数よりペガサスの方が少ないのです」

「……なるほど」

 部屋中の人間が、一様に気の抜けた表情を浮かべた。

「天馬に乗らずして何が天馬騎士か、と隊長に掛け合ったところ、だったら自分で用意せよ。出来るまで帰って来なくて良い、と仰いまして。ペガサス無しでは二度と騎士団の敷居を跨げないと思え、と放り出された次第です」

「それはまた……」思わず、という感じでレティシアが口を挟んだ。「ずいぶん乱暴な教育方針ね」

「うーん」しかしラケシスは首を捻った。「まあ、ルサンの騎士団の中で一番厳しいという噂だからねえ。仕方ないよ」

「かかか」突然、デンババが笑い声を上げた。「別に天馬騎士でなくとも良かろう。普通の騎士として、ルサンのため、立派に勤め上げれば良い」

「そういうわけにはいかないんです!」

 ラケシスは勢いよく立ち上がった。

「私は、ずっと天馬騎士になることを夢見てきました! やっと、この手に届くところまできたのに、諦められません!」

「ほう。それはそれは」

 デンババは横目でラケシスの方を見た。冷めた目だった。

「導師……」

 レティシアがおずおずと口を挟んだ。

「彼女がずっと努力をしてきたのは事実です。騎士団どころか、学舎に入る前から、ずっと、何年もです」

「そうか」

 抑揚のない声でデンババは言った。頷きすらしなかった。そこに至るまでの苦労には興味がないタイプのようだった。学院では比較的よく見られる考え方である。

 そのことに気が付いたのか、レティシアは落ち着いた声で続けた。

「若さを差し引かずとも、彼女の騎士としての能力も知識も、その精神性も尊敬するに足るものです。どうか、力を貸していただけないでしょうか?」

「ふむ」

 デンババは顎髭を左手でさすった。

「そう言われてもな。儂もペガサスを捕らえる方法など知らぬ。そもそも捕らえようなどと思った事もないでな」

「そんな!」

「とは言え」デンババはにやっと笑った。「ペガサスが住んでいる場所なら知っておるぞ」

「え!」

「後はお主らしだいじゃな」

 老導師はそう言って、また顎髭を撫でた。

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