幻獣の森の経済学者 -The Environmental Economics for Legendary Creature-

葱羊歯維甫

Prologue 赤狐の騎士 -A Dame with Strawberry Blonde-

「ティア!」

 喧噪の中、フィルはぴたりと足を止めた。名を呼ばれたレティシアも、一瞬辺りを見渡したが、すぐに見つけたようだ。表情を緩めて歩みを再開した。

 少女がぴょんぴょんと跳ねながら大きく手を振っていた。レティシアが気づいたのを見て取ると、一目散に駆け寄ってくる。足を踏み出す度に、彼女が身につけた金属鎧が音を立てた。

 まるで太陽のようだ、とフィルは思った。肩甲骨の辺りまで伸びた、わずかに赤みがかった金髪が、昼下がりの日光を反射して燦めいている。足下には同じ色の狐が軽やかに駆けていた。

「ラケシス!」

「久しぶり!」

 ラケシスと呼ばれた少女は立ち止まると、レティシアと軽くハグをした。真っ直ぐな銀髪と、ウェーブがかかった金髪がコントラストを描いた。

 背丈はレティシアより少し高いくらいだ。垂れ気味の鳶色の瞳は大きく、鼻筋も通っている。桜色の唇がふっくらとしていて、全体的に気品のある、はっきりした顔立ちだった。肌は少し陽に灼けていて、健康的な印象を受けた。

 白いマントの間からは金属の鎧が覗いている。背中に長物を背負っているが、先端は布で巻いてあった。一分の隙もないほど完璧な騎士の装いだった。体型は引き締まっていて、レティシアよりはウィニフレットやフローレンスのそれに近い。

「元気にしてた?」

「ええ」ティアは首を傾げた。「貴女は?」

「もちろん!」

 弾んだ声でラケシスは頷いた。それから口元を少し緩めた。にやにやと笑いながら言う。

「まあ、救国の英雄様ほどじゃないかもしれないけど」

「止めてよ」

 ラケシスがからかうような口調で言うと、レティシアは珍しく露骨に表情を歪めた。それを無視して、ラケシスはフィルの方を向き直った。

「あ、君がフィル君?」

「あ、はい」

 突然、話を振られて、フィルは慌てて頷いた。

「ふうん。君が……」

 ラケシスはじろじろと、上から下までフィルのことを見た。

「ねえ、大変じゃない?」

「大変?」

「ティアとつきあうのって」

 軽く、唇の端を持ち上げて、ラケシスはそう言った。

「なんか、色々面倒くさい決まり事とか作られてない?」

「えっと……」

 フィルはちらりとレティシアの方に目を遣り、目が合う前に慌てて視線を下に落とした。

「ラケシス!」

 レティシアは両手を腰に当てて、大きな声を出した。

「そんな事実はありません!」

「一方的なルールはない?」

「交際などしていません」

 両目を吊り上げたレティシアに、ラケシスは芝居がかった仕草で肩を竦めた。レティシアは大きく肩で息をしてからフィルの方に向き直った。

「彼女はラケシス。ラケシス・ハインケス」

「ティアとは学舎で同級生だったんだ。魔術は習ってなくて、教養だけだったんだけど。今は騎士団に所属してる」

 そう言って、ラケシスはにっこり微笑んだ。

「ええと、僕はフィラルド・セイバーヘーゲンです。ティアとは……」

「うん。同じ研究室なんでしょ。聞いてるよ。よろしくね、フィル君」

「あ、はい……」

 少し身を引きながら、フィルは頷いた。

「それでこの子がジル」

 ラケシスはしゃがみこんで、狐の首を撫でた。フィルもしゃがみ込んで頭を撫でる。ジルは首を傾げるようにフィルの方を見て、一声、小声で鳴いた。

「あ、はい。トーカブルなんですね」

「うん」

 ラケシスはしゃがんだまま首を傾げた。レティシアを見上げて問いかける。

「今日はアスコットは?」

「家にいるわ」

 レティシアは小声で言った。

「まだ怪我が治ってないから。外に出さないようにしているの」

「そうなんだ……。学院長と戦ったときの?」

「ええ」

 レティシアはそう言って、小さく首を振った。

「フィルもトーカブルなの。リルムっていう可愛い子」

「へえ」

「でも、アスコットと留守番なんだ。リルムも翼を怪我したから」

 フィルがそう言うと、レティシアが小さく微笑んで細くした。

「アスコットとリルムは仲良しなの」

「ふうん」

 ラケシスはにやにやと笑ったが、それ以上は何も言わなかった。

「それでね、ティア。今日はお願いがあって来たの」

 ラケシスは立ち上がった。背筋がぴんと伸びる。

「お願い?」レティシアは銀色の髪を揺らして首を傾げた。「珍しい。どうしたの?」

「あのね」

 ラケシスは意を決したように言った。

「ペガサスを捕まえたいの。手伝って!」

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