5. 白妙の竜姫 -A Benignant Observer of Society-(1)

「じゃあ、俺は岸に戻るから」

 三人と一匹が島に上陸すると、リーダーは早口でそう言った。漕いできた小舟を反転させると、一目散に進んでいく。フィルたちはそれを呆然と見送った。

 相変わらず、異様な静けさだった。鳥や虫の声がまったく聞こえない。湖の表面も奇妙なほどに穏やかで、鏡のようだった。湖に囲まれているのに、水音すらほとんど聞こえない。まさに沈もうとしている太陽が、湖面に映っていて、まるで二つあるかのようだった。

「さて」

 ラケシスが背中の槍を外して手に持った。

「洞窟の奥にいるんだっけ?」

「そう言っていたわね」

 レティシアが頷く。彼女は少し緊張しているようだった。

 洞窟の入り口はすぐに見つかった。奥に向かって傾斜している。角度が急で、気をつけないと滑り落ちてしまいそうだった。

「万物の根源たる光よ……」

 フィルは魔法を唱えた。ラケシスの槍の穂先に光を灯す。それを確認して、彼女は慎重に洞窟に入っていく。フィルがそれに続き、レティシアが最後尾になった。

 ラケシスの鎧姿を追いかけていく。入り口は狭かったが、内部には広大な空間が広がっていた。三人が並んで歩いてもまったく問題が無い。すぐに奥に向かって傾斜していく。高さもどんどん増していく。

 この洞窟の中にも、生き物がほとんどいなかった。ユニコーンの巣と異なり、蝙蝠の声もしない。壁に苔なども生えていないし、虫や鼠が出てきたりもしない。本当に、ごつごつした白い岩だけが続いている。

 少しずつ右に曲がっている洞窟を、三人は進んでいく。分岐などはなく一本道なのはありがたかった。

「ねえ」

 ラケシスが声を出す。洞窟の表面で幾重にも反響する声は、異界からのもののように感じられた。

「ごめんね。勝手に、私たちが行くって決めちゃって」

 先頭を歩くラケシスの表情は見えなかった。

「ダルムシュタットの村人もルサンの国民だから。守らなくちゃいけないと思ったんだ。私は騎士だから。でも、二人は違うでしょ?」

「まあ、騎士ではないけれど」

 レティシアが苦笑混じりに返した。

「でも、必要なことだから」

「嘘。ティアはユニコーンを狩るのでも、村人を見捨ててルサンに帰るのでも良かった」

「そんなことしない」

「うん。解ってる」

 ラケシスは少し歩調を緩めた。足音の感覚が狭くなる。カツカツと、鋲を打ったブーツの踵が苛立った音を立てる。

「あのままだったら、きっとユニコーンを狩ることになっていた。他に村人を殺させない方法がないもの。でも、そうしたら絶対、ここのペガサスは人間を乗せてなんてくれない。村人が狩ってもそう。もし、ウォーキナーマが違う結論を出したって、村人が全滅した後にポーチャが狩っても、同じ結果」

 抑揚の無い調子で彼女は言った。何の感情も聞こえてこなかった。

「だから、なんとかしないとって思った。村人を守らなくちゃってのはもちろんあるんだけど、どちらかというと私の都合なんだな、ここにいるのは」

「そんなことは……」

 フィルはそう言ったが、ラケシスは振り向きすらしなかった。伸ばした背筋だけが見える。

「騎士道ってのは、正々堂々、正義の味方ってことになってる。少なくとも、私はずっとそう教えられてきた。でも、一方で、民を守るためには手段を選んでいる場合じゃないこともある。卑怯で卑屈かもしれないけど、でもそうしないとみんなが不幸になる。だから、優先順位を決めて、少数に犠牲を強いることもある。そんなことしたくないけど、でもしょうがない。どんなに嫌で辛くて、心が痛んでも、それをするのが騎士の役目。自分が犠牲になることも、人にそれを強いることも」

 暗闇の中を、魔法の光が照らしていく。妙に淡々としたラケシスの声が幾重にも反射する。結構な時間を歩いた気がするが、見えるのは岩ばかりで、大きな変化はない。

「ねえ。ドラゴンに会ったことってある?」

「あるわけないじゃない」

 レティシアが鼻息混じりにそう返した。

「フィル君は?」

「ないよ、もちろん」

「だよねえ」

 ラケシスが乾いた笑い声を上げた。

「話、聞いてくれるかなあ?」

「知性はすごく高いという話だけど」

「うーん」

 ラケシスはうなり声を上げた。

「いきなり襲いかかられたらどうしよう。戦って勝てるかな?」

「貴女が剣聖くらい強ければ」

 レティシアが澄ましてそう言った。

 黒鴉の民の初代族長、はじまりの七人の一人である剣聖タヴァーニアには、竜を退治したという伝説がある。荒れ狂い、村を苦しめる竜と三日三晩にわたる死闘を繰り広げ、ついには切り伏せたという話だ。黒鴉の民の中では非常にポピュラな話で、子供の頃に何度も聞かされる。フィルも、ウィニフレッドやフォクツと一緒に目を輝かせて聞いていた記憶がある。

「さすがにそれはちょっと。フローレンス様くらいなら話は違うのかもしれないけど」

 うっとりとした声でラケシスはそう言った。聞き慣れた名前が出たので、フィルは少し驚いた。

「ラケシスさんも、フロウ様のことを知ってるの?」

「うん、まあ、何度か話をしたことがあるくらいだけど」照れたように彼女は続けた「やっぱり武術を嗜んでいる身からすると尊敬するよ。しかも女性だし。もの凄く強いのに驕ったところもなくて、立ち振る舞いもすごく綺麗。尊敬って言うか、憧れかな。目標というのも畏れ多い感じ」

 ラケシスは照れ笑いを浮かべながら言った。

「私もああいう風になりたい」

 ラケシスは真っ直ぐ前を向いたままだった。

「ラケシスは、昔からずっとこう言ってるの。五年以上」

 レティシアが小声でフィルに言った。

「もう、恋みたいなもの」

「聞こえてるよ!」

 ラケシスが振り向かずに言った。

「何、悪い? 迷惑かけた?」

「悪くはないけど」

 含み笑いをしながらレティシアが言った。

「頑張ってね」

「言われなくても」

 ラケシスがずんずんと進んでいく。心なしか、歩幅が広くなっているようだ。フィルとレティシアは顔を見合わせて、声を出さずに笑い合った。

「あ……」

 ラケシスが歩みを止める。

 フィルたちもその場に立ち止まった。

 洞窟の先に、白く淡い光が壁を照らしていた。

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