5. 白妙の竜姫 -A Benignant Observer of Society-(2)

「何用ですか?」

 穏やかな声音だった。発音は明瞭で、人間が話しているのと聞き分けられないほどだ。ただ一点、高い位置から声が放たれていることを除けば。

「はじめまして。私はルサンの騎士、ラケシスと申します。白妙の竜姫様でいらっしゃいますでしょうか」

 ラケシスが正式な儀礼でもって、膝をつき深く頭を下げる。槍は背中から外し、地面に置いていた。

 見上げるほどの巨躯だった。頭の位置が、建物の三階くらいの高さにある。真っ白な鱗に身体を覆われているが、ほのかに光っているように見える。頭をこちらに向けているのは判るのだが、巨大すぎて全体がどんな姿なのか掴めない。

「これは失礼しました」

 ドラゴンはそう言って頭を地面に下ろした。

 頭の形状はトカゲに近いが二本の角があり、口を開くと巨大な牙が覗く。一番大きな牙は、それだけでフィルよりも大きい。しかし黒い大きな瞳には、穏やかな知性が宿っていた。

「たしかに私はそう呼ばれています。もっとも人間が勝手につけたものですけど。本名はジプソフィラと申します。以後、お見知りおきを」

 貴婦人のように、純白の竜は挨拶をした。慌ててフィルとレティシアも魔術師だと名乗った。それを聞いてかあ、ジプソフィラは頭を元の位置に戻した。

「それで、こんな場所までわざわざ、何をしに来たのですか?」

「貴女たちの、お力を借りたいのです」

 ラケシスは単刀直入にそう言った。

「力」

 ジプソフィラはそう鸚鵡返しに言った。

「私たちは今、危機に直面しています」

「ええ」

 白竜は頷いた。ラケシスは立ち上がる。

「今、この森や、ダルムシュタットと呼ばれる人間の村で起こっている事態については認識しています」

「はい」ラケシスはそっと目を伏せた。「村はポーチャたちによって占拠され、多くの罪のない村人が人質となっています。そして彼らは、人質の解放と引き替えにユニコーンの角を要求しています。森に棲む、癒やしの力を持つユニコーンの角を」

「そのようですね」

 平坦な口調でジプソフィラは言った。

「しかし村人はユニコーンを狩るわけにはいきません。かといって、人質を取られている以上、ポーチャたちと戦うわけにもいかないのです。もちろん、見捨てて逃げることも」

 白い竜は穏やかな瞳でラケシスを見つめている。赤狐の騎士は、大きな身振り手振りを交えながら話を続ける。

「すでに、人間だけでどうにか出来る状況ではなくなっています。このままでは、ダルムシュタットの民にとっても、この森に棲む幻獣たちにとっても、不幸な結果になってしまう。私たちは、それを避けたいのです」

「なるほど」

 白竜は目を閉じた。ラケシスが大きく息を吐く。まだ膝を地面についたままだ。

「そこで、この森の幻獣たちに力を貸して頂きたいのです」

 ジプソフィラが目を開くのを待って、ラケシスははっきりした口調で言った。

「力」

 しかし、ジプソフィラはまたも、同じ言葉を繰り返した。

「私たちの力」

「はい」

 ラケシスは強く頷いた。

「村を占拠するポーチャと戦うのに、力を貸してください」

「正直に言って、幻獣には関係のないことです」

 ジプソフィラはすぐにそう言った。考慮している様子もなかった。

「……え?」

 ラケシスの返事は、二呼吸遅れた。

「人間同士の諍いですから。どちらかの勢力に幻獣が力を貸すことないでしょう」

 ジプソフィラは落ち着いた瞳のまま、淡々と話した。ゆっくりと瞬きをしてから続ける。

「人間に限ったことではないのです。森の中ではよくあること。例えば、二匹のワイバーンが縄張りやつがいを巡って争いをする。マンティコアとハーピーの群が戦ったこともあります。そうした場合に、関わろうとする幻獣はいません。そうした争いは自然の摂理なのです。今回のケースも、人間同士の縄張り争いに過ぎません。やはり、我々は静観するのみです」

「し、しかし!」

 ラケシスは慌てて飛び上がるように両腕を広げた。マントがふわりと舞い、ゆっくりと下りていく。

「ポーチャはユニコーンの角を要求しているのですよ!」

「ええ」

 森の主は口調を変えなかった。

「危険に晒される段階になれば、ユニコーンは反撃するなり逃げるなりするでしょう。群を作っているペガサスもそれに付き従う。しかし、現時点でそうはなっていません。また、その場合でも他の幻獣には関係がありません」

 ジプソフィラはまた目を閉じて、一度鼻から息を吐いた。少し、火山の臭いがした。

「それに、貴方たちの言い分を信じるだけの理由もありません」

 その声音は、中身に反して暖かく聞こえた。ジプソフィラの穏やかな瞳の所為かもしれない。

「幻獣はそれぞれ種ごとに暮らしています。基本的に協力することはない。今まで、一度たりとも、そうしたことはなかった」

 最後通牒のようにジプソフィラはそう言った。

「……」

 ラケシスは一瞬、言葉に詰まる。

 ジプソフィラはラケシスのことを見つめている。

 瞬き三回ほどの時間。

 ラケシスは大きく息を吐いた。

「今までになくとも構いません。今、その初めてを作ればいい」

 ラケシスは真っ直ぐにジプソフィラを見た。

「問題はユニコーンだけに留まりません。ダルムシュタットが滅び、ウォーキナーマが機能しなくなれば、他の幻獣たちにも危険が及ぶことでしょう。何しろ、人間にとってこの森は、宝の山なのですから。いくらでもポーチャがやってきます」

 静かな、けれどはっきりした口調でラケシスは続けた。

「人間が、幻獣を守るという構図が必要なのです。幻獣が幻獣を守ったところで、それはただの強力な獲物に過ぎません。この森とダルムシュタットが長年、うまく機能してきたのは、ポーチャと同じ人間がウォーキナーマをしているからです」

「しかし、現実に今、その構図は崩れようとしている。貴方たちがこうして幻獣に助けを求めている。それが何よりの証左では?」

 ジプソフィラはそう指摘した。ラケシスが唇を噛む。

「そうでしょうか?」

 フィルは一歩前に出た。

「僕はそうは思わない。たしかにウォーキナーマは人質を取られて困っている。けれど、それだけのことです」

 ジプソフィラがフィルの方に頭を向ける。間近で見ると非常に巨大だった。本能的に、恐怖を覚える。今、彼女がその気になれば、フィルは簡単に噛み殺されるだろう。悲鳴を上げる暇すらなさそうだ。

「もし、ポーチャがその気なら、ダルムシュタットの民は、既に皆殺しになっているはず。それからゆっくり幻獣を狩れば良いのだから。でも、そうなっていない。心情的になのか、ポーチャにはそこまで出来ないんだ。つまり、人が幻獣を守る、という構図はまだ、意味をなしている」

「なるほど。理に適っていますね。たしかに、ダルムシュタットの民は、歩く鎧のように幻獣たちを守っている」

 ジプソフィラは少し微笑んだように見えた。ドラゴンの表情はよく解らないが、口角を上げたように見えたのだ。

「今、この幻獣の森とダルムシュタットのウォーキナーマたちを維持するには、幻獣と人間が力を合わせ、敵と戦う必要があるのです。どうか、力を貸してください」

 ラケシスが再び言い募る。

「ルサンの騎士、ラケシス」

「はい」

「あなた方はなぜ、幻獣と村を守ろうとするのですか? 自ら武器を取ってまで」

「なぜ?」

 ラケシスは目を見開いて首を傾げた。

「なぜと言われても……。目の前に傷つこうとしている人たちがいるからです。いえ、人だけではなくて、幻獣も含めて」

 困惑した口調でラケシスは答えた。

「私は騎士です。ルサンの民を守る義務がある。それは、この森に棲む幻獣も含めて、です。彼らを守るために、私は戦います」

 ジプソフィラは少し目を細めた。

「目の前で血を流そうとしているから。しかし貴女は戦おうとしている。傷つく者を守るために、誰かを傷つけようとしている」

「それは、ええ……」ラケシスは困惑した表情のままだったが、それでも頷いた。「その通りです」

「誰かを守るためになら、誰かを傷つけても構わない?」

「それは……」

 ラケシスは答えに詰まった。

「貴女は騎士です。しかし、騎士や戦士というものは基本的に何も生み出せない。何も、です。食べ物も衣服も住居も得られない。騎士は、他の生産者によって支えられている存在なのです」

 ジプソフィラは首をぐぐっと持ち上げた。フィルたちの四倍くらいの高さになる。遙かな高みから見下ろされているような気分になった。

「それだけ人間の暮らしが豊かであるとも言えます。非生産的な役割を持つ者を養うことが出来るのですから。その他の、農民や狩人や職人たちの日々の働きの上に、寄生している存在。それが騎士です」

「……一面的にはその通りです」

 ラケシスはジプソフィラの瞳を見返した。

「騎士は支えられて生きている。それは間違いありません。けれど、それだけではありません。いざというとき、例えば他国の侵略や妖魔や賊の侵攻があった際に、先頭に成って戦い、彼らの暮らしを守る。その役目があるからこそ、彼らは平時には税を払って騎士を養っているのです。私たちはその期待に応えるべく、日頃から鍛錬を欠かさない」

 胸を張ってラケシスは白竜を見上げた。

「この村のウォーキナーマたちも同じなのではないのですか? ポーチャから襲われるのを防いでいるからこそ、幻獣は亡骸を聖地に捧げているのではないのですか?」

「その通りです。ウォーキナーマはそれを目的に、幻獣を守っている。自らの食い扶持を得るために。騎士も同じこと。自分に食事や衣服を提供してくれるからこそ、彼らを守っているに過ぎない」

 そして、ジプソフィラは冷徹に指摘した。

「妖魔聖戦以降、この国で大きな戦が起きたことはありません。長く悲惨な戦いを経て、人間は十分に賢くなりつつあります。民族ごとに戦い傷つけ合うよりも、話し合いで妥協点を見つけられるようになった。妖魔に対しても効率的に対処が出来るようになった。ルサンという国はどんどん、平和に向かっている。日常に危険を感じることはない。それはつまり、騎士が必要がないということに他ならない」

「……!」

 ラケシスは目を見開いた。

「貴女は十分に賢い。解っているのでしょう。恐らく、すでにその兆候を感じているはずです。今のこの時代において、騎士には存在理由が見当たらない。日々、厳しい鍛錬を積んだとしても、死ぬまでに戦争が起こらないかもしれない。ええ、つまりまったく無意味な行為です」

「それは、喜ぶべきことです……」

 ラケシスが言う。しかし語尾は少し震えていた。

「ええ。そうでしょう。しかしそれは騎士の内面だけの問題。しかし、税金を払って騎士を養っている身としては? それで彼らは納得するのですか? 騎士の生活のために働き、多くの税を払い、しかし何の恩恵も得られない。騎士は武力でもって、彼らを押さえつけているだけなのではないですか? 庇護すると良いながら、その実、搾取の対象でしかない」

「そんなことはありません!」

 ラケシスは高い声で言った。

「無理矢理税を払わせているわけではない!」

「では、彼らは自主的に、喜んで、騎士に貢いでいるのですか?」

 平板な声で森の主は言った。

 ジプソフィラは何を食べているのだろう、とフィルは疑問に思った。大きい牙を持っているが、外に出ることは多くないという。

「貴女は先ほどから、民を守る、と言っている。しかしそれは、他の人間、例えばポーチャたちを傷つけることと同義です。つまり……」

 ジプソフィラは鼻から息を吸い込んだ。

「つまり、だれかを傷つけることで稼ぎを得ている。それは賊と変わらない」

「違います!」

「結果的には同じことです。誰かを傷つけ、その結果として金品を得ている」

 ジプソフィラは温かな瞳でそう言った。ラケシスは唇を噛んだ。

「貴女は何ですか?」

 ジプソフィラが赤狐の少女に尋ねる。

「私は……」

 ラケシスは一度肩の力を抜いた。

 それから、はっきりと、胸を張って答えた。

「私は騎士です」

 顔を斜め上に向け、ラケシスは高らかにそう言った。口元には笑みすら浮かんでいた。

「貴女はなぜ戦うのですか?」

「皆の幸福のために」

「誰も、それを望んでいないとしても?」

「それでもです」

 ラケシスは目を逸らさなかった。

「私は騎士という職に誇りを抱いています。人間でも妖魔でも、人々の暮らしを脅かすものがあれば、危険を承知で先頭に立って正々堂々戦い抜く。それが私たちの役目です」

「それが望まれない、時代遅れのものだとしてもですか?」

「時代は関係ありません。騎士という存在は武力に依るものではない。その心意気でもって成立しているのです」

 朗々とラケシスは言った。

「貴女の主張は解りました」

 ジプソフィラは首を少し下げた。

「私にどれだけのことが出来るか判りませんが、力をお貸ししましょう」

 ラケシスが息を呑む。

「森の幻獣たちに話をしてみましょう。すべての幻獣が協力するかは判りませんが、まったくいないということもないでしょう」

 ジプソフィラがそう言った次の瞬間、その巨躯は霞のように消えていた。

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