レジンの森の魔女

   きのこ岩 


 あるところに、自然が大好きな少年がいました。少年は将来、森林学者になりたいと思っていました。

 少年は毎日学校から帰ると、近くの森にフィールドワークに出かけます。新しい植物や虫を見つけては、誕生日に買ってもらった十六色のクレヨンで、丹念にスケッチしていくのです。

「この辺の生き物はもう見飽きちゃったな」

 少年は、きのこの形をした《きのこ岩》の前までたどり着きました。


 少年には、お母さんとしたある約束がありました。

『森へ行くのはかまわないけど、《きのこ岩》より先に行ってはいけないよ。そこから先はレジンの森……悪い魔女につかまって、レジンで固められてしまうよ』

 でも…

「ちょっとだけなら大丈夫だろう。ちょっとだけ…」

 少年は、とうとうレジンの森に足を踏み入れてしまいました



   魔女


「おっかしいなあ」

 レジンの森を歩いてしばらくたったころ、少年はつぶやきました。

「なんにもいない」

 あたりを覆う木々の他には、チョウも、ハチも、ありんこさえもいませんでした。

 少年がもと来た道を引き返そうとしたとき、ふと、近くの木の幹にきらきらと光るものがありました。

「なんだろう」

 近くによって見てみると、それは、レジンで固められたチョウでした。

「なんてきれいなんだろう」

 少年はそれをポケットに入れると、また森の奥へと進んでいきました。


「すっかり暗くなっちゃったな」

 少年は、急ぎ足になりました。

 しかし、いくら歩いても《きのこ岩》のところに戻ることができません。

「おっかしいなあ。どこかで道を間違えたかな」

 少年があたりを見回すと、そこに一軒の山小屋がありました。

「人が住んでるんだ!あそこで聞いてみよう」

 少年は、山小屋に駆け寄りました。


「すみません、すみません」

 いくら呼んでも返事がありません。

 少年がドアノブに手をかけてゆっくりと回すと、ぎい、という音とともに扉が開きました。

 少年は山小屋のなかに入っていきました。


 山小屋のなかは薄暗く、いまにもくずれそうな本の山がいくつもありました。


「これはなんだろう…」


少年が目の前の棚においてあった変わった形の置き物を手に取ろうとしたとき、あやまって隣のガラス瓶を床に落としてしまいました。


ガラス瓶は大きな音をたてて割れました。


「だれだ!」


奥から年老いた女の声が響きました。


「ごめんなさい!僕、びんを割ってしまって…」


少年は、割れたびんを持って奥の部屋へと進みました。

 そこには大きな釜と、天井から吊るされたミミズやかえる。そして、眼鏡をかけて分厚い本を手にした……魔女がいました。

「おまえさんはだれだい」

「僕、森で迷ってしまって、道をきこうと思って……」

 少年は早口に言いました。

「おばあさんは……魔女?」

 魔女はめがねを外しながらいいました。

「世間じゃそう呼ぶ人もいるようだがね。ま、あたしにゃ関係のないことさ」

 魔女は読んでいた本にしおりを挟んで、目と目の間を指でもみほぐしました。

「ここでなにをしてるの?」

「世界中の森をレジンで固めてやろうと思ってね。今その研究中さ」

 魔女は天井から吊るされたカエルを手に取り、かまどに放り込みました。

 魔女が大きなフォークのようなものでかまどの底をすくいあげると、その先にはレジンで固まったかえるが乗っていました。

「ほうら、このとおり」

 少年はカエルを手に取って言いました。

「どうしてこんなことをするの?」

「復讐さ。あたしをこんな目に合わせた、いまいましい森に対するね」

 魔女は語り始めました。




   森林学者


魔女にはその昔、結婚相手がいました。彼は森林学者でした。彼は毎日のように森に出かけました。

 魔女は森の奥深くにあるこの家で、毎日とっておきの料理を作っては、たった一人で彼の帰りを待っていました。けれど、彼の帰る時間は、日に日に遅くなっていきました。

 ときには一週間、一ヶ月、いや、一年も帰ってこないことだってありました。

 ――そして。とうとう彼は帰ってきませんでした。

 魔女は思いました。

「みんな森がいけないんだ、みんな……」


 魔女には趣味がありました。

 それは、レジンでアクセサリーを作ることでした。

「これで森を固めてやる」

それから魔女の研究がはじまりました。


「……とまあ、こういうわけさ。だからあたしはいそがしいんだ。用がないならとっとと出てっとくれ」

 魔女はまた眼鏡をかけて、本を読み始めました。

 少年はしばらく腕組をしてなにか考えていましたが、急に山小屋を飛び出すと、森の出口に向かってかけだしました。

 さっきはあれほど歩き回ってもたどりつかなかったのに、もう《きのこ岩》のところまでつきました。

 少年が家についた頃にはすっかり日が落ちていました。

「こんな時間までどこ行ってたの!」

 声を荒らげるお母さんの横をすり抜け、少年は二階にかけあがると、ケースにしまっておいたアコーディオンを背負ってまた家を飛び出しました。後ろで何かを叫んでいるお母さんの声がだんだんと小さくなりました。


 少年はまた魔女の家に戻ってきました。魔女は居眠りをしていました。

「おばあさん、この曲を聴いて」

 少年は背負っていたアコーディオンをおろしながら言いました。

「まだいたのかい。あんまりちょろちょろしてるとおまえさんもレジンで固めて……」

 魔女がいいかけたとき、これまでに聴いたことのない美しい旋律が魔女の耳に飛び込んできました。

 それは《森のしらべ》でした。




   少年


 少年には友達がいませんでした。いつも植物や虫たちと会話をしている彼のことを、クラスメートはからかい、のけものにしました。

 でも、少年は少しもさびしくありませんでした。なぜなら、少年には、森があったからです。そこに行けば、たくさんの生き物とお話ができたからです。

 いま少年が奏でているこのメロディも、彼らに教えてもらったのでした。

「おばあさんは、ひとりじゃないよ」

 曲を弾き終えて、少年は言いました。

 魔女は、部屋の窓から森を見つめていました。

「そうか……あたしゃただ……」

 魔女の頬を、きらりと光るものが伝いました。

「さびしかったんだ」

 少年は魔女を抱きしめました。少年のポケットからレジンで固められていた蝶が舞い上がりました。




   それから


少年は大人になって、森林学者になっていました。

 あれからなんども魔女の家に行こうとしたのですが、どうしてもたどり着くことができませんでした。あれは、子供時代が見せたまぼろしだったのでしょうか。

 いいえ、そうではありません。なんでも、ちかごろ街に《魔女のアクセサリー屋さん》というのができて、たいへんに繁盛しているようです。

 最近では二号店、三号店を出すといううわさも……。

 もしかしたら、あなたの街にも魔女のアクセサリー屋さんがやってくるかもしれませんよ。

(おしまい)

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