耳遠き茸
「ばあや、ばあや、ばあやったら!」
ここはきのこたちの住むマタンゴ王国。
この国のお姫様、アンズタケのジロール姫が、いつものように大きな声を出してばあやを呼んでいました。ばあやというのは、ジロール姫の身の回りのお世話をしているシャグマアミガサタケです。
ばあやには、コルヴァシエニというちゃんとした名前がありましたが、長ったらしいのでみんなばあやと呼んでいました。
そのばあやが、今日はいくら呼んでもやってくる気配がありません。
だんだんとじれったくなってきたジロール姫。こんどはそこいらじゅうのものを滅茶苦茶に叩いたり吹いたりして大きな音を鳴らしました。
けれど、やっぱりばあやはやって来ませんでした。
「居眠りでもしてるのかしら」
ジロール姫は呆れながらばあやの部屋に向かいました。
ばあやの部屋に近づくに従い、ダダダという機械的な音が聴こえてきました。
部屋の扉の前まで来たジロール姫は、扉をノックしましたが、一向に返事がありません。
「……入るわよ」
ジロール姫はひと呼吸置いてからドアノブをひねりました。
部屋に入ると、そこではばあやが縫製機を操って一生懸命になにかを縫っていました。ばあやはまだジロール姫に気がついていません。
ジロール姫はばあやの肩をぽんと叩きました。
「あなや、驚いた」
ばあやは大袈裟な身振りで言いました。
「誰かと思えば姫様じゃありませんか。一体こんなところになんの御用で」
ばあやは縫製機を止めて言いました。
「さっきからずうっと呼んでいるのに、ちっとも来てくれないんだもの」
ジロール姫はムスッとした顔で言いました。
「これは失礼いたしました。縫製機を動かしていたもので、ちいっとも気が付きませんでした」
ばあやはそれほど悪びれたようすもなく言いました。
「それで、どんな御用で」
ばあやは尋ねました。
「だから、ええっと。……あら、なんだったかしら」
ジロール姫はすっかり用件を忘れていました。
「おやおや」
ばあやは小馬鹿にしたように笑いました。
「とにかく。思い出したらまた呼ぶから、こんどはすぐに来てちょうだい」
ジロール姫はまたムスッとして言うと、どっかどっかと足を鳴らしてばあやの部屋を出ていきました。
部屋を出たジロール姫は、その足で城の庭園に行きました。
城から出ることを禁じられているジロール姫にとって、唯一の楽しみがこの庭園を散歩することでした。
ふと、ジロール姫の視線の先に、なにかが落ちていました。近づいて拾ってみると、それは耳でした。
「耳を落っことすなんて、一体何処のおっちょこちょいかしら」
ジロール姫はその耳を具に観察しました。その耳にはイヤリングが付いていました。それは、何時もばあやが付けていた、うさぎのイヤリングでした。
「まあ、ばあやったら」
ジロール姫がふたたびばあやの部屋に戻ると、そこからはまた縫製機の音がしていました。
ジロール姫は、こんどはノックもせずに扉を開けました。やはり、こんどもばあやはジロール姫が入った来たことに気がついていません。
ジロール姫はにししっと笑って、ばあやの目の前に耳を突きつけました。
「あなや、驚いた」
ばあやはまた大袈裟な身振りで言いました。
「お庭に落ちていたわよ。あんなところに耳があったんじゃ、私の呼ぶのも聴こえないはずね」
ジロール姫は憎まれ口を叩きました。
「これはこれは」
ばあやは耳を受け取ると、アタマの側面にぐりぐりと押し付けました。
その夜。
城のものがみな、眠りについた頃。ばあやの部屋で、なにか蠢くものがありました。
ぺたこんぺたこん、まるで靴の底を擦って歩いているかのように交互に動くそのものの正体。それは、ばあやのアタマから逃げ出した耳でした。
ばあやの部屋を抜け出した耳は、また庭に行くと、手ごろな大きさの石に腰掛けて夜空を眺めました。
――すると
「月を眺める耳とは、珍しい」
という声がしました。
声のした方を振り返ると、そこにはニッケルハルパ(スウェーデンの民族楽器。バイオリンのように弓で擦って音を出す)を手にしたキリギリスが立っていました。
「そっちこそ、こんな時間にこんなところで何を」
耳は尋ねました。
「ちょいとコイツの練習をね。まだへたっぴで恥ずかしいから、みんなが寝静まったこの時間に、毎日こうしてこっそり練習してるのさ」
キリギリスは答えました。
「君はどうしてこんなところへ」
キリギリスも尋ねました。耳はため息を吐いて答えました。
「少し疲れちゃってね。ああ毎日毎日おてんば姫の大声を聴かされちゃあたまらない」
「同情するよ」
キリギリスは笑いながら言いました。
「一曲、聴かせてくれないか」
耳は頼みました。
「いいのかい。ほんとうにへたっぴだけど、笑わないかい」
「もちろんさ」
耳が言うと、キリギリスは深呼吸して、ニッケルハルパを弾き始めました。
耳の耳に飛び込んできたのは、なんとも哀愁のあるポルスカでした。
ぎっこらぎっこら……それはそれは、とても巧いとは言い難い演奏でしたが、耳の耳には、その音色がとても心地よく響きました。
キリギリスが曲を弾き終えると、耳は右と左とで何度も何度もぶつかり合いをしました。拍手をしているつもりなのです。
「ありがとう、ありがとう」
キリギリスは言いました。
「素晴らしかったよ。これでまた、耳としての仕事を頑張れる」
耳が言うと、キリギリスは照れくさそうにアタマを掻きました。
「また、聴かせてくれないか」
「もちろんさ」
耳はまた、ばあやのアタマに戻りました。
それからというもの、月の明るい晩になると、耳はこっそりと部屋を抜け出して、キリギリスの演奏を聴きに行きました。
――しかし。
ある晩、ベッドを抜け出した耳は、うっかり机の足にぶつかってしまいました。
「おやおや」
物音に気がついたばあやが目を覚ましました。
「夜中になるとどうもアタマがすうすうする気がしておったが、まさか耳が逃げ出していたとはねえ」
ばあやはそう言うと耳を拾い上げ、裁縫セットから針と糸を取り出して、耳が決して逃げられぬよう、自分のアタマに縫い付けてしまいました。
ばあやはふたたびベッドに戻りました。
ばあやがちょうどうとうとしかけた頃。しくしくという声が聴こえました。それは、耳の泣き声でした。
「耳や。いったい何がそんなに悲しいんだい?」
そのとき、ばあやの耳に、ニッケルハルパの音色が飛び込んできました。
庭では今日もキリギリスがニッケルハルパの練習をしていました。しかし、今日に限って姿を見せない耳のことが、少し気がかりでもありました。
キリギリスは、耳のことを思いながら、あのポルスカを弾き始めました。
ポルスカが二週目に突入した、そのとき。どこからともなく、ボタンアコーディオンの音色が聴こえてきました。その音のする方を見ると、なんとばあやがボタンアコーディオンを弾きながら歩いて来るではありませんか。
キリギリスは唖然としながらも、負けてなるものかと、一生懸命にニッケルハルパを弾きました。
曲を弾き終え、キリギリスが、
「驚いたなあ。ばあやにアコーディオンが弾けたなんて……」
「若い頃はずいぶんと弾いたものさ。最近は腰が痛いからめったに弾かないがね」
ばあやは石に腰掛けました。
「お前さん、いまの曲を何処で?」
「じいさんがいつも弾いていたんだ。あんまり毎日毎日弾くものだから、いつの間にか覚えてしまった」
「そうかい」
ばあやはふっと懐かしそうな顔をして、
「いまの曲は、お前のじいさんがあたしのために作ってくれた曲なんだ」
「ひええ」
ばあやはアコーディオンの空気抜きボタンを押したまま蛇腹をふこふこと動かして言いました。
「さ、次は何の曲を弾く?」
こうして、月の明るい晩には、キリギリスとばあやによる、耳のための小さな演奏会が開かれるようになったのです。その演奏を聴いているとき、ばあやの耳は嬉しそうにクピクピと動くのでした。(おしまい)
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