第5話・外から来た男

リュクルゴは、今から約20年ほど前に、西の湧水管の第37支流付近で倒れていたところをデニム公に拾われた元・ハンターである。


元・・・というのは、彼が生活を営んでいた故郷での職業であったからである。

リュクルゴはレゾニア国・南フレイアという領地の山間の村で育ち、霊薬の原料となる、霧積峠の渓流に流れてくる桜の花弁を集めては、市場に売りに出したり、熊や鹿を仕留めてはその毛皮や肉を旅館に卸したりして生計を立てていたのだ。


つまり、リュクルゴはイベリア国の外から来た唯一の人間であり、その稀有な生い立ちと豊富な外界の知識から、デニム公は特別に彼を領主家の国境警備員として迎え入れていたのだ。


リュクルゴがイベリア国内に入った経緯は複雑であった。彼は狩りの最中に獲物を追って山の奥まで入っていったところ、龍の尾切と呼ばれる山地の最奥地である禁断の霧積峠まで足を踏み入れてしまった。


そこには枯れない花びらを咲かし続ける美しい桜・・・紫垂桜と呼ばれる恐ろしい妖樹が群生していた。彼は人間の生き血を啜るとされるその妖樹の群れに襲われ、命からがら逃げだしたものの、逃げる途中に峠の先にある切り立った崖に追い詰められ、滑落したのだった。


その後の記憶は定かではないが、気づけばイベリアの西の領地の外れ、第37支流の付近の森の中で倒れており、イベリアに越境した魔獣の討伐に来ていたデニム公の一団に救出されたのである。


幸いにもリュクルゴは軽い骨折程度の怪我で済んでおり、そのままデニム公のお屋敷で保護され、リハビリや療養して数年を過ごした。


健康になった後、リュクルゴは帰る事も考えたが、彼が発見された付近は頻繁に龍の尾切―――霧積峠から吹き降ろす深い霧で覆われており、第37支流域は魔素の汚染を受けている危険域であった。


そこでは魔獣も頻繁に発見され、霧積峠から吹き降ろす魔素を含んだ霧は、外の世界から来たリュクルゴには平気でも、イベリアの民にとっては危険な有毒ガスであった。


それは一人で登りきるには過酷すぎる崖だ。仮に一人だけで霧の中の切り立った崖を登ったところで、その先にはあの妖樹が待ち受ける霧積峠が行く手を阻んでおり、生還できる保証は何処にもなかった。


それでもリュクルゴは十数年ほど前まで、何度か越境を試みるために崖に杭を打つなど、あらゆる策は講じ続けた。しかし、数年間に渡ってイベリアの清水に浄化され続けた彼の身体は、徐々に魔素に対する耐性を失ってきており、長時間霧の中で活動するのが困難な体質に変わり果てていた。


遂に彼は外の世界に帰る事を諦め、霧が立ち込めるイベリア西端域の監視役として、デニム公の下に仕えて行く事を決めたのだった。


その後まもなく、彼はデニム公の紹介で使用人の女性と結婚したものの、妻は産後の経過が悪く、娘メアリを遺して死別している。


*  *  *


メアリに別れを告げたリュクルゴは、王都に急いだ。

今年で10歳になる可愛い盛りの娘を置いて屋敷を離れるのは忍びなかったが、今回の仕事は越境した魔獣の類の駆除でもないし、霧に冒される心配もない。それほど難しい仕事ではないはずだ。


娘を安心させると、馬を駆り、一路東へ。


自分のいた国と比べれば、イベリアは随分と小さい。

早馬の脚でたった1日もあれば、西の領主家から王城まで着けてしまう。


しかもイベリアの王都には城門がない。

外患の輩に襲われる心配がないからであろう。

王都から各領地への人の行き来も自由で、驚くほど無防備な国である。


過去数百年の歴史の中では、リュクルゴと同じように外から来た人間は他にもいたようだ。しかしいずれの例でも、彼のように甚大な危険を冒して、ほぼ偶然のような奇跡で辿り着いている上に、清水によって身体が慣らされ、誰一人として帰る事は叶わなかった。


一度足を踏み入れれば二度と外に出る事はできない―――イベリアが外界では神話世代の古書に残る「幻の国」と呼ばれている所以である。


魔素のないこの国では悪魔に怯える事もないし、魔法そのものが現存していない。

魔術師が存在しないという事実は、彼が南フレイアに住んでいた頃には考えられないことだった。


レゾニア領でありながら光明神レゾニアではなく炎神フレイアを信仰していた南フレイアでは、炎を操る魔術師が数多く住んでいた。毎年夏にはド派手な火祭りも行われ、海では海上花火や火術を使った烏賊釣りなども行われていた。


そして南フレイアには巨大な都市城壁があった。

南フレイアから川を挟んで直ぐ隣、北フレイアは敵国シルビアスの領土だった。両フレイアの街の外周には巨大な城壁が作られていて、許可なく越境する者は容赦なく警備兵に殺害されていた。


フレイアの都市城壁は、過去に何度も戦場になった事のあるが故の建造物なのだ。

何もフレイアだけの話ではない。レゾニア以外の国でも、各小都市にはやはり外敵を防ぐための城壁は必ず存在している。


だが―――


イベリアにはそれがない。

攻め入る者も攻め向かう相手も、この国には存在しないからだ。


ただ、王宮だけは別だ。

この国に於いていえば、王宮の警備だけは群を抜いている。

王家の死は国の死を意味するこの国では、王城は一般人では決して立ち寄る事の出来ぬ聖域なのだ。


幸い、リュクルゴは領主デニム公に連れられて王城には何度か顔を出したことがあり、知った顔の人間もいる。マリア王女とは幼い頃より面識もあるし、娘のメアリはマリア王女を姉のように慕っている。


今回の仕事はそれほど苦労を強いられることもないだろうと思われた。

―――すぐに帰って、メアリにお土産でも渡してやろう。


*  *  *


王城に到着すると、すぐに王との謁見を許された。


「おぉ、リュクルゴか。久しいな。」


笑顔で出迎えられたリュクルゴは、謁見の場にてしばしの報告の後、人払いを願い出た。察した王は人払いを命ずる。


王は密書を受け取ると、険しい瞳で読み始めた。

予想された内容だったようで、王は軽くため息をつくと、リュクルゴを労った。


「ご苦労だった。返事は明日までに書いておく、今日はゆっくりと休むがよい。」


リュクルゴはカチュア夫人から預かった手紙もあるとして、マリア王女への面会も求めたが、これは拒絶された。


「すまんな、あの子は今、体調がすぐれない。手紙は私が預かって渡しておく。面会は遠慮してやってくれ・・・。」


酷く疲れたような表情で王は言った。

そんなにマリア王女の具合は悪いのだろうか・・・?


しかしこのままでは領主様に報告するには忍びない。


―――さて、どうするか。


*  *  *


謁見の間を出ると、カルダス王子と共に歩くスズ王妃に遭った。


「あら、あなたデニム公のお気に入りの・・・」


「申し遅れました、リュクルゴでございます。」


美しく、気品のある振る舞い・・・その名通り鈴の如き美しい声色でありながら、尊大で、何処か相手を見下したような口調―――間違いなくスズ王妃だ。


過去にも何度かあった事があるが、今王宮内で最も油断のならない人物はこの人だろう。


「あらそうでしたわね。デニム様とカチュア様はお元気かしら?昨年は色々とご心労もあったでしょうに・・・。」


「はい、お二人ともカーシャ王妃様の件で大変お心を痛めておいでです・・・春からはどうにか、お二人ともお立ち直りになられつつあるところではございますが・・・。」


「そう・・・やはりショックは大きいでしょうね。」


「今日はカチュア様から、マリア王女宛にお手紙もお預かりして参上したのですが、お身体がすぐれないとの事で、直接お渡しすることは叶いませんでした。」


「まぁ、マリアに?」


「はい。お二人ともマリア様の事を大変心配しておいでですから・・・。」


(ふん・・・でしたら、驚くでしょうね。)

一瞬、スズ王妃が小声で何かを口にしたように見えたが、リュクルゴにはその内容まで把握することは出来なかった。


一瞬の間があって、スズ王妃はリュクルゴに作り笑顔を見せて答えた。


「そうでしたの・・・。異母とはいえ、私もマリアの母のつもりですわ。カーシャ様亡き今・・・このスズも、アリナ様もあの子を母として支えていくつもりです。リュクルゴとやら、デニム様とカチュア様には何卒良しなにお伝えください。マリアの事は何も心配はいりません。今はまだ別れの傷が癒えてないだけ・・・私達が共に支え、きっとあの子も良くなるわ。」


完璧な返し―――。

一瞬、冷や汗をかく。


「はい、必ずそうお伝えいたします。スズ王妃様の温かいお言葉に、我が領主様もご安心されるでしょう。」


「今日は早々にお休みになって、明日はお気をつけてお帰りになってくださいな。ご苦労様でした、リュクルゴ。」


そう言って立ち去ろうとするスズ王妃の後ろから、体格のガッチリとした、威圧感のある男・・・カルダス王子が口を開いた。


「すまんな、マリアには会わせられぬ。明日は早々に立ち去るがよい。」


「カルダス!行くわよ!!」


余計な事を口にするなとばかりに、スズ王妃はカルダス王子を連れて去っていった。


*  *  *


(妙だ―――)


カルダス王子を制止したスズ王妃の態度から、リュクルゴの勘が何かをとらえ始めていた。


彼は与えられた寝室に入ると、軽装に着替え、トイレを探すふりをして建物内を散策し始めた。


山の中で獲物を探していた頃のように神経を研ぎ澄ませ、足音を殺し、厨房や侍女部屋など、くまなく会話を探して回る。


マリア王女は一体どこにいるのだろうか・・・?


(改装中という割には・・・東の塔の警備が厳重だな。)


一度中庭に出ると、迷ったふりをして人気のない北門付近で、退屈そうに座っている門番の兵士に声をかけてみる。


「あの東の塔・・・結構デカい工事みたいだけど、そんなにボロボロになってたのかい?」


「ボロボロだって?そんなこたぁ~ないよぉ―――」


案の定、夜警に辟易としている門番はべらべらとしゃべり始めた。


平和であるが故に、有名人のスキャンダルが大好物な国民性・・・。

この国に来てから、ずっとそれは感じ続けていた。


嘘か真実かは定かではないが、情報は出てくる出てくる。


(よし、明日は外の酒場でもあたってみるか・・・)


一通り話を聞き終えたリュクルゴは、小銭を門番に持たせて労い、その日はそのまま寝室に戻った。


*  *  *


王宮を出た後、リュクルゴは二日ほど街で滞在した。


王宮勤めといっても、全員が王宮内で寝泊まりしているわけではない。

ましてや今は東塔の改修のため、例外的に外から多くの作業者が王城の敷地には入り込んでいた。


彼らは東城門から東塔周辺の作業場に案内され、そこで一日の作業を行う。

王宮内に入る事は許されないが、王宮内の人間と接する事はある。

信憑性はともかく、情報は情報源から近しいところから得るのが一番だ。


酒場は街の繁華街からは少し離れていて、なるほど、東城門の周辺には少し歩けば最近できたばかりと思しき、いくつかの暖簾が立っているのが見受けられた。

仕事帰りの作業員達が一日の疲れをここで癒して帰るのだろう。


リュクルゴは店を変えて数軒ほどこれらの飲み屋を立ち回り、2日間かけて情報の収集を行った。作業者の中には女もいて、彼女からは驚くべき情報を引き出す事に成功したのだった・・・。


翌朝、リュクルゴは王の返書を胸に携え、西の領主家へ向けて馬を走らせた。

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