第11話・悔恨、そして

騒動の直後から、マリエルは東塔の最上部・・・祖父である前王が暮らす小部屋よりも1階上―――かつて、母マリアが自身の出産に備えて暮らしていたという部屋に入り、一夜を過ごした。


部屋は手入れこそされていたものの、寝具や鏡台などの家具類は当時のまま残され、前王がその管理を指示していた。


その日の晩―――絶望の淵に沈み、枯れるほどに泣き尽したマリエルは、そのまま母マリアが使っていたベッドに横たわり、一夜を過ごした。


(お母さまの匂いがする―――)


昂った心は未だ不安定ではあったものの、ベッドに横たわり、瞳を閉じてゆっくりと呼吸をすると、マリエルは不思議と安心した。


いつしか疲れた身体は深い眠りに落ち、この日マリエルは不思議な夢を見た。目の見えぬマリエルは色というものを知らない―――しかし、確かにその夢は色を持ち、鮮やかな姿で、母マリアの姿を彼女の脳裏に映し出していた。


優しい微笑みを浮かべ、優しく慰めてくれる母―――。

母の髪の毛は自分と同じ手触りがして、その傍らにはメアリもいた。

二人は微笑み、しかし一言も喋らぬまま、マリエルを優しく見つめていた。


母マリアの姿は、マリエル自らのイメージが投影化された姿だったといえる。

像を知らぬ彼女の描いた人物が、どのようなものであったのかは判らない。

顔の輪郭、目鼻の窪み、耳の形、そして肌から感じ取る仄かな匂い―――。

香りは、メアリのものと重なった。

これまでのあらゆる経験が彼女の脳内で、母のイメージを作り上げていた。


この世界の魔法使い(魔素使い)にとって最も重要な素養である「想像力」が、着実に姫君の中で育ちつつあった・・・。


夢見の多い眠りは浅かった。

目が覚めると、まだ夜は明けていなかった。


優しく、儚く、切ない夢だった・・・会いたい―――メアリに会いたい。

再び、姫君の頬には涙が流れた。


(私・・・これからどうなるんだろう―――)


今まで、ただ漠然としか考えてなかった将来が、今重く彼女の目の前に降りかかろうとしていた。イベリア湖の精霊と契約し、国を護る為の母として、将来の王となる子を産む人生―――彼女はこの時、幼い頃から説き聞かされていた将来に初めて不安を抱いた。


お父様とお祖母様の言いなりにはもう、なりたくない。

しかし、目の見えぬ自分は身の回りの事の多くを侍女に委ねる身―――。


現に今だって!

メアリが側にいない・・・ただそれだけの事で、不安で仕方がないのだ。


初めてみた色のある夢・・・。

マリエルはそこで見た、メアリの姿をもう一度思い浮かべた。

その顔は現実とは少し違っていて、美化された想像の産物だったのかもしれない。

だけども、もしも自分に視力があったのなら、メアリはあんな風に自分に対して微笑んでいてくれたのではないだろうか・・・。


(あぁこの瞳・・・この瞳さえ光を得る事が出来ていたなら―――)


姫君が再び眠りに落ちた時―――

一瞬、枕元に誰かの気配があるのを感じた。


*  *  *


王宮内を騒がせた姫君の騒動は、城内の人間からはそれほど大きな問題としては捉えられてはいなかったようである。


反抗期の娘が父親に噛みついただけの事・・・。

そういう楽観視の声も少なからず囁かれていたようだ。


謹慎と云えども、そう長い期間に及ぶことは無い筈。

姫君が頭を冷やせば、王も娘の事は御許しになるだろう―――。


誰もがそう考えていた。


しかしスズ妃は、この事件を深刻にとらえ始めていた。

イベリアの権力の中枢にいるためには、どうにかしてマリエルを自分とカルダスの制御下に置いておかなくてはならない―――。


先日、王の寝室で見せたあれは、彼女の経験上も類のない現象だった。

マリア王女の時とは比べ物にならないほどの強い力がマリエルの血の中に巡っているのは、もはや疑いようもない事実だった。


「さればこそ―――あの子を我らが母子の支配に置いておかねばならない。」


我らの代で成しえなかった湖霊セルベルとの契約は、間違いなくマリエルによって成就される。そうなった時、10年続いた我が子カルダスの権威は「前王」として退位すると同時に失墜し、その後の全権は女王となったマリエルと、その系譜でもある西の領家が握っていくに違いない。


昨夜のマリエルが見せた反抗的な態度は、明らかに危険な兆候を見せていた。

リュクルゴの身動きを封じるためとはいえ、メアリを姫君の傍に置いたのは完全に失敗だった。


(忌々しい!デニム公に拾われた野良犬の娘風情が!!)


スズ妃の額に、一筋の皺が深く刻まれた。


「やはり、厳しく躾けなくてはなりませんね―――。」


スズ妃の脳裏には、既に周囲の者とは異なるシナリオが描かれ始めていた。

マリエルの今後の心境次第では、自分達の今の立場どころか、前王の死後にこの国が存続するかも危ぶまれる事態になる。


湖霊との契約が完了するまで、我らは精神的な優位を堅持しなくてはならない。

その為にはあの子の盲目―――それを上手く利用しない手はないだろう。


そうですわ。


ここで―――噛みつかれた手を引いてはなりません。


「あの子が許しを請うまで、東塔から出してはなりませんよ。」


*  *  *


翌日から、姫君の私物は侍女達によって東塔へと運ばれ始めた。

姫君はメアリの姿を探したが、何処にもその姿はなかった。


不安に駆られた姫君は、侍女達にメアリの所在を聞いた。


「メアリは今は謹慎中です。ですがご安心ください。数日中にはきっと王も御許しになられ、ここに戻ってまいりますわ。」


しかし、何日経ってもメアリが姫君の元に姿を現すことは無かった。

毎日毎日、身の回りの世話に来る侍女達にメアリの事を聞いたが、皆一様に言葉を濁して、知らないふり突き通した。


姫君の不安は募り、彼女は懇願するように侍女達にメアリの事を聞き続けた。

そうした日々が十日ほど続くと、ようやく一人の侍女が―――耳打ちするように、小さな声で姫君に真実を語った。


「姫様、私が言った事は秘密ですよ?―――実はメアリは、スズ様から暇を言い渡され西の領主家に戻されたのです・・・。」


事実を知った姫君の心は、再び絶望のどん底に突き落とされた。

彼女にとって、姉であり、母であり、教師のように親しんだメアリと―――もう会えない。


「酷いわ、お祖母様―――!メアリを私の処から遠ざけるなんて!」


*  *  *


姫君は再び母の香りのするベッドに倒れ込み、咽び泣いた。


やがて日が傾き、泣きつかれて声も枯れ始めた頃―――彼女の元を訪ねてきたのは祖父である前王だった。


彼は未だ、姫君と直接会う事は禁じられたままであった。

部屋の前には兵士がいて、前王はそこで制止させられる。


姫君の啜るような泣き声だけが、ドア越しに祖父の耳に響いていた。

前王は深いため息の後・・・扉の前で独り言のように語り始めた。


「マリエルよ、聞いているな?」


(お祖父・・・様・・・?)


「自棄を起こすのではないよ、マリエル。物は考えようなのだ。」


「メアリは長らく父の元を離れ、お前の傍で良く働いた。メアリが身を挺してお前と私を引き合わせたように、今度はお前が身を挺してメアリを父の元に帰してあげたのだよ。お前が私に会いたがっていたように、あの子もきっと、父リュクルゴに会いたがっていた筈だ―――」


「―――だからマリエル、自分を責めるでない。何も悪い事は起きてないのだ。お前とメアリの間の絆は変わることは無いし、待っていれば必ず会える日は来る。今は耐え忍び、その時を待ちなさい。」


「それに―――忘れたのか?ここ数日、お前の一生懸命な笛の音が聞こえなくてな、私は心配していたのだよ。よもやお前は、あの笛を吹く気力も無くなってしまったのかい?」


マリエルはベッドから起き上がり、祖父から貰った銀色の笛が入った箱に手を伸ばした。そういえばここ数日、不安に駆られた自分は練習する事すらままならなかった。


『お前もこれから色々と大変だろうが、辛くなった時は、この笛を吹いて気を紛らわせなさい。』


そうなのだ―――思えば私は、自分の事ばかり考えていた。

メアリは私の為に、家族と離れて一人ぼっちで王宮に入り、私の家族になってくれたというのに・・・。


(私には、お祖父さまがいる―――。)


笛の重さ、そして冷たさが、それを思い出させてくれた。

この王宮では、メアリこそ独りぼっちだったのだ。


彼女がどんな思いで王宮を去り、故郷に帰ったのか・・・。

姫君はひんやりとした銀色の笛を握ると、胸に押し当てるように抱えた。

メアリの事を思うと、胸が張り裂けるような気持になった。


「お祖父様、教えてください!私はこれから・・・これからどうしたらよいのですか?」


「マリエルよ・・・それは自分で考えて、自分で決めなさい。お前の母マリアが決意の末にお前を産んだように、お前も自分の道を自分で決めるのだ。私にはもう、お前に何かをしろと言うことは無い。私の最後の願いは、お前の母マリアが叶えてくれたのだから。」


「ただ―――心身を病む事だけはしないでおくれ。正しい道を選ぶには、身体も心も、健やかでなくてはならないのだから。」


祖父の言葉に、姫君は胸が熱くなるのを感じた。

枯れた筈の涙が再び零れ、頬を伝った。


「ありがとう、お祖父さま・・・。」


そうだ、これは当然の罰なのだ。

メアリの身上も考えず、好き勝手に父や祖母に噛みついたが故の罰・・・。


(ごめんなさい、メアリ―――。)


しかし、だからといって・・・前王である祖父を蔑ろにし、自分との接触を禁じ、そしてあまつさえメアリまで哀しい目に遭わせた父と祖母の事は、決して許す事は出来なかった。


(罰は受ける・・・だけど私はもう、父と祖母の人形にはならない。)


姫君の心は徐々に、自立への一歩を踏み出そうとしていた。

それはまさに、イベリアの未来を決める女王としての目覚めだったのかもしれない。

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