ハンギングキャッスルの姫君

ポージィ

第1話・終わりの始まり

「やはりマリアも駄目か・・・」


14歳になった末の娘・・・イベリアの第一王女マリアにも、湖霊セルベルの声は聞こえなかった。


王は苦悩した。

建国より千年・・・古の神々により約束された筈の千年王国イベリアも、ついに終焉の時を迎えようとしている―――。


* * *


世界が魔に蝕まれた千年前・・・多くの人が魔の災いに堕ちる中、古の神々により能力(ちから)を授かった一人の男がこれらを退け、人々をこの地に導いた。


男はこの地に湧く聖なる湖・・・その湖を守る水の精霊と契約し、血の契りを交わした。

契約に従い精霊が男に提供した清廉なる水は、外界を覆う魔素―――魔力に満ちた不浄なる瘴気よりこの地を守り、この地に逃れた人々に、再び豊かな水と大地を与えたのである。


神々の啓示を受け、精霊と契りを交わしたこの男を、人々は救世主と崇めた。やがて彼はこの国の指導者となり、建国の祖としてその王座に就いた。


人々は王の出自に因み、この約束された地をイベリアと名付けた。

神の啓示を受け、王となった男は、国中の民から愛され、彼もまた民を愛し、共に生活を営み、そして子を授かった。


王の子は次代の王となり、精霊との血の契約を継承した。

人々は王家の続く限り、清浄なる水と土地を約束されたのである。


救世主としての大義を全うし、次世代に襷を繋いだ英雄王は

『イベリアの幸福 末永く この血が続く限り 先千年は 続くであろう―――。』

そう言い残してこの世を去った。


*  *  *


人々は静かに、慎ましく、変わらぬ生活を続けた。


彼らは清浄なるイベリアの外・・・魔素満ちる不浄の世界では生きてはいけなかった。

だからこそ、イベリア各地の集落には幾多もの掟が作られ、終生終わる事のない運命共同体として、保守的な社会を構築していった。


決して拡がる事の無い世界―――そこでは、一人は皆のために、皆は一人の為に生きねばならぬ。

潮の流れに乗り、先導するたった一匹の動きに合わせて一斉に向きを変える小魚の群れように、そこで生き延びるためには、喜びも哀しみも、あらゆる価値観を集団の意思の下に帰属させなくてはならなかった。


中には個を捨てきれぬ者もいた。個人の自由な感性、自由な意思を信じて、外の世界に出て行った者もいた。

彼らはその後どうなったのか?

外界の魔物に殺されたか、或いは自身が魔素に充てられて魔物と化してしまったか―――残った人々にはそれを確認する術もなかった。


イベリアの人々は、そうした集落内で起きた哀しき事件すらも、教訓として語り継ぎ、時には娯楽として後世に伝え遺していったのである。


約束された千年は、束縛された千年でもあった。

・・・人々の耳に外の世界からもたらされる情報はなく、ただ変わらぬ生活の営みだけが延々と続いた。


所詮は人間―――。

そうした閉ざされた日々の中で、王も民も、代を重ねるうちに互いの存在を確かめ合うように交わり、溶けあい、そして薄まっていった。

湖霊と契約を結ぶために受け継がれた王家の血は、人知れず、次第に、そして確実に、その魔力を失っていったのである・・・。


*  *  *


それから約千年の後・・・


現王が湖霊と契約の儀式を行ったのは王女マリアと同じ14歳の時。


この時すでに、王は湖霊の姿すら見る事は叶わず、微かに彼女の言の葉を耳にしただけであった。姿を見る事は叶わずとも声を聞き届けた若き日の王は、どうにか言の葉のやり取りを以って儀式を完遂させた。


明らかに先代、先々代より伝え聞いた話と、自らの儀式体験は異なっていた。王家に受け継がれた魔力の強い血が、精霊との交信すら困難な程度にまで薄れている事は、もはや疑いようもなかった。


「このままでは、私の次の世代では国が滅んでしまう―――」

建国より千年・・・初代・英雄王の遺した祝福の言葉は今、呪いの言葉として、現実のものとなろうとしていた。


悩める王の眠れぬ日々は続く。


―――忘れ去られた国イベリア。


最後の幕は、既に上がり始めていたのである・・・。

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