第14話・魔女ルシアナ
音楽に没頭して以降、姫君の感覚は日に日に鋭くなっていった。
今や彼女は、ドアの外を歩く足音で誰が来たのかを言い当てたり、視線や呼吸音だけで個人を特定したりできるようになっていた。
聴覚や触覚だけでなく、嗅覚もまた、発達した。
目の見えぬ姫君にとって、季節の移ろいは香りがそれを知らせた。
人や街から漂う香りで姫君は色々なものを学び、知識とした。
(―――誰?)
枕元に微かに感じる気配―――。
眠っている時ですら、彼女の感覚は常に研ぎ澄まされていた。
その鋭い感覚が、遂に彼女を捉えたのである―――。
「あら、ようやく気付いたの?」
声の主を姫君は知らない。
そして、姫君の身体はまだ深い眠りの中にあって、感覚だけが声の主を捉えている。
金縛り―――そう、姫君は声を上げる事も出来ぬまま、意識だけで彼女に干渉していた。
(あなたは、誰?いつからここにいたの?)
「もうずっと前からよ、だってあなた―――とっても素敵なんですもの。」
(ずっと前から?)
そういえばいつの日だったか、枕元に奇妙な気配を感じた事があったが―――。
「ようやく見えるようになったのね。上出来だわ。」
(見える?)
「そうよ。もうずっと昔に、私はあなたに『視る力』をあげたのよ?今まで気付かなかったの?」
(視る力ですって・・・?何を言ってるの?私は産まれてから一度も目が見えた事は無いわ。)
「それはあなたが『視ようとしていない』だけ―――あなたの眼はもう、視ようとすればどんなものだって視る事ができるのよ。」
哲学的な問答に、姫君は困惑した。
(―――よく解らないわ、あなたは一体誰なの?)
「だったらほら、こちらを視てごらんなさいな―――」
姫君の眼・・・眼は開いていた。
眼は世界を捉え、その映像を脳裏に映し出していた。
しかし、彼女はそれが夢だという事は自覚していた。
だが―――夢というには不思議な感覚だった。
自分は一体何時から、夜は青く―――暗いものだと知っていたのか?
月明かりの色も見た事がないのに、部屋の中は窓から入り込む月の灯りで青白く塗りつぶされていた。
青白い・・・?
青白い光ってこういう事なの?
もしかしたら、自分はずっと以前からこの色を知っていたのかもしれない。
今まさに夢の中で見ている自室は、確かに手先の感覚で把握していたイメージと合致していた。
視線を右にずらすと、そこには月明かりに照らされた、燃えるような赤い?恐らく赤い色というのだろう、鮮やかな髪の美しい女性が立っていた。
顔の輪郭、髪型、服装―――姫君が今までに一度も会った事のない女性。
「ほら、視えた。」
いたずらっぽく笑うその女性は、少女の様にも見えたし、大人びても見えた。
(あなたは誰?私、知らないわ。)
「私はルシアナよ。よろしくね、御姫様。」
ルシアナと名乗った女性はニヤリと笑った。
(ルシアナ?―――初めて聞く名前だわ。)
「そうかもね。素敵な名前でしょう?じゃあ今度は、あなたの名前を教えてくれる?」
(私は、マリエル・エルマリア・イベリア―――)
「あらあら、私の考えてたのと違うわね。」
(違うですって?)
マリエルの名前―――それは、ウイジャボードの示した『マリエル』に『マリアの娘』の意味を成す『エルマリア』が与えられ、マリエル・エルマリア・イベリアというのが正式名称であった。
ルシアナの言う、違うとは一体どういうことなのだろうか?
「あなたの名前はマリエル・カーラ・イベリアよ。明日からはそう名乗りなさい。」
(なぜ?)
「それが本当の名前だからよ。」
(よく意味が解らないわ、あなたは一体誰なの?何故私に会いに来たの?)
「質問の多い子ねぇ・・・。いいわ、私を見つける事が出来たご褒美に、教えて差し上げましょう?」
呆れたようなため息をついた後、ルシアナは小悪魔のような邪悪な笑みを浮かべて語り始めた。
「私の名はルシアナ・スアム―――瞳の魔女にして、叶える者。」
(叶える者―――?)
「この地に千年もの長きに渡って鬱積した強い希望と絶望―――その深いカルマが強き願いの象徴としてのあなたをこの世に齎した。マリエル、あなたはこの地に暮らす全ての人々の願いの象徴―――そのあなたが望む事―――私はそれを叶える為にここに来たの。」
魔女ルシアナの言葉は難解な謎かけのようであった。
「あなた、眼が視えるようになりたかったのよね?」
(それはそうだけど―――)
「じゃあもう願いは叶えたわ。あとはあなた次第ね。」
(ちょ、ちょっとまって!)
「私の瞳は特別製よ~?せいぜい上手く使いなさいな。」
(ちょっと待ってルシアナ!私には何が何だか―――!)
遠ざかる意識の中、脳裏に響く声―――
マリエル、あなたの望む通りに生きなさい。
色々なモノを見て、学び、瞳を啓き続けなさい。
その先に幾多の困難が待ち受けていようとも―――。
この世界を視続けるのです。
それがあなたの―――スアムとしての―――
やがて声は遠ざかり、姫君の意識は深い眠りの底に堕ちた。
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