第15話・啓かれた瞳
刺激―――瞼越しに当たる感覚。
刺すような、だけどもどこか捉えどころのない、刺激。
眼が疼く―――この感覚は何・・・?
色が見える。これは何色?赤い、赤い、網の様に点滅するような文様。
チカチカとした幾何学的な文様が、姫君の目に映っている。
(何なの?これは。)
「うっ・・・!」
恐る恐る目を開けると、そこには昨夜―――夢の中で見たあの部屋があった。
だが、昨夜とは違う。
全ての色が違う。夢の中の色とはまるで違うではないか。
昨夜のあれは・・・多分、青か黒という色―――。
今、目の前にあるこの風景の色は何?一体これを何色というのだろう?
―――わからないわ。
だって私は、色を聞いたことはあっても、見た事がないのだもの。
シーツの色、壁の色、自分の肌の色、そして窓から射し込むこれは・・・光の色?
窓の方を見ると、一際強い刺激があった。
眼が疼いたのは―――そう、光の刺激―――。
もう一度目を閉じてみた。
また再び現れる、赤い、幾何学的な文様―――。
それは、目蓋を透して瞳に映る、毛細血管の文様だった。
「ええっ!?」
姫君は眼を大きく見開いて飛び起きた。
「見える!確かに―――見えるわ!」
「目の前」にある現実がようやく理解され始めた。
13年間光を知らなかった姫君の眼は―――今、啓かれた。
「なんてこと・・・これが光のある世界!まさか本当に・・・あぁ、なんて事でしょう!」
姫君の小さな胸は高鳴り、呼吸が荒くなった。
今、この瞳に映る物は全て現実―――夢なんかじゃない!
「あは、あはははははは!!」
その感動は思わず、腹の底から素の音を呼び起こした。
そして、映像の世界に彼女を誘うかのように、姫君はベッドから飛び起き、部屋の中をくるくると踊り始めた。
「っと、と!!」
まだ空間に慣れぬ瞳は盲目時代の平衡感覚と距離感覚に混乱し、姫君は尻もちをついた。しかし、床に転がったまま彼女は笑っていた。
「あはははははは!!素敵!これが見えるって事なのね!」
姫君はお腹を抱えて笑い転げていた。
凄い!なんて広い、なんて大きな部屋!
今まで手探りで歩き回っていた世界が、突然拓けた。
「あははははは!最高!」
姫君は両手を伸ばし、踊りながら枕元に近づくと、ベッドの脇に置いてあった愛用の笛に手を伸ばした。
銀色の笛は窓から射し込む朝の陽射しを浴びて一際眩しく輝き、姫君の瞳にはその光が太陽のものだと知った。
「なんて素晴らしいの!―――世界中のどんな花嫁よりも、今私は一番幸せだわ。私はあなたに逢う為に産まれてきたのね―――ありがとう、初めまして、世界!」
朝を告げる笛の音がイベリア城下に響き渡り、人々は何事かと東の空を見上げた。
姫君は窓を開け、東の空に上がる朝日を前に満面の笑みで演奏を続けた。
窓から身を乗り出し、頬に感じる清々しい風と匂いに、音を重ねた。
これは緑色の風だ。森の木々―――緑色の葉っぱ。
毎朝、肌で、鼻で、全身で感じていたこの風は、森から連れてきた緑の風だったのね。
(今日は素晴らしい日―――世界が私に会いに来た日―――なんて素敵なんでしょう!!)
朝を告げる笛の音は、いつもより早く起こされた侍女達が、慌てて部屋に集まってくるまで続けられた。
だが、着替えの手伝いももう必要ない。
ほら見て、私はもう―――自分の眼でお洋服を選んで、着替える事もできるわ。
服―――そうよ、素敵な服!
服を選ばなきゃいけないわ。
普段は着づらくて苦手だった服も、今ではどれも輝いて見える―――。
あれも着たい、これも着たい、あぁ、なんと素晴らしい悩みなのだろうか!
それにしても、彼女も素敵な格好をしていた。
彼女は結局、誰だったの?
名前が―――思い出せない。
そうだ、魔女―――瞳の魔女と言った。
私の願いを叶える為にここへ来たと。
それ以上は思い出せないな・・・まぁ、いいか。
今はただ、「眼」の前に起きた奇跡に、喜びを示そう。
私の切なる願いを叶えてくれた、魔女様に感謝を。
それにしても―――
眩しいせいかな?
(―――おでこが痒い。)
* * *
姫君の眼が治ったニュースは国中を駆け巡った。
城下では号外も配られ、街は大変な騒ぎになっていた。
姫君は鏡台の前に立つと、初めて自分の顔を見た。
それは、かつて夢の中で見た、母マリアの顔に似ていた。
漠然としたイメージだったが、もしかしたら、あの時から既に「彼女」は私の眼を治していてくれたのかもしれない。
ならばメアリの顔も、そう遠からず想像通りなのではあるまいか。
姫君は部屋を飛び出すと、まっすぐ下の階の祖父の部屋に向かった。
面会は禁じられていたが、彼女は制止しようとした兵の前に立ち、その瞳を覗き込んだ。
―――姫君の眼を見て、彼は一瞬で固まり、命令を忘れた。
全てを見透かすような美しい瞳の前に、抵抗できなかったのである。
前王は喜んだ。
視力の戻った孫娘は―――亡き娘、マリアを見るかのようだった。
お前の母マリアが奇跡を授けてくれたのだと、彼は泣きながら姫君を抱きしめた。
(あぁ、愛しいお祖父さま―――どんなに逢いたかった事か!)
それから、姫君は父カルダス、祖母スズ、教養の先生、楽師の先生、いつも給仕してくれた侍女の皆々―――色々な人に逢い、祝福の言葉をもらった。
人々は姫君を祝福し、そして姫君は、出逢った人全てを褒めた。
素敵な洋服、素敵な顔立ち、眼の色も、髪の色も、みんなみんな、違っている!
(あぁ、皆なんて個性的なの!)
どれ一つをとっても、同じものはこの世にない―――そんな当たり前の事が素晴らしく思えた。
「今日は素敵な日よ!みんな、ありがとう!」
両手を拡げながら城内を嬉々として走り回る姫君の眼には、魔力が宿っていた。
彼女の身体から溢れる感動は多くの人の心に伝染し、その心を浄化していった。
そしてついに、カルダス王の毒気が抜けた。
「マリエル―――今まですまなかった。」
この日、王は初めてマリエルに謝罪した。
瞳と共に輝き始めたマリエルの姿に、己の無力さをつくづくと思い知った。
この子の放つ輝きは間違いなく―――イベリア王家、始祖の血の力。
母の傀儡として王を演じ、鬱屈としたコンプレックスを抱え続ける自分とは・・・あまりに違いすぎる。
この輝きの前には、もはや怒りも沸かぬ。
むしろ、清々しい気分だった。
イベリア湖の精霊は間違いなくこの子を契約者に選び出すだろう。
正直な話、もう王を演じるのは疲れた。
この子なら、背負った重すぎる血の呪いから、自分を救い出してくれるのではないか?
ならばこそ、もうこれからは父として、そして兄として―――かつて妹マリアに対して自らが納得したように、この子にも同様の事を納得してやっても良いのではないだろうか。
王は姫君に対し、今まで彼女に対して行ってきた事の多くを謝罪し、許しを乞うた。
「もう良い、眼は啓かれたのだろう?長い間すまなかった。もう私はお前を、何処へも閉じ込めたりはせぬ。自らの足でこの国を歩き、色々な物を見てくるといい。」
「もうじき―――そう、来年になれば、この国はお前を礎に回り始めるだろう。その時には私も、お前の周りを回る月となるのだろう。太陽が月の周りを回ることは無い。今日、私にははっきりと分かった。」
「今までのイベリアは、長い長い日食の最中にいたのだ。私は今まで、月である身を忘れ、母に言われるがままに自分が太陽なのだと思い込んでいた。しかし今は違う。日食は終わったのだ。啓かれたお前の眼は、きっとお前の母マリアが遺した太陽に他ならないの事が解ったのだよ―――」
輝き始めた瞳に、母の傀儡として生きたカルダスの魂は遂に解き放たれた。
そして・・・スズ妃。
彼女だけが、まだ終わらぬ日食の中にいた。
彼女もまた、王家にとって特別な才を秘めた人間だったのかもしれない。
* * *
父カルダスの胸中を聞いて、マリエルは長い闇を抜けたような気持になった。
未来に光が差し、全てが上手く行くように思えた。
この眼があれば、きっと素敵な未来だけが見えるに違いない。
今日だって―――!
こんなにも素晴らしい事が立て続いたのだから。
みんな、良い方に向かっていくはずよ。
それにしても―――
(やけに、おでこが痒いわね―――)
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