第17話・魔王シャンマラ
夜―――。
人の闇を覗き過ぎた姫君の眠りは浅くなった。
最初に覗いたのは見知らぬ他人。
心がゾクゾクと震えるのを感じた。
しかし彼女は恐る恐る、そして徐々に、近しい人の闇を覗いていった。
そして・・・
祖母の闇を覗き、父の闇を覗いた。
奥歯に電撃が走るかのような光景だった。
祖母スズ妃の闇―――。
そしてその息子、父カルダスの闇―――。
いや、これは違う。
父は―――父では―――ない!?
そして最後に覗いたのは、祖父の闇だった。
―――覗き切った末に見えたのは、姫君自身の闇だった。
私は―――私は一体―――何?
* * *
父は祖父だった。
彼は優しかった母を犯し、私を産ませた。
二人とも苦悶の表情で抱き合い、自身の運命を呪い合っていた。
汗と血と涙と、そして体液を混じり合わせ―――互いに
(仕方がない、仕方がない)
と言い聞かせながら。
キ ガ ク ル イ ソ ウ ニ ナ ル
祖父・・・いや、父と呼ぶべきか。
彼の記憶の記憶の先に、病める母がいた。
私を身籠った事で、彼女は苦しみ果てた末に死んだ。
そして
ワ タ シ ハ ウ マ レ タ
私は―――何?
イベリアの未来を照らす希望の光ですって・・・?
冗談じゃない!!
まるで、産み落とされたイベリアの呪いそのものではないか。
ソ ウ ダ
ノ ロ ワ レ テ イ ル ン ダ
あぁ――――駄目だ―――!いけない!
自我が壊れる・・・!私の中の私が、音を立てて崩れていく!!
* * *
「お願いよ!許して―――許してぇ―――!!」
姫君は眠りながら号泣していた。
恐ろしい悪夢に魘されて、その眼尻と頬には涙の跡がくっきりと跡を遺していた。
飛び起きては涙を拭い、それでもまた泣きつかれて眠った。
眠る度に悪夢は反芻した。
シーツは汗と涙ですっかり湿り、大量の魔素を帯びたその滴は、蒸発して部屋に充満していた。
招かれざる客人はその魔素に吸い寄せられるように窓から侵入してきた。
(あぁ^~美味い―――)
カタチを持てぬ黒いそれは、部屋に満ちた瑞々しい姫君の魔素を吸い込んで、もごもごと蠢き、肥大化していった。
(・・・なんて甘美な悪夢だ。こいつはとんだ上玉だぜ。)
黒いそいつはシャンマラといった。
千年以上もの昔、イベリアの建国王によって祓われ、清浄なる水の加護によって存在すら洗い流された魔王。
『見透かす者』の異名を持ち、人心を覗き、惑わせ欺く、瞳力の魔王。
彼は特に、落差の大きな絶望を最高の美食として好み、食った。
悪夢に魘された姫君の、滴る汗が満ち満ちたこの部屋は今や、イベリアの中にありながら湖霊セルベルの加護の及ばぬ、密閉された瘴気の満ちる魔空間と化していたのである。
(なんだぁここは・・・!)
(まるで魔界だな!力が蘇ってくるぜ―――ありがとよぉ、お姫様ぁ!)
黒い影に過ぎなかったそれは、部屋中の魔素をその身に吸い込み、姫君の見ていた悪夢を食った。
そして、充分な魔素を蓄えたシャンマラは、遂に現世に実体化した。
最初は黒い塊にしか見えなかったそれは、蠢くゴム玉のように大きく膨れ上がった後、棒状の何某かに変異し、その先端に巨大な瞳が一つ、開いた。
瞳の直ぐ下には真一文字に刃物で切れ込みを入れたような裂け目が広がり、それは真っ赤な色をした口となって音を発した。
「ようやくここまで力を取り戻せたか。感謝しねぇとなぁ、このお姫様によぉ。」
黒いそれはギョロリと瞳を動かし、まじまじと姫君の寝顔を見つめた。
「何があったかは知らねぇが、この姫様・・・魔法で人の心を読んだ末に自分の心の闇に呑まれちまったようだな・・・。」
「ケッケッケ、ざまぁねぇぜ。これだから人間の心は食うのを止められねぇ。」
ニタァ・・・と、動脈血の様に真っ赤な口が、闇を切り裂いたように浮かび上がった。
「だが、このままじゃ収まりがつかねぇよなぁ~。」
せっかくここまで力を呼び覚ましたのだ。
ここを離れて再びあの忌々しい湖霊に消されてたまるものか。
そうだ、その為に・・・
「悪く思うなよ、お姫様ぁ!あんたの身体、この魔王シャンマラがもらってやるからよぉ―――!」
黒くそそり立ったそいつは、魔素の満ち溢れる姫君の身体に覆いかぶさっていく。
鼻から、口から、毛穴から・・・あらゆる穴という穴からそいつは染み込むように姫君の身体に入り込んでいった。
「これで俺も晴れて自由の身だ!!ヒャッハッハッハッハァ―――!!」
* * *
悪夢の最中にいた姫君は異常を感知した。
何かが私の心を覗いている。
視られているのだ。
汚らわしいこの身体・・・
汚らわしいこの存在・・・
あざけり、舐りまわし、蹂躙されている―――。
やめて!!あぁ・・・見ないで!!
私の心をこれ以上蹂躙しないで!!
「そうはいかねぇな!観念して身も心もこのシャンマラ様に捧げるんだな!せいぜい可愛がってやるからよぉ~ヒャヒャヒャ!」
シャンマラと名乗ったそれは、姫君の眼の奥から、直接脳髄まで侵入しようとしてきた。
「ここがお前の大事な部分だなぁ?」
いやらしい笑いを浮かべたシャンマラは、姫君の自我を支えていた最後の部分―――メアリからもらった無償の愛の記憶を食い散らかそうとしていた。
「そうかぁー!メアリか、良い女だなぁ~。安心しろ、お前を食った後はこの女の心も食ってやる!」
やめて!!メアリの―――メアリとの思いでには触らないで!!
「ダメだぁ~ぜーんぶこのシャンマラ様が食ってやるぜぇ~!」
やめて・・・やめてぇ・・・。
「ヒャッハッハッハ・・・!」
やめろ。
「ひゃ・・・?」
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ
姫君の様子が豹変したと気づいた時、恐怖に慄いたのは―――魔王の方だった。
* * *
ピシッ!
その刹那、姫君の疼いた額に突如、切れ込みが入った。
切れ込みはミチミチミチ・・・と音を立て、額を血で染めた。
そして・・・歪はそのまま艶めかしい音を立てながら開き、それは現れた。
(なんだ!なんだってんだ!?何が起きたんだ!)
「黙れ・・・下郎ぉ・・・。」
目覚めた姫君は片手で血に染まった額を抱え、身を起こしていた。
「よくも―――よくも私の心を蹂躙したわね―――」
凄まじい怒りが魔王に向けて放たれる。
姫君の身体に同化しかけていたシャンマラは、慌ててその身から離脱しようとした。
「逃げる気!?駄目よ・・・お前なんか、殺してやる!」
姫君の眉間にしわが寄り、額の傷は遂にくっきりとその姿を現した。
第三の瞳―――。
脳の前頭葉の先端、前頭骨を溶かして現れたそれは、彼女の身体から吸い尽くしたはずのシャンマラの魔素を、みるみる内に奪い返していた。
「死ねっ!死ねっ!この汚らわしい蟲が!!」
(ダメだ・・・!カタチが・・・保てない・・・!)
慌てたシャンマラは、姫君の汗が染み込んだ寝間着を最後の逃げ場としようと抗った。
(オマエ・・・ナニモノダ・・・マサカ・・・)
完全に魔力を失った哀れな魔王は、そのまま霧のように姿を消した。
そして、消耗した姫君もまた、再びベッドに倒れ込み、意識を失ったのだった。
* * *
その頃―――イベリア上の遥か上空―――。
姫君とシャンマラの攻防戦の一部始終を見物していた人物がいた。
その結末に腹を抱えて笑いながら、宙を転がりまわっていた。
「相変わらずの馬鹿ね~シャンマラ。一度やならず二度までも、私の可愛いお姫様にちょっかいを出しといて、あっさりと返り討ちに遭うなんて。」
瞳の魔女―――ルシアナである。
「でも―――今度は許してあげるわ。」
にやにやと嬉しそうに笑いながら、瞳の魔女は宙で踊った。
「あの子はまだ子供だもの。育ち盛りにはお友達が必要―――でしょ?」
そして、両手を拡げながらクルクルと空を舞う魔女。
「それに、おめめの使い方はおめめの専門家に習わなきゃね?」
そう言い残すと、魔女はキャハハと笑いながら、東の空に消えていった。
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