第3話・王の独白
私がイベリア湖からマリアを連れて戻った時、彼女は泣き崩れ、二人の兄と王妃達は優しく彼女を労った。
あのスズすらもマリアには優しかった。
あの子ならば―――と、その資質をスズも認めていたのだろう。
マリアにも契約の儀式が果たせぬとあらば、もはやこの国は私の命の灯が消えるのと同じくして、全てが終わるであろう。
少なくとも、この事が市中に知れ渡れば、国中に大変な動揺が巻き起こる。
愚かな事だが、もはやこのイベリアでは自らが受けている湖霊セルベルの恩恵を、多くの民が自覚していない。
早急に手を打たねばならないな―――。
* * *
私は王族の血の回帰を謳い、直々に三領主家の当主に頭を下げ、直系に当たる彼らの愛娘を嫁がせた。
説得は一筋縄ではなかった。王籍に入れるのは代々三領主家からの何れかの子女子息一人であり、それで御三家は権力的な調和を保っていたのだから。
スズには・・・一度フラれた。
しかし、長い歴史を振り返ってみれば、王家は元々一人の王から始まっているのだ。御三家も元は王家の復縁に起源を同じくし、建国直後は王と町民との婚姻も珍しい事ではなかった。
ところが建国後まもなく、王家との婚姻はすぐに民層から忌避されるようになっていった。その背景にあったのは王家に嫁いだ女性の死産率の高さだといわれている。
当時、強い魔力を持つ王族の子を宿した娘は、身体の中に魔物を飼うのも同じ事だった。妊娠初期から魔素中りと呼ばれる強い悪阻を起こし、子供が産まれるまでに体力を消耗して死亡することも多かったのだという。
伝承によれば、王妃は妊娠後も「魔素祓い」と呼ばれるいくつかの儀式を経て、腹の子から母体に受ける影響を最小限にとどめながら、どうにか出産まで辿り着いていたらしい。
昔から我が王家は子孫を残す事に幾重にも渡る試練と、苦労を乗り越えて、この時代までこの血を繋いできたのだ。
それでも、少しずつ王族は増えていった。
王妃の出自が一般の国民であったならば、出産を重ねるごとにその血は半分に薄まってゆく。
徐々に妊娠による魔素中りのリスクは軽減していったし、一方で身内による近親婚も自然発生的に行われていった。そして、その場合には一般国民から王妃を迎え入れるよりも、魔素中りのリスクがより少ないという事も判明した。
当時は王族の安定した後継者の誕生を国を挙げて望まれていた時代だったし、国民もこうした近親婚の慣習を歓迎した。
一方で、国民の数も徐々に増えていった。王都を中心に東、西、南の集落地にイベリア湖から通じる清水の湧水管群があるのは、それを見越して建国の王があらかじめ湖霊セルベルに作らせたものだったという説がある。
イベリア湖の清水を噴出する湧水管は、国中の何処を探しても、イベリア湖畔と王都中枢、そして各領主家の敷地以外の場所では見つかっていないからだ。
現在の御三家が各三方に領地を任されたのは今から800年ほど前の話で、それから王家は代々その御三家から王妃、または王を迎え入れる事が通例となっている。王家から分家した御三家より、定期的に血の回帰を繰り返しながら子孫を残そうとしたわけだ。
だが、その後の時代では、それでも王族の子を産む女性側のリスクは高いとして、革新的な勢力の声に押されるように、王家の筆頭が女系となった時代もあった。
女王であれば、一般の男性を夫に迎え入れても、妊娠で魔素中りを起こすこともなかったし、女王自身が望む男性の子を産むことができた。
王家に自由な恋愛が許された時代の幕開けだった。
しかしそれは同時に、それまでの王家が子作りに対してかけた苦労を、むしろ蔑ろにする行いでもあった。
いつしか自由を得た女王達は、領主家から養子に入った夫とは別の男・・・そう、例えば、衛兵から街の詩人まで、好きな男を寝所に呼び、逢瀬を重ね、そして王家の血を薄めていった。
当時は王宮内に女王の隠し子の話もあったというし、恋に自由でスキャンダラスな彼女らの生き様は、王都に住む国民にも強い影響を与えた。
時の女王達の存在を偲ぶように、街の劇場では彼女らの恋愛劇が数多く演じられ、王家の子作りに対する世論の価値観も徐々に変わっていった。
いつしか出産の慣例儀式となっていた魔素祓いの儀式は廃れ、今ではその方法は歴史書の中に断片的にしか残されてはいない。
* * *
昨夜、泣き崩れたマリアの姿を見て私が思うのは、今の王家が苦労しているのは、そうした奔放な子作りを許した過去の過ち故なのではないか、ということだ。
しかし、色々と思うところもある一方で、今の私自身―――そして愛すべき我が子供達も、遡れば彼女らの子孫なのであるから、誰に怒りをぶつけてよいのかもわからない。やるせないものだ。
奔放に生きた女王達の姿は、私との結婚を一度ハッキリと拒絶したスズに似ているような気もするし、アリナの性格は対照的に、そんな女王の顔色を窺い続けた哀れな夫のような気質を感じさせる。
我々は確かに、間違いなく過去の王や女王達の末裔なのだ。
結局、私の直系がどの代の王なのか、本当のところはよくわからない。
そもそも先人の遺した家系図なんてのは、都合の悪い事なんて平気で改竄して書いてあったりするものだ。
保守的に見えた過去の王達も、王妃に拒絶され、傷つき、何かしらの過ちは繰り返していたのかもしれないし、王妃は王妃で、王に隠れて姦通していた可能性も充分にあるだろう。
現に今、目の前にあるのは、湖霊セルベルからも見放された我が子たちの哀れな姿だ。
* * *
さて、私の曽祖父代からはもう王族の中でも湖霊セルベルの姿を見れるものはほぼ居なくなっていたという。私の祖父こそが、湖霊セルベルの姿を見た最後の王となった。
それだけではない。昔の王家は代々強大な魔法?あるいは奇跡のような能力を持った者がいたという話だったが、祖父の代では周囲で既に誰もそんな話は信じておらず、既に神話時代の創作という事になっていた。
中近代の頃には妊娠中の魔素払いの儀式も形骸化していったという話だったが、実際の所は、太古の王達の不思議な力を使い、儀式を通じて王妃達の身体を守護していたのではなかろうか。
湖霊セルベルの姿を見る事が出来た曽祖父と、祖父だけは、その話を信じていた。多分、王家全体が本格的にイベリアの滅びを意識するようになったのは曽祖父の代からだろう。
曽祖父が崩御した80年ほど前、先々代の王である祖父の命で、王家の子女子息は全員が湖霊セルベルとの儀式に臨む事が義務付けられ、王として即位できるのはセルベルと強く接触できた者のみに限られるようになった。
さらに、この時から一度は廃止された命名の儀も再び行われるようになった。
(命名の儀とは、産まれた子を前に、父と母(王と王妃)が古より伝わるウイジャボードにて神より子の名を授かるという儀式の事だ。ボードにより、産まれた子の魔力に応じた真名が示されるが、スキャンダルの多かった時の女王によって廃止されたのだ。)
―――それでも遅すぎた。
先王の代ではもはやその資質を持った者は父と叔父の二人のみとなっていて、しかも濃い近親婚が忌避される風潮はなかなか消し去ることは出来なかった。
* * *
今となっては、セルベルの契約者は私しかいない。
私の後に誰が王座に座ろうとも、正統なるイベリアの王は私で最後なのだ。
私には国を守り、国民を守る義務がある―――。
あの時―――私は3人の娘を選んで王妃に迎え入れた。
彼女らは各領主家の娘であり、我が王家との血縁者でもあった。
スズは祖母が曽祖父の妹君、同じくアリナは祖母が祖父の妹君だったし、私の祖父の代であればまだ王家の一族は皆、辛うじてセルベルの声に応えるだけの資質はあっただろう。
ところが、彼女らとの子であるカルダスもエミリオも、湖霊セルベルの声を聴くどころか、イベリア湖の魔素に充てられてその場にいるのがやっとの有様だった。
そして、マリアの母カーシャに至っては私の叔父の娘・・・つまり従妹だ。父の姪にあたるカーシャとなら、確実に濃い王家の血を引く子が産まれてくるはずだった。
現に―――
命名の儀でウイジャボードが反応したのはマリアだけだった。
カルダスやエミリオの時では一切反応がなく、不機嫌になったスズが
「こんな古臭い儀式に意味があるのですか!?」
などと悪態をついた時は、私も生きた心地がしなかった。
それ故に、ボードがあの子に「マ・リ・ア」と名を授けた時は正直安堵した。
その名には何か特別な意味があるのだろうし、あの子が私の次に濃い王家の血を引いているのは確かなのだ。
残された時間は少ない―――。
私の命が尽きれば、セルベルによって供給されるイベリア湖の水は浄化されなくなり、やがて国中の人間が魔素中りを起こすだろう。
魔素中りで死ねる者は運がいい。運が悪ければ心を魔素に充てられ、この国の人間ならばいとも簡単に人外の化け物へと姿を変えてしまう事だろう。
あぁ恐ろしい―――。
我が祖先たる王、そして女王達よ。
あなた方はその身に流れる王家の血を蔑ろにするべきではなかった・・・。
奇跡は二度は起きないから奇跡なのだ。
そう・・・
この世界が魔素に満ち溢れた時、それに適応できなかった人間―――
それが、我々イベリア人の祖であり・・・そして、彼らの中で唯一、奇跡的に魔素に適応し、人でありながら人外の存在に変異せし者―――。
その上で、魔素から逃げ惑う彼らを救いへと導いた人物―――それが我が王家の祖、イベリア建国王なのだから。
* * *
さぁ、選択の時だ。
抗うのか、受け入れるのか。
最後の可能性はマリアだけが握っている。
静かに私の死を見送って、滅びを受け入れるのか―――
人の道を踏み外してでも、この宿命に抗い、イベリアの未来を願うのか―――
厳しい決断だ。
無力な父を許してくれ、マリア。
選ぶのは、お前と―――我らの中に残された王家の血のみ。
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