第16話・光が齎したもの
視覚を得た姫君の生活は一変した。
彼女は城の中を歩き回り、様々な物を飽きるまで観察して回った。
全てが珍しく、新鮮だった。
日々の退屈な授業すら一変した。
今まで点字だった教科書は、活字に変わった。
姫君は猛烈な速さで文字を覚え、いつも耳から聴いて想像していた知識や情報を、絵や文字を通して再構築していった。
それは、まるで世界が創り直されるかのような感覚であった。
知識が再構築される度、姫君は身体がゾクゾクするような喜びに満ち溢れた。
城内を走り回るのに飽きると、今度は一転して図書館に籠った。
歴史、文学、科学、百科事典―――。
姫君はあらゆる本を貪るように読んでいった。
その集中力は人並み外れていて、活字を覚えたばかりとは思えぬほどの速さで読み解いていった。
知識を得れば得るほど、姫君の眼の魔力は増していった。
彼女はまだ気付いていなかった。
その眼はもはや健常な人間の眼ではなくなっていた事に。
姫君は毎日、眩暈がする程の知識を吸収していった。
陽が沈むと部屋で笛を吹き、そして再び日が昇ると、また勉学と読書に明け暮れた。
学習に飽きた姫君は、王に外出を願い出た。
スズ妃は反対したが、供の従者をつけるという条件付きで王は許可した。
最初は城下町を歩いた。
パン屋、肉屋、靴屋、呉服屋、葬儀屋、病院―――。
何日かかけて、姫君は思いつく限りの施設を視察した。
絶大な人気を誇っていた姫君の来訪に、多くの人が彼女を歓迎した。
街に出た姫君は、産まれて初めて買い物をした。
彩鮮やかな見た事もない料理を食べ、自ら衣服を創作し、これを作らせた。
時には個人宅にまで出向き、その家族と交流した。
皆が優しかった。
(イベリアの民は皆、素敵な人ばかり―――)
姫君は行く先々で人々と笑い合い、時には彼らの不幸や苦痛を共感し、涙した。
そうしていくうちに、彼女の中の蓄積された知識は経験として実を結び、その瞳はさらに彼女の中の世界を啓いた。
その節々で―――姫君は時折、額を痒がった。
* * *
城下町を歩くのに飽きた姫君は、今度は王都の外にある各領地に出たがった。
とりわけ、メアリのいる西の領地へ出る事を強く王に希望したが、現在の西の領地には魔素を含んだ霧がかかる事があり、魔獣の報告も相次いでいた事から、許可は下りなかった。
その日の夕暮れ、姫君は西塔の最上階へ上り西の果てを見渡した。
馬を走らせればたった一日で行ける距離―――そこにメアリがいる。
姫君は西の空にメアリを想った。
彼女は今、元気にしているだろうか?
辛い思いや、哀しい思いを、していないだろうか?
瞳を閉じて、メアリを想う―――。
彼女の脳裏にはメアリの姿が見えた。
広いお屋敷の中で、メアリは夕飯の手伝いをしている。
今日の夕飯は煮込んだ豚と白いシチューね・・・。
いつか夢の中であった、優しい顔をしたメアリ。
穏やかな表情―――良かった―――彼女は私の、私の知っているメアリ。
額が痒い。
閉じた眼を開けて我に返る。
「今の映像は―――何?」
* * *
姫君の眼にはいつの間にか千里もの先を見通す力が備わっていた。
魔女によって啓かれた眼は、いつしか「視え過ぎる眼」となっていたのである。
「視え過ぎる眼」は空間的な視覚をも超越し、姫君に世界を見せ続けた。
盲目だった姫君は声の震え、息づかいなどから人心を探る術に長けていた。
それは視覚以外の全感覚が磨かれた事による、経験的な能力の一つであった。
ところが、今や啓かれた眼はそれを視覚として覗く―――本当の意味での「心眼」を彼女に与えてしまったのである。
「心眼」を得た姫君にとって、感情は視るものとなった。
人々が発する怒りや不安、喜びや、そして哀しみなど―――全ての感情が色を持っていた。
姫君はその色を見て、人心を読んだ。
やり方は簡単だった。
瞳を閉じ、軽く意識を集中するだけ。
感情は色を成し、線となって意識する対象に注がれた。
部屋の窓から街を見ると、多くの感情線が王宮に向けて流れ込んでくるのが判った。
羨望、期待、嫉妬―――。
心躍る明るい色から、身の毛もよだつ恐ろしい色まで、多種多様―――。
心を覗く度―――額は再び痒くなった。
姫君は知ってしまった。
人の心には、光と同じだけの闇が存在する事に―――。
* * *
人の心の奥に潜む深い深い闇の色を目の当たりにした時―――姫君は急激に自分のしてきた事が恐ろしくなった。
この時、初めて彼女は自分の眼が異常だという事に気付いた。
(瞳の魔女―――)
何という事だろう。
私は魔女に魅入られてしまったのだ!!
ところが、怖いと思いながらも、彼女はどうしてもそれを止める事が出来なかった。
闇は人の抱えた秘密である。
絶対に明かす事の出来ない秘密―――それこそが、人の闇。
時には直接顔を合わせながら、彼女は心を覗いた。
直接心を覗くと、色しか見えなかった感情線の根っこに、今度は映像が見え始めた。
強烈に印象付けられた過去の記憶、恥ずかしいトラウマ、殺してやりたい程憎い顔―――。
姫君の眼は、いとも簡単に他人の秘密を暴いた。
一度知ってしまえば抗えない感覚だった。
彼女に限らず、どんな人間にとっても、その甘美な好奇心に抗う事はできなかっただろう。
人間にとって好奇心とは、時には死にすら誘う麻薬のようなものなのだから。
いけないとは知りながら、毎日毎日、姫君は人の心を読み続けた。
額の疼きが、日に日に強くなった。
そして、これまで怖くて覗けなかった人々―――
姫君は遂に、王家の闇を底の底まで、覗き見てしまったのである。
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