第13話・笛の音に散る
東塔に幽閉された姫君は日に日に口数が少なくなっていた。
ところが、その反動は思わぬところで開花する事となる。
初めの頃こそ塞ぎ込むような生活が続いたものの、外界に対して心を閉ざした姫君は、やがてその生活に適応していくようになった。仕事とプライベートのオンオフを使い分けする雇われ労働者のように、彼女はその心を見事に使い分けるようになっていったのである。
姫君は日中、息を潜めるようにその時が過ぎるのを待った。
苦痛な時間だったのだろう。毎日閉ざされた自室で行われる教養の授業や食事など・・・彼女は教師や侍女達とも口を利く事もなく、それらを淡々と、そして従順にこなした。
発した言葉の約八割が―――
「はい。」
周囲の人間からしてみれば、その無機質な姫君の有様はまるで、糸が切れた人形のように見えたかもしれない。
しかし、息をしていないのではないかと錯覚するほど静かな振る舞いで昼をやり過ごした後―――彼女は夕暮れになると、誰もいなくなった部屋で、人が変わったように息を吐き乱し、笛の練習に明け暮れていたのである。
姫君は演奏する曲目を習得する度、部屋に楽師を呼んでは、次々と新しい曲を教えさせた。姫君は―――楽師の前だけはよく喋った。疑問に思った事や表現に困った時など、次々と楽師達に質問を繰り出しては教えを乞うた。
盲目の姫君は楽譜を読むことは出来なかったが、視覚の代償に発達した異様なまでに鋭い触覚と聴覚が、彼女の脳内に鮮明な楽譜を描き出していた。彼女は一度聴いた音を瞬時で暗記し、そしてその指は滞りなくその音を再現していったのである。
やがて姫君は誰に教わることなく既存の曲に独自の修飾を加えたり、音の抑揚に感情や奥行きを織り交ぜて表現するなど、徐々にその工夫の幅を拡げていくようになっていった。これまでも弦や鍵盤など、音楽の稽古事は卒なくこなしてきた姫君だったが、こと横笛に関してはもはや稽古事の次元を超越していた。
それはもう立派な創作活動であった。演奏に熱が入ると、笛を吹く彼女の身体は自然と動き始め、その音の世界を全身で表現するようになっていた。
メアリを失った姫君の心は深く深く閉ざされていた。
周囲に対して心を閉ざせば閉ざすほど、その鬱屈した感情は捌け口を捜すかのように音楽を求めた。
やがて季節が二つ変わる頃には、彼女の奏でる独演会は城下の人々の間でも噂になり、城壁の外に聴衆ができるほどの実力になっていたのである。
メアリがエミリオ王子の手紙を受け取り、王城に戻ってきたのは、ちょうどそんな時の事だった―――。
* * *
メアリが王宮に戻った時、それは姫君が東塔に入ってから約半年ほどの月日が流れていた。
アリナ妃との面会中に卒倒したメアリは、しばらくの間アリナ妃の指定した客間で療養する事となった。
王宮医師からは強いストレスによる心身疲労と診断され、エミリオ王子との結婚話は一時棚上げの状態となっていた。
ところが、メアリにとって幸か不幸か―――この間、二人の結婚に激しく反対する人物が現れた。
・・・スズ妃である。
エミリオ王子がメアリに求婚していた事を知ったスズ妃は激怒した。
「アリナ様!今王家がどういう状態にいるのか忘れたのですか!今や王家の血は薄れ、消失する直前なのですよ!?それを何処の誰とも分からぬ血筋の娘に次代の子を委ねるなど、以ての外です!」
せっかく追い出したメアリをエミリオが呼び戻した事で、スズ妃の怒りは頂点に達していた。
『王家の血を回帰させるために、エミリオ王子にはいずれ南の領家に戻り、東か西いずれかの領家から、近縁の血を引く娘を妻としてもらわねばならない―――これは先々代の王が厳格に定めた掟である。』
これは、あらかじめ用意されたシナリオ―――。
スズ妃はこのカードを切るタイミングは虎視眈々と伺っていた。
そして今日、いよいよ彼女は我慢がならなくなった。
件のシナリオを以て、遂にスズ妃はアリナ妃とエミリオ王子の王宮追放計画を実行に移したのである。
スズ妃は、かつて自分が不本意にも王家に嫁がされた時の事を思い出していた。
その怒りは根が深く、アリナ妃とエミリオ王子を部屋に呼び出し、側近達の見ている前で烈火の如く叱咤したのである。
アリナ王妃・・・この女は昔から気に入らなかった。
悩みに悩んだ末に我を殺し、王の下に嫁いだ私の後・・・この女はあの男を望んでこの王家に入ってきた。この女を見ていると、まるで自分が惨めな姿を晒しているかのような気持ちになった。
王を愛した彼女のお陰で、私は嫉妬する王妃として多くの人達に嘲笑された。
誰が嫉妬などするものか・・・!私は嫌々あの男に抱かれていたのに!
それを今さら・・・自分の息子だけは好きな女と結ばれてほしいですって?
そんな勝手、許せるわけがない・・・!絶対に許せないわ!!
「アリナ様、エミリオにはイベリアの王子として、きちんとお役目を果たしてもらわねばなりませんわ。」
「しかしスズ様、マリエル様が次代の契約者になれば―――」
食い下がったアリナ妃であったが、スズ妃は鬼の形相で怒鳴り返した。
「その確証が何処にあるというのですか!?カーシャ様の時もあれだけ期待させておいて―――結局産まれたあの子―――マリアも何もできなかったわ!だからこんな―――!!」
忌々しげに当時を語るスズ妃の姿・・・。
それはまるで、血の妄執―――王家の亡霊に憑りつかれた姿と言っても過言ではなかった。その姿に、アリナ妃だけでなく、同席したエミリオ王子の表情も青ざめていた。
「私はただ・・・エミリオに・・・」
その剣幕に委縮し、徐々に小さくなるアリナ妃の声。
「アリナ様―――そんなにエミリオの身を固めたいのであれば、私が実家から素晴らしい女性をご紹介して差し上げますわ。我が生家である東の領家エルビ公の娘、スーリエお嬢様ならば申し分ないでしょう?」
「な、お義母!?そんな勝手に―――!」
エミリオが悲鳴にも似た声を上げる。
「お黙りなさい!エミリオもエミリオです!貴方ときたら、いつも我ら王家の為にお務めして下さる娘の尻ばかり追いかけて・・・!今度はよりによって時期王女たるマリエル様の「元」世話係に手を出すなど、恥を知りなさい!貴方も王家の男なら、男らしく領家に戻り、その責務を果たしなさい―――!」
まるでカミソリのような切れ味だった。
エミリオは絶句し、あわわ・・・と指をくわえるばかりであった。
「―――王家の子として産まれた以上、エミリオにも王家のしきたりには従っていただきます!貴方は王族側系の娘と結婚し、子を儲けるのよ!」
そして最後に、こう締めくくった。
「これは命令です!メアリとの結婚など、この私が絶対に許しませんわ!」
早口で捲し立てたスズ妃の様相に、王宮内の人々は震えあがった。
* * *
恐ろしいやり取りが王の間で繰り広げられていた頃―――。
イベリアの大地を照らす陽は西に傾き、外は徐々に薄暗くなり始めていた。
東塔では姫君の独演会が始まった。
メアリはこの日、初めて驚くほど上達した姫君の演奏する笛の音を聴いた。
横たわったベッドから身を起こし、窓を開けて東塔の方を眺めた。
灯りに混じって時折、夢中で笛を演奏する、うごめく人影が見えた。
「姫様・・・。」
その旋律は哀しく深く・・・しかし力強かった。
哀しみの底から沸き起こる怒り―――そう、怒りだ。
メアリにはその旋律に潜む姫君の怒りを感じていた。
(あぁマリエル様、この半年ばかりの間に、随分強くなられて―――)
しばしメアリは、この演奏を聞き入っていた。
しかし、ドアをノックする音が彼女を現実に引き戻した。
「メアリ、もう大丈夫?少し・・・宜しいかしら?」
アリナ妃だった。
メアリは了承し、アリナ妃を受け入れる。
・・・しかし、部屋に入ってきたのはエミリオ王子だった。
「メアリ、お休みの所ごめんなさいね。エミリオの方からね、貴女にお話があるのよ。」
「お母さま。」
「あ、ごめんなさいね。私は席を外すわ。」
目配せの後、アリナ妃はそっとドアを閉め、部屋にはメアリとエミリオ王子の二人だけとなった。
「実はな、メアリ―――」
エミリオは先ほど王の間で起きた出来事を搔い摘んで彼女に説明した。
時折声は震え、涙声になるのを押し殺しつつ、彼は喋り続けた。
「すまんな―――不本意ながら、お前との約束は守れそうにない。婚約は破棄させられたのだ。だが―――」
震えた声でエミリオは少しの間を置き、意を決したようにメアリの方を見た。
一瞬、怖い目をしていた。
「―――お前が望むなら、今夜一度だけマリエルに会わせてやろう。」
「本当ですか!?」
メアリの顔は綻んだ。
(やはり、エミリオ様は良い方なのだ。私や姫様の事を思い―――)
「その代わり―――お前は今夜、私のものになるのだ!」
豹変したエミリオはそのままメアリをベッドに押し倒し、力任せに組み伏せた。
「痛い!やめて!エミリオ様!」
「許せよメアリ―――私はお前の事を愛しているんだ・・・!しかしもはや、お前を妻に娶る事は叶わぬ―――!叶わぬのなら、私はもうお前に嫌われても構わぬ!今夜一度だけでも―――」
メアリが纏っていた薄手の寝着は無残に破られ、白い乳房が露わになる。
エミリオはそれを貪るように揉みしだき、口に含んだ。
「おやめ下さい・・・エミリオ様・・・あぁ・・・!!」
「恨むなら我が兄カルダスと、その母スズを恨むがいい―――!私をこうさせたのは、紛れもなく・・・あの二人・・・なのだからな!―――ううっ!」
ドアの外では、アリナ妃が泣き崩れていた。
息子の凶行を知った上で、彼女は見て見ぬふりをした。
「許して、メアリ―――。我らが母子もまた、この毒に塗れた城の中で、既に正気を失ってしまったのよ―――」
外では未だ、姫君の独演会が続いていた。
哀しく、そして怒り狂うかのような抑揚のある旋律が、城下の民達を熱狂させていた―――。
* * *
姫君の独演会が終わる頃―――
人目をはばかるように、エミリオ王子とメアリは東塔の最上階に現れた。
マリエルの部屋の戸を開け、二人は遂に再開した。
涙を流し、抱き合う二人―――。
メアリは姫君の笛の演奏を褒め称え、その成長をみて安心したと彼女に伝えた。
一方で姫君は、自らの行いを悔い、メアリを辛い目に遭わせた事を詫びた。
部屋の外では、エミリオ王子が虚ろな表情で二人の様子を見ていた。
「ごめんなさい、姫様。今日はね、エミリオ様に無理をお願いしてここに連れてきてもらったのよ。本当はもっと一緒にいたいけど、もう行かなきゃ―――。」
「嫌だ!メアリ、今日はここに泊って行って!良いでしょ?エミリオ叔父様!」
黙って首を横に振るエミリオ。
メアリは姫君を宥めた。
「ダメよ・・・ダメなのよ・・・マリエル様・・・!」
泣き崩れるメアリ。
その異様な様子に、姫君は何かを感じ取っていた。
匂い―――。
メアリの身体から極僅かに漂う、血と男の香り―――。
それが何を意味するのか、まだ幼い姫君にはよく理解できなかった。
ただ一つ彼女が理解できたのは、この半年間―――自分だけでなく、メアリも変わってしまったという事のみ・・・。
その瞬間から、二人は言葉をあまり交わせなくなった。
ただ抱き合い・・・メアリは別れの言葉を飲み込んだ。
「メアリ・・・また、会えるよね?」
そう声をかけた姫君に、メアリはそっとキスをして、部屋を後にした。
(さようなら、マリエル様。私はもう、ここには―――)
姫君が真実を知るのは、もう少し後になってからの事である。
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