5章:アメリカンガール@うどん県・田園穴場店

 

 ジャスミンの転入日、美術教師、水島は朝の学校で卒倒し、救急車で最寄の市立病院に搬送ハンソウされた。意識はありながらも重態だったため、ICUで長時間に渡る手術を受けた。それで一命を取り留め、日を追って容態は回復していった。


 1週間後に面会謝絶がとけ、桜田は妻と2人の息子と共にお見舞いにいった。水島とは家族ぐるみのつき合いがあり、妻と子供同士も親しい仲だった。個室の病室には水島の家族もいて、大人数がそろうことになった。彼の病状はかなり回復しており、桜田とごく自然な会話もできた。結核が再発した原因は、やはりタバコだった。水島は病室に集まった皆んなの前でタバコを吸い続けていた事を白状し、涙ながらに二度と喫煙しないことを誓った。それは真摯シンシな態度であり、彼の妻や子どもたちも非難することなく黙って聞き入れた。


 後日、改めて桜田は1人で学校帰りに見舞いに行った。個室のドアを開けると、水島はベッドで絵を描いていた。花瓶に生けたスイートピーを見ながらケント紙に鉛筆を走らせていた。ベッド脇のハイテク医療機器や点滴チューブの数が減り、顔色も健康そうだった。水島が言うには、投薬治療が上手くいっているそうだ。親友が元気になったことで桜田のテンションも上がり、ゆかいに学校の話を聞かせた。

 一段落した後、色紙の入った額縁を手渡した。水島の担任クラスの生徒たちによる寄せ書きだった。

「水島先生、クラスの皆んなで戻ってくるのを待ってます」

「先生なら絶対、大丈夫だって信じてます」

 そんな温かい言葉に混じって、こんな走り書きの英文もあった。


     Hey Mizushima, Hope U gettin’Better. Dont worry bout your Class,

     Cause Mr "CHERRY " Sakurada is Superb Substitute. ×××Jasmine


「ジャスのやつ、何て書いてあるんや?」

 そう聞いた同僚に、水島は笑いながら返す。

「お前がスーパー代理教師やから、俺のクラスの事は心配するなと。何や、大ちゃん、この女の子にチェリーって呼ばれとるんか?」


                  *


 回復途上とはいえ水島の今後は不透明で、中学校への復帰がいつになるのかは分からなかった。そこで同校の校長は彼の担当クラスだった2年1組の担任教師として、正式に桜田を指名した。しかし、そこまでに至った経緯は単純なものではなかった。


 3年前、桜田が起こしたある不祥事。第一にそれはであり、女性でかつ敬虔ケイケンなクリスチャンでもある校長は事態を重く受け止め、それから4年が経過した来年まで桜田を担任職から外すつもりだった。

 だが、結局、それは今学期始めに前倒しされることになった。

 キッカケとなったのが、ジャスミンだった。

 和田を始め英語を話す教職員が接してもチグハグする中、「ハロー」しかしゃべれない野暮な中年教師が、なぜかジャスミンのNO1お気に入りティーチャーになった。学校のいたる所で2人が仲良く歩く姿が目撃された。

 次第に生徒たちはこの凸凹コンビを〖美女と野獣〗と呼び始めた。

 さっそく美術部員の1人は、キングコングになった桜田が東京スカイツリーに上がり、デレデレ顔でお姫様衣装のジャスミンを肩に乗せているイラストを描いて廊下に張り出し、学校中の生徒を大いに笑わせた。


 学校全体が浮かれた中、校長もまたこの奇妙なカップルに注目するようになった。話しをすることさえできず、性も年も人種も育ちも何もかもが大きく異なる2人が、なぜ、ああも親しくなれるのか。

 もしかすれば、あの転校生は、使なんじゃないか……。

 クリスチャンの中でもカソリック系という事もあってか、彼女はそんなタクマしい想像力を働かせた。

 もしかすれば、あの子はわが校の汚れた中年教師を清めるために、遥々アメリカから、この地にやって来た天使なのではないか……。

 もちろん、校長もそれがバカげた妄想だと分かっていた。だが、日々校内でラブラブの2人を目の当たりにするうちに、ただならぬものを感じるようになった。

 後日、校長はクリスチャンの日曜礼拝に行き、教会の司祭にそういったことを話して聞かせた。すると、80才を超えた尼僧で占い師でもある司祭は、こんなことを言った。


「今、アナタの学校には、大変な遠方から、すばらしい精霊の持ち主が訪れているようです。その精霊さまの正体は13世紀のパリで大勢の娼婦が蔓延マンエンさせた淋病リンビョウを一掃されたある高名な聖人です。

 いいですか。その精霊さまが宿っている宿主さまを手厚くもてなしてあげなさい。また、その方が大切にされている方も大事にしてあげなさい」

 結局、この司祭のお告げが決定打となった。

 月曜、校長はさっそく精霊の宿主たるジャスミンに敬愛を示すため、桜田への長きに渡る罰を解き、彼女のクラスを担当させたのだった。


 一方で、2年1組のクラスメイトたちもジャスミンとうまくやっていた。桜田の最初の言いつけを守り、多くの生徒が毎日のように彼女に話しかけた。ブロンド転校生はボーイッシュ全開のキャラで男子には親しみやすく、女子には頼もしい存在となった――もちろん彼女のほとんど異次元とも言えるタフな振舞いや率直な言動に対し、ビビったり反感を持ったりする者もいるにはいたが。

 ジャスミンの方でも日本の学校を気に入ったようだった。

 生徒たちの優しさや礼儀正しさ、またいつも清潔な廊下やトイレに感銘し、自身も見習うようになった。授業前のお辞儀の角度はじょじょに深くなり、放課後前の清掃では下駄箱のぞうきんがけさえやるようになった。

 最初は週3の予定だったが、いつからか毎日登校するようになった。そうして、ワケの分からないハズの歴史や国語の授業にまで参加し、好奇心たっぷりに大きな青いタレ目を黒板に向けて、教壇の教師たちを日々困惑させていた。





                  ✿




 桜田には、彼らしい生徒との交流方法があった。大体、月1で、土日に部活動をしている顔見知りの生徒をアポなしで突然誘い、学校から連れ出して一緒にうどんを食べに行くのだ。生徒指導主任の立場上、そういう事ができた。

 ある初夏の土曜の午後、桜田はそれに乗り出した。今回は彼にとって特別な試みとなった。顧問コモンを務める柔道部の稽古ケイコ後、彼は2年1組の生徒たち数人を学校から連れ出した。メンバーは、ハワイ育ちの新庄に軽音学部のアイ・アキ・アミ。


             そしてジャスミンだった。


 桜田は、彼女が転校日初日に〝うどん好き宣言〟した時からいつか連れてってやろうと思っていた。ジャスミンは軽音学部で大好きなギターを弾いている最中だったが、大喜びで誘いに乗った。そうして桜田はいつものように年代物のワゴン車に子供たちをポンポンと放り込み、行きつけの名店に向かった。


                  *


 坂出サカイデ市の外れに当たる田園地帯。桜田はその側道に車を停め、店までの1キロほどの道のりを生徒たちと歩く事にした。わざわざそうしたのは、アメリカ生まれの天然キンパツ少女に日本らしい独特の風景を見せたかったからだ。


 6月の梅雨の曇り空の元、辺り一帯の田んぼには全て水が張られていた。真四角に区切られた水田が網の目のように広がり、分厚い雲が覆った大空を映し込んでいた。雲の透き間から日差しがもれるたびに、足元の田んぼはキラキラと輝き、大きな雲がヒツジの群れのように散らばる大空を鏡写しにした。圧巻のパノラマだった。

 桜田の期待通り、ジャスミンは感心したようだ。ミニスカ・セーラー服にギターケースを背負った彼女は、口をポアンと開けたまま歩いていた。

「まるで、別の惑星みたい」

 時々そう言って、田んぼのあぜ道を夢遊病者のように歩く。

 後の生徒たちも最初こそウンザリしていたが、じょじょに周囲の景観に感心するようになった。桜田の目にもその心変わりが分かる。

 とっくの昔に見飽きた泥臭い田んぼも、遠い異国から来たキンパツ女といる事でたぶん新鮮に見えるようになったんやろう。


「先生、また生徒さん連れて、うどん食べに来たんな」

 桜田にそんな声がかかった。あぜ道に停まった軽トラから男が顔を出していた。80才過ぎの老人であり、車内で弁当を食べている最中だった。彼はこれから桜田が生徒たちを連れてゆくうどん屋の元主人であり、現在は息子夫婦が継いでいるため、自身は小麦栽培の農夫に専念していた。

「木山さん、アンタ、いつも元気そうやな」

 桜田は、年寄りの耳に応じた大声で言う。

「今日は1人、変わった子がおるやろ」

 彼は教え子の1人を手招きした。

「こにちわ、ジャスミンデス」

 そう言った彼女に、老人は目を丸めた。

「先生、この子、校則違反やないか。髪をキンキンに染めとる」

 すかさず桜田が「おっさん、地毛や地毛」と突っ込み、生徒たちが一斉に笑った。

「ほうか、ほうか、それにしても外国の娘さんは何というか、ほんまにお人形さんみたいにキレーやのぉ」

 木山さんがそう言うと、ジャスミンは空気を読んで腰に手を当て、モデルのようにポージングした。ミニスカヒップと金髪ツインテールを揺らしながら歩き、くるりとターンする。田んぼのあぜ道での、そのランウェイ・キャットウォークに誰もが笑った。


 ジャスミンが水田の中を指差して言う。

「あのガーガー鳴いてるのは何?」

 新庄が訳すと、桜田が牛ガエルやと返す。

 「Oh, BULLFROG! I like that!!」

  ジャスミンはそう大声で言って、青い目を輝かせた。

「何やジャス、お前あんなんが好きなんか。よっしゃ、じゃあいっちょ取ってきたろか。先生は、カエル採りの名人やけんな」

 女生徒たちは一斉に悲鳴をあげたが、ジャスミンはそうして欲しいと即答した。すると木山さんが軽トラから出てきた。

「カエル捕りやったら、ワシも名人やで。先生、ほんだら一つ勝負しよか」


                *


「GO!」

 ジャスミンのこの掛け声と共に、前掛けや長靴をつけた中学教師と小麦農夫の2人は、水田の泥水に入った。

 そういしてカエル生け捕りガチ対決がスタートした。ゲロゲロ鳴く方向に黙って慎重に歩を進めてゆく。生徒たちがアキれ顔で見守る中、共に何度か取り逃がしては悔しがる。

 しかし、さすがに名人戦。3分もしないうちに、2人はそれぞれあぜ道に追い込んだカエルを一気に両手ですくい上げた。ほとんど同じタイミングで、どちらも泥から泥だらけの1匹をつかみ上げた。と共にこの世の生き物とは思えないような「グエエエエ~~~」という鳴き声が響き渡り、軽音部の女子組、アイ・アキ・アミは3人そろって悲鳴を上げながら逃げていった。

「どうや、先生の方が大きいやろ。ビッグ、ビッグね」

 桜田は牛ガエルについた泥をはらいながらジャスミンに言う。

 「OH, BULLFROG...」

 彼女はそう言って、息を殺しながら顔を近づける。

 そして木山さんの手にしたものと見比べ、「You Win!」と桜田を指差した。彼は両腕を上げて喜び、一方の老人はあぜ道にガックリと腰を落とした。


 桜田は水路でカエルを綺麗に洗ってやった。泥から出てきたのはまさに田の主。緑地に黒縁模様のそれは丸々と太り、ブツブツの巨大なたいこ腹をふくらませてはゲロゲロと鳴き続けた。さすがのジャスミンも、そのブキミさには後ずさった。


 桜田は「ジャス、このカエルさんに、」と言う。

 言葉のニュアンスを察し、彼女は桜田が手にした牛ガエルに手を伸ばした。遠くにいるケーオン女子たちがまた悲鳴を上げる。

 ジャスミンは触った。

 その頭をなでながら、愛らしくタレた青い瞳でじっとのぞきこむ。それには牛ガエルも感じることがあったのか、どこか恥ずかしそうな顔つきをした。

 木山さんが言う。

「いや、女の子やのん、見上げた度胸やな。さすがアメリカさん。こら、大物になるわ」

 桜田は牛ガエルの首元をつかんだまま、泥のついた顔で勇敢な教え子に言う。

「ジャス、ちょっとまわりを見てみい。ここらへんは、ようけ山があるやろ」

 彼は両手を広げて空を仰ぎ、ジャスミンはそれに促されれて周囲をぐるりと見渡した。大小さまざまな山々が辺り一帯を包み込むように取り囲んでいた。


「見ての通り、香川の土地は何重も高い山々に囲まれとる。それが南の太平洋からくる雨雲を防ぐことで、雨がほとんど降らんようになっとる。梅雨時の今でも雨が降る日はほんまに少ない。そやけど、そのおかげで年中乾燥して日本一小麦が育ちやすい土地になり、その結果、うどんが栄えることになったんや」


 桜田は手にした牛ガエルから泥をはらい、じっとその目を見つめた。

「そして、それにはこいつらも貢献しとる。雨が降らんで水の少ない田んぼの中でも必死に生きとるんや。ええか、ジャス。この辛抱づよいカエルが田んぼを虫から守ってくれるおかげで、立派な小麦が育っとるんや。つまりな。今、お前はここ香川、ここ讃岐サヌキガミさまに触れたんやで」

 桜田は牛ガエルを田んぼに放り投げた。

 カエルは勢いよく飛び跳ね、すぐに泥の中に消えて言った。あぜ道の木山さんと生徒たちはそろって手を振った。一方のジャスミンは、アメリカ空軍のパイロットが滑走路で味方戦闘機のテイク・オフを見送る時のような敬礼を見せた。





                 ✿




 うどん屋についたのは、昼の2時過ぎだった。そこは地元でもチョー穴場店であり、土日祝は県外客も加わって行列ができ、店外のベンチや石垣で食べる大勢の姿が見られる。土曜の今日も例外ではなかったが、普段ほど混雑はしていなかった。桜田は生徒を連れて、のれんをくぐった。小さなカウンターと3つの質素なテーブルしかない店で、席は全て埋まっていた。


「おぅ先生、いらっしゃい」

 大がまのある厨房チュウボウからそう声をかけたのは60過ぎの店主で、子供の頃から常連だった桜田とは旧知の仲だ。手ぬぐいを頭にまき、うどん職人らしいサムイ服姿の彼は、生徒の1人に目を丸めて言う。

「先生が女好きなんは、よう知っとるけど、まさかキンパツの隠し子がおったとはな」

 桜田はアキれ顔で返す。

「アホか。制服着とるやろ。アメリカからうちの中学に来た転校生や」

 新庄が店主の親父ギャグを訳すと、ジャスミンは、「Daddy~~~❤」と言って桜田のゴリラのような腕をつかんだ。

「ほら見てんまい、よう、なついとるがな」

 サムイ服の店主がそう言って笑う。


 桜田はジャスミンに注文の仕方を教えた。カマげたばかりの熱いメン、それを冷水でしめたメン、それを温め直したメン、どれかをドンブリに入れ、伊吹島のいりこだしを注ぎ、最後にトッピング。ネギやゴマやかき揚げを入れる。彼女は、クランチーな――歯ごたえのある――メンが好きだと言うので、桜田は彼女に冷やしメンを勧め、生徒全員のうどんの上にイモ天ぷらを乗せてやった。

 ここは先生のおごりやと胸を張ったが、食前の会計になると、おっさん、月末払いやと言い放った。サムイ服のうどん名人は「先生には、いつもかなわんな」と頭をかくだけだ。


 ジャスミンの食べっぷりは見事だった。桜田と5人の生徒は軒先のテーブル席に座って一斉に食べたが、最初におかわりをしたのは彼女だった。小では全く足りず、今度は釜揚カマアげの大を頼んで、大好きだというテンカスを山ほど盛り、おまけに卵も乗せて月見うどんにする。そしてまた、豪快に食べた。持参のマイハシを操る手つきも慣れたもので、真っ白なメンを喉ごしでツルツル飲み込む。


           「Whatta FUNKY NOODLE!!!」


 そう言って、皆んなに笑みを見せる。大食いの桜田もそれには目を丸めるだけだった。全く、こんな小っこい体のどこに入るんや。

 ひときわ目立つアメリカンガールの大食いぶりは都会から来た名店巡りの観光客にも受け、若い女の子たちがスマホ撮りし始めた。ジャスミンはドンブリ片手に大口を開けたり白目をむいたりの変顔ポーズで応える。

 店主もその騒ぎに気づいて、厨房から出てきた。

「このキンパツのお嬢ちゃん、中々ええ舌持っとるな」

 桜田が笑って言う。

「おっさん、これこそが、〝うどんは世界をつなぐ〟いうこっちゃ」

「この子、アメリカのどっから来たんな?」

「おっさんに言うても分からんやろうけど、ユタ州や」

「ユタ州、ユタ州やったら知っとる、知っとる。この店から坂上がったとこに教会あるやろ。そこにおる若い2人組の外人が前に、よぉここに食べに来よってな。ユタ州から来た、ゆっとったわ」

 新庄がそれを訳すと、ジャスミンはハシを止めた。

「たぶん、彼らはモルモン教徒だと思う。ユタ州はモルモン州って呼ばれる程、モルモン教徒が多くて、多くの若い信者が布教のミッションを果たすために世界中に渡る」

 店主は手を打った。「そうそう、モルモン言うよったわ。何や、アメリカがえらい近くに感じられるようになったなぁ」


 そうして、その場がほっこりした時、桜田が大声を上げた。

「ジャス、その脚、何べん言うたら分かるんや」

 彼女は、ミニスカートから出たマッシロな脚をパックリと広げて座っていた。何を注意されたのかはすぐに分かったが、軽くムシする。

「お前は、ほんま、男みたいやな。日本では、それは、はしたない言うんや」

 店主がニヤニヤしながら言う。「まぁ先生、エエやろ。キンパツの可愛い子がやる事やがな」

「ジャス、日本ではこういうおっさんをエロオヤジ言うんや、

 桜田に促され、ジャスミンは「エールォーオイャージ」と店主に向かって言う。

「ジャス、はよ直さんかったら、手ぇ出すぞ」

 そう言われても、彼女は食べ続けるだけだったので桜田は動いた。熊のような手で彼女の生ひざをつかみ豪快にバチンと閉じた。

 それにはさすがのタフ娘も「キャー」っと黄色い声を上げた。

 そこで店主が言う。

「生徒さん今の見たな。校長先生にちゃんと報告しまいよ。完全なエロ教師や」


                *


 ファック・ユーが出たのは、それからまもなくの事だった。昼の3時、閉店後の店内で従業員が後片づけをし、お客さんが「ごちそうさま」と声をかけて次々と帰ってゆく最中のことだった。

 古ぼけたポロシャツ姿の体育教師と制服5人組、彼らは軒先のテーブル席に居残って、お茶やミカンを口にしながら賑やかにしゃべっていた。そんな中、学校の話をしていると、フイにジャスミンが言った。

「昨日、私のロッカーの中に小さな紙が入ってたよ。一言だけこう書かれてあった」

 彼女は、唇をななめに吊り上げてチっと鳴らす。


              「FUCK YOU」


 軽音部の3人組、アイ・アキ・アミは「えーっ」とそろって声を上げ、新庄は長い前髪をかきあげてため息をついた。ジャスミンが言う。

「別に気にしなくていいよ。私はナマイキだからアメリカでもイジメられた事があるの。だけど、日本でも同じ事が起こるなんて、ちょっとショックだった」

「ジャス、すまんかった。先生からも謝るわ」

 そう言った桜田に彼女は首を振る。

「ノーノー、誰を嫌いになっても、それはその人の自由だよ。私にだって嫌いな人はいるし、全員から好かれようとも思ってもいない。

 ただファック・ユーの人はもっと英語の勉強をすべきね。だってって書かれてあったんだよ」

 それには誰もが笑った。

「僕も同じような目にあった事がある」

 新庄が言う。

「小学5年の時にハワイから、こっちの学校に引っ越して来て、最初はクラスの皆んなが仲良くしてくれてたんだけどね。だんだん口聞いてくれんようになる子が出てきたんよ。後々分かったんやけど、親から言われてたんやって。ハワイの変な日本語がうつるから僕に近づくなって。それからイジメられるようにもなったわ」

 彼はジャスミンにそれを訳して聞かせ、そして桜田を見つめる。


    「先生。何で、日本でもアメリカでもイジメってあるんやろう?」


 桜田は一息ついて、おしぼりで首を冷やす。

「イジメ言うんは、まず弱い奴がする事や。それだけは間違いない」

 テーブル席の生徒たちを見渡し、自分の胸をトントン叩いた。

「何よりも、こころが弱いもんがやる。

 先生が言うんも何やけど、学校は何でもかんでも優劣つける場所でもある。結果、落ちこぼれがようけ出てくる。

 イジメっこの多くは、その落ちこぼれの中におる。連中は落ちこぼれた自分がイヤで、それを誰かになすりつけようとする。大抵は、自分と同じように落ちこぼれた誰かに押しつける。そいつをイジメることで、情けない自分を忘れようとするんや」


 桜田は鋭い目つきで、教え子たちを見る。

「ええか、一番大事なんは、こころを強くすることや。いくら落ちこぼれても、情けない自分を引き受けられるくらい、強いこころを身につけるんや。

 バカにされて、こころが腐ってきたら、誰かを責めたり叩いたりするんやない。まず、自分に何か問題があるんやないかって思うことが大切なんや。それがちゃんと出来たら、恨みも消えるし、イライラした気分も晴れる。すると自然と向上心がでてくるもんや。

 勉強やスポーツ、そのほかにもたくさん道がある。人それぞれ、こころを強くするには、色んな道があるんや。人生の本物の戦い言うんは実際、そっから始まるんや」


 田園地帯のど真ん中にある、チョー穴場うどん店、その軒先が静まり返った。

 ジャスミンでさえ感心したように口をポアンと開けていた。新庄がずっとCNNジャパンの同時通訳者並みの速さで桜田の言葉を英訳してやっていたのだ。

 フイに桜田が言う。

「ジャス、また脚や!」

 同時に、彼女は反射的にテーブルの下の両脚をパチンと閉じてみせた。それには皆んなが一斉に笑う。

 その時、誰かが店の軒先にやって来た。

「おお、良かった。先生、まだおったんな」

 先に田んぼで会った軽トラの木山さんだった。彼はバケツを手にして近づいてくる。

「先生、ワシの勝ちや。見てみぃ」

 バケツの中には、スイカほどもある特大の牛ガエルがいて、ゲロゲロと喉を鳴らしていた。軽音部のアイ・アキ・アミの3人が一斉に悲鳴を上げる。それに笑いながらジャスミンが言う。

「チェリー、私、最近、覚えたことがあるんだよ」

 彼女は持参したケースから、ギターを取り出した。学校の軽音部にあるクラシカルなアコギで、それにカポタストをはめて椅子に座ったまま爪弾きだす。


          ♪せーとのしおかぜ、きーたからふいて

          あーおーぎ、とーとぶ、ご~しきだ~い♪


 それは学校の校歌で、桜田は発音の上手さに驚いた。軽音部の面々が、ジャスミンに日本語を覚えさせるために部活中に教えたのだと言う。


 桜田は、アメリカ育ちのギターガールを見つめる。彼女は猫背でギターを抱きしめるように持ち、繊細な指使いで弦を弾きながらゆっくりと丁寧に歌う。

 一音、一音、ひと言、ひと言がシャボン玉のように明瞭に目の前で弾けては消え、1つのメロディになって流れてゆく。時にはふざけた素振りも見せるが、そこには確かな真剣さがあった。

 桜田は、サヴァンナの草むらでゆっくりと獲物に近づくライオンを思い出した。生き抜くために生死を賭けた戦いに向かう捕食動物のギラギラした目の光。それと同じものが今目の前でギターを弾く少女の青い瞳にも宿っているようだった。

 音楽の事はさっぱり分からんが、と彼は思う。

 きっとこいつにとっては歌うことが、本物の戦いなんやろう。


 生徒たちがジャスミンのギターに合わせて合唱し始めた。桜田もガラガラ声で音程外れに歌う。サムイ服の店主も店の小窓から首を出して一緒に歌った。スイカ並みのカエルを連れてきた彼の父、木山さんも歌う。

 全員が同じ中学の出身で、今も昔も校歌は変わらないままなのだ。


       ♪瀬戸のごとく伸びやかに 瀬戸のごとく穏やかに 

        心ひろき、さぬきの子  心きよき、海の子よ♪

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