8章:おっさん教師のセックス・スキャンダル

 

 香川県の南、四国中央の山岳地帯に5台のバスがやって来た。

 乗客は坂出から来た中学2年の5クラス、生徒約150名、教師12名。初夏の日差しに山中の草木が生き生きとした彩りを見せる中、広大な人工空間が広がっている。綺麗に刈りそろえられた芝地に、さまざまなものが見える。うっそうとした森の中に造られたエスカレーターやウェディングケーキのような形のホテル、そして山中の高地から香川一帯を見下ろす巨大な目玉のような観覧車もある。


       そこはテーマパーク、『ニュー・レオマワールド』だ。


 午前10時、駐車場に着いたバスから次々と中学生たちが降り、桜田や他の教師たちも続く。彼らは夏季遠足でここにやって来た。クラスごとの集会、自由時間、正午にグルメエリアで昼食。自由時間、再び3時半に集合して終了というのが主な予定だった。アトラクションは1人7つまで、5千円を超えない事、学校外の友達と遊んだり園外に出たりしない事。

 クラス集会で、桜田は2年1組の生徒たちにそういった注意事項を話した。そうして、お前らハメを外しすぎんな!と一喝イッカツしてから自由にした。白い夏服姿の子供たちは小さな木箱から解き放たれたハトのように園内のアチコチに散らばっていった。


 教師は基本、生徒たちの監視に当たり、生徒指導主任の桜田は不良グループを見張るのが主な仕事だった。

 しかし年々生徒たちはおとなしくなり、最近では問題件数ゼロが続いていた。そのため教師たちの多くが生徒と遊ぶようになり、今年もそういう流れになった。

 桜田は、園内を歩きながらそんな光景を次々と目にした。ジェットコースターに乗って女生徒たちと絶叫するチャラ男系理科教師や、オタク系男子たちとヱヴァンゲリオン風飛行機に乗って空中を舞う初老の歴史教師。

 または着せ替えスタジオで、女子に囲まれロリータ・ファッションに身を包んだ定年間近の古文担当の女教師の姿も見えた。桜田がワル連中に目をやると、その10人のグループもただゴーカートに乗って競走しているだけだった。


 一方で、学生時代の桜田はだった。遠足先の山奥でマージャン大会を開いた事もあれば、修学旅行先の京都では他校のワルたちと大ゲンカした事もあり、また林間学校先の旅館では屋根の天窓から女湯をのぞき、女生徒たちから一斉に石けんを投げつけられたこともあった。

 学生時代を通じ、彼は常にそんなグループのボスだった。桜田は園内を歩きながら、自身の若かりし頃を思い出しては懐かしむ。 

 だが、生徒たちのグループ構成は大体、彼の時代とほぼ同じだった。ワル、体育会系、優等生と大勢の従者たち、少数の変わり者たち。後はお1人様とカップルだ。しかし、今年に限っては例外があった。そんな様々なグループの間をずっとウロチョロする迷子のペンギンのような男女がいた。


               ジャスミンと新庄だ。


 好奇心おうせいなブロンド留学生は積極的に誰にでも話しかけ、その脇では帰国子女少年がいつものように熱心に通訳を勤めていた。

 ジャスミンは軽音部の備品であるウクレレを弾きながら歩き、一般客からも注目されていた。教師生活20余年、桜田もさすがに遠足でそんな光景を見るのは初めてだった。


「お前は、さっきから何しょんや!」

 天然キンパツをつかまえるなり、桜田がそう言った。

「ウクレレなんか弾かんと、子供らしく遊んでこい」

 新庄が訳すと、ジャスミンは顔をしかめた。

「私、もうすぐ14才よ。ミッキーマウスのお家で遊ぶ年じゃないの」

「ミッキーなんておるか。ここはディズニーランドやないわ! せっかくこんな山奥まで来たんやから、ジェットコースターに乗ってこい」

 ジャスミンは素直にうなずいたが、それも一瞬だけのこと。

「チェリー、ごめん。やっぱり私、ミッキーよりミック・ジャガーが好きなの」

 彼女はそう言うと、ウクレレをかき鳴らしながらピューーーっと走り去っていった。


                 *

    

 正午、グルメエリアに全校生徒が集合した。クラスごとに担任教師が点呼した後、各自で昼食に入る。桜田は、教職員ばかりの大きな円卓に加わった。やって来た店員にメガ牛丼を注文した後、隣の英語教師の和田と家族の事を話し出す。和田には2人の娘がいて、どちらも桜田の2人の息子と同じ高校に通っている。毎日、スマホでラインやらアプリやらをやってばかりだと、同じ悩みを打ち明けあう。


 そのうち桜田の目の前に誰かがやって来た。ジャスミンだ。マックセットを載せたトレイを持った彼女は、妙に空ろな顔つきだった。

「チェリー、ランチの後、私と一緒にボートに乗ってほしいんだけど。ちょっと話があるんだ」

 和田がそれを訳すと、桜田は「おお、ええぞ」と返す。

「先生もちょっとお前に話があるわ」

 それに彼女はうなずき、立ち去った。

「桜田先生、うらやましいなぁ。ジャスミンちゃんに好かれてて」

 そう言ったのは、チャラ男系理科教師の藤木だ。

「だって、チェリーって呼ばれてんだからなぁ。僕なんか、ああいう白人のキラキラした子がそばに来るだけで、マジ、心臓バクバクっすよ。生徒たちも言ってますけど、僕もフシギでならないんですよ。何で、あんな子が桜田先生を気に入ったんだろうって。だって英語も話せないし乱暴だし、女心にだってうといハズだし…」と、そこで彼は桜田にガン見されているのに気づいた。

「フジキ、それ以上、何か言うたら、このハシ、鼻の中に突っ込むぞ」

 すると和田が笑って「あら、そうフシギでもないわよ」と言う。

「桜田さんはすごく大らかでしょ。誰にでも同じように素のままで接してるし。そういうのって、世界中のどの女性から見ても魅力的なんだと思うわ。まぁ、藤木君みたいに、人に合わせてコロコロ態度変えてるようじゃ、どんな国でもモテないわよ」

「いや、それは誤解ですよ。完全な誤解です」

 藤木が頭をかきながらそう言い返し、教師たちの円卓は笑い声に包まれた。


                 *


 テーマパーク内の運河。そこで桜田がボートに乗ったのは昼の1時過ぎ。約束通り、ジャスミンと新庄の2人と共に乗り込んだ。桜田は新庄と並んでオールをこぎ、ジャスミンはウクレレを背中に回した格好で舳先ヘサキに座った。

 いつも陽気なジャスミンだが、先の昼食時と同じく、ずっとどこか上の空という顔つきだった。火曜なので一般客は少なく、園内を巡る広大な運河にもボートは幾つか見える程度、行き交う遊覧船にも人の姿は少なかった。

 運河を満たす真っ青な水は下に敷き詰めたタイルが見える程に透き通り、初夏の日差しを受けた水面がゼリーのように波打っている。そのうち桜田がジャスミンに言う。


「先生の話やけどな、それはお前のお母さんの事や。日本には来てないんか。時々、学校の事でお前の家に電話すると、毎回、お父さんが出てくるんやけどのぉ」

 ジャスミンは1つ大きな息をついて言う。

「ママは数ヶ月前に、事故で死んだの。私の姉と一緒に」

 新庄はそれを知っていたが、桜田は知らなかったので驚いた。

「そうか、それは大変やったな。いや、すまん事聞いたわ」

「いいえ、大丈夫よ」

 ジャスミンはボートに後ろ手をつき、空を見上げる。桜田と新庄も急に気が抜け、共にオールの手を止めた。ボートは風のままにユラユラと運河を漂っていく。そのうちジャスミンは半身を起こし、桜田をまっすぐ見つめた。


「じゃ、私の話、していい?」 

 彼はそれに、何やと言う。

「さっきさ、チェリーのについて聞いたんだけど」

 それには桜田も新庄の訳を待たずに、セックス・スキャンダル?と返す。

「私はチェリーを信じてる。ただの噂話だと思う。だからこそ、ハッキリさせたいのよ。私が聞きたい事は3つ」

 彼女は真顔で指を3本立てて言う。

「チェリー、3年前、アナタは裸の女生徒と一緒にいた事があるの? それも大勢の女子と。ねぇそんなの嘘よね」

 新庄が恐る恐るそう訳すと、桜田は無邪気に笑った。

「いや実際あった事や、イエス・イット・イズや」

 その瞬間、ジャスミンの顔に一気に血が上った。だが、そのまま平静さを保ち、そして言う。

「2つ目の質問、それは、アナタが教える柔道部の女子部員だったの?」

 彼は腕組みをして「そうや、イエス・イット・イズ」

「最後の質問、アナタはそれが原因で学校から処罰された。それは本当?」

「それも本当の話や。イエス・イット・イズ」

 ジャスミンは目をギョロギョロさせながら立ち上がった。

 そして力強くジダンダを踏み、その場から立ち去ろうとした。が、寸前の所で、そこが運河のど真ん中に浮かんだボートの上だと気づき、バランスを失って倒れた。彼女は四つんばいで桜田を指差して、絶叫した。


           「YOU "FUCKIN" NASTY!!!」


 小さな体のどこから出てきたのか――特にそのファッキンの部分が――すさまじい音量だった。

 運河のそばの大木につながれていた羊たちが一斉に暴れだし、他のボートの乗客や河岸を歩く警備員が彼らを見つめた。彼女は桜田からオールを奪うと狂ったようにこぎ始め、新庄にもそうするように大声を張り上げた。そして河岸につくなりボートから飛び降りて風のように走り去っていった。


「先生、僕、さっき見たんです」

 新庄が興奮ぎみに言った。

「昼食前に、何人かの他のクラスの女子がジャスミンを囲んで何か話してたんです。中に英語が話せる女子もいて、たぶんそいつが話したハズです」

 桜田は肩で息をして言う。

「まぁ、いつか誰かが言う事やからしょうがないわ。新庄、お前やって知っとるやろ。未だに学校におるもん全員が知っとるかも知れん事や」

 すると少年は長い前髪をかきあげて担任教師に詰め寄った。カマキリに似た顔をさらにキツイ表情にして言う。

「違う。あの女子は明らかに事実とは違う事をジャスミンに話したハズです。学校には、未だに先生のあの事を誇張して陰口を言ってる奴らがいるんです。僕は先生の無実を信じてます。大丈夫です。今から、僕がジャスミンの誤解を解いて来ますから」


 新庄はそう言うと、ボートから飛び降りて駆け足で去っていった。

 桜田はボートの上で1人寝そべって微笑む。

 2人とも、まったく青春しとるのぉ…。運河のそばの大木につながれた羊たちは再び落ち着きを取り戻し、緑地帯の草をのんきそうにムシャムシャと食べていた。





                 ✿



   

 桜田が3年前に起こした不祥事フショウジ。当時それは学校中を大いに騒がせ、新聞の地方欄の一角にも掲載されることとなった。


 始まりは、彼が顧問を務める中学の柔道部が男女とも大きな大会で団体優勝した事だった。日曜の夜、その祝勝会が大きな屋敷で催された。

 そこは桜田の教え子、同じ中学の元柔道部員が住む家であり、彼は地元の名家で地主一家の長男――つまりはお坊ちゃん――だった。普段から桜田は祝い事になると、彼を口説いてその大屋敷に上がりこんでいた。

 30数人による大広間での祝勝会は盛り上がった。顧問の教師たちや柔道部OBたちはガンガン酒を飲み、優勝した生徒たちも酒の空気が入ってテンションは上がった。そのうち野球拳や王様ゲームを始め、誰もが服を脱ぎ始めた。それはいつものお約束の展開であり、女子部員たちには最初から別室があてがわれていた。


 夜の8時が過ぎたころ、桜田はそろそろ家に帰そうとその部屋に向かった。ふすまを開けると、女子たちも大いに盛り上がっていた。小さな畳部屋で、酒も入ってないのに、10人の部員は肩を並べて狂気のラインダンスを続けていた。

「お前ら、お開きや、はよ帰れ」

 そう言っても、セーラー服姿の誰もが聞く耳を持たなかった。実力行使に出ようとすると、1人の女子が言った。


        「先生、私たちもハダカになっていいですか?」


 桜田はユカイに笑った。好きにせぇ、終わったらちゃんと帰れよ。そう言って、部屋から出ようとした。すると、その女子が彼の手を取った。

「あの、先生もいてもらえますか?」

 それにはさすがの桜田も驚いた。何か口にしかけたが、言葉にはならなかった。

「男子は先生と裸になって遊んでるんやから、女子やってしてもいいハズですよね」

 彼女がそう言って回りを見ると、他の女子たちはそろって納得の顔つきをした。

 桜田にはそれが不自然に感じた。

 何か申し合わせたような、先にこのような展開に持ち込むのを皆んなで打ち合わせでもしていたかのように感じられた。その女子が言う。


「先生、私は男女平等を訴えとるんです。だって女子やってすごい柔道の稽古ケイコして優勝したのに、私ら、こんな小さい部屋に入れられとるんですよ」

「ほんなら今から大部屋に連れてってやる。その代わり男は皆んな裸やぞ」

「そんなんしたら、私らが恥かくやん。男の方が、数が多いんやから。とにかく、私らやって男子みたいに裸になって先生と遊べる権利があるハズやろ」

 彼女は1つ大きく息をついた。

「なぁ先生、男と女とではいったい何がどう違って、こういう不公平な事が起こるんですか。私ら皆んなメッチャ頑張って優勝したのに、そのお祝いの時にも、男子部員たちとこんなに待遇の差をつけられとるんですよ。そんな私らのこと、ちょっとでも頭で想像した事ありますか?」

 この言葉にも、周囲の女子部員たちは納得の顔つきをした。だが、それは先のように申し合わせたものではなく、誰もが心底、共感しているようで、そろって柔道部顧問の顔を親の敵のようにらみつけた。


 桜田は大いに戸惑いながらも、女子全員の顔をゆっくり見渡した。

 こいつらはきっと、俺に恥をかかせたいんやろう。彼はそう思った。

 女のハダカにうろたえる俺を見て、皆んなで笑いたいんやないか。柔道部顧問の俺を男の代表として選び、その顔に泥をぬりたいんやないか。つまりは、女たちの復讐というワケや。けど、それもムリはないんかも知れん。思えば、俺も教師でありながら、こいつらを男子部員より軽く見ていた感がある。それもごく自然に、そうするんが当たり前の事のように……。


  「ほんなら見せてもらおうか。その代わり、ちゃんと脱ぐんやぞ」

   女子たちはその返事に、一斉にキャーっと叫んで抱き合った。


                 *


 桜田は柔道部内における男女不平等の罪をつぐなうためだけに、それを了承したワケではなかった。当然、そこには下心もあった。


 特に言い出した丸山という女生徒は可愛いく、そのぽっちゃりボディには思春期らしい匂い立つ色香があった。桜田は部活中にも彼女を色目で見る事があり、それには少なからず罪悪感も持っていた。

 だが彼は学校の女生徒をイヤらしい目で見るくらいの欲は、むしろ受け入れるべきものだとも思っていた。教師もふくめ、この世のほとんど誰もが聖人ではない。

 人は生来の善と共に生来の悪をも持ち合わせる。それは表裏一体であり、どうやっても悪だけを振り払う事は出来ない。彼は常々、そんな考えを持っていた。

 出てきた欲はしょうがない。それに負ける卑しさもまた俺自身なんや。

 この時もそんな風に自分に言い聞かせていた。


 地主一家の柔道部OBが住むお屋敷。

 その一室で、桜田は女子部員に言われるがまま柔道の黒帯を目の周りに巻き、畳部屋の真ん中に座らされた。数分後、合図の掛け声と共に、帯を解くとシュールな光景が目に飛び込んできた。10人の女子部員が手をつないで輪になり、彼を中心にしてグルグルと走り回っていた。

 宣言どおり全員がスッパダカだったが、桜田はむじゃきに笑い続けた。いくら思春期の少女たちのハダカでも、全員がまるで運動会の競技のように必死で走っているさまには、いかなるエロスも入り込む余地はなかった。

 言い出した丸山が「先生、見るんは10秒だけやで、ゼロで黒帯しめてや!」と言い、全員でテン・カウントを始めた。

「9、8、7」

 女子たちは回転スピードを速めて、キャーキャー叫びながら駆け回る。桜田も笑いながら、回り続ける少女たちを見つめた。丸山を始めとした女生徒たちのぽっちゃりボディが、ぷよんぷよんと気持ちよさそうに揺れていた。

「ゼロ!」

 その言葉が響くと、桜田は言われた通り黒帯を再び目に巻いた。そうして再び服を着た女子たちは大満足の様子で彼の前に整列して、「アザァしたぁ」と頭を下げた。


 もし、それだけの話であったなら、桜田には格別の思い出になっていた事だろう。死ぬ間際、長きに渡る教師生活を振り返る時に出てきてもおかしくない人生のハイライト映像になっていただろう。

 だが、実際、それは悪夢となった。そんな女子柔道部員と顧問コモン教師のおふざけの一部始終を、隣室のフスマの透き間からのぞいていた者がいたのだ。

 それはその地主一家に嫁いだ女、桜田の元教え子の妻だった。

 彼女は、先祖代々地元農協の幹部を勤める由緒ユイショ正しき一家の長女であった。さらに近所の信用金庫のベテラン行員でもあり、無欠勤&無遅刻記録を更新し続ける彼女を、同僚たちは陰で鉄の女の意をこめ、『鉄子さん』と呼んでいた。


                 *


 後日、それは学校に報告され、PTAは緊急臨時会議を開いた。そうして、警察も動いた。桜田は署に任意同行させられ調書を取られたが、結果、事件にまではならなかった。当の女子生徒たちが、警官も立ち会ったPTAの会合で事の一部始終を正直に語ったからだ。おかげで、新聞の地方欄の隅っこに小さく掲載される程度の事件に収まった。


       〖柔道部コーチ、中学女子部員と乱痴気ランチキ騒ぎ!?〗

       そんな見出し記事の一部を抜粋すると以下になる。


【~~~。同中学の教師で柔道部顧問、桜田大輔ダイスケ(49)は、知人宅で行われた大会後の打ち上げで、衣服を脱いだ女子部員のいる部屋に同席していたことが、目撃者の証言によって明らかにされた。

 しかし警察の調べで、桜田に計画性や強要の意志がなかったことが確認されたため、それ以上の捜査は打ち切られた。一方で学校側は女生徒との合意の有無に関わらず、教師としてあるまじき行為だとし、今後、厳正に処分する方針だと発表した。】

 

 というワケで、新聞の中の息抜き的なニュースに止まったのだが、新聞記事どおり学校はPTAの決定に従って桜田を厳罰処分した。3週間の停職と3ヶ月の減給、そうして4年間、担任教師の座から外される事となった。


 しかし、総じて見れば、事件のダメージは最小限だった。まず、桜田の妻や子供はすぐに理解を示した。彼らは桜田の子どものような性格を充分承知していて、今回の件もその無邪気さが行き過ぎたものだと見ていた。同僚の教師たちも同様で、彼のありあまる人間味が引き起こした珍事の1つだと捉えた。

 そして当の桜田は事件前と変わらず自然体でいた。事件後1ヶ月ほどは、教師としての義務感から生徒たちに自ら語る事もあった。それもユーモアを交え気さくに話した。元々、エロ教師と見られていた事もあり、大半の生徒は桜田らしいエピソードの1つとしてそれを受け止めた。

 一方、丸山たち女子柔道部員たちも大丈夫だった。

 男勝りの彼女らもまた桜田同様に隠し立てをせず、陰口をたたく者がいれば全員でしめあげた。そんな中でこの出来事から不祥事というレッテルがはがれていった。


 しかし事件のスキャンダラスさから、3年もの間、学校内でそれはさまざまに語り継がれていった。そのうち大勢の生徒たちの妄想が積み重なり、とうとう1つの都市伝説が生まれた。それは、桜田が何百年も先の世界からタイムトリップしてきた未来人であり、サイコキネシスで女子生徒たちを操ってストリップダンスさせたというようなものだった。

 一方で、当の問題教師は自らの善悪表裏一体哲学の元、今も変わらず――時々ではあるが――学校で目にするさまざまな女子たちに色目を向けていた。





                 ✿




『ニュー・レオマワールド』遠足で、桜田は午後もずっと生徒指導を続けてきた。

 時間がたつごとに、おとなしかった生徒たちも自由気ままになり、桜田の出番も増えていった。サイクリングコースでは、猛烈な競走をする体育会系たちにホースで水を浴びせ、人気のない場所に行こうとするカップルには、浮気調査の探偵のように執拗シツヨウにつきまとい、園内パレードの近くでは、コスプレお姉さんたちをローアングル写メするオタクたちに硬いゲンコツをくらわせた。


 新庄がやって来たのは、昼の3時を回り集合時間まで残り30分となった頃だった。カマキリ顔の少年は晴れ晴れとした顔つきをしていた。

 2人は一緒に観覧車の所まで行った。

 入り口の鉄柵に腰掛け、ミニスカから伸びたマッシロな脚をブラブラさせている女生徒がいる。ジャスミンだ。そばには軽音部の3人の女子もいた。桜田に気づくと、彼女は鉄柵から飛び降りた。

「ハロー、また3つ質問がある」

 彼女は彼に横顔を向けて言う。

「アナタが女子たちに服を脱ぐよう命じたんじゃなくて、柔道部の女子たちが脱ぎたいと言った。それは本当?」

 新庄の通訳を受け、桜田は、そうやと返す。

「その時、女子はフザケていた。全てはパーティーゲームだった。それは本当?」

「ああ、ホンマや」

 すると、彼女は彼に詰め寄って言う。

「じゃあ、何でアナタは学校に罰せられたの?」

「先生が知るか!」

 それで、その場は笑いに包まれた。ジャスミンは少し顔をうつむけて桜田に片手を出した。彼が握るとビックリするほど力強く握り返し、もう片方の手で彼の肩を思い切りバンバン叩いた。

「チェリー、さっきは、ヒドい事言ってゴメンなさい」

 それには桜田も目を泳がせる。

 「別に善人づらするワケやないで。先生が女子のハダカを見たかったんも事実なんやから」

  彼女はチっと唇を鳴らす。

 「イッツ・オーライ、それが男だって事くらい、私にも分かってるよ」


                  *


 最後に、皆んなで観覧車に乗った。ゴンドラの定員は5人であり、桜田にジャスミン、軽音部のアイ、アキ、アミが乗り込み、新庄だけが1人で乗る事になった。

 観覧車は全長50m。複雑に張り巡らされた無数のフレームが色とりどりのボックス状のゴンドラを吊り下げていた。ゴンドラが動き出した。上空に行くごとに風が強くなり、教会の鐘のような重い音を立てて揺れた。窓から見える真昼の空は晴れ渡り、さぬき富士を始めとした山脈が見渡せた。


「ジャス、ほらあの雲、ネコに見えん?」

 アイがそう言って猫の鳴き声をマネすると、ジャスミンは、ヤーヤーと笑う。

「なぁ、ジャス、あれは象さんに見えるやろ?」

 今度はアキがそう言って、片手で象の鼻の動きをする。

 桜田がアキレ顔で言う。

「お前ら、通訳の新庄がおらんと何も話せんな。猫や象ぐらい英語で言え!」

「でも、そんなんでも結構お互いの事、知れるんやで」

 そうアイが言う。

「身振り手振りとか絵とか。そんなんだけで、コミュニケーションになるんよ」

 それにアキが続く。

「ほんまやで。ジャスの事、うちらもう結構知ってるよ。小学校でパンクバンド組んでたとか最近スケボーで転んでオッパイをすりむいたとか」

 アミも続く。

「私ら、ジャスの生理日やって知ってるで。英語では『ピリオド』って言うて大体毎月5日なんやって。日本人と同じでカリカリするらしいから、先生も毎月5日のジャスには気をつけた方がエエよ」

「お前ら、アホな事ばっかり聞きだすな」

 桜田がアキれ顔で言う。当のジャスミンは、陽気な顔でウクレレを弾いていた。

 まぁでも、と桜田が腕組みして言う。

 「伝えたいという気持ちが1番大事なんやろな。それさえあったら言葉抜きでも分かりあえるんやろ」

 アイが「そうや、私ら同じ人間なんやもん」と言う。そこで軽音3人組は何かはやりのJポップを歌い始めた。ジャスミンは、それにあわせてウクレレを弾く。


 桜田はシートに深く座り、4人の女生徒たちを見るともなくながめた。

 完全異色の天然キンパツ転校生だったジャスミン。

 それが今や、ほとんど田舎の女生徒の中に溶け込んでいる。

 まったく何ちゅうフシギな事や。彼はそう思いながら、窓から山のふもとの町、坂出サカイデをじっと見る。すると、そこが妙に遠く感じられた。3世代前から定住し、彼自身も50年近く住み着いた古里が、まるで異国の見知らぬ町並みのように見えたのだ。


 きっと、ジャスと一緒におるからやろう。彼はそう思う。

 このキンパツ1人がそばにおるだけで、見慣れたもんが違って見える時がある。うどんにしても学校にしても近所の風景にしてもそう。

 そう、さっきの俺の不祥事への反応もそうや。今まであれについて、あんなに軽く受け流したんはコイツだけや。おかげで俺自身もなんか、軽くなれたわ。たぶん、今まで自分でも知らず知らず、ずっとあのことに囚われてたんかも知れんな。


 桜田は鼻を鳴らし、ゴンドラの窓から遥か彼方の故郷の町に目を凝らす。


 考えれば、あそこはホンマに異国のようなもんや。俺はずっとあそこを勝手に自分の町やと思い込んどっただけなんかも知れんな。たとえ自分の生まれ故郷でも、その郷土感もまたあの町への1つの見方に過ぎん。あそこに生まれたっていうだけで、あの土地の申し子になるワケやない。それはひどい思い上がりや。

 あんな小さな町でも、アメリカから来たもんまで受け入れるフトコロの広さを持っとる。実際、ジャスはうどんも大好きやし友達もようけできて学園生活にもすっかり馴染んだ。

 あの町は、俺なんかが思ってるより遥かに豊かでフシギな場所なんかも知れんな。いや、たぶんそうなんやろう…。


 フイに轟音ゴウオンが響いた。

 観覧車からかなり近い上空にジェット機が現れたのだ。梅雨空の厚い雲を背後に、マッシロな機体が定規で線を引くように真っ直ぐに飛んでゆく。

 軽音部の仲良し4人組はバカ騒ぎを中断して、ゴンドラの窓からその様に見入った。桜田はその1人、金髪ツインテール娘を見た。


 いつか、こいつもまたあれに乗って遥か遠い異国の故郷に戻るんや。

 そやけど…と彼は1人ニヤリとする。

 その時が来るまで、こいつもまた生粋キッスイのさぬきっ子なんや。

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