11章:ジャスミンがギターでカミナリのような音を出すようになったワケ


「みなさん、こにちわ、ジャスミンです」

 その声は、プラダの高級スーツ姿のアラフィー女性校長が机上でマニキュアを塗り直している校長室に響く。

「ウタ、リクエスト、アリガトー」

 その声は、給食前にエプロン姿の生徒たちがパタパタと行き交う廊下にも響く。

「キョクわ、ケーオン、4にんでつくた」

 その声は、校内ヒエラルキーの頂点に位置する美少女たちに囲まれてSNSに上げるリア充・スマホ写メ撮影中のチャラ男系教師がいる理科室にも響く。

「アイASボーカル&リズムギター、アキASベース、アミASドラムス。エンド、ミーASボーカル&リードギター」

 その声は、アラサー美人教師目当てに、汗だくのスモー部ばかりの仮病男子生徒たちが詰め掛けた保健室にも響く。

「『STAY ROCK』BYソルティ・ツインズ」


     ズンタタズンタタ、ジャカジャカジャカジャカ、ボンボンボンボン。


 その音は、どこからか迷い込んだこの近所では馴染みの野良猫カップルが体操マットの上でじゃれあうカラッポの体育館にも響く。

 そして、それは2年1組の教室にも届いた。時は正午過ぎ、大勢の生徒たちが大鍋やポットや炊飯器が並ぶ長机の前を行き交う中、教壇の前に座った桜田は言う。

「何や分からんけど、やかましい歌やの~~~」


                  *


 中学校は夏休み前、午前授業だけの水曜日。給食時間中の放送室に、校内唯一のガールズバンドが集合していた。ジャスミンと軽音学部の3人組だ。学校では毎日の給食中、放送委員が生徒たちのアンケートを元に流行りのJポップを校内に流す。それが今回、ジャスミンが地元で大人気になった事を受けて彼女のバンドの曲になり、メンバー全員が放送室に招かれたのだった。


 ソルティ・ツインズというバンド名には、それなりの理由があった。学校のある坂出サカイデ市では昔、塩田が盛んに行われていて、ジャスミンの出身地、アメリカのソルトレイク・シティーはその名の通り巨大な塩の湖が中心にある町だった。そこでジャスミンが2つの塩の町出身の少女たちという意味を込め、ソルティ・ツインズと名づけたのだ。

 記念すべきデビュー曲、『STAY ROCK』は、タイトル通りのストレートなロック。アイとジャスミンの日米ツインボーカルが日本語と英語を交互に歌い、とにかく、皆んな、今やりたいことをやれとシャウトした。

  

 校内放送は好評を得た。アラフィー女性校長はリズムに合わせて赤いマニキュアの指で机をトントン鳴らし、給食支度に忙しい生徒たちの数人は廊下でステップを踏み、理科室の美少女たちはオシリを揺らしてチャラ男系教師を喜ばせ、保健室の美人教師は8ビートで発情スモー男子の脚に包帯を巻き、体育館の野良猫カップルは体操マットの上で一瞬のうちに交尾を終わらせた。


 トークコーナーが始まった。軽音部メンバーが司会を務め、ジャスミンがゲストになる。


「ジャスミン、今やアナタとお姉さんの美人姉妹は、この学校に止まらず町の人気者になってます。ユーチューブのビデオ日記がキッカケで人気が広まり、ついには姉妹で地元TV局の旅番組に出演するまでになりました。それは今週の金曜の夜にオンエアされる予定です。さて、ジャスはそんな大人気ぶりをどう思ってますか?」

 通訳担当はいつも通り新庄だった。

 そのせわしない声が2年1組の室内スピーカーから聞こえると彼のクラスメイトたちは一斉に笑い声をあげた。クラスでいつもジャスミンの通訳を務める新庄は、すでにクラス内では翻訳家、戸田奈津子に引っかけて“なっちゃん”っと呼ばれていた。


「大勢の人に注目されるのは、すごくステキな事です」

 ジャスミンがそう言う。

「だけど、ただ珍しいだけなんじゃないかとも思います。時々、自分がになったように思えます。学校では よく人が私を好奇心たっぷりに見ているのに気づきます。へぇ、パンダってクシャミするんだぁとか、オシリをかくんだぁとか、うどん食べるんだぁとか、皆んな、時々そんな風に私を見ているように感じます」

 それが訳されると、学校中から笑い声が上がった。


 続いてアキが言う。

「ところで、とても残念なお知らせがあります。そんな超人気者のジャスミンですが、何と夏の終わりにアメリカに帰ってしまうのです。つまり、通学は夏休みまでの残り1週間ほどになります。ジャス、この3ヶ月、この学校に通ってどうだった?」

「みんな、サイコーね」

 彼女は日本語でそう言ってから、英語に切り替える。

「英会話のアシスタントとして皆さんの英語の授業をサポートできた事を光栄に思っています。仲良くしてくれた皆んな、アリガトウ。先生にも感謝します。特にチェリー。色々とアリガトー。アナタには、1番ステキな日本語を教わりました」彼女はマイクを握って言う。


            「それわ、です。

           チェリー、ユー、サイコー、エロオヤージ」


 2年1組は爆笑に包まれ、当のエロ教師、桜田は口にした牛乳を吐き出した。


「では、最後に私たちの歌をもう1曲、お届けします」

 アミがそう言い、放送室の中、軽音の4人が声をそろえて言う。

「『ARIGATO So Much』BYソルティ・ツインズ」

 学校中のスピーカーから、甘いメロディーが流れ始める。

 この曲では、ツインボーカルの言葉が逆転、アイが英語でジャスミンが日本語で歌った。かつては塩田地帯だった坂出の少女が歌う。

「♪Thank you Jasmine for Everything you did for us」

 ソルトレイク・シティーの少女が歌う。

「♪みんな、みんな、アイシテマ~ス」

 そして、日米ツインボーカルはサビで声をそろえる。

「♪アリガトー、ソーマッチ」




                ✿   




「チェリーは、何か夢を持ってる?」とジャスミン。

「夢? 夢って何や?」と桜田。

「夢は夢よ。何か大きな夢。ロックスターとか大統領になるとか」

「あのな、先生は52歳やで」

「年は関係ないわ。チェリーには何の夢もないの? 何か目指してるものもないの?」

「ああ、目標やったらあるぞ。1番の目標は教え子が柔道の全国大会で優勝する事やな」

「そう、私はそういう話をしてるのよ」


 ジャスミンと桜田の話は続く――その間ではいつも通り、新庄が通訳を務めている。そこは軽音楽部の練習場所である音楽室だ。先の校内放送があった日の放課後、桜田はそこに顔を出した。彼とジャスミンは部屋の一角の席で向き合って座っている。


「チェリーは、ジュードーコーチとして日本1の学生チームを作りたいのね」

 ジャスミンはセーラー服姿でワインレッドのエレキを軽く鳴らしながら言う。

「何も、そこまでは言うてないわ」

 だらしないジャージ姿の担任教師は頭をかく。

「ただ、活躍すればエエだけや。そのために毎日、頑張って指導しとる」

「1日、何時間くらい柔道を教えてるの?」とジャスミン。

「そら、まぁ相撲部との掛け持ちやし、普段の日は1時間くらいやな」

 それにジャスミンは「NO!」と言ってオープンEをピックで弾いた。そばのアンプから、強烈な重低音が響く。

「チェリー、それは夢じゃない」彼女は立ち上がってエレキを弾き始める。


   ジャンジャンジャージャジャジャ、ジャジャジャジャジャー、ジャージャジャジャン。


 レッド・ツェッペリン『Heart Breaker』のリフ。

 アイが慌てて、それにギターをかぶせる。音楽室にはせりあがったステージがあり、そこにバンドセットが組まれている。アイ、アキ、アミ、そしてジャスミンのソルティ・ツインズの面々は、そこで音合わせの最中だった。ジャスミンは弦に手を当てて演奏をやめる。

「私はロックをいつもイメージしてる」

 彼女が言う。

「1日の半分は想像したりプレイしたりしてる。そういうのが私の言う夢なの。何かにクレイジーになれる事。それが本当の夢。チェリー、もしアナタが柔道にもっとクレイジーになれれば生徒を日本チャンピオンに出来るかも知れない。だけど、今のままだとそれはムリじゃない?」

「まぁ、そうかもな」

 桜田は椅子にだらしなく座ったまま、両腕を頭の後ろに回す。

「ほんまに、全国一の指導者になるような先生は違うんやろうな。お前の言う通り、もっと日々柔道の事ばかり考えてるんやろ。そやけど先生は何て言うかのぉ。何かに一筋になるより、バランスの取れた人生がエエんや。柔道の指導の他に、先生は学校の生徒指導部の主任でもある。今年からは担任クラスも持ったし、家では2人の息子の父親や。何か1つ言うんやなくて、そういうことを全部やりたいんや」

「ふぅん。ま、そういう人生も人生よね」ジャスミンはそう言ってまたギターを弾く。


         ズッチャズッチャ、ズッチャチャ、チャチャチャ。


 木村カエラ『リルラリルハ』のリフ。ステージのアイ、アキ、アミは、またそれに合わせて各々のパートを演奏する。

「ええか、ジャス」と桜田が大声を出す。

「夢持つんもエエけど、たぶんそういう人は幸せやないと思うな。極端に言うたら、全てを捨てて1つに賭けとるワケやからな。お前には、そんな覚悟があるんか?」

「HELL, YES!!!」 

 ジャスミンが演奏しながら言う。

「ホンマか? 何でも夢言うたら大変なんやぞ。まだスポーツやったら実力の世界や。努力さえ惜しまんなら達成できるかも知れん。

 そやけど、お前の進む音楽の世界はなぁ。何千人に1人、何万人に1人しか浮かばれんもんなんやろ。競争率が高すぎるしパスする基準やってよう分からん。とにかく努力だけでは叶わん世界や」

「OH MY Fuckin'GOD!!!」

 ジャスミンが言う。

「千人や1万人と競争するだなんて考えた事もないよ。私はただ自分の信じる道を進みたいだけ。」

「そうやけど、結果が出んと長続きせんぞ。どんな夢も金なしには続かんのや。何よりこれだけは覚えとけ。何か、1つに賭けたら負けた時は悲惨な事になる。最後には全てを失う。ええか、全てを失うんやぞ」

「Lose Everything, whatta nice word」ジャスミンは踊るようにギターを弾く。


    ダーダ、ダッダッダッダーダー、ダーダ、ダッダッダッダッダッダッダーー

 

 ホワイト・ストライプス『Seven Nation Army』のリフ。それに慌ててアキがギターをかぶせ、アミがスネアドラムをドカドカと叩いた。






                  ✿





 机の真ん中にある大きな花瓶には、一輪挿しのヒマワリが生けられている。まっ黄色の花びらは、人の顔ほどに大きい。あまりにも堂々と花開き、あからさまに陽気な色を放っている。それはこの部屋の主を象徴しているかのようだ。

 そこは職員室の奥にある生徒指導室だ。

要するに、学校の問題児たちの連れ込み部屋で、それらしく警察署の取調室にも似ていて、粗末な木製の椅子や机、机上には裸電球のスタンドがある。壁に多く飾られた額縁写真には模範生徒たちが写り、四国大会優勝時の柔道部員たちや、東北大震災後の宮城県にボランティアに行った生徒たちなどの姿がある。


 今、その生徒指導室には、2年1組の男女の学級委員がいた。軽音部のアイと新庄だ。彼らを前に、桜田も机に座っている。先に彼がジャスミンのいる音楽室に行ったのは、2人をここに連れて来るためだった。

 1学期終了間際、男女の学級委員である彼らとクラス内の事について話し合う機会を作ったのだ。彼はその前に元2年1組の担任教師について知らせた。



 美術教師、水島は5月に結核で入院して以来、一時は回復したがまた病状を悪化させていた。桜田は毎週のように同僚で親友の彼の病室を訪ねていたが、日に日に弱っているのが見て取れた。

 医者によると8月の半ばが病の峠らしい。新庄とアイはその報せに心底つらそうな顔つきをし、桜田は彼らを陽気な言葉で元気づけた。



 それから1学期のクラス内の事について意見交換をし、一段落すると桜田は室内の小さな冷蔵庫のドアを開けて、2人にジュース缶を手渡した。

「だけど、新庄ってすごいわ」

 アイが言う。

「いつもジャスミンの通訳を完ぺきにやっとるもん。なぁアンタ、ほんとに戸田奈津子さんみたいに映画俳優の通訳になってみたら」

 それに新庄はアキれ顔を見せる。

「何言ってんだ。通訳ってすごく大変なんやからな」

 桜田は麦茶をコップに注ぎながら、新庄は将来何になりたいんやと聞く。

「僕、実は最近、って思うようになったんです」


               「DJ!」


 桜田とアイが顔を見合わせて笑った。

「何や、DJって。あのディスコでチャラチャラしとるようなヤツの事か?」

 桜田がそう言う。

「まぁ、そうです。だけどすごく奥が深い仕事なんですよ」

 カマキリ顔の彼は、切れ長の目玉を吊り上げて言う。


「僕、小さい頃はハワイにおったでしょ。ハワイは島全体が音楽に満ちたような土地柄で、僕も毎日色んなジャンルの音楽を聞いてました。それで最近、ジャスミンと軽音学部に行くようになって、ますます音楽が好きになったんです。

 今日の校内放送で流れた『STAY ROCK』。あれ、僕がマックの音楽ソフトで編集して作ったもんなんですよ。で、さっきクラスの皆んなからカッコ良かったわって言われて、すごい嬉しかったんです。何か、やりとげたなって言うか。DJとか音楽プロデューサーとか、とにかくアーティストと一緒に曲を作るような仕事につきたいんです」


「ジャスの悪い影響やな」

 桜田は机の扇風機の前でコップの麦茶を口にする。

「新庄、お前は英語ペラペラやし、他の学科もトップクラスや。そんなアホな夢見んと、大学行って親を安心させろ」

 新庄は珍しく担任に苦い顔を向けて、頭を振る。

「先生、親孝行とか結婚とか正社員とか、そういうのだけが人生の目標やないんじゃないですか?」

 アイがそれに首を横に振って言う。

「私は先生に賛成やな。私もバンドやってるけどこれ以上、続ける気はないわ。今は遊べる時間があるからやってるだけ。私は看護師になりたいと思っとる。小さい頃、小児麻痺ショウニマヒになったんやけど、近所に名医がおって助かったんよ。それで私も人の命を救うような仕事につければなって思うようになって。ジャスミンが言っとるような事も分かるけど、普通の女子にはムリな事やな。まぁ、あの子は特別、男っぽいし……」


 アイは真顔になって桜田を見つめた。

「先生、ここだけの話。ジャスミンって、ホントに? いくらアメリカ人でも男っぽすぎるゆうか。歩き方も座り方も男やし、あんなカワイイ顔やのに変顔ばっかりするし、ギターやってさっきみたいにいっつもカミナリみたいな音出っしょるし」


 アイは少し身を乗り出して続ける。


「ここだけの話、どれくらいか前ににが出てきたんですよ。結構イケメンの上級生でデートしたいって言うけん、私がジャスに紹介してあげたんです。そしたらジャス、その人に『一緒にサッカーやろ!』言うてボール持って運動場に飛び出していってなぁ。2人でボール回してたけど、ホント、ただの男友達みたいで。結局、その人、すぐに興味なくしてしもたんです。ホンマに何であの子ってあんなに男っぽいんやろ。まったくワケが分からんわ」

 桜田と新庄が共に吹き出して生徒指導室は笑い声に包まれた。

「あ、いかん。ケーオンの部室にジャスを待たしてたんや」

 アイが柱時計を見て言う。

「先生、もう話、終わりやろ。何しろ、あの子、怒り方も男やから」

 そう言い残し、彼女は勢いよくドアを開けて風のように走り去っていった。


                 *


 生徒指導室に残った2人は話を続けた。ジャスミンのお別れ会についてだ。夏休み前の1学期最後の登校日、1時間のHRを丸々それに当てる予定だった。

 机の真ん中にある花瓶のヒマワリは、窓から入ってくる熱風で花びらをユラユラさせている。窓の外にはプールが見え、水泳部員たちがトビウオのように水しぶきを上げ続けている。隣の職員室では原発ストップ節電の熱気の中、教員たちが水の張ったバケツに足を入れて職務に励んでいた。


 お別れ会の話が一段落した時、新庄が言った。

「先生、実はジャスミンの事なんですけど」

 彼は汗でツヤツヤした長い前髪を耳にかけて、桜田を見つめる。

「さっき、アイが言ったように、彼女はすごく男っぽいです。僕が見ても、本当にそう思う。だけど、それにはワケがあるんです。ジャスは何て言うか…。」


 桜田は、何て言うかと繰り返し、情の薄そうな彼の薄い唇が再び動くのを待つ。


「彼女、父親をすごく嫌ってるんです。いや、もっと言えば憎んでるって言うか。彼女、アメリカに戻ったら家を出て行くって言うんですよ。まだ13歳やっていうのに。こうして日本に来たのは、父と最後の思い出を作るためやって。だから、彼女の男っぽさは、父親を嫌うあまりに出てきた強い自立心の表れなんだと思うんです」

「何や知らんけど、新庄、お前、深読みしすぎやろ」

「いや、そうじゃないんです」


 カマキリ顔の少年は机に両手をバンとついた。


「桜田先生だからお話したい事があります。僕はこの話をジャスミンから聞いた時、ただビックリして何も言えませんでした。桜田先生は生徒指導を何年もされてますから色んな生徒を見てきたハズです。だから、きっと何か彼女へのいい対処法が思いつくんやないか。そう思って、1つ話したい事があります」


 彼はそう言って、色白の顔を真っ赤にして息をぜいぜい吐く。桜田はただ、眉をハの字にしていた。


「先生、いいですか。これは絶対、。僕が、ジャスミンの家に 遊びに行って近所の海辺で散歩してた時、フイに話してくれた事なんです。彼女はそれを、まだ誰にも話した事がないと言いました。父や姉にさえ話していないと。僕はその話を聞きました。そして、ハっとなったんです。それまでジャスについて不思議だった事が全て分かったって言うか。その1つの話で全てのパズルのピースがはまったっていうか。

 なぜ、彼女が男っぽいのか。なぜ父親を憎んでいるのか。

 桜田先生、あの時のことを覚えてるでしょう。遠足の日、ジャスが先生の不祥事を聞いた時の事を。なぜ、彼女があんなにも怒り狂ったのか。そういった事全てが、この話を聞いて納得できたんです」

 桜田は机に身を乗り出し、手ぬぐいで顔をぬぐって新庄を見つめる。


            「その話、聞いてみよか」


 その頃、空調の効いた校長室では、アラフィー女校長とPTAの女理事たちが夏休み中の生徒指導について話し合っていた。

 誰もいない放課後の廊下ではリノリウムの床から蜃気楼のように熱気が立ち昇っていた。部活で賑わう体育館では、体操マットの上に体操部員たちが座り込み、AV界のベスト・オッパイをテーマに熱烈な議論を繰り広げていた。

 理科室では、発明クラブの面々が『ものづくり日本大賞』を目指し、うどんの廃液をバイオ燃料に変える実験の最中だった。保健室では、アラサー美人教師がスマホ片手に日々の憂うつをツイッターでつぶやいている。


 生徒指導室では新庄がすべてを話し終えたところだった。彼は担任教師の言葉を待った。だが、桜田は動揺を隠せず戸惑ったまま、口に手を当てて黙りむだけだった。

 そばの窓の下では、先に体育館のマットで瞬時の愛の交換を済ませた野良猫カップルが、夫婦らしく寄り添うようにして歩いていた。


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