第16話:ケアンズの夜-2

 2人がブルーの看板を曲がって姿が見えなくなると同時に、《止まれ!そこまでだ!》と叫び声が聞こえる。森田の声だ。そこから先は、何やら怒声が飛び交っている。設楽が遅れて路地裏に飛び込むと、壁際に貼り付くようにして大宮、里田、清水の姿が見え、その目の前でガタイの良いオージー5人が大竹と森田に襲いかかった。


「先生!?」

 設楽が思わず声をかけると、2人に殴りかかろうとしていた男達は一瞬設楽に目を向けた。だが、その隙を見逃さず、大竹と森田が反撃に出る。大竹の拳は綺麗に1人の顔面にぶち込まれ、森田が力任せに腕を振ると、それは相手の喉を叩き潰した。


「し、設楽…!」

 里田が泣きそうな声で設楽を見る。何だこの状況!!

「どうしたんだよ、これ!」

「知らないよ!ここ曲がったらいきなりあいつらが待ち伏せしてて!今大竹達が来て、そしたらあいつらが先生に殴りかかって……!!」

 本当に訳が分かっていないのだろう、3人とも軽くパニックに陥っている。


「お前ら誘ったって女はどこだよ!」

「え?あれ?そう言えばどこだ?」

 辺りを見回しても、女の姿などどこにも見えない。さっきまで、確かに自分達と一緒にいたのに……。

「バカか!お前らカモられたんだよ!!最初からあいつらと組んでて、お前らのことおびき出したんだろ!?」


 大宮達に気を取られているうちに、5人のうちの1人がこちらに間合いを詰めていた。はっとして、設楽は咄嗟に大宮達の前に出て身構えた。実践でケンカをしたことはないが、体を作るために空手の道場には通っているのだ。俺だって戦える!


 だが。


「設楽!手を出したら停学だぞ!そっちに隠れてろ!」

 言うなり大竹がその男の後ろから足払いを掛け、男は膝から崩れるように倒れ込んだ。それと同時に脇から殴りかかってきた男の腕を取って、手に持っていたナイフを叩き落とす。


「ひぃ!!」

 ナイフを見て、清水が奇妙な悲鳴を上げた。


「大竹さん、ちょっと人数多いね……!」

 森田が1人の腹にタックルをかけ壁に叩きつけると、相手は頭でも打ったのかその場に崩れるようにしゃがみ込んだ。森田の腕に、壁に擦りつけてできた長いすり傷ができている。大竹のシャツも脇がナイフで切られていた。だが、2人は全く気にしていないように、殴りかかってくる男達を相手にしている。

「お前はこのくらいは軽いだろうが!」

「いや、大竹さんには負けるって……!」


 口汚く罵ってくる男達は、意外な助っ人にイライラしているようだ。こうなると、向こうも引くに引けないのだろう。しかし、最初はフットワークの軽かった2人も、何発か喰らっているうちに足が重くなっていった。


「先生!」

 設楽が叫ぶと「良いからそこにいろ!」と森田に怒鳴られた。

 大竹が赤い物が混じった唾を吐く。男が先程叩き落とされたナイフに手を出そうとすると、すかさず足でナイフを蹴り飛ばした。ナイフは5m程地面を滑り、ゴミ箱にぶつかって止まった。


「危ねぇな…高校生相手にナイフかよ」

「銃じゃないだけマシでしょ!」

 その声に、大宮達の顔色がますます青くなる。オーストラリアは現在一般人の銃所持は原則禁止されているが、規制以前に出回っていた銃の国家による買い取りに応じなかった人も一定数おり、そうした銃は密かに出回っているのだ。


「ど、どうしよう、どうしよう……!!」

 清水や里田が泣き声を上げるのを、設楽は背中に庇って声を掛ける。

「落ち着けって!」

「でも!!」

「うわっ!」

 清水の声に慌てて前を見ると、大竹が前後から男達に羽交い締めにされそうになっていた。


「先生!」

 設楽は咄嗟に飛び出そうとした。停学もペナルティもあるものか。俺の先生がこれ以上傷つけられるのを、何で黙って見てなくちゃいけないんだ!! 


 ────その時。


《お巡りさん、こっちだ!観光客がギャングに襲われてる!!》

 ひどく訛りの強いオージーイングリッシュの叫び声が辺りに響いた。男達は慌てて辺りを見回すと、狼狽えたように何か喚き散らし始めた。


《……行けよ!》

 森田が低く叫ぶ。男達は一瞬躊躇うように互いに視線を交わした。


《行け!!》


 もう1度叫ぶと、5人は何事が喚きながらジリジリと後ろ向きに距離を取り、それからわっと走り去っていく。完全にその姿が見えなくなるまで大竹と森田は身構えていたが、男達の姿が消え、しばらく経っても戻ってこないことを確認すると、森田は力の抜けたように「は~~~」と溜息をついて、後ろの壁に寄りかかった。


「大丈夫か、お前ら。怪我はないのか!」

 そう言って近づいてくる大竹の口元が切れている。こめかみにも、斬りつけられたシャツの破れ目にも血が滲んでいた。森田の姿もボロボロだ。


「先生!血が!」

「かすり傷だ。それよりお前ら、怪我は!?」

「せ…先生……」

 大宮達が緊張が緩んだのか目に涙を浮かべて震えだすと、大竹は3人の頭をグシャグシャに掻き混ぜながら「怪我がないなら良いから」とやっと安心したような顔をした。


「おい、大丈夫か!?」

 そこに、遅れて大場が走り寄ってくる。

「ああ、大場先生、助かりました」

「え?」

 大宮達と設楽は、大場に向かって礼を言う教師2人に少しだけキョトンとした顔をした。まだ状況が飲み込めてないようだ。


「あ、そう言えば、警察は?」

「そうだよ。俺達、事情聴取とかされるの?」

 急にキョロキョロし始めた3人に、大竹が苦笑した。


「なんだ、気づかなかったのか?さっきの叫び声は大場先生だぞ?」

「え?」

「さっきの叫び声って、あのベタベタなオージー訛りが?」

 その発言に、大場がニヤリと笑う。

「俺の特技だ。たいていの不良どもはこれで何とかなる」

「大場先生、昔オーストラリアの日本人学校で4年間教えてたんだよ」

「え?じゃあ、さっきの大場先生だったの……?」

「え?あ、じゃあ……」

 3人はホッとしたのか、今度こそ声を挙げて泣き出した。


「こわ…怖かった……怖かったよぉ……!」

「先生ごめんなさい……!!」

 泣きじゃくる3人を、3人の教師がそれぞれに肩を叩いたり頭をクシャクシャにしたりして落ち着かせようとする。


「取り敢えず、話は後だ。いっぺんホテル戻るぞ」

「お前ら。明日の自由時間はホテルに缶詰だからな」

「うん。うん、ごめんなさい」

「泣かなくて良いから。無事で良かったな」

 ワンワン泣きじゃくる3人の後ろで、設楽も足の力が抜けそうになった。


 人が人を殴っているところを、初めて見た。空手の稽古や試合とは全然違う。大竹に動くなと言われたが、言われなくても足なんか動かなかった。目の前で、大竹が怪我をしているのに……。

 情けなさでいっぱいになって、涙が出そうになる。俺、先生に何を言われても、一緒に闘わなきゃいけなかった。何のために道場に通ってたんだよ……!


 その時。


「設楽」

 大竹が振り返って、設楽の肩に手を伸ばした。


「先生、俺……」

「よく堪えたな。お前が大人しくしててくれて助かった」

「でも、俺……」

 涙目の設楽の首を、大竹は肩に腕を回してぐいと引き寄せた。皆がいる場だが、ここで今2人の様子を気にする奴はいない。


「お前が無事で良かった」

 低く、他の誰にも聞こえないように囁かれた言葉に、設楽の目から涙が落ちた。


「先生、先生……」

 設楽は思わず大竹の肩に顔を埋めた。その背中を、大竹がトントンと優しくあやす。


「バカ、お前が手出したら停学だぞ。良いんだよ。俺達はこういう時の弾除けのためにいるんだから」

「そうそう。まぁ、明日ホテルで缶詰になって貰って、後は日本に帰ってからの罰プリントですか?大竹先生」

 森田が楽しそうに言うと、生活指導の大場も頷いた。

「こんな事が学校にばれるとこっちもコトだからな。ったく2人とも、そこまで顔に痕残さなくても良いでしょうに。それ、どうやって上に報告するつもりですか」

「まぁ、それはこれから考えます」


 どうやら「大竹の元で罰プリントか、上に報告して停学か」という選択肢は、教師の間では公然の秘密になっているようだ。


「しかし3人とも、今回はちょっとやりすぎたな。罰プリントは3ヶ月くらいにして下さいよ」

「3ヶ月!?」

 助かったと思うなり気が大きくなったのか、思わず大宮がイヤそうな声を出す。そんな大宮の頭に大竹がすかさずゲンコツをくれた。

「何言ってやがる。その位で済むならありがたいと思え」


 他の2人も急に口が軽くなった。まだ頭の中のパニックは続いていて、ホッとした事で一時的な躁状態になっているのだろう。


「ね、でも先生、先生達3人ともここに来ちゃったら、ホテル大丈夫かな」

「ホントだ!ロビーに先生いなかったら他にも脱走してる奴いるかもよ?」

 何か話していないと、怖くて落ち着かないのかもしれない。ヤケに明るく、ヤケに暢気な台詞を大宮達は次々に口にした。だが、そういう軽口には教師達は容赦なかった。


「脱走したお前らが何ぬかしやがるか!」

「本当に反省してんのか!?」

「だ、だって!!」


 3人はそれぞれにゲンコツを喰らいながらホテルまで戻ってくると、ロビーのソファには嶋村が座っていた。

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