第8話:クーバー・ペディ
「はい、お疲れ様でした!」
バスを降りるように促され、窓の外の景色を見た生徒達の顔が、途端に変わる。
「……何、ここ……」
呆気にとられたように辺りを見回している生徒達の顔に、引率3人は満足そうに笑った。
砂漠と言うよりは礫漠で、砂の代わりに剥き出しの乾いた大地が広がっている。見渡す限りの赤い大地に、半分埋もれるようにした家が並び、遠くに飛行船や未来の乗り物を模した看板などが点々と見えた。崖の岩肌に窓とドアがあるだけの家まで見える。
赤い火星の中に突如現れた前時代的な都市。
そんな映画のような風景が、目の前に広がっていた。
「ようこそ、地底都市、クーバー・ペディへ」
森田がわざとらしく胸に手を当ててお辞儀をすると、生徒達は「うぉ~、何じゃこりゃ~!」と奇声を上げた。
「ヤバイ!マジかっちょいい!!」
「先生、あの宇宙船見に行って良い!?」
昂奮した生徒達の、いつもより幼いくらいの表情が、引率のご褒美だ。
「それは後でちゃんと行くから!ほら、取り敢えず降りろ!」
生徒達はわ~わ~喜びながらも、「地底都市」と呼ばれる町の内部にも興味津々らしく、素直に教師についてきた。
入り口が半地下になっているホテルの中に入ると、内部はそのまま崖をくりぬいた造りになっていた。天井も、壁も、床も、全てがむき出しの岩肌だ。中央にカウンターがあって、右手に上の階の客室に続く階段があり、左手には地下に続く階段……というか、スロープがある。
『いらっしゃいませ』
陽気な顔をしたフロント係が声を掛けると、ツアコンの町田がチェックインするためにカウンターに向かった。
「え?ここがホテル?」
「すげ、何かこういう映画、見たことあるよな?」
「マジかっこいーんですけど……」
このシチュエーションは男子生徒の血を滾らせるようで、興奮のためか、皆の頬が紅潮している。その顔を教師3人はいたずらに成功した子供のような顔で見つめた。
ひとしきり生徒達がロビーの中をキョロキョロ見たりぺたぺた触ったりするのを見届けてから大竹がパンパンと2回手を打つ。
「2時にロビー集合だ。客室は地下2階と3階で、レストランとレセプションルームは地下1階だ。エレベーターを使うと分かりやすいが、階段使うとちょっと特殊な造りになってるから、どこの階だか分かりづらくなってる。気をつけてくれ。帰宿後はレストランに集合、その後レセプションルームに移動だ。質問はないか?」
「先生ー、ここ、携帯繋がる?」
「キャリアによるが、繋がるはずだ。館内Wi-Fiの設定は各自客室のマニュアルを読んでくれ。ただし、英語表記だ」
「はーい」
生徒達が銘々エレベーターに乗ったり階段を駆け下りていくのを見ると、大場がニヤニヤしながら見送った。
「何度見ても、この街に降ろされた時のあいつらの顔は良いな。移動がきついって分かってても、あいつらのガキみたいな顔を見ると、オーストラリア班で良かったと思うよ」
先生のおかげだな、と、大場が大竹の肩を叩く。生徒の前では小難しい顔ばかりしている大場だが、こういう顔をするのもまた大場である。
「ま、一番テンション上がってるのは大竹先生ですけどね~?」
森田が一緒になって、ニヤニヤと笑う。
「悪いか。何で俺がここをごり押ししたと思ってんだよ」
「ならもっと浮き浮きして下さいよ。ちゃんと今晩は先生を1人部屋にしてあげたでしょ?」
「はいはい。感謝してますよ」
そう言いながら、大竹は岩肌をくり抜いただけの壁に手を這わせた。
子供の頃、2年間だけ同じビルに住んでいたオーストラリア人のハリィに聞いたクーバー・ペティに憧れ続け、オーストラリア班になるなら行程の中にクーバー・ペディを入れてくれと無理を言ってねじ込ませたのは、まだ赴任して2年目のことだ。学園側は行程的にかなり無茶だと始めは難色を示したが、他の教師達は「何そこ面白そう!」と賛同してくれた。高校生と毎日つき合っているせいか、気持ちの若い……ぶっちゃけ少々子供っぽい教師も多い。クーバー・ペディはそんな教師達の心をまず射止め、試しにその年限りのつもりで行程に組み込んでみたら、生徒達のハートもガッチリ掴んだ。それ以降、毎年男子オーストラリア班では、一番人気のスポットとして君臨している。
2時にロビーに集合して、まずはバギーバスに乗って、砂漠見学に行く。クーバー・ペディはSF映画の撮影スポットとしても有名だ。
バスの中で、ツアコンの町田がマイクを取って、町の説明をする。
「クーバー・ペディは南オーストラリア州に属し、人口約3,500人の小さな町です。多くの家は、出入り口だけ地上部分に造って、メインフロアは地下を掘って作っています。これは夏の気温が50℃以上になることもあり、、冬の気温が夜間はマイナス10℃にもなるという過酷な環境であるために、気温24℃、湿度20%に常に保たれる地下に人間が逃げ込んだためです。
では何故こんな過酷な土地に人が住み着いたかと言えば、ここはオパールの一大産地なのです。クーバー・ペディはオパールで一攫千金を狙う人達が集まり、今も全世界のオパールの70%がここで採掘されます。明日オパールの採掘場は見学に行きますが、オパールの採掘場は坑道の穴が無尽蔵に掘られて穴だらけです。大きなオパールを掘り当てて大喜びした坑道主がお祝いのパーティーを開き、酔っぱらって自分の坑道に落ちて死亡した、という笑えない話もあるくらいなので、皆さんは足元にはくれぐれも気をつけて下さい。
また、この砂漠はSF映画のロケ地としてもよく使われています。オリジナル版のマッドマックスやピッチ・ブラックはここで撮影されました。右手をご覧下さい」
生徒が一斉に右手を向くと、そこには朽ち果てた宇宙船がうち捨てられていた。
「おぉ~!!」
「かっけ~~!!」
マッドマックスのロケ地を見るのが楽しみだと言っていた清水は特に喜んで「外に出られないの!?」と声を上げた。
「もちろん、降りて直接見てみましょう。ただし、外の気温は今日は41℃あります。車の上で目玉焼きが焼ける温度ですので、宇宙船には絶対に手を触れないで下さい」
「は~い!!」
バスから降ろされると、生徒達は大喜びで砂漠のあちこちを走り回り、地面に触ってみては「アチィ!!砂漠ヤベェ!!」と嬉しそうに叫んでいる。宇宙船と記念写真を撮ったり、友達同士でひたすら地平線に向かって走ろうとしてみたり、とにかく大騒ぎだ。
「こういうときの男子って、ホントに平和だな~」
「女子チームはここまでバカ騒ぎはしないらしいぞ」
「良いな~、女子」
教師3人が乾いた笑いを浮かべていると、ツアコンの町田が大竹の元にツツツと寄ってきた。
「あの、大竹先生は科学の先生なんですよね?」
「はい?」
「あの、僕、いつも先程の説明をお客さんにするんですが、どうして日中は40℃超えるのに、夜はすごく寒いですよね?それがいつも不思議で……。赤道に近い所にあるのに、どうして熱帯夜とかにならないんですか?それに東京でだって冬はマイナス行かないのに、こんな所でマイナス10℃とかって、おかしくないですか?」
その質問に、大竹はちょっとだけ眉を上げた。そうか。いつも教えている科学選択の生徒でこれ知らない奴いないから、ちょっと新鮮だな、おい。
すぐ隣りに立っている森田も「……、俺もそれ知りたいです」と手を挙げた。
その2人の顔に、大竹はピンと来た。
使える。これは使える。
それから大竹はおもむろに「あー」などと思案顔をして、辺りを見回した。宇宙船の前で友達とたむろしている設楽と目が合う。町田と喋っていた自分をチェックでもしていたのか。こういうとき、奴のストーカー気質が役に立つ。
「おい、そこの科学部員2人!ちょっとこっちに来い!」
声を上げると、すぐに設楽が佐藤をつついて大竹の元に走り寄ってきた。佐藤はさすがに面倒くさそうだ。そりゃそうだろう。せっかくの自由時間になんで教師に呼ばれてこんなとこへ行かなきゃならんのだ。
「何、先生」
設楽がワンコのような目で大竹の前に立つ。面倒くさそうな佐藤も、それでもちゃんとついてきた。
「町田さんから、砂漠では何故夏冬の気温差が激しいのか出題されたぞ。はい、佐藤」
「え~?何その抜き打ち……」
町田は一瞬慌てた顔をしたが、それでも佐藤はこんな大竹の横暴さには馴れているのか、「比熱と放射冷却です」と短く答えた。
「比熱?」
初めて聞くような顔をして、町田と森田が同時に聞き返した。いや、これ学校で習ってるだろ、とは顔に出さないでおく。どうせ学校で習った事なんて、卒業したら興味のあることしか覚えてないのだ。教師としてちょっと虚しくなるが、これはまぁ仕方ない。
「えっと、比熱は水は温まりにくくて冷めにくいけど、石や砂は温まりやすくて冷めやすいって奴です」
「ああ、砂漠は砂や石が多いから……?」
佐藤の説明に、2人はちょっと勘違いしたまま納得しようとする。
「はい、40点。大事なことが抜け落ちてるみたいだぞ。設楽」
大竹が顎で設楽を指すと、設楽は「石や砂が多いんじゃなくて、空気中の水分がないからでしょ?」とはきはき答えた。
「空気中の水分……湿度ですか?」
町田が設楽に聞き返すと、設楽は「えっと」と少しだけ上目使いになって頭の中の知識に当てはめるうまい言葉を捜した。
「空気の熱をキープしてるのは空気中の水分だから、湿度がないと熱がすぐ逃げちゃうんです。それと、普通は雲が上に逃げていく熱を地上に跳ね返してくれるんだけど、放射冷却って言って、砂漠には雲がないから、熱がどんどん上に逃げてっちゃうんです」
「あぁ、放射冷却はなんとなく知ってます。えっと、湿度がないと熱が逃げる……?」
その概念のない人間に、事象についての説明するのは難しい。設楽と佐藤はまだ納得していないらしい森田と町田の顔色を見てから、助けを求めるように大竹に視線を移した。
「冬に、いくらストーブをかけてもなかなか部屋が暖まらず、ストーブを消した途端に部屋が冷えた経験は?」
大竹が訊くと、町田は「あ!」と声を上げた。
「それ、いつもです!だから寝付くまで、エアコンはスリープタイマーかけてます」
その返事に、大竹は小さく頷いた。
「じゃあ冬はちゃんと加湿器をかけて下さい。空気中の水分を温めてやらないと、いくらストーブを長時間かけても部屋は暖まりませんよ」
森田は加湿器の例にはピンと来たようで、大きく頷いた。どうやら森田は、ちゃんと加湿器をかける派らしい。だが、町田はまだ腑に落ちない顔をしている。大竹は一瞬考えて、ツアコンの町田にはこちらの方が分かりやすいかと違う例えを出してみた。
「夏、湿度の低いヨーロッパでは日陰が驚くほど涼しいでしょう?でも日本の真夏は湿度が飽和状態になるので、日陰でもじっとりと暑い。この日なたが日の出ている昼、日陰が日の沈んでいる夜と思って下さい。さらに砂漠では放射冷却で熱がどんどん逃げ出していく。冬の温度が緯度の割に異様に低いのも、同じ理由です」
町田はようやく顔を明るくして「よく分かりました!ありがとうございます!」と言った。町田の顔が明るくなったおかげで、佐藤と設楽も露骨にホッとした顔になる。
その様子を見て、大竹が科学部員2人を鷹揚にねぎらった。
「わざわざ呼びつけて悪かったな。後でコーヒーでも奢ってやるから、俺の部屋に来い」
佐藤はすぐに「別にいらないッす……」と、イヤそうな顔をした。ううう、ごめん、佐藤。だが、もちろん設楽はすぐに大竹の考えに気がついたらしく、ぱっと顔を明るくした。
「マジで!?行く行く!佐藤は行かねぇの!?」
「行かねーよ。なんで大竹のとこなんか……」
呆れたような佐藤の声に、設楽はなおも浮き浮きした声を上げる。
「え~?だってせっかくの自由時間潰されたんだぜ?コーヒーくらいご馳走して貰わなきゃ、割に合わないじゃん!!」
「だったら設楽1人で行けよ。先生、もうあっちに戻っても良いですか?」
「ああ。自由時間中に悪かったな」
大竹が謝るなんて珍しいと、佐藤が奇妙な顔をして、それからぺこりと頭を下げて、設楽を引っ張って宇宙船に戻っていく。宇宙船の前では大宮達が、2人を指さして何か言いながら笑っているのが見えた。
大竹は、心の中で佐藤にもう1度「ごめん」と謝った。やっぱり、少し強引だったろうか。らしくない自分の行動に、大竹は少しだけ途惑っていた。
やばいな。俺、設楽と一緒にクーバー・ペディに来たことで浮かれてるんだろうか。
……いやでも、これで堂々とこの後設楽と2人になれる……そう思うと、大竹はつい口元がほころんで、そんな自分に1人反省会をするのだった。
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