第10話:赤色の世界

「あれ?階段?」


 クーバー・ペディは元々坑道として掘られた穴を再利用して家やホテルを建てている。この階段も、昔の坑道を利用した通路で、手押し車が入るように、スロープになっている。メイン階段も同じ造りだが、メインなだけあって広々としてランプもたくさん灯してある。しかしこの階段はもっと狭くて灯りも乏しい。こうしてたくさんあるスロープは、一応非常用階段として利用されるのだろうが、滅多に使われることはないのだろう。


 暗くて狭いスロープを登っていると、地下ダンジョンを冒険している気分になる。散々「先生の部屋にいたい」などと文句を言っていたことも忘れて、設楽は少しワクワクしてきた。暫くそうして歩いていると、いきなり扉にぶつかった。どうやらここが終点のようだ。


「この先は非常口で、地上階だから眩しいぞ」

 そう前置きして大竹が扉を開けると、急に朱色の光に襲われた。

 驚くほどの、朱。

 大きく開かれたガラス窓から、砂漠を照らす夕日が容赦なく照りつけてきた。


「うわ、眩し…っ!」

 しばらく目を閉じていたが、ようやく外の光に目が馴れると、設楽はガラス窓から外を眺めて感嘆の声を上げた。


「すげぇ…」


 見渡す限りの地平線が、真っ赤に染まってる。雲1つ無い空に、今まさに沈もうとする巨大な太陽。昼間に見た宇宙船が、遠くにぽつんと長い影を引いている。


「……かっこいい……」

 その台詞に、大竹は嬉しそうな顔をして、それから設楽の手をそっと引いた。

「一応今の時間は夕日が反射して外から中身えないはずだが、一応上の階に移動するぞ」

「うん」

 設楽は窓の外を見つめながら、大竹の後について階段を登った。最上階の3階まで登り、踊り場から外を眺めると、この高さから見ても視界を遮る物など見当たらなかった。遙か彼方まで真っ赤な大地が真っ赤な太陽に染められている。あぁ、なんて赤だろう


「俺は、この景色をいつかお前と見たいって思ってたんだ」

 大竹は後ろから設楽の身体を抱きしめた。


「オーストラリア、反対したくせに」

 小さく設楽がからかうと、大竹は設楽の髪に口づけた。


「だから2人っきりでさ。ベルトコンベアーの工場製品みたいな味気ない集団旅行でここに来たってしょうがねぇだろ」


「あはは、確かに流れ作業みたいだよね、この旅行」

 そのまま2人はくくっと小さく笑って、窓の外に広がる夕焼けを眺めた。大竹の腕は、まだ設楽を抱きしめている。設楽は、自分の腹に回った腕に、そっと上から手を重ねた。


「綺麗だね。地球の端っこみたいだ」

「そうだろう?」

「俺達の他に、誰もいない世界みたいだね……」

「ああ」


 2人は暫くそうして、ただ外の世界を眺めていた。


 夕日は徐々に沈んでいき、空の色が赤から緑がかった黄色を描き、紺へと移っていく。その不思議なグラデーションを眺めながら、設楽の方から「もうすぐ夕飯の時間だ。レストランに行かなきゃ」と声をかけた。

 本当は、もちろん2人でずっとここにいたい。でも、それが許されないことだということくらい、設楽だって分かっている。


「設楽…」

 珍しく、大竹の方から名残惜しそうに唇を寄せてくる。設楽は幸せな気持ちに包まれながら、大竹の唇に応えた。


 まだ赤味の残る空は、気がつくと淡い紺色に包まれていた。星が瞬き始めている。

 設楽は大竹の肩に額を乗せて、「ここは星空も、びっくりするくらい綺麗だろうね」と呟くと、大竹は「ああ」と応えた。


「湿度がほとんど無いから、空気が恐ろしく澄んでるんだ。もちろん雲もない。星空というより宇宙の中に放り込まれたような景色だぞ」

「そっか…」

 それを、大竹と2人で見られたら……。だが、きっと大竹はそれを許してはくれないだろう。


 大竹の言いたいことなら大体見当がつく。今は修学旅行中で、つまり学校行事の最中なのだ。いくら大竹の内々のフリーの日だと言っても、勤務中であることは間違いない。


 それでも、設楽は自分の気持ちを正直に口にした。

「ねぇ、先生。自由時間に、またここで2人で会っちゃ……ダメ?」

 甘えた声をわざと出して、小さく首を傾げて見せる。出来るだけ、大竹が可愛らしいと思ってくれる仕種で。


「……俺は、修学旅行ってのは、ただの研修旅行や観光旅行じゃないって思ってる」

 ほら、やっぱり先生がそんな事を許してくれるわけがないんだ。融通の利かない頑固ジジィ。でも、自分が惚れたのは、そういう男だ。

「うん…」

「高校を出たら、友達同士はバラバラになる。社会に出る奴もいる。大学の友達もそうだけど、高校で出来た友達は、何の気負いも損得もなく付き合える、貴重な存在だ。そういった友達と、卒業する前に寝食を共にして、社会に出てからも続く強い絆と、思い出を作る。だから、修学旅行は友達とつるんで、年取ってからも思い返すと笑っちゃうようなバカをすることにも意味があると思うんだ」

「うん…、先生の言うことは分かるよ」


 大竹の腕に重ねた手に、力をこめる。大竹の大きな手が、そんな旅行の最中だというのに、今自分を抱きしめている。それだけで、何が不満だというのだろう。


「教師と追い駆けっこしたり、出し抜いたりすんのも良い思い出だから、そう言うヤンチャも少しはやっても良いんだよ。ま、教師はそれを全力で阻止するから、余計に面白いんだろうけどさ」

「ははは、超メーワク」


 もう時間だ。そのまま了解してレストランに行こうと思った時、設楽を抱く大竹の腕に力がこもった。


「先生?」


 不思議に思って振り返ろうとしたが、大竹はそのまま設楽の髪に顔を埋めて、その手を離そうとはしなかった。

「先生、もう時間だよ?」


「ごめん。でもお前のその貴重な修学旅行の時間を、少しだけ俺が貰っても良いか……?」


「え?」

 心臓がドクリと跳ねた。

 大竹が何を言っているのか理解するのに、時間がかかる。


「えっと、それって……」

「ごめん。俺の我が儘だ。さっきもお前と佐藤の自由時間、勝手に俺が使っちまったってのに……」


 耳元で大竹の低い声が、ダイレクトに囁く。設楽が堪らなく好きな、大竹の掠れた声。設楽は思わず唾を飲み込んだ。


「……それって、夜またここに来ても良いってこと……?」

「ダメか?」

「ダメかって……」


 設楽は赤くなった頬で、怒ったようにも呆れたようにも聞こえる声を出して振り返り、大竹の頬にキスをした。


「もう!俺がそうしたいって言ったんだろ!?先生の言い方、遠回しすぎるよ!!一言自由時間にここで待ってるって言ってくれりゃ良いだけでしょ!?」

「……いや、そう……かもしれないけど……、でもやっぱり……」

 まだグチグチ言おうとする大竹の口を、設楽はむんずと摘んでやった。


「今俺は、教師としてより恋人としてのあんたと話がしたいよ!あんたの可愛い彼氏は、今日のミーティングが終わったら、あんたと宇宙の中に放り込まれたいってさ!ほら、お返事は?」

「うく…」


 唇を摘まれてドナル●ダッグの様な顔になった大竹が、何か言おうとしてムグムグしている。設楽はくすっと笑うとその手を離し、今まで摘んでいた唇に、自分の唇を重ねた。


 始めは躊躇いがちに重なっていた大竹の唇も、段々熱を持ってくる。大竹の大きな手が設楽の背中に回り、掻き抱くように強く引き寄せられた。


「ん…先生……っ」

「……はっ」

 辺りに、卑猥な湿った音が響く。互いの唾液が、やけに甘い。

「ん…っ」


 チュッと音を立てて唇が離れると、大竹は設楽の頭を自分の胸に押しつけた。暫くそうしてお互いの呼吸が調うのを待つ。それから小さな声で大竹が「分かりました、先生。了解です」と囁いた。

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